裏話
「ごめんくださーい」
翌日日曜、私は武蔵野まで来ていた。住宅地の奥にある庭と縁側が見える平屋だての一軒家、それが先生の家だった。
「はいはーい」
この先生外聞はめちゃくちゃいい。ほがらかな声で来客に嫌な顔一つせず応対する程度には
「お久しぶりです。せーんせい!!」
「チッ!!」
ペッ!!ガラガラガラガラ
この間わずか1秒、まさか罵倒すらしてもらえないとは思わなかった
しかし、暫くすると中から声が聞こえてくる。女の人の声だ。「なんですぐに閉めたの」とかそんな感じの。ここまで予想通り
しばらく待っていると引き戸がまた開く。先生が嫌々立っていると思っていたそこには
「あらあらあらあらあら」
「お、お久しぶりです。」
私はばつ悪く頭を下げた。そこには、この家の奥さん麻布薫さんがたっていた。
「座って座って」
「すいません薫さん」
「そんな恐縮しないでよ。あのバカ本当短気ねぇ」
薫さんは困ったように頬に手を当てる。和服を着る彼女は40手前とは思えない若々しさで柔和な笑顔を浮かべていた。
「ははは」
「もう顔が強張っている。そんな美人さんになったのに」
彼女が手を伸ばして私の頬をぐにゃぐにゃといじくり回した。
「痛いですよ、薫さん」
「ほら、緩んだ!」
この薫さんの天真爛漫さが、囲碁塾の唯一の清涼剤であったことを私は思い出した。
「ごめんね。私もちゃんと出てくる様に言ったんだけど」
「い、いえ。逃げるようにやめちゃったのは私なので、先生が怒るのも当たり前です。」
「うーん、あれは怒っているっていうかねぇ」
薫さんはまた困ったような顔をした
「怒りを越しているってことですか?????!!!!!!!」
とうとう、殺られる。あかん、もうあかん。殺られる
「いや、そうじゃないのよ彩葉ちゃん」
じゃあなんだっていうのか
「どっちかというとねぇ、後悔してるのよ」
「私を弟子にとったことをっすか!!??」
「あなたの反応であの人がどんだけ無茶苦茶な事していたのか何となく分かるわ」
本当に、とため息をつく。その姿すら艶かしい。なしてあの人は浮気をするのか
「実はね、あの人あなたが止めてから弟子を誰も取らなくなったの。」
「は?」
「で、しばらくしてベロッベロに酔っててね。お酒強いのに、どれだけ飲んだのって話。」
なんの話をしてるんだろ。その話のゴールがイマイチ私には見えない。
「で、酔っぱらってて言うの『どうしてあと一年早く受けさせてやらなかったのか』って」
途中から笑いながら薫さんは言う。話が見えない
「だからね。あと一年彩葉ちゃんをさっさと受けさせて上げてたらあなたは囲碁を止めなくて良かったのにって」
「はぁ!?」
「ねえ、意外でしょ!! あのバカが! そもそもね彩葉ちゃんのプロ入りを中2まで止めてたのもあの人でしょ?」
「そう、ですね」
「それもね、一応あなたの事を考えてらしいわ。言ってたの『あれだけの顔で碁の才能があればメチャクチャ話題になる、それは他とは比較にならないレベルでって。でも所詮小学生、中学に上がったばっかりのクソガキにメディアの対応に追われたらいつかガタが来る。だから最低中2までは受けさせなかった』ですって」
「ええ、、、、、」
ドン引きである。今までそんなこと考えたこともなかった。
「まあねえ、あれだけ暴虐武人の限りを尽くして今さら実は・・・・って話されても戸惑うと思うけど。あれはあれで色々考えてるらしいわ」
「ちょっと先生とお話がしたいんですけど」
すると薫さんはにっこり襖を開き笑って
「奥の部屋にいるわ。いつもの部屋」