最終章【思い出、は大盛り過ぎる】
週末の競馬資金を稼ぐために、毎日パチンコ屋に『出勤』した。何日か目の夜、いつものように父上と待ち合わせると、「困ったことになったべ」といいながら、やっぱり笑顔で、父上は深刻な事態を伝える。パチンコ屋に出入りしている地元のヤクザに、ボクたちとグルになっているのがバレた、というのだ。
確かに、ボクたちは異常に出していた。一日の勝ちは一人二万円ぐらいまでに抑えていたが、父上が台に来るとジャラジャラと突然出るのはあまりにも不自然だ。山本は父上の助けを一度借りただけでフィーバーを出し、たった二時間で六万円をたたき出したこともあったのが、そんなのも、目立つことになる。
父上は
「ちょっとあいさつに行くべ」
と、ボクたちを郊外のお屋敷に連れて行った。お屋敷、といってもフツーの一戸建てのちょっとりっぱなヤツぐらいだが、なんとなく雰囲気はフツーと違う。地元の親分さんの家らしい。別の入り口に事務所らしい部屋もあり、そこを訪れる。若い衆も数人いる。なぜか恐いという気持ちはなかったけれど、緊張感はイヤほどある。
親分さんがいた。親分さんは、パチンコ屋で顔をみたことがある温和な感じの恰幅のいいおじさんだった。父上が
「こいつら大阪から来ていて、少しの間だけ遊ばしてやりたいんで、目をつぶってもらえないでしょうか」
と頭を下げた。
その後、父上と親分さんは北海道の他の親分さんや組のことを話していた。父上がそのスジの人だということを改めて感じながら、ボクたちは意味のない笑顔で、二人の会話を聞いていた。結局、ボクたちは無事、無傷で放免され、パチンコ生活を続けることができるようになった。
翌日からは、親分さんにパチンコ屋で会うと、「こんにちはー」と元気よくあいさつし、ニコニコと相手してもらえるようになった。缶コーヒーを差し入れてもらうことすらあった。若い兄ちゃんたちとも顔見知りになり、だんだん習得したフィーバーの出し方を伝授するようにもなった。
パチンコ生活も二週間が過ぎようとしていた。競馬で大勝ちすることはなかったが、毎日の稼ぎで、食事に困ることはなくなった。買い物は安い七丁目ストアではなく、なるべくあのコンビニでした。せめてもの恩返しのつもりだった。その前もその後もしたことはないけれど、その時はおつりの一円玉と、おつりじゃない十円玉も一緒にレジ横の募金箱に入れた。
父上がお休みの日、贅沢しようよ、と例のススキノの弱みを持っているという焼肉屋に再び行った。困り顔のシェフに遠慮することなく、たらふく食べて、今度はきちんとお勘定した。お勘定すると言った時のシェフの驚いたうれしそうな顔も、ゴチソーの一部だった。タダ食いではなかったが、きっと安くしてくれたんだと思う。
パチンコ生活は安泰、に思えた。
しかし、二週間が過ぎた頃、店のマネージャーにバレた。マネージャーは釘師でもあり、出球の調整をする係りだった。出るわけのない台が異常な出球をしていることを不審に思い、こっそり見ていたのだという。言い訳のしようがなかった。その夜、父上はマネージャーを寿司屋に招待した。マネージャーは酒が進むに従い、いろいろと店の実情を話し始めた。
経営があまりよくないこと。
オーナーは店をたたんで、別の業態にすることを計画していること。
給料がとっても安いこと。
自分自身も、他に誘いがあるので、一ヶ月ほどしたら別の店に移る予定があること…。
毎日いくらかの現金をキックバックすることを約束し、マネージャーとの有意義な会食は終わった。翌日から父上の手を借りずとも、ボクたちは、その日いちばんいい台の番号を知ることになった。
そんな頃、大阪からけんちゃんが帰ってきた。実家のクルマに乗って、北海道を引き払うために戻ってきたのだ。台所のキッチンの毛布の目張りをはずし、久しぶりに明るい陽の差す部屋になった。
ボクたちは、せめてものお礼に、パチンコ生活に加わることを提案した。大阪に帰るまでのちょっとしたこづかい稼ぎだ。父上に引き合わせ、ビリヤード好きのけんちゃんは、マスターにもなじみ、満足してもらえたようだ。四つ球もみるみる上達していった。
食べられない時を過ごしたボクたちにとって、毎日安定した食事が食べられることはそれだけで幸せだった。
けんちゃんに連れられて、けんちゃんが行っていた大学の近くの『おふくろ』という定食屋に行ったことがある。とにかく、量が多いので驚かないで、というふれ込みだ。量が多いのは大歓迎である。
定番のメンチカツ定食を頼む。
「ご飯大盛りでー」
と、付け加える。割烹着のおばちゃんの目が光る。
「ほんとぉ、フツー盛りでいいんでないのぉ」
