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行き当たりばったり。
私を示す言葉で、一番ぴったりとフィットするのが、この言葉だろう。
冒頭の書き方の時点で「少しずれている」というもののほうが近い、と思われる方もいるかもしれないが。
とにかく私は、計画性がないとよく言われる。
「あれしてみたい!」「これやってみよう!」
やり始めるまではいいのだが、いざやってみると、続かない。
事情があるといえばあるが、何を言っても言い訳にしかならないのでやめておこう。
とにかく、私は何かを継続するということが苦手だ。
一番やりこんでいるゲームでさえ、たまに連続ログインが途切れることがある。それくらい継続が苦手だ。(いつもパソコンは起動している。両親(主に母親)には「なんでパソコンは開けてほかのことは続かんかね」と愚痴られている)
なぜか。すぐにできることがなくなってしまうからだ。
やる前に考えることは考えるわけだが、それを形にする前にトライするので、大体うまくいかない。うまくいかないと焦って、さらに空回りする。一回やめて様子見をしたほうが、おそらく続くのだろう。だが、一度始めたものを中途半端に終わらせたくない、と変な頑固さが出てきて、結局何もできずに、終わってしまう。
一度メモを取り出すまでは良いのだ。10ページも書いたらヘバってしまうのが悪いのだ。
わかっちゃいるけどやめちまう。
ところで、悪癖ほどなくならないというが、あれはなぜなのだろうか。
悪癖で検索してみると、悪癖には訳があるという文章が見つかった。
退屈に思うのは、もっと有意義なことができるという合図だとか、悪態をついているほうが、痛みを含めた苦痛に耐えられるようになるという実験結果があった。
逆に言うと愚痴を言えばある程度耐えられてしまう、ということでもあるわけで、いやなことがあって、仕事を辞めたいと愚痴を言うと、その仕事にも耐えられてしまう、ということなのではないか、と勝手に考える。
どこかで、「愚痴はやめろ、愚痴を言うから耐えられてしまって、その場にとどまる。愚痴を辞めてスパッと会社も辞めたほうが、精神衛生上いい」という人を見かけたことがある。Twitterか何だったか忘れてしまったが。
まあ、いくらいい点があったとしても、他人から見ればあまり気持ちのいい行為でないことは確かだし、爪を噛みたくて噛んでいる人などいないと思うので、悪癖は気合を入れて直したほうがいいのではないか、と思っている。
計画性のなさの話に戻るが、いつなんとかをやる!と漠然と決めるだけではやる気にならない、ということを、これまでの経験から身をもって学んだ。
①いつ、②どこで、③何を、④どの程度、⑤どのように
するのか、明確に指針を立て、それに従って行動を起こすべきなのだろう。
目標が高かったり、低すぎたりしたら、都度調整を行うべきなのだろう。
しかし。計画性のない人だとか、何かしら良くない面のある人というのは、その悪い部分を、簡単に治せないと思っている。
なぜなら、自分を変えることはとても・・・
面倒くさいことだからだ。
続きがありそうな終わり方ですが、続きを書くかどうかは未定です。




