旅立ちの朝
酒場で未探索ダンジョンへ行く約束を取り付けた翌日の朝。
丸窓から柔らかな日の光が差し込む屋根裏部屋で、レイはいつもより少し早くに目を覚ました。
「ん……ぁふ」
小さなあくびをしてから、もぞもぞと寝床から這い出る。
そしてぼんやりとした寝起きの頭で今日の予定はなんだっけと考え、昨日の約束のことを思い出してパッと意識を覚醒させる。
いそいそと身支度を整えながら、レイはこれから向かう場所についてあれこれと想像を膨らませる。
(わからないことが多い場所みたいだし、途中の商店で色々買っていこうかな。……お金が足りる範囲で)
ここはこの国の王都からほど近い街、コルタナにある小さな食料雑貨店。
その屋根裏部屋が今のレイの寝床だ。
自分の生まれた農村を出てこの街で働くことに決めたのは12の時だった。
彼はもっと田舎の地方の出身だが、兄弟が多く長男でもない自分が家から出ていかなければならないということは早くから分かっていた。
農村に働き手は必要だが、多すぎても食い扶持が増えるだけでしかない。
土地が無限にあるわけでも無い以上、自分のような末っ子は村の外で生きていくのが妥当なのだと理解している。
小さい頃から冒険者に憧れていたので、ギルドの支部があり適度な難易度の依頼が多そうなコルタナを移住先に決めた。
そして街で色々とアルバイトをして装備を買う資金を稼ぎ、ギルドで登録手続きをして正式に冒険者となった。
今この部屋を間借りしている食料雑貨店も、元はアルバイトで働いていた店の一つである。
昔戦争で息子と夫をなくした初老の女性が店主で、彼女は熱心に働くレイを自分の子供のようにかわいがっていた。
「おはようございます、マリアおばさん!」
身支度を済ませて屋根裏部屋から店のある一階に降りると、レイはいつものようにカウンターに座っているマリアに挨拶をする。
マリアは白髪混じりの髪を短めに切りそろえている、ロングスカートとゆったりとしたカーディガンを身につけた穏やかな顔立ちの女性だ。
身につけている服は決して上等なものではないが、見る者に不快感を与えない清潔感がある。
ぼんやりと店内を眺めていたマリアは振り向くと、眼鏡の奥の優しそうな目を細めてレイに挨拶を返す。
「あら、おはようレイ君。今日はいつもより早いのね」
「はい!今日は新しいダンジョンに行く予定なので、少し買い物をして行きたくて」
「……あぁ、そうなのかい。それはしっかりと準備をしないといけないねぇ」
レイの言葉を聞いて、マリアは僅かにだが表情を曇らせた。
正直な所、彼女はレイが冒険者として活動していることをあまり良く思っていないようだ。
自分が可愛がっている少年にはあまり危険な仕事についてほしくない、というある種の親心が働いてしまっているのかもしれない。
そしてそんな思いのためか、既に一度断られた提案を再度レイに持ちかける。
「ねぇレイ君。前にも言ったけど、この店を継ぐ気はないかい?冒険者みたいな危ない仕事、レイ君にはちょっと大変すぎると思うんだよ。私も独り身でもう若くはないし、あんたは真面目でいい子だ。レイ君みたいな子がうちにいてくれれば、私も安心なんだけどねぇ……」
「マリアおばさん……」
マリアの提案を聞いて、レイは視線を落とす。
彼女の言うことはもっともだ。
自分のような何の取り柄も無い若造が冒険者を続けても、かつて憧れた物語のような華々しい活躍は難しいだろう。
真面目ではあるつもりだが、性格的な特性や体格の恵まれなさを考えれば、自分が荒っぽい冒険者向きではないことはわかる。
はっきり言って、街の中で働く方が向いている。
それに実の息子でもない自分に、店を任せてくれる人などそうはいない。
