才能の含有量
「ここで1局打ってみようか」
桜ちゃんが私に提案してきた、彼女が連れてきた誰もいない事務室にも碁盤が置いてある
「え?いいの?」
こっちからしたら願ってもない申し出だ、瞬時に反応すると桜ちゃんが立ち上がり碁盤と石の用意をする。互戦のコミが6目半、囲碁は先行の黒が圧倒的に有利な戦いなので後攻の白にあらかじめ6目半のハンデが与えられる。つまり純粋な戦いで黒が4目多く陣地を取っていたとしてもコミを入れて2目半白が多く陣地を取っているので白の勝ちになるのだ。
「久々の対局だ!!」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!!」
20分後
「これは酷いわね」
「ぐすっぐすっぐっぐす」
ひどい泣けるくらいひどい。なんだこれ?ひどいなんてもんじゃなかった
「彩葉ちゃん」
「はい」
「あんためちゃくちゃ弱くなってるわよ。どれだけ勉強してなかったの」
「まる四年間です」
「四年でここまで弱くなるのね。ゾッとするわ」
ああああああああ、大概弱くなってると思ったけどまさかここまでとは。
「院生やめた私にすらここまでって」
「え!桜ちゃん院生やめちゃったの?」
「そう今は棋院で働かせてもらってるわ」
院生といってもみんながみんなプロになれるわけではない、院生からプロになれるのはせいぜい全体の5%、その5%の壁はあまりにも厚い。トップクラスの上位にいた桜ちゃんが諦めたということがそれを表している。
「その顔やめなさい。私は後悔してないの。あなたとはちがってね」
「桜ちゃん」
「あなた私も結構怒っているのよ? 院生逃げるようにやめて。」
「うっ!」
「それで次は本因坊に喧嘩売るって救いようのないアホじゃない?囲碁やってる人全員を馬鹿にしてるわ」
返す言葉もねぇ。
ぐうの音も出てこずプスプスと死にそうな顔をしている私を見て桜ちゃんは諦めたように
「ふぅ、もういいわ。私の八つ当たりもここまで、本当に悔しかったの。私と違って才能あるあなたが逃げたことが」
「才能あるって桜ちゃんも」
「あなたと私の才能じゃ含有量がそもそも違うのよ。それすらも理解できない?」
才能の含有量。これほど残酷な言葉があるのだろうか。プロになるためには努力だけじゃなれない。才能がいる。強い才能が。その事を彼女はきっと私より深く理解している
「ごめん桜ちゃん。」
「いいわ。」
そういって桜ちゃんはメモ用紙に何かを書き始めた
「これ、最近できた碁会所。経営者が元アマ名人で強い人がこぞって行ってる。」
「あ、ありがとう」
「いい、彩葉。最短距離でプロになるなら外来予選が始まる8月まで三ヶ月間囲碁のことだけを考えなさい。24時間90日囲碁のことだけ。勝負勘を取り戻して、読みを磨いて、勝ち筋を全部洗いだしなさい。忘れた棋譜を呼び覚まして、寝ぼけた頭を叩き起こして、四年間どっぷり浸かってたぬるま湯から出るの。
普段はこんな乱暴なことは言わないけど、今のあなたにとってそれ以外は全部無駄」
桜ちゃんが私の目をみて言う
「それが出来ないなら今すぐ囲碁をやめなさい。まあ、どうせ全部無駄でしょうけど」