お茶会と招かれざる客
【本邸】の中にチリンチリン、と涼し気なベルの音が響く。
その音に反応してレイは作業の手を止め、顔を上げる。
「はーい!」
ここから返事をしても外まで聞こえないのはわかっているのだが、なんとなく返事をしてしまう。
呼び鈴が以前よりもそれらしいものになったせいで、本当に普通の家に住んでいるような感覚になっているせいかもしれない。
この呼鈴は先日、ルフィナたちが街で買ってきてくれたものだ。
鳴子のような木片を使っていた時よりも聞き取りやすく、気分的にも家の呼び鈴らしくて気に入っている。
ダンジョン入り口へと向かうべく【本邸】の出入り口から通路に出ると、そこで一度立ち止まる。
その場で「せーの」と掛け声をかけると、そこから通路の突き当りまで一息に跳んで移動した。
そしてそこからまた次の突き当り、次の突き当りへと一足飛びに通路を通り抜けていく。
「よっ、ほっ、とっ」
そのまま入り口が見える場所まで、わずか数十秒の間に移動してしまった。
この移動の仕方は最近練習して身につけたもので、明かりの準備も無しに短時間でダンジョンの外に出られる。
ルフィナ達を待たせてしまうのは申し訳ない、と考えたレイがなんとか早く移動できないかと考えた結果、編み出した方法がこれだ。
並外れた筋力を活かしてまっすぐ移動できる通路を一気に跳んで移動することで、ほとんど歩くことなくダンジョンの入り口まで到達できるようになった。
手持ちの明かりが不要になったのは、通路の中に明かりを設置してあるからだ。
曲がり角などの必要な箇所にだけ明かりを設置して、それを目印に跳ぶようにすれば良いと考えたのである。
最初のうちは力の加減に失敗して何度か突き当りの壁に激突したが、今ではほとんど失敗することなく移動できるようになっていた。
「こんにちは、ルフィナさん!リンさん!」
「おー、こんにちは!……しかし前回見た時も驚きましたけど、あの部屋からここまで本当にすぐ来られるようになりましたね。すごいもんです」
「たしかに。おじいさまの転移を筋力で実現してる感じ」
「あまりこちらでお待たせするのも申し訳ないですから」
そう言って二人を中へと促すと、リンが背負かばんから光鉱石のランプを取り出す。
二人がいるときは同じ方法で移動できないので、ちゃんと明かりを用意する必要がある。
光鉱石は水をかけると光を放つ鉱石で、高価だが明かりの維持が簡単、かつ火を使わないので安全という利点がある。
通路に設置した明かりも、リンが街で調達してきてくれた光鉱石を使ったものだ。
リンがランプの中に水を注いでいると、ルフィナがレイの隣についっと歩み寄る。
そしてレイの右腕を軽く持ち上げ、肩口のあたりに顔をうずめて軽く鼻先をこすりつけ始める。
「んんー……レイ君の腕相変わらずモフモフです」
「ちょ、ちょっとルフィナさん……」
「ルフィナ、またやってる」
最近のルフィナはこれがお気に入りのようで、彼女はダンジョンに来る度に腕の毛並みに顔を埋めていた。
嫌というわけではないのだが、どうにも恥ずかしいしくすぐったい。
これをされるようになってからというもの、レイは右腕の毛を毎日念入りに洗うようにしている。
「リンちゃんもやってみません?気持ちいいですよー」
「やらない」
「えー?こんなに気持ちいいのにー。もふもふ」
「……や、やらない」
これ見よがしに毛並みを楽しんでいるルフィナを見てリンは少し揺らいでいたように見えたが、最後には顔を背ける。
明かりの準備ができたので、三人で揃って通路を歩いていく。
「角兎の状態はどう?」
「順調ですよ!森で拾ってきた食料や、野菜の切れ端なんかを食べさせてます。モンスターでも食べ物さえあれば、案外大人しくしているものなんですね」
リン達に運んできてもらった道具や資材を使って、【本邸】の一角に角兎の飼育小屋を作った。
そこに森で生きたまま捕まえた角兎を数体入れて飼っている。
最初のうちは外に出ようと暴れていたが、しばらくすると金網が壊せないと理解したらしく大人しくなった。
食べ物を与えるようになってからは、ほとんど逃げ出そうともしなくなったようだ。
「なら良かった。後で私にも状態を確認させて欲しい。角兎を飼育したことは私もないから興味がある」
「ぜひお願いします」
そんな話をしながら歩いているうちに、【本邸】に到着する。
ここを訪れるのはもう何度目かになるので、二人とももう慣れた様子だ。
「じゃあ、とりあえずお茶を入れますね」
「あ、手伝いますよー」