農村出身の自分が街の商店で店主になれるチャンスなど滅多にないのだ。
彼女の提案はレイにとって、悪くないどころか現実的かつ理想的とも考えられる。
しかしそう考えた上でなお、まだ諦めきれない自分がいた。
これから向かう場所は未探索のダンジョンだ。
その探索で活躍できれば、そこから人に認められるような冒険者になっていけるかもしれない。
都合のいい想像でしかないのだが、そんな可能性を考えると、どうしても諦めきれなかった。
レイはマリアに向き直って答える。
「ごめんなさい、マリアおばさん。でも僕、もう少しだけ頑張ってみたいんです」
「……そうかい、わかったよ。気が変わったらいつでも言っておくれ」
「はい、ありがとうございます」
レイはペコリと頭を下げながら、暖かいものがじんわりと胸に込み上げてくるのを感じた。
冒険者としては誰からも軽んじられている自分にも、こんなにも良くしてくれる人がいる。
そのことだけで、自分はまだ頑張れるという気持ちが湧いてくる。
「じゃあおばさん、いってきます!」
「ああ、ちょっとお待ちよ。これを持っておいき」
そう言いながらマリアはカウンターの下から小さな麻袋を取り出し、レイに手渡す。
あまり重たくはないが、なにやらゴロゴロしたものが入っているようだった。
「小ぶりだけどモロイモが入っているからね。お腹が空いたらお食べ」
「わ、ありがとうございます!」
モロイモは手のひらに収まるくらいの大きさの芋の一種だ。
焼いたり蒸したりして食べることが多いが、皮をむけば一応そのまま食べることもできる。
取り立てて美味しいものではないが、安価で日持ちもするので旅人の携帯食料として重宝されている。
「じゃあ気をつけて行っておいで。いいかい、危なくなったら逃げていいんだよ?レイ君にはちゃんと帰るところがあるんだから」
「はい!いってきまーす!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
温かい言葉を背に受けて、レイは元気よく店を出た。
その後いくつかの店で消耗品を買い込むと、急いで待ち合わせ場所へと向かう。
約束の時間に遅れているわけではなかったが、はやる気持ちが抑えきれずに自然と足を急がせていた。
今日は天気も良く、冒険者にとっては絶好の日和だ。
コルタナの街は南北に目抜き通りが通っており、城塞都市のような巨大な防壁は無いが、モンスターや害獣が簡単には入ってこられない程度の壁に囲まれている。
そして目抜き通りの終端には門があり、人の出入りはそこから行う事になっている。
どちらの門にも普段から見張りの兵士が立っており、街に入るときには持ち物や身分の簡単な検査があるが、出るときには特になにもない。
また、街に入る時でも、冒険者の登録証を持っている者はそれが身分証明になるためにほとんど素通りできる。
出入りの激しい冒険者をいちいち検査しては煩わしいということもあるが、冒険者ギルドという組織がこの国である程度の権威を持っているという証でもある。
今日の待ち合わせ場所は南門だ。
あの辺りには貸し馬の厩舎や駅馬車の待合所があるので、そういった移動手段を利用するのかもしれない。
乗馬は苦手なのでその点はやや心配だったが、これから向かうダンジョンのことを考えると、レイはワクワクせずにはいられなかった。
不幸の連続だった一日の最後に、偶然酒場で出会ったグランに誘われて向かうことになった、まだ誰も探索したことのない場所。
この一連の出来事のためか、これから向かう場所に何か運命的なものを感じていた。
(きっと、何かすごいことが待っている……!)
そう考えるたびに、待ち合わせ場所の南門に向かう足が少しずつ早くなる。
そして待ち合わせ場所の南門についた頃にはほとんど駆け足になっていた。
軽く息を整えながらグランの姿を探すと、すぐにそれらしい数人の集まりが見つかる。
軽い駆け足で近づいていくと、仲間らしき面々は既に揃っているようだった。
「グランさん、お待たせしました!」
「おう、来たか。こっちもちょうどさっき揃ったところだ」
「皆さんはじめまして、レイといいます!」
グランの仲間達にぺこりと頭を下げて、はきはきと挨拶をする。
初対面の相手とパーティを組む時の第一印象は重要だ。
自分は頼りない印象を与えがちだということは分かっているので、やる気があることだけでもわかってもらいたい。
「よし、こっちも俺の仲間を紹介しておこう。こっちのヒョロいやつがロイド。専門は攻撃魔法だ」
そう言ってグランは、彼の右隣に立っていた伏し目がちな背の高い痩せ型の男の背中を軽く叩いた。
ロイドと呼ばれたその男はレイよりも濃い茶髪で、前髪が長くほとんど目を覆ってしまっている。
背はグランよりも更に高く、レイと比べるとかなりの身長差だ。
装備は魔法使いらしい軽装で、一応革製の手甲くらいはしているが、重そうな防具はほとんど装備していない。
その代わりに魔法的な能力を補助する効果のありそうな帽子やアクセサリーをいくつも身に付けていた。
「……どうも」
ロイドはちらりとレイの方を見るとすぐに目を伏せ、短くぼそりと挨拶をする。
その後はレイの方に視線を戻すこともなく、目を逸らしたまま神経質そうに長い前髪をいじっていた。
「で、こっちの小せえ女がリンダ。弓使いだ」
「小さい言うなっての!あ、よろしくねー」
グランの左隣に立っていた、赤毛の頭髪を二つ結びにした女性がレイにひらひらと手を振る。
確かに他の二人より背は低いが、レイとはさほど変わらないくらいの身長だった。
魔法使いのロイドよりは革防具の割合が多かったが、こちらも基本的には軽装備だ。
弓は野外ではなくダンジョン内での使用を想定しているのか、一般的なものよりやや短めのものを装備している。
「で、俺が重装備の斧使いってわけだ。今日はこの四人で行くぞ」
「はい!お役に立てるよう、精一杯がんばります!」
「そこの貸し馬を人数分借りていく。レイ、馬は乗れるな?」
「は、はい。一応……」
正直に言うと乗馬はあまり得意ではなかったが、グランにがっかりされたくなかったので肯定しておく。
ゆっくり進むだけならなんとかなるので、あまり速く走ったりすることが無いよう祈ることにした。
「よし、じゃあそれぞれ適当な馬を借りて乗っていくぞ。大体1時間ぐらいで着くはずだ」
「ふーん、結構近いじゃない。そんなとこに新しいダンジョンが見つかるなんて驚きね」
リンダが意外そうな顔をする。
馬で1時間なら歩きで行けなくはない、というくらいには近い。
だが本番はダンジョンの中である以上、そこにたどり着くまでに体力を消耗するのは得策ではないし、帰る時に歩いて帰れるほどの体力が残っているとも限らない。
入り口までは馬で移動し、そこに馬を繋いで中に探索に入る予定なのだろう。
四人はそれぞれ馬を借り受け、そのまま乗馬して南門から外に出た。
「目的のダンジョンは街から北東に向かう街道の途中を少し外れたところにあるらしい。遅くならないうちにさっさと行こう」
「でもグラン、よく情報屋があっさりダンジョンのこと教えてくれたわね。まだだーれも行ってないんでしょ?」
リンダの問いかけに対し、グランは先頭の馬上で軽く振り返りながら得意げに答える。
「まぁな。これでも俺は顔が効く方だからな。それに今回のダンジョンは情報が少なすぎるってことで、ちょいと安くしてもらってるし」
「え?未知のダンジョンの情報なんて、それこそ高くつくんじゃないの?誰も入ってないなら、目ぼしいもの全部残ってるってことでしょ?」
「……未知のダンジョンにあるものが、良いものだけとは限らない」
リンダの発言にロイドがボソリとつぶやく。
「そういうこった。だからこそ、多少ヤバい場所だったとしても文句は言わねぇって約束で、安く情報を手に入れたわけだ」
「で、でも大丈夫なんですか?もし本当に何か大変なものがあったら……」
「大丈夫だって!俺達ゃそれなりに経験を積んでいるし、ちゃんとパーティのバランスも取れてるだろ?」
「そ、そうですか……」
グランの自信たっぷりな態度に、レイは一応納得する。
他のメンバーも特に心配はしていないようだし、自分よりも経験のある冒険者であろうグランの言葉なので、それ以上は何も言えなかった。
その後はレイの身の上話やダンジョンから戻ったら何がしたいか、などといった取り止めもない話をしつつダンジョンへと向かった。