名門貴族の懐刀
王都アテナスは、商店のある道の人通りが非常に多い。
特に多くの商店が並ぶ大通りは十分な幅があり、人が多くとも往来に不便はない。
馬車の通る車道と歩行者の歩く歩道が分けて舗装されており、人の流れによどみはない。
だが建屋の無い露天のような小さな店が立ち並ぶ道は、道幅に対して人通りが多いので混雑しやすい。
この街は貿易で発展してきただけあって、そういった店が立ち並ぶこともよくある。
露店の前で立ち止まる人もいるので、人々はなんとかすれ違うようにして行き来している。
このような場所ではスリが出ることも多いので、見回りのために衛兵もよく通る。
それもまた、通りの混雑に拍車をかけていた。
そんな人でごった返す道を、一人の大男が歩いていた。
かなり人が密集しているにもかかわらず、その男はすいすいと進んでいく。
その人並み外れた身長と鍛え上げられた筋肉を見て、彼が行く先にいる人が自然に道をあけているためだ。
頭髪ない頭や彫りの深い顔による威圧感も相まって、その男の行く手を遮ろうとする者は一人もいなかった。
外見のいかつさとは裏腹に、その大男ーールキアーノ・パオローニの表情は晴れやかだった。
頭髪が無い分、念入りに手入れされた口ひげを軽く触りながら、軽い足取りで目的地へと歩いていく。
彼が上機嫌なのは、尊敬する主人から与えられた責務を果たすことができる、という充実感によるものだ。
彼はこの国のとある有力者の私兵として雇われている。
本来はその護衛を務めたり、王国軍の鍛錬場で訓練の指導を受け持ったりしている。
だが今日は主人から、冒険者ギルドで依頼をこなすようにとの命令を受けていた。
(私兵であるこの私を、自分のためではなく市井の人々のために働かせるとは……流石は我が主!)
ルキアーノは自らの主人の素晴らしい采配に感動し、より一層機嫌を良くする。
実際の所は仕事は無いかとしつこく尋ねた結果、主人から「暇ならギルドの依頼でもやってこい」というやや投げやりな返事をもらっただけである。
だが雇い主を深く尊敬している彼にとっては、その適当な指示すらも果たすべき重要な使命となる。
そんなわけで早速、こうして冒険者ギルドの支部へと足を運んでいるのである。
こういったことは初めてではなく、特に最近は少し頻度が上がってきている。
最近は主人も王都の外に出ることもあまりないので、護衛の任務も機会が減ってきているためだ。
そして自分には主人の意図通りーー少なくとも彼はそう思っているーー人々の役に立つべく行動するという使命感がある。
そのためギルドの依頼の中でも、稼ぎの悪い放置されがちな依頼を率先してこなすようにしている。
その結果、確かな実力があることもあって、ルキアーノはギルド職員からはかなりありがたい存在として認識されるようになっていた。
露店の並ぶ通りを抜けて大通りに出ると、ギルド支部の看板が見えてくる。
さて今日はどんな依頼があるのかと思いながら入り口の戸に手をかけたところで、一瞬手を止める。
(む?なにやら騒がしいですな……)
そのままギルド支部の扉を開け、自分の身長よりわずかに低い入口をくぐって中に入る。
すると奥にある受付カウンターに何やら騒いでいる男がいるのが見えた。
外にまで漏れていた騒がしい声は、この男のものだったようだ。
「なんでだよ!?こいつは本当に危険なんだよ!」
「そう言われましても、この依頼料では四等級がせいぜいです」
「並の奴じゃダメだ!こいつはとんでもない怪力の化け物なんだぜ?」
「しかし金額が釣り合いませんので……」
「そこをなんとか頼むって言ってんだろ!」
「こちらとしてましても、状況を確認していない現段階でそういったことは……」
男の方はどうやら依頼を出しに来たようだが、依頼料と内容が見合わないということらしい。
揉め事というのであれば、介入しておさめるべきだろう。
自分が人の役に立てば主人の名を高める一助となるだろうと考え、彼はこういう場合率先して行動することにしているのだ。
「どうされたのかな?受付のお嬢さん」
「あ、ルキアーノさん!」
声をかけられた受付の女性の顔が、ルキアーノを見てパッと明るくなる。
受付嬢の反応につられて、先程まで声を荒げていた男も振り返る。
「あ?……誰だあんた?」
自分の体格を見て一瞬ぎょっとしたようだが、それでもカウンターに身を乗り出したまま動こうとはせず、ルキアーノを胡散臭そうに見ている。
今回は依頼を出しに来たようだが、登録章を下げているので冒険者でもあるらしい。
受付の人間はその男に向かって、どこか自慢気にルキアーノの説明をする。
