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神隠し

「このように、大規模テロ組織《箱舟》による被害は甚大で、人類の大半が亡くなってしまう痛ましい事件が起こりました。これを《大絶滅》といいます」

 白亜のチョークが黒板を打つ音が響くほど静まり返った教室。今日は生憎の曇天で今にも雨が降り出しそうだ。

「大絶滅の大きな要因は《スクラヴォス》による《直接汚染》と《感染汚染》による《イデアパンデミック》です。イデアパンデミックとは《P2S》の《イデア汚染》による《スクラヴォス変異》の連鎖で――」

 こんな天気の日には決まって何かを思い出しそうになる。

 僕が目覚めてちょうど1週間。記憶喪失になっていたものの、日常生活は問題なく送れている。自分が置かれている状況を少しずつ嚥下して、今ではすっかり日常という平衡状態に落ち着いた。自分が失った記憶は両親や過去の出来事についてだが、それも説明を受けて大方補完出来ている。

 むしろ、記憶を失って良かったとさえ思える。

 大絶滅の被害者である両親のことを悲しまずに済むからだ。

「――このスクラヴォスの正体は何でしょう。答えられる人は居ますか?」

 窓から見える巨大なフォトントランスは光子漏れで薄ぼんやりと明るい。外が暗いせいか窓には自分の姿が映っていることに気が付いた。

 自分の姿も最初の頃は他人のように感じていた。鏡の前を通るたびに少し身構えてしまっていたのも今では懐かしい。その自分のすぐ後ろには不自然なほどに満面の笑みを浮かべる白衣姿の無柱(むばしら)先生の姿も一緒に映っていた。

「上代紫稀君、外を眺めるなんて余裕がありますねー。もちろん答えられないなんて言わせませんよ」

「あはは……」

 うっかりしていた、今日の授業の教師は雪花(ゆきな)だった。

「可愛く笑ってもダメなものはダメです。放課後、補習をするから私と一緒に残るように」

 補習と聞いた隣の席の(ほむら)が慌てたようにノートに2本の線を殴り書く。それからノートをこちらに向けて開き、紙面を指差した。多数の細かい走り書きやら落書きの中にあるひときわ大きいその文字は1つの漢字に見えた。

「人?」

「くっ。……そうです、話を聞いていたとは。今回は残念ですが補習は無しです」

 がっかりした様子で肩を落とす雪花はすごすごと教卓へと戻っていった。ちょうどそのタイミングで講義の終わりを告げるチャイムが鳴る。

「はぁ。それでは今日の授業は終わりです。明日は《オーバーライト》の実技がありますから《AXDE》を忘れないように。紫稀君、放課後は真っ直ぐ家に帰ってくださいね」

 少し不満げな声で釘を刺す先生が教室から出て行くのを確認してから、焔は脱力したように机に倒れる。

「あー、危なかった。都市伝説部の活動が中止になるところだったぜ」

「別に一回くらい気にしなくてもいいじゃないですか。あと"部"じゃなくて"同好会"ですよ」

「冷たいこと言うなよー。その一回が大事なんだよ」

「そうだよ~。シキは私に会いたくないのかよ~」

 そう言って(まどか)はだらっと背中にのしかかってきた。

「あ~。座学はやっぱかったるいな~」

「おい、だらしないぞ妹よ」

「だって~。ちょうどいい抱き心地の枕だもんね~」

「人を枕扱いしないでください」

 円を押しのけながら焔を見るとなぜだがニヤニヤ笑っている。

「何を笑ってるんですか?」

「いやー、全クラス男子憧れの無柱先生と同棲なんてうらやましいなって。『真っ直ぐ家に帰ってくださいね』って新婚さんかよこの野郎」

「そうだよ~。まったくもって雪花ちゃんが奥さんなんてうらやましい~」

「なんで女子の円までうらやましがるんですか。それに」

「それに~?」

「雪花は親みたいなものですから」

 両親を失い、記憶も覚束ない紫稀を引き取ったのは遺言で保護者を頼まれたという無柱雪花だった。彼女には今も世話になっている。スキンシップが過剰な気がするが、そんな関係ではない。

