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小さな研究者

コルタナの街からからレイのダンジョン近くへと北東に伸びる街道の途中には分かれ道があった。

そこから北西へと進むと、この国で最も大きい湖の一つであるシナイ湖がある。

この国の首都でもある王都アテナスは、レイのダンジョンから見てシナイ湖のちょうど反対側にある。


湖に面しており北の海からも近いこの都市は、主に交易によって発展を遂げてきた。

シナイ湖の周囲にはぐるりと一周するように街道が整備されているが、湖の上を行く船を利用する者も多くいる。

水上交通と陸上交通を繋ぐ要衝にあるアテナスには、昔から多種多様な人や物が出入りしてきた。

それらを求めて更に人が集まり、今ではこの国最大の人口を抱える大都市となっていた。


この都市では王城をはじめとした国の主要な機関の本部が、中心部の一画に集中して立ち並んでる。

一般に行政区と呼ばれるこの区域にはほとんど住居がなく、主に貴族や官僚が仕事のために出入りするお硬い雰囲気の街として知られている。

その中に、一際目立つ白亜の建造物があった。


王立魔法研究所。

名前からすると純粋な魔法のみを研究する機関のようだが、その研究は多岐にわたる。

魔法理論以外にも薬学や錬金術、はてはモンスターの生態やダンジョンの構造など、魔法と少しでも関連があるものであればあらゆるものが研究対象として認められる。

これは現在の所長の運営方針によるもので、賛否両論はあるものの一定の成果が認められているために、表立って方針転換を図ろうとするものはほとんどいなかった。


その研究所内に数多く存在する書斎の一つに、一人の少女がいた。

簡素だがしっかりした作りの机に座り、一抱えもある大判の本を読んでいる。

小柄な体格に不釣り合いな大作りの椅子に腰掛けているため、足は床につかず宙ぶらりんだ。


髪は地面に届きそうなほどの長い白髪で、黒いローブの下に白と薄い紫を基調としたワンピースのスカートを身につけている。

ワンピースはフリルやリボンのあしらわれた可愛らしいものだが、しばらく着っぱなしにしているため、少しよれてしまっていた。

だが身だしなみに無頓着な彼女はそんなことは一切意に介さず、机に置いた本を熱心に読み進めている。


長らく本に集中していた彼女だったが、廊下の方から響いてくる聞き慣れた足音にふっと顔を上げる。

そしてふぅ、と軽く息をついて本を閉じ、椅子に横向きに腰掛け直して扉の方に目をやった。

その瞬間、勢いよく扉が開き、先程までとは打って変わって騒がしい声が部屋に響いた。


「リンちゃんリンちゃん、聞いてください!……って、リンちゃんクマができてますよ?さてはまた徹夜しましたね?」


「さっき一瞬うとうとしたから、もう徹夜じゃない」


ノックもなく急に入ってきたルフィナに対して、リンと呼ばれたその少女はこともなげに答える。


彼女の名はローザリンデ・ヘッケル。

最年少でこの【王立魔法研究所】の研究員となった、神童とも呼ばれる才女である。

ルフィナの指摘した通り、彼女の目の下にはうっすらとクマができていた。

普段は美しく輝く紅色の瞳も、今は寝不足のせいかぼんやりと光がくすんでいる。


「ちゃんとベッドに行かないと、寝たことになりませんって。しっかり寝ないと、大きくなれないですよ?」


「別に体は大きくなくていい。知識が増えれば、私は満足」


「まーたそんなこと言って……。あーもう、せっかくの可愛い服がよれよれじゃないですか」


もう何度も繰り返したやりとりの後、ルフィナはいつものようにあれこれとリンの世話を焼き始める。


「これ、いつから着っぱなしなんです?」


「……昨日?」


「リーンーちゃん?」


「……三日前から」


適当にごまかすつもりが、一瞬で看破されてしまう。

一体どういう仕組みなのか、彼女には自分の嘘が即座にわかってしまうらしい。

研究所創設以来の天才児と呼ばれるリンにも、ルフィナの観察眼の鋭さは謎としか思えなかった。


「まったくもう。体を拭くだけじゃ、疲れや服の汚れはとれませんよ?あとで一緒にお風呂入りましょうね!」


「お風呂はいい。服だけ替える」


「ダーメーでーすー」


「……わかった」


リンはしぶしぶながら頷く。

彼女にとって最も重要なのは研究と開発であり、風呂も睡眠もできれば省略してしまいたいものなのだ。

ルフィナがこの部屋を訪れるようになった時からも、その態度はほとんど変わっていない。


それでもルフィナは飽きることなく、生活力の無いリンの世話を焼き続けていた。

リンの方も面倒そうにはしているものの、このやり取りをどこか楽しんでいる節があった。


「あ、そうでした。リンちゃん聞いてください!私、すっごいお友達ができたんですよ!」


「……この前もすごい発見をしたとか言って、おいしい芋のふかし方を力説してたけど。それよりマシな話?」


「え?あれすごくないですか?私の中ではここ数年で一番の大発見だったんですけど。ヘッケル様も笑って褒めてくださいましたし」


「おじいさまは何でも面白がる……あふ。で、その人はどうすごい?」


小さくあくびをしながら問う。

この話が終わったら、少しは眠るべきかもしれない。

読書の集中が途切れて眠気でぼんやりし始めていた頭は、しかしルフィナの言葉で一気に覚醒してしまった。


「なんと!ダンジョンに住んでて、モンスターを食べちゃうんです!」