レイはルフィナと最近川の近くに作った台所スペースへと移動し、二人でお茶を入れる用意を始める。
以前は水しか出せなかったのが、今では色々と物が増えてきたおかげでそれなりのもてなしができるようになっていた。
まず石で作ったかまどに火を入れ、ケトルに川の水を入れて火にかける。
そして茶葉をポットの中に入れ、ティーカップを用意する。
ここに揃えられたケトルなどの調理器具も、ルフィナ達に街で買ってきてもらったものだ。
ポットやカップは特に頼んだものではないのだが、ルフィナいわく「家にあった余り物なので」とのことなので、ありがたく使わせてもらうことにした。
青い塗料で花の柄をあしらった上品なデザインでレイも気に入っているが、陶器の食器など扱うのは初めてだったので、使う時には今でも少し緊張してしまう。
「あ、リンちゃん。持ってきたお茶菓子を広げておいてくれますか?」
「ん」
リンは頷くと、荷物から小さな包みを取り出してテーブルの上に置く。
そして木皿をテーブル横の収納ボックスから取り出してテーブルの上に置き、その包みの中身を皿の上に並べていく。
この収納ボックスは、リンが買ってきた工具を使ってこしらえたものだ。
釘やハンマーを手に入れたことで、開閉できる蓋のある使いやすいものを作ることができた。
素人が作ったものなので多少ガタつきはあるが、使う分には不便もないので満足している。
お茶の用意が整うと、全員でテーブルにつく。
「今日のお茶菓子はー……マドレーヌです!」
「まどれーぬ、ですか?初めて聞くお菓子です」
「今日のはルフィナが焼いた」
「へぇ!ルフィナさん、お菓子作りもできるんですね。すごいです!」
「家の方針で色々と覚えさせれましたからねー。さ、どうぞ食べてください」
「はい、いただきます!」
最近はこのようにして、ルフィナの持ってきたお菓子でお茶を飲むのが恒例となっている。
ルフィナの「レイ君の家でお茶会したいです!」という強い希望によって色々と物が増えていき、結果として今のような状況になっていた。
お茶を飲んでお菓子を楽しむなど、レイからすれば貴族のすることだと思っていたが、ルフィナはごく普通のことのように提案してきた。
ヘッケル卿やその孫であるリンと仲がいいことからも、ルフィナは身分の高い人間と接することが多いようだ。
(癒術士って、貴族のお客さんが多いのかな?)
焼き菓子を頬張りながら考えるが、自分の村にはいなかったので癒術士のことはよく知らない。
田舎の村にいる薬師よりは高位の薬や治癒魔法が扱える、という程度の認識だ。
「そういえばレイ君、畑にまいた新しい種はどうですか?」
レイは口の中のマドレーヌを飲み下すと嬉しそうに答える。
「もう大体芽は出ていて、成長が早いものは茎が膝くらいの高さになりました。モロイモ以外にもダンジョンの中で育つものがあるとわかってよかったです。むしろ少し成長が早いくらいですね」
「おー、それは良かったです!じゃあお野菜が育ったら、私がお料理教えてあげますね」
「わ、いいんですか?楽しそうです!」
「リンちゃんも一緒に練習しましょうね?」
「……料理はいい。あれは苦手」
「あれ、そうなんですか?リンさん、こういうことは得意なのかと思ってました」
レイは意外そうな目で、少し渋い顔をしたリンを見る。
こういったことに関してリンは器用そうだと思っていたのだが、意外とそうでもないらしい。
「薬品を混ぜるのは得意だけど、料理は苦手。ルフィナみたいには手が動かない」
「えー?あんなの慣れですよ。せっかくだからレイ君と一緒に練習しましょうよ」
「気が向いたら」
「これまたやる気ない返事ですねぇ……」
ルフィナはふぅ、と軽くため息をつく。
これまでも何度か同じようなやり取りをしていたのだろうか、やや諦め気味の雰囲気だ。
「それより、モンスターの飼育について話したい。角兎は、今全部で何匹?」
「六匹ですね。まだ子供はできていません」
「オスとメスは両方いる?」
「はい、三体ずつ。この前教えてもらった見分け方で、ちゃんと両方捕まえてあります」
「狭い場所で生活をさせた場合に繁殖にどんな影響があるかは、私も知らない。でも健康に問題がなさそうであれば、恐らく大丈夫」
「具合が悪そうな様子はありませんね。モロイモの皮とかでも食べるので、食べさせるものにはあまり困っていませんし」
「ん。じゃあお茶も飲み終わったし、様子を見に行く」
空になったティーカップをテーブルに置き、リンと席を立って飼育小屋へと向かう。