「それよりも今日はどうするの~?」

「諸君、驚きたまえ。なんと特ダネが入ったんだよ!」

「今日はこのまま帰りましょう。もう昨日みたいなのはごめんです」

 都市伝説同好会。

 焔が言うには都市伝説部らしいが、都市内部で発生する都市伝説を調査するのが主な活動内容となっている。この学校に編入した初日から桐原兄妹に強引に入会(入部?)させられ今に至るのだが、ろくな目に会っていない。今回はその『ろくでもない』4回目の活動となりそうだ。

「まあそんな顔するなって、今回のは特に面白いぞ。『なぁ、こんな話聞いたことあるか?』」

 いつもの語り出しを切っ掛けに焔の雰囲気が変わった。この状態の焔の話は抗いがたい妙な説得力を持つ。編入初日は彼の力によって2回生がクラス単位で女子更衣室に覗きに行く、通称【ハーメルン事件】が起きたのだ。そして、その事件が都市伝説記録の1回目として、焔の中で勝手にカウントされている。『都市伝説は起こして初めて一人前』と語って生徒指導の教師に引きずられて行く笛吹き男の姿は正真正銘アホだった。乗せられた男子(僕も含む)は残らず『賽の河原と大差ない』と悪名高い反省文地獄へと突き落とされ、帰還する頃には朝になっていた。

 本当にろくでもなかった。そもそもこれは都市伝説とは言えないではないか。

「都市の住人が神隠しに遭う話だ。なんでも目撃者によると奇妙な結晶を残してすぐに姿が見えなくなったらしい。そして、翌日になると目撃者もその話を聞いた人間も誰が消えたのか憶えてないらしい」

「おお~、神隠しだなんてレアだね~。3大都市伝説の内の一つじゃん」

「3大都市伝説?」

「そういや言ってなかったな。それでは聞いてもらおう」

 焔が目を輝かせて迫ってきた。

「近いです。それと長そうなので円に教えてもらいます」

「それがいいよ~。兄貴、都市伝説の話になると長いし気持ち悪いから」

 うんざりとした表情と少し恨みのあるような目線を浴びて焔はたじろぐ。

「うっ。仕方ないじゃないか」

「仕方なくない~」

「まあまあ、円その辺で。それで、3大都市伝説とは?」

「えっとね~、都市伝説ってオーバーライトが原因で起こるじゃん」

 入会当初の説明で、『昔の都市伝説は今と定義が違ったらしい』と焔は言っていた。現在の都市伝説の定義はAXDEによるオーバーライトによって変化した世界の揺らぎを起因とする超常現象となっている。

「普通だったら鬼火とかラップ現象とかビックリする程度の現象しか起きないんだけど、3大都市伝説は違うんだ~」

 そう言って円は焔のノートを勝手にちぎってペンを持った。

「1、ドッペルゲンガー。2、神隠し。3、人間工場。この3つがそれ。単純な自然現象的な都市伝説とは違って、複雑な感じがあるから人為的なものではないかとも言われてるんよ~。そのせいか、3大都市伝説を目撃した者は呪われるとか、周囲を不幸のどん底に陥れるとかで語ること自体タブーになってるんだよね~」