「……は?」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ありえない」


ルフィナの話を一通り聞いた後、リンはばっさりと言い切る。


「人間の体はモンスターの肉を消化できるようにできていない。無理に食べれば必ず体を壊す。下手をすると死ぬ。これは常識」


「えー?でもレイ君はおいしそうに食べてましたよ?その後もピンピンしてましたし」


「それ、本当に角兎アルミラージの肉だった?ただのうさぎの肉じゃなくて?」


「レイ君はそう言ってましたよ?嘘をつくような子じゃありませんし」


「ルフィナがそう言うなら、多分間違いない。でも……」


リンはそこで一度言葉を止め、考え込む。

彼女の知識から考えると、どう考えてもありえないのだ。


モンスターの肉には通常、大量の魔素が混ざり込んでいる。

そして人間は大量の魔素を経口接種すれば、まず間違いなく短時間以内に体に異常をきたす。

これは過去の実験からも確かなことが分かっているし、だからこそ魔力を回復させるポーションは未だに開発されていないのだ。


同じモンスターであればモンスターの肉を食べても問題ないようだが、これはまだはっきりとした理由が分かっていない。

だが、どうあがいても普通の人間がモンスターの肉を消化することはできないのだ。

しかし彼女の話を聞く限りでは、その人物は間違いなくモンスターの肉を平気で食べている。

となると、疑うべき点は一つ。


それは本当に人間だったのか?


「ルフィナ、その人とはもう会わないほうが良い」


「えっ、なんでですか?」


「危険かもしれない。ルフィナに何か重大なことを隠している可能性がある」


「あー……そうですね。それは、なんとなくわかります」


思い当たる点があったようで、ルフィナは何かを思い出すように視線を上に向けてリンの推測を肯定した。

しかしその直後、きっぱりとした口調で言い切る。


「でも、私は行きます。レイ君には、また会いに行かなくちゃいけないんです」


「なぜ?」


「まだレイ君に助けてもらったお礼をしていません。それを返さずに放置するような不義理は、私にはできません。それに……」


「それに?」


「レイ君、一人で寂しそうでしたから」


「……」


ルフィナの言葉に、リンは黙り込んでしまった。

普通に考えれば、危険な真似をしようとする友人を止めるべきだろう。


だが友人であるからこそ、彼女の性質はよく知っている。

自分も彼女がいなければ、友人など到底できなかったに違いない。

彼女のそういった点に救われているという自覚はあるために、強く制止することができなかった。


「あとレイ君って超かわいいんですよ!あれはもう一度会ってぎゅーってしないと、私の気が済みません!」


「……はぁ。多少立派なことを言ったと思ったら、すぐこれ」


リンは毒気を抜かれたように相貌を緩め、ため息をつく。

そして椅子からすとっと地面に降りると、机の隣にあった雑多な物入れを引っ掻き回しながらルフィナに告げる。


「話はわかった、もう止めたりしない。ただし、私も一緒に行く」


「え?あー……それはちょっと。レイ君、自分の住んでる場所はあまり人に知られたくなさそうでしたし」


「私が止めてもルフィナが行くのをやめないように、ルフィナが止めても私は行くのをやめない。ルフィナが一人で危険な人物に会いに行くのを、放ってはおけない」


ルフィナの人を見る目を信用しているものの、今回の相手は特殊すぎると判断したのだ。

これでも学者としてはそこそこ優秀なつもりだが、正体に思い当たる節が全く無い。

何より重大な隠し事をしているのは間違いないようなので、その点は間違いなく警戒すべきだ。

もしかすると、ルフィナを利用してなにか企んでいるのかもしれない。


「レイ君は危険なんかじゃないですってばー」


「それは私が会って判断する」


「うーん、これは仕方ないですかねぇ……」


リンがきっぱりとした口調で答えると、ルフィナも止めても無駄だということが分かったらしい。


「わかりました。でもリンちゃん、レイ君をいじめちゃダメですよ?」


「……それも、相手次第」


リンは小さく、硬い声色で答えた。

自分の友人は誰とでも仲良くなる天才だが、いつもながら警戒心がなさすぎる。

これまでやっかいな相手に捕まったことは無いようだが、今回も大丈夫とは限らないのだ。


自分の戦闘能力は決して高くないが、魔導具を駆使すれば相手を撃退することくらいはできるだろう。

数少ない友人である彼女が危険な目に会うことは、できる限り回避しなければ。

持っていくべき魔導具を吟味しながら、リンは胸中で密かに決意を固める。


「さて、それはそれとして……。そろそろお風呂に行きましょうか」


「……今は出かける準備してるから、後で」


「そんなこと言って、またすぐに忘れちゃうんですから。ほーら、さっさと行きましょう!」


ルフィナは箱の前にしゃがみこんでいたリンを、抱きかかえるようにして立たせ、部屋の外へと引っ張っていく。

リンは小さく「うー」と抗議の声を上げたが、諦めてルフィナに手を引かれて歩くことにする。


「私、研究所ここの共同風呂っておっきいから好きなんですよねー。リンちゃんも、せっかくだからちゃんと使えばいいのに」


「下まで降りるの、面倒」


「まったく、根っからの出不精ですねぇ……」


廊下に響く二人分の足音は、そのまま階下を目指して消えていった。

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