と、言われるが、ここはやはり大盛りを主張する。おばちゃんはカウンター越しに、どんぶりに山盛りのご飯を盛り付ける。すっかり五センチはどんぶりからはみ出している。さすが、量が多いという評判だけのことはある。
「兄ちゃんたち、本当に大盛りでいいの」
ずっしり大盛りのどんぶりを見ながらボクたちは答える。
「うん、大盛りで大丈夫」
そこで、そのどんぶりがこちらに来ると思っていた。おばちゃんは、ボクたちの答えを聞くと、そこからどんぶりのご飯をギューギューと押し付け、さらに盛り始めた。えっ。さっきのは大盛りではなく、フツー盛りだったことに気がつく。もう遅い。どんぶりを上下に重ねたほどの、こんもり山盛りのご飯が配られた。
マンガでしか見たことがないような、見事な大盛りだ。大阪から来たんだと話すボクたちに、おばちゃんは話しかける。
「内地米が、おいしいおいしいって言うけれど、北海道のコメもうまいっしょ」
うまい、うまい。でも量が多い。だんだん腹にこたえてくる。しかしここで、残すわけにはいかない。
「ぷっはー」
と、休憩するボクたちにおばちゃんは声をかける。
「だから、フツー盛りにしなさいって、言ったっしょ」
いつの間にか、九月もそろそろ終わろうとしていた。朝晩は冷えこむこともある。あのコンビニ以外では役に立たなかった山本のジャンパーが出番を迎えようとしている。寒くなる前には、大阪に帰ろうという気持ちになっていた。でも帰るタイミングは、「一〇〇万円持ってかえろうぜ」だった。
今回のこの旅の無茶苦茶さは、自分たちでも認識していた。おもろいなあ、こんな生活、という感じだったし、これで一〇〇万円持って帰ったら、笑いが止まらんで、と話していた。けんちゃんも加わり、パチンコ、ビリヤード、そして復活したアラレちゃんゲームと、生活もすっかり安定してきた頃、とうとう来るべき日がやってきた。
父上がパチンコ屋をクビになった。オーナー店長にバレたそうだ。マネージャーも一緒にクビになった。大阪に帰ることを引き伸ばしていたけんちゃんは、これを機会に帰ることになった。ボクはけんちゃんと一緒にクルマで大阪に帰ることにした。山本はもう少し残る、という。一〇〇万円持って帰るわ、と父上のクルマで別幌を後にした。
けんちゃんチの荷物をクルマに積む。お世話になったヤマムラマンションを後にする。
ハッチバックの後ろの窓には、アラレちゃんゲームがよく見えるようにレイアウトしてみた。小樽からのフェリーで、ボクは二ヶ月あまりの北海道をあとにした。
北海道に残った山本が帰ってきたのは、それからさらに二ヶ月も経ったもう冬といってもいい季節だった。
ポテト工場のナゴヤと合流して、ふたりはススキノで本物のホストのバイトをしたりしていたという。見た目かっこいいナゴヤには、お客さんはつかず、どう見ても不細工な山本に上客がついたこともあった。ダンナが出張中の一週間だけというお相手で、札幌の町をジャガーで乗り回していた時期もあるという。そんないい環境は少しだけで、さっぱり食えない時期が長く、あいかわらずの生活だったようだ。
競馬の呑み屋に五〇万円の借金をつくってしまい、なんとか四〇万円を返済して、ナゴヤとフェリーで帰ってきたそうだ。食えない時には、ナゴヤのクルマからまたヘソクリがでてきて、食いつないだという話には、思わず笑った。
一〇〇万円持って帰ろう、という夢はかなわなかったけれど、もっと大きなお土産をボクたちは持って帰ってきたと思う。ボクが北海道から大阪に帰ってきたのとほぼ同じ頃、一九八一年一〇月九日、北海道を舞台としたテレビドラマ『北の国から』の第一回が放送されたらしい。ボクたちは、そんなドラマを観るよりも、もっとすごい体験をしてきた。ただドラマにしたら、あまりにもウソっぽく、できすぎた話に違いない。
山本とボクは一緒になにかおもしろいことやろう、じゃあ会社を作ろうと、山本のアパートを事務所にして、まず名刺を作った。名刺ができた翌日、という見事なタイミングで、山本は家賃滞納でアパートを追い出され、会社設立の夢はアワと消えた。
結局、山本は近くのスーパーに勤め、惣菜売り場の主任を任され、寝屋川のスナックで美声を披露する生活に戻った。
けんちゃんは、大阪に戻ってコンピュータ関連の会社にキチンと就職した。その後、いくつか会社は変わったが、大手コンピュータ会社で働く三児の父になった。
ボクはあわてて就職することもせず、ブラブラとフリーターのような生活をしているうちに、東京の会社に世話になり、そのまま大阪を離れ、東京で暮らしている。
人生の転機をひとつあげるとすれば、まさにこの二ヶ月になる。この二ヶ月でボクは確実に今の自分になる『元』を得た。必死に生きる、というカッコ悪いことをせず、しかも現実逃避にならないコツを、つかんだような気がする。