「へー。そんなすごいものなんですね」

「そう! その尻尾を今回は掴んだわけだ」

 早く調査に向かいたいという焔の熱気が言葉の端々から伝わってくる。

「その目撃者には会えるといいんですが」

「まあ、それは3大都市伝説だからあくまで噂話しか。発信源すら分からん。隣のクラスが話してるのを立ち聞きしただけだ。それすらも第3者から聞いた話らしい」

「だよね~。そんなことだろうと思ってたよ~」

「まあ、調査の取っ掛かりになるようなヒントは2つある。話の中で出てくる結晶だが、見た目が赤いガラス片のようなもので、ちょうどエクトプラズムみたいな感じらしい」

「エクトプラズムって黒いでしょ~?」

 確かにエクトプラズムは黒い。編入2日目の実技で見た薄墨を流し込んだガラスのような結晶。オーバーライトの副産物で、AXDEによって形作られる武器の素材となるもの。

「それと、神隠しに遭う人間は直前に感情を失ったようになるらしい」

 感情が無くなる――か。

「じゃあそんな奴の後をつければいいんだね~」

「なるほど」

「そして、もうそいつの目星は付いている。ほら、あそこ」

 指差す先を見ると髪を明るく染めた女生徒が俯き座っていた。

「彼女、西木さんは先日辺りからいつものグループからはぶられている。原因はどんなに話しかけても眉一つ動かず無反応だからだそうだ」

「ふ~ん。じゃあ兄貴、試しに話しかけてみてよ」

 確かに、試しに話しかけて確証を得るのは大事だ。

「えー。女子に話しかけた上に無視されるって結構つらいんだが……」

「はいはい、何事も経験だよ~」

「がんばって下さい」

「紫稀は味方じゃないのかよっ!」

 しぶしぶではあるが、西木さんの座る席に近づいた焔はおずおずと話しかけた。

「あのー、西木さん。明日のオーバーライトの実技、実は俺苦手なんだよねー。なんかコツとか教えてくんない?」

 女々しくクネクネ照れながら話しかける焔。

「……」

 なるほど、確かに西木さんはまったく微動だにしない。まるで焔が居ないようだ。

「くそー。二人とも俺を慰めてくれよぉー」

「おうおう。お疲れさん兄貴。適度に気持ち悪かったぞ~」

「おかげで裏は取れました。まあ、なんというか、気持ち悪かったです」

「おいっ、それは部長に対する態度かよっ!」

「まあそんなことより~。早速尾行しようぜ~」

「そうですね。どうやら彼女、動き出したみたいですし」

 席を立った西木さんはまるでロボットのように淀み無い動作で教室を出て行く。

「なんだと。よし、付いて来い二人とも。尾行の天才といわれた俺の実力を見せてやるぜ」


 そして30分後。

「ぬあー! 見失ったー!!」

「なにやってんですか焔」

「あ~。そんな気はしたんだよね~」

 焔が定期的にポカするのはいつものことだ。

「まあそんなこともあろうかと~。じゃ~ん」

 落ち込む焔を尻目に円はポケットから小さい端末を出した。

「なんですそれ」

「発信機の表示端末。じつは尾行の前に付けてたんだよね~。転ばぬ先の杖ってやつ~」

「おおっ、さすが円です。でも、何時の間に?」

「ふふふ~。それは乙女の秘密ってやつさ~」

「よくやった妹よ。で、いま西木さんは何処に?」

「おおっ、結構近い。すぐそこの路地だね~」

 路地は薄暗く、近くに中華料理店があるせいか油の匂いが充満していた。換気扇の回る低い音に混じって足音が聞こえる。足音がする方を注意深くみると人影が見えた。薄暗いせいかその人影はぼんやりと闇に半ば同化している様に見える。

「西木さんだ」

「おいまて、足元を見てみろ」

「あれは……例の結晶ですか?」

 見えにくいが大通りから漏れる明かりを微かに反射しているそれは紅いガラスに見えた。

 次に視点を上げた時には彼女の姿はなかった。

「……マジかよ。いなくなった」

 どうやら噂は本物だったらしい。赤い結晶を残し、西木さんは姿を消した。一瞬の出来事だったせいか、さっきまでそこにいた彼女は幻覚ではないかとさえ思う。しかし、彼女が居なくなったのは事実なのだ。

 時間が経つと共に、ゆっくりと背筋が寒くなってきた。

「警察に通報しないと――」

「ふーん、これが噂の神隠しか」

 真上からいきなり茶色い塊が降ってきた。

「うおっ!?」

 焔がでかい声を上げて驚くとその塊はこちらを一瞥した。塊の正体はコートで全身を覆った女性だった。目深にかぶったフードのせいで顔はよく見えないが、膨らんだコートの隙間からは日に焼けた肌と金属のフレームが覗いている。なにより目を引くのはコートの裾から覗く鋭そうな刃先。これは剣なのか?

「カルマ、あれはエクトプラズムで間違いない?」

[うんっ。間違いないよ]

「そうか……、クローンスレイブがここにも居るとはね」

[かなしいの?]

「いや、そんなことだろうと思っていた。でなきゃこんな短期間で……」

 何を? いや、誰と話しているんだ?

