未知との邂逅
モンスターを食べるというレイなる人物の話を聞いた二日後の早朝、リンはルフィナとシナイ湖を渡る舟便に乗って王都を出発した。
早起きが苦手で街どころか研究所から出ることも億劫なほど出不精なリンだったが、数少ない友人のためであれば是非もない。
目的地であるカリン大森林の中にあるダンジョンへは、王都からだと半日ほどかかるらしい。
まず王都から出るシナイ湖を横断する舟便に乗り、向かいの岸にある街から更に駅馬車に乗って街道に出る。
そして街道の途中で駅馬車を降り、そのまま森の中に徒歩で入っていくそうだ。
今は舟便で無事に湖を渡り終え、目的地を目指して駅馬車に揺られている。
二列座席で八人は乗れる大型の馬車なのだが、他に乗客は乗っておらず貸切状態だった。
「朝早いので、まだちょっと冷えますねー。リンちゃん、駅馬車って久しぶりなんじゃないですか?」
「半年は乗ってない。第一、街の外に出ない」
「街どころか、書斎の外にすら出ようとしませんもんねぇ。いつもこれくらいお外に出てくれれば、健康的でいいと思うんですけど」
「今日は特別。そのレイとやらが危険じゃないことがわかったら、また書斎に戻る」
「リンちゃんってば心配性ですねぇ。レイ君は全然大丈夫ですってば」
「ルフィナは楽天的すぎる。未知には警戒心を持つべき」
見ようによってはリンが過保護なようにも思えるが、実際ルフィナの能天気さは筋金入りだ。
以前、研究所内で実験用に飼育している角兎を手懐けようとして、傷だらけになったという前科がある。
本人曰く「結構いいとこまでいったんですよ」とのことだが、モンスターであり気性も荒い角兎を手懐けるなど、まず不可能だ。
そんなことは誰もが知っている常識なのに、このルフィナという人間は「悪意はなさそう」とかいう理由でそんな無謀な挑戦をしてしまうのである。
第一、悪意がないことは安全であることを意味しない。
モンスターにとっては軽くじゃれているつもりでも、爪や牙がある、あるいは体格が大きく違うというだけで、人間はあっさり大怪我をする。
種族が異なるとは、そういうことなのだ。
それ以来、ルフィナもモンスター相手にそういった無謀なことはしなくなったようだが、今回の相手もただの人間ではない可能性が高い。
取り返しのつかない事になる前に、自分が相手の正体を見極めるべきだろう。
リンが内心でこれから会うことになる相手への警戒心を新たにしていると、ルフィナが何やらふやけた顔でこちらを見ていることに気づいた。
「んふふふー」
「……なに?」
こういう時は大抵うっとおしいことを考えている、と経験的に知っているリンは、思わず反射的に顔をしかめた。
「いやー、リンちゃんが私のことを心配してくれるのが嬉しくて」
「……別に、そういうのじゃない」
リンはふいっと視線を逸らしてそっけなく答える。
自分でも子供っぽい反応だと思ったが、素直に心配していると認めるのはなんとなく癪だった。
「もー照れちゃって、カワイイですねぇ!」
「んぎゅ……抱きつかないで、暑苦しい」
「えー?まだちょっと寒いですし、ちょうどいいじゃないですかー」
いつもながらスキンシップの過剰なルフィナに、リンは抱きつかれたままぐったりとした声で文句を言う。
言っても聞かないとは分かっているが、放っておくと抱きつくだけでなくあちこち撫でまわし始めるのだ。
なので半分無駄だとわかっていながらも、抗議の声を上げておく。
(おじいさまといいルフィナといい、なぜ私の周りには人の話を聞かない人間ばかり……)
本気で困っているわけではないのだが、二人とも少しくらいは人の意見に耳を傾けて欲しいものだ。
自分はいくらルフィナに言われても生活態度を改めようとしないのだが、そのことを棚に上げて心の中でぼやく。
そんなたわいのないやり取りをしたり、リンの最近の研究テーマについて話したりしていると、目的の場所についたらしい。
御者には途中で降りることを前もって告げてあったので、ここまででいいと言って降車する。
運賃はこの先の停留所までの分を支払っているので、特に文句を言われることはなかった。
そのまま二人は街道から離れ、鬱蒼と木々が生い茂る森の入り口の前に立った。
「じゃ、ここから森ですけど、大丈夫ですか?」
「問題ない」
リンは即座に頷く。
十分な装備は整えてきたはずだ。
運動はまったくダメだが、魔導具でカバーすればルフィナの足を引っ張らない程度には活動できるはずだ。
今身につけているのは、脚部に外付けする骨格のようなもので、歩くのを補助して体力の消耗を抑えてくれる魔導具だ。
他にも襲われた時に相手を足止めするための魔導具もいくつか用意しているので、何かあっても逃げるくらいの時間は稼げるだろう。
森に入ると、先導するルフィナが迷いなくさくさくと進んでいく。
割と平坦な地面とは言え、森の中をこれほど迷いなく進めるものなのかと思い、ルフィナにそう問うてみる。