飼育小屋の中を覗き込むと、角兎達が小屋の中に用意された水飲み場で水を飲んだり、餌を食べたりしている様子が見えた。
その様子はモンスターとは思えないほど大人しく、まるでただのウサギを飼っているようにも見えた。
「おー、意外とできるもんなんですねー。私が角兎を抱っこしようとした時は、割と大変だったんですけど」
「いえ、僕は教わったことをしているだけで……って、ルフィナさん、そんなことしたんですか?」
「でも、これだけ大人しくなるのは少し意外。ダンジョンの中の空気は、彼らにとっては居心地がいいのかもしれない」
「じゃ、この場所だからうまくいってるのかもしれないってことですか?リンちゃん」
「かもしれない。比較実験しないと、はっきりとは言えないけど」
ひとしきり様子を観察し終わると、リンは顔を上げてレイの方を向いた。
「ん、多分これで大丈夫。じゃあ、次はまた血液を採取したい」
「あ、はい」
飼育小屋から離れ、三人はテーブルと戻る。
そしてリンは自分の荷物から注射器を取り出し、レイの左腕から血液の採取を始める。
リンがここを訪れた際には、こうして少量の血を提供することにしている。
研究所で色々と調べてもらうことで、まだわかっていない自分の体のことがなにか分かるかもしれないからだ。
調査の費用を支払うことも提案したのだが、「珍しい試料を提供してもらってるだけで十分」とのことだったので、今は血液の提供だけを行っている。
注射器をちょうど満たすくらいの血液を採取したところで、リンは注射器をレイの腕から抜き取った。
「ん、今日はこれだけでいい。今の所わかっているのは、普通のスライムと比べると移動の速度が落ちることくらい。また何か分かったら教える」
「はい、よろしくお願いします」
「多分おじいさまもそのうち来ると思う。その時は相手をしてあげてほしい」
「してあげる、なんてそんな……。ヘッケル様みたいな人が来てくださるなんて、僕にはもったいないくらいで」
レイにとってはリスク無く会える人間と話せるだけで、十分に嬉しいことなのだ。
それもヘッケル卿のような博識で人柄のいい年長者がわざわざ来てくれるなど、本当にありがたいことだ。
「あまりおじいさまを持ち上げなくていい。というか適当でいい」
「リンちゃん、ヘッケル様にはほんと手厳しいですね……」
「研究者としては尊敬してる。でも身内としては、もう少し落ち着いてほしい」
「でもまぁ、あれがヘッケル様ですからねー。私なんかは落ち着いちゃったら逆に心配しちゃいますけど」
「あはは……。僕もヘッケル様の砕けた感じは、結構好きですよ?」
「むぅ……」
自分の祖父の性格が意外と高評価だったことが納得行かないらしく、リンは小さく唸る。
「まぁいい。そろそろ帰る」
「そうですねー。また来週あたりに来ましょう」
そう言うと二人は荷物をまとめて出発の準備をする。
ここ数回はこのように遊びに来た二人とお茶と会話を楽しみ、その日のうちに帰る二人を見送る、という形になっていた。
レイとしてはまた泊まっていってくれないかと思う時もあるのだが、自分から言うのはなんだか恥ずかしくてためらわれた。
荷物をまとめた二人を見送るべく、ダンジョンの入り口の外まで一緒に歩いていく。
話しながら歩いているとあっという間で、気がついたらダンジョンの外まで来てしまった。
「じゃあレイ君、また来ますね!」
「ん、また来る」
「はい、お待ちしています。いつでも遊びに来てください!」
二人の後ろ姿を見送りながら、レイはこれからのことについて考える。
野菜が収穫できたらルフィナから料理を教えてもらおう。
リンとも、モンスターの飼育について色々と話がしてみたい。
ヘッケル卿もまた会いに来てくれるというので、その時にためになるような話がまた聞けるかもしれない。
楽しみにできることがたくさん浮かんできて、思わず顔がほころんでしまう。
二人の姿が見えなくなった所で、ダンジョンの中へ戻るべく踵を返す。
最初の一人でダンジョンで暮らしていた頃に比べると、とても充実した生活だ。
こんな生活がこれからも続いて欲しい、そう心から思った。
「よう、久しぶりだな」
突然横から声をかけられ、驚いてその方向を振り向く。
そして声の主を認識した瞬間、息が止まる。
なぜ、この男がここにいるのか。
かつて自分がこのダンジョンで受けた仕打ち、その記憶が一気に蘇ってくる。
その元凶とも言える人物が、目の前で嫌な笑いを浮かべて立っていた。
「グ、グラン、さん……!」