「あの~。あなたは誰ですか~」

「おいっ! なんで話しかけてるんだよ。本物か分からんが刃物持ってる不審者だぞ」

 焔もあの剣先を見てしまったらしい。小声で耳打ちする焔を無視して円はその暫定不審者から一歩も引かない。円は変なところで度胸があるみたいだ、物怖じしないで話しかける姿はいつもと変わらない。

「私? 私は、えっと、なんだっけ? ああ、そうそう、アサカ・クリス。都市伝説専門で探偵をやってる者です」

「……」

「本当だよ。と言っても信じてなさそうだね」

 そう言いながらコートの内側に隠すようにそっと刃先を引っ込める。

 かなり胡散臭い。

 探偵というか犯人そのものみたいな怪しさだ。

「そしてこいつは相棒のカルマ。と言っても君たちのAXDEとは規格が合わないから姿は見えないだろうけどね」

[ああーっ! だからスピーカーモードにしたんだね。そうじゃないと独り言呟いてる危ない犯罪者予備軍だもん。アハハっ]

「カルマ、ミュートにされたいの? 変な事言うと通報されるじゃない」

[ヒドイよっ。本当の事言っただけなのにっ]

「私たちは今神隠しを調べていてね。君たちは消えた彼女についてなにか知ってる?」

「え~っと。彼女、西木さんと言うんですが~。彼女は同じクラスというだけでして~。それ以上は何も知らないんですよ~」

「ふーん。同じクラスというだけでこんな路地裏に居合わせたと?」

「まさか僕たちを疑っているんですか」

「私たちは神隠しを調査してて~、西木さんを尾行してたらたまたま現場に居合わせただけですよ~」

「それならば情報持ってない? 良ければ情報交換したいのだけれど」

 部長である焔を見るとアサカの情報を知りたくてうずうずしているのが顔に出ていた。円も情報交換に乗ってもいいと眼で合図をしている。

「――以上がこちらの掴んだ情報です」

「なるほど、感情の欠落か。IPIMと変わらない……」

「あの~。IPIMってなんです~?」

「ああ、なんでもないんだ。では、こちらからも情報を提供しよう。一つ、神隠しは1週間前を境に増加した。二つ、結晶の正体はエクトプラズムで間違いない。三つ、無柱雪花には気を付けろ。」

「えっ!? それはどういう意味ですか?」

 なんでこいつは雪花の事を知っている?

「そのままの意味。それじゃあまた会おう、上代紫稀」

[またねーっ]

 そういって彼女は軽い動きで路地の壁を三角跳びの要領で登って姿を消した。

「何者だったんだ?」

 嵐のように通り過ぎた彼女は僕の名前を呼んだ。一回も言ってないのにだ。

「しっかし、美人だったなー」

「感想ソレかよ~。しかし、エクソスケルトンかぁ~。やっぱり骨董兵器はロマンだね~」

「えっ、なんですかそれ。エクソスケルトンって」

「知らないの~? 電気が主要エネルギーの一端を担ってた頃の歩兵強化装備だよ。コートの上からでもあの美しく無骨なフォルムは分かるね」

 少し興奮気味に語る円を見ると、やっぱり焔と兄弟なんだなと感じる。

「フォトニクスが発展する直前に登場したから現存する実物は少ないらしいよ~。触りたかったな~」

「そんな事よりも、彼女がなぜ雪花の事を知っていたのかが問題でしょう。あと僕の名前も知っていたんですよ」

「さあ~。そんなこと考えても結論なんて出ないでしょ」

「さあって、まあ確かにそうですが……。気を付けろとはどういう意味でしょうか」

「おっ、雨が降ってきた」

 焔がそう言って空を見る。学校から出た直後よりも明らかに黒々とした雲が覆っていて、ぽつぽつとだが雨が降り出していた。

「とりあえず、西木さんのことはこっちで通報しておく。まあ、うわさが本当なら明日には誰が消えたのか分からなくなるんだけどな。それじゃあ雨も降ってきた事だし解散だ」

「じゃあまたね~。雪花ちゃんに怒られないように早く帰るんだぞ~」

「ええ……、それではまた明日」

 そうしてモヤモヤとしたまま今日の都市伝説部の活動は終わった。

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