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今回は私自身の話も入ります。
ちょっといつもより重たいかも・・・
ネタバレに怯える日々は今日で終わった。
シン・エヴァンゲリオンを今日とうとう見に行った。友人と二人で、「じゃあいくか」というノリで。
先週時点でもうそれは決めていて、ある程度の日にちがズレて今日になった。
前日は少し遠出していた。そして、その様子を友人たちに写真とチャットで送っていた。
すると、送った一人から返信があった。
今日、母親が死んだんだ、と。
あまりに衝撃の大きな文面だった。友人の中でも付き合いがある方の彼は、最近いろいろ大変だったことを私は知っていたが、その中でそんな大事件が発生するのかと思った。
私は祖母を亡くしている。一言でいえば「老衰」になるのだろうか。天寿を全うしての死だったと思う。延命治療を受け、苦しそうだったが、「寿命」まで生きたのだと思う。それでさえ悲しかった。
しかし、彼の場合は突然で、親という近しい存在だ。私のそれと比べて、いや比べるべきものではない。しかし、やはり。自分の中では比べてしまう。
私はLINEで「辛くなったら電話してくれ、いつでも聞くよ」と言った。
その日は東北地方で地震があった。マグニチュードが7になる大きな地震だ。すごいタイミングだと思った。
そして、こうも思った。人はいつ死ぬかわからない。それは、事故かもしれない。病気かもしれない。自死、殺害、災害かもしれない。
10年前の11日を思い出した。あの日はあちこちで卒業式が行われていた。私の姉もその日に卒業だった。
式が終わって帰ってきたら、テレビの中はそのニュースでいっぱいだった。
テレビの向こう側の出来事が信じられなかった。自分とは遠くだと感じた。
祖母が死んだのはその翌年だ。この日は前日に私は遠出していた。帰ってきたら祖母が危ないと聞き、病院に行った。祖母の命の灯が消えていく様子を感じたのか、当時の私は涙が止まらなくなり、母に「おばあちゃん大丈夫だよね?」と聞いたことを覚えている。
翌日、学校が終わり帰りの会の時間になったときに、担任が早く帰るように促したので、祖母の見舞いに行こうと慌てて自転車で病院に向かった。いつもの部屋に祖母はいなかった。院内を探し回り、祖母の名前を見つけた。部屋に入ると、前日までついていた酸素マスクもなく、白くなった祖母と、親戚のおばさんがいた。私は理解できなかった。そして、祖母の家に入り、父の声を聞いて、涙が止まらなくなった。昨日までいた人が、今日いなくなる。その日私はもっと頑張ろうと誓った。(恥ずかしい話、少し忘れてしまっていたが…)
話が飛ぶが、ブッダの説話でこのようなものがある。
或る若い母親が小さな息子を亡くし、悲しみにくれているときに、輝石の力をもつブッダの話を聞く。彼女はブッダと出会い、息子を生き返らせることができるか尋ねる。
ブッダは
「それなら、他の家の人から、ケシの実をもらってきてください。しかし、ただケシの実をもらうだけではいけません。家族を誰も亡くしていない人の家からもらってきてください」
と答える。
若い母親は、一人も人が死んでいない家を探す。
しかし、そんな家は見つからなかった。
母親は気づく。人は、生き物は必ずいつか死んでしまうものだ。私の息子だけが死んでしまったように思っていたが、そうではない。みんな死からは逃れられない。
彼女は子どもの死を受け入れ、出家した。
身近な者をなくす悲しみは計り知れないものだ。上の話では、母親が様々な人の家で「死」の話を聞いたことで、徐々に「息子は死んでしまった」ということを受け止めることができた。肉親の死から立ち直るには、少しずつ納得していくしか方法がないと私は思う。ただ、私は彼になんと声をかけていいかわからなかった。
「辛くなったら電話してくれ」
この答えが本当によかったのか、私はいつまでも自問自答すると思う。本当につらい時は、何もしたくなくなる。そんな状況で「電話」するということがどれだけ大変だろうか。彼は電話をかけてくれた。相当参っているようだった。むしろこっちから、先にそんなことを言う前に、電話を掛けたらよかったのだろうか。
そのような心境だったので、エヴァンゲリヲンを素直に楽しめるか、少し心配な部分はあった。
作品の中では、「生」と「死」、「現実」と「虚構」の対比を多く感じた。ネタバレを避けるため詳細は省くが、「さらば、全てのエヴァンゲリオン」これまでの作品すべての総決算となっていた。
シンジの心の葛藤と、両親や友人、そして…。
映画にはメッセージ性がある。監督の伝えたいことが分かりやすいものやわかりにくいものがあるが、今回の作品は比較的自分なりに解釈できる部分があった。もちろん、監督と直接話して「意図」を聞かない限り正解は分からないだろう。それでもいいと思う。
エヴァンゲリオンはシンジの成長の物語であり、エヴァンゲリオンに乗ること、それに伴って起こる事象が、シンジの心のイニシエーション、思春期から大人になっていく過程であった。
Qまでにシンジが起こしてきた事件(暴走からニアサードインパクトまで)を考えると、終わり方としてはとてもきれいで、しっかり「終劇」させられていた。正直、「まだ何かでやってほしいな」とか、「スピンオフ的なの無いかな」などと思ってもいる。エヴァ消失の寂しさとでも言おうか、「見たかったけど本当に終わるとなると見たくなかった」といった葛藤もあれども、いずれは「良かった」となるときがくる、そんな予感がしている。
そして、衝撃の大小はあれど、人の人生は出会いと別れの繰り返しの中で、たくさんの”一人”の人生のすれ違いや交差で組みあがっていくものだと実感した。
死別は別れの中で最も大きな悲しみだと思う。ただ、それでも明日は来る。優しさも冷たさもなく、全ての人に等しく過ぎる。乗り越えられようと、乗り越えなかろうと、時は過ぎる。
そして、私たちは乗り越えて生きていくしかない。諦めでもある。悲しくても腹は減るのだ。
別れはすぐそこに、そしていつか分からない。一日を大切に生きねば、そう思った。
書いているうちに0時を過ぎてしまった…