宮本輝の小説は大好きだが、『運命』というやつは信じていない。『因果応報』とやらで、いいことをしたらいいことが起こるとか、悪いことが起きるのはかつて悪いことをしたせい、とかいうのも、なにかしっくりこない。
ナニかにすがったり、奇跡をただ待ったりするような人生にはしたくない。そんな思いは、この頃の父上との出会いに因るところが大きい。父上との出会い、別れ、奇跡の再会…は、別にナニをしたからそうなったわけでも、ナニをしなかったからそうなったわけでもないはずだ。
人生には決まっていることなんて、これっぽっちもなく、かといって自分でがんばって切り拓けばなんとかなる、というのもでもないらしい。『なるようになる』、と信じることは、『なるようにしかならない』とあきらめることとは大きく違う。『なるようになる』、と思うことは、明日の自分を信じるということで、それは大人になってしまうと、けっこう難しいことなんだろう。
この北海道旅行があるかないかで、ボクたちのその後は大きく変わっただろう。でも、もしかしたら、旅行に行かなければ、それはそれで、もっと別のおもしろい事件が待っていて、もっとスゴい物語が書けたかもしれない。
やりなおしがきかないからこそ、ナニがあっても背を向けることなく、ナニがあってもナンかのセイになんかせずに、『おもろいこと』を考えながら、明日を信じて過ごしていきたい。
もう一度、この旅行をしたくてもゼッタイできない。人から見れば、クズのような二ヶ月かもしれないが、ボクたちにとっては貴重な、宝物のような時間になった。精一杯、一生懸命がんばったから、おもしろかったんじゃない。『なるようになる』、と自分を信じ続ける若さが、おもしろい旅を作ったんだろう。
そして怖れることを知らない若さは若者の特権ではなく、いくつになっても持ち続けることができることを、父上から教わった。怖れることさえしなければ、どんなことがあっても、『まあ、なんとかなるでぇ』と、やり過ごすことができる。ボクはこの旅のおかげで、その後の人生でナンにでも挑戦できる心を持つことができたと思う。
やってみて、あかんかったら、また違うことしたらえんやん。なにがあっても、なんとか生きていけるモンやで。
「運命」なんてものはない。そんな誰が決めたかわからないようなモノはいらない。明日を信じて、自分を信じて、いつも前向きに過ごすことができたら、人生なんてなんとでもなる。
けんちゃんとは今でも時々会って、この頃の話を、何度も何度も繰り返し繰り返し、している。何度でも笑えて、何度でも懐かしい、あまりにおもしろすぎた経験だった。今回の物語は誰に見せるため、というわけではなく、けんちゃんとの毎度の話題を整理するために、こうして記憶を記録することにしたようなモノだ。どうでもいい余計な脱線も、『記録』のために書き綴った。
山本とはもう二十年近く会っていない。
音信不通になって何年が経つだろう。
もしこれを読むと、ココが違うやん、とか、こんなこともあったやろ、と、もっともっと長いストーリーになりそうだ。
大阪に帰ってきて半年ほど経ったある日、山本と呑んでいて、ふとナゴヤの神戸の実家という寿司屋を調べて電話してみると本人がいた。今から来ないか、と誘うと、自慢のクルマでお寿司を土産に現れた。
ナゴヤが詰めたイナリではなく、りっぱなおいしいお寿司だった。それを最後にナゴヤとも会っていない。すし屋の屋号も忘れてしまった。
父上の連絡先は、聞かないまま別れた。
あの頃ちょうど今のボクと同じ年頃だったのではないだろうか。今ボクの前に、ハタチそこそこのボウズが現れて、同じ目線で、おもろいかどうかだけを基準に、一緒に過ごすことはできるだろうか。
できるわけがない。
父上のバカバカしいほどの大きさが、同じような年になって、ますますわかるようになった。
生きていたら今、七〇歳。
きっと死んでいると思う。
あんなむちゃくちゃな生き方していたら、死んでいるに決まっている。
でも、いい死に方だったと願いたい。
最期に「おもしかったね」と言って、死んでいったように思う。
五年ほど前、かみさんと北海道旅行をした時に、わがままを言ってレンタカーで別幌とポテト工場の町を二〇年振りに訪れた。別幌では、ヤマムラマンションも『喫茶べっぽろ』も、もちろんパチンコ屋も、万引きしたコンビニも見つけることはできなかった。
ポテト工場付近の地図からは、あったはずの駅さえなくなっていた。ローカル線は廃線になったのだろう。ポテト工場はオーナーが替わったのか名前が変わっていた。
工場の前に立ってみても、その場所の記憶は戻らなかった。町は、昔と同じように人影が少なく、大きな空の下をクルマでグルリと