「ルキアーノさんは、あのメディス家に仕えている剣士です。時折こうしてギルドの依頼も受けに来てくれるんですよ」
「メディス家?……ハン、お偉いさんのお抱えってわけか。どうせ依頼料が高くないと依頼なんざ受けねぇんだろ?」
「とんでもない!ルキアーノさんは雇い主からの給金があるからと言って、お金がない人の依頼を率先して受けてくれています。ルキアーノさんほどの剣士なら、もっと高い依頼料をとれるはずなのに……いつも本当に助かっています」
「いえ。私は我が主の命に従っているにすぎません。感謝されるのであれば、どうか我が主に」
「……ほぅ?」
無精髭の男はその話を聞くと、ニヤリと笑ってカウンターから体を離してルキアーノに向き直った。
「じゃあ、ちょっと俺の話を聞いてくれねぇか?ルキアーノさんよ」
そう言った男の右腕は、手首から先が無かった。
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受付嬢に話をして、ギルド支部内にある応接スペースを借りることができた。
そこに二人で向かい合って座り、どういった内容の依頼なのか一通り説明してもらう。
「つまりとあるダンジョンに住み着いている、人間型のモンスターに襲われたので退治してほしいと」
「ああ、おかげでこのザマだ」
そう忌々しそうに言って、グランと名乗ったその男は手首から先のなくなった右手を振ってみせる。
現に被害が出ている以上、人に害をなす存在であることは確かなようだ。
証言によると剣もなしに手首を落としたということなので、相当な腕力の持ち主らしい。
「見た目はほとんどただのガキなんだが、右腕が毛むくじゃらで鋭い爪を持ってる。人間のフリしたバケモンってとこだな」
「うーむ、聞いたことのないモンスターですね。新種の亜人でしょうか?」
腕を組んで天井を仰ぎ、ルキアーノは軽く唸る。
自分が聞いたこともないような人間型のモンスターが近隣に出現したというのは少し引っかかるものがあった。
彼はこれでもモンスターには詳しい方である。
ギルドの依頼を何度も受けているということもあるが、今の主人に雇われる前にも野生のモンスターと戦う術を身につける必要があったのだ。
その自分が全く聞いたことのないモンスターが現れたというのは、ちょっとした異常事態に思える。
「そこまでは知らねぇな。だが腕力がバカみてぇに強かったし、俺がこうしてやられてるように、性格もかなり凶暴だ。だからこそ、高い等級の依頼書を発行してもらいたかったんだが……」
「依頼料が足りなくて断られていた、というわけですか」
ギルドが発行する依頼書には等級があり、通常は一等級から五等級までである。
依頼を受ける冒険者は自分の実力に見合った依頼を受けるために、その等級を目安にしている。
一等級に近いほど依頼の内容は困難なものになり、成功した場合の報酬も高額なものになる。
通常の枠には収まらないと思われるような非常に困難な内容の場合は特級と呼ばれるものになるが、これは滅多にお目にかかれない。
高額な依頼はギルドや国が補助金を出すこともあるが、それには調査隊を派遣して対処の必要があると認められる必要があるのだ。
「ああ。早いとこ実力のある奴に受けてほしいんだがな。ひょっとしたら、近くの街に出て人を襲うようになるかも……」
「なんと、それはなりません!」
不安を煽るようなグランの物言いに反応して、ルキアーノは前のめりになる。
そのような事態はなんとしても避けねばならない。
自分は人々の役に立つよう、主人の命を受けているのだ。
「じゃあ、お前さんが受けてくれるか?」
「もちろんですとも!早速参りましょう!」
「え?い、今からか?他にも人を集めたり……」
「なに、これでも腕には自信があります。メディス家に仕えるものとして、そのような危険な存在を野放しにしてはおけません。一刻も早く懲らしめてやらなくては!」
主人の役に立つことがなによりの喜びであるルキアーノは、非番の日でも常に鍛錬を欠かさない。
鍛錬の内容も年を追うごとに激しいものになっており、今では自分と同じメニューをこなせるものは国軍にもほとんどいない。
たゆまぬ自己鍛錬と体格に恵まれていることもあって、剣士としての技能はこの都市でもかなり上位に位置すると自負している。
故にモンスター相手でも遅れをとったことはなく、これまでも数々の高難易度の依頼をこなしてきた。
「さぁさぁ、今すぐ出発しましょう!」
ルキアーノは勢いよく立ち上がると、グランを急かすようにして問題のダンジョンへと繰り出すのだっった。