「前にダンジョンから帰ってきた時、もう一度行くつもりで歩きましたからねー。覚えるつもりで歩けば簡単です」
リンはほとんど森に入った経験がないのだが、慣れていればそんなものなのだろう、と思った。
森の中ではルフィナも歩くことに集中しているようで、あまり会話を交わすこともなかった。
そのまましばらく二人で進んでいると、先導していたルフィナが歩みを緩める。
どうやら魔導具の燃料が尽きる前にダンジョンの入り口に到着することができたようだ。
これまでの割と平坦だった道とは打って変わって、岩肌が剥き出しの切り立った斜面が目の前に現れる。
斜面にはダンジョンの入り口らしき大穴がポッカリと口を開けている。
その大穴の入り口の上から、植物の蔦か何かで作ったと思われる紐がぶら下がっていた。
紐は穴の内壁を這うようにダンジョンの奥へと続いており、先端には取手のような結び目が作られている。
「お!レイ君、ちゃんと呼び鈴作ってくれたみたいですね!」
「……呼び鈴?ダンジョンに?」
「そうです!ここはレイ君の家みたいなものですから、呼び鈴をつけたらどうかって提案したんですよ」
「……」
ダンジョンに呼び鈴。
あまりにちぐはぐな組み合わせに、リンは言葉を失う。
実際にダンジョン探索をしたことはないが、どのような場所であるかくらいは知識として知っている。
ダンジョンとはモンスターが数多く発生し、場所によっては致命的なトラップの張り巡らされた、非常に危険な場所のはずだ。
未探索のダンジョンは主に冒険者ギルドに所属する冒険者達が探索を行うようだが、その生還率は決して高くないとも聞く。
そんな場所に、まるで街の中にあるお屋敷のように呼び鈴を取り付けるとは、なんというか呑気が過ぎる。
その提案を受け入れたレイという人物は一体何を考えているのだろう。
こんな呑気な提案を素直に実行するような人物なら、あまり危険ではないのでは、とすら思えてしまう。
(……油断はダメ)
一瞬緩みそうになった気持ちを引き締め直す。
そんなリンの気を知ってか知らずか、ルフィナは特に警戒した様子もなく、垂れ下がった紐を無造作に握る。
「これ、引っ張ればいいんですかね」
「罠の可能性は?」
「まっさかー。レイ君はそんなことしませんってば」
無警戒に紐を引こうとするルフィナの代わりに、リンは周囲に意識を巡らせる。
ルフィナが紐の強度を軽く確かめるように、何度か引く。
特に音は聞こえなかったが、それらしい手応えはあったようで、ルフィナはわくわくした表情で入り口の奥を見ている。
リンはひとまず、紐が罠の類ではなさそうなことに安心した。
数十秒ほど経過したころだろうか。
穴の奥から誰かが走ってくるのが聞こえてくる。
足音からして、あまり大柄な人間では無さそうだ。
そして手に灯りを持ったその人物が、突き当たりの角から姿を現した。
「ルフィナさーん!」
「おっと、お早い出迎えですね!やっぱり呼び鈴があるとお家に遊びに来た感じがしていいです!」
嬉しそうにこちらに呼びかけながら走ってくるその人物に、ルフィナは手を振って応えている。
確かにルフィナに聞いた通りの見た目をしている。
茶髪でやや小柄な、ごく普通の男の子だ。
ただし、その右腕を除いては。
(本当に、右腕が人間じゃない……一体どうやって?)
リンは彼の腕の話を聞いた時、真っ先に合成獣のことを思い出した。
文献でしか目にしたことはないが、一体の体に二種以上の獣の体の部位が入り混じった存在らしい。
いかにしてそのような生物が生まれるに至ったかまではリンは知らなかったが、人間の合成獣などそれ以上に聞いたことがない。
研究者としては合成獣の発生する機序を知る手がかりが彼から得られるかもしれないとも思った。
だが、今回の目的はそれではない。
ポケットに手を入れ、足止め用の魔導具を軽く握りしめる。
この魔導具は地面に投げつけると、激しい音と閃光で相手の目と耳をしばらく機能不全に陥らせるものだ。
「そこで止まって」
あと十メートルほどという所まで近づいてきたあたりで、リンは警告するように鋭い声で相手を制止する。
リンの声に反応して、少年がビクリと動きを止めた。
ルフィナのやや後ろにいたリンは、自分の姿を相手に見せるように歩み出る。
少年はそこで初めて自分に気づいたらしく、戸惑うような視線を向けながらルフィナに問いかける。
「ル、ルフィナさん。その人は?」
「あー、ごめんなさい。どうしてもついてくるって聞かなくてですね……。ほらリンちゃん、そんな怖い顔しちゃだめですよ」
「彼が危険じゃないとわかったらそうする」
自分は随分険しい表情になっているようだが、そのようなことを気にしている場合ではない。
ここで相手の正体をはっきりさせなければ、ルフィナに危険が及ぶかもしれないのだ。
自分の知識と観察力をフルに使って、相手を見極めてやる。
そう考えながら、リンは単刀直入に切り出した。
「あなたは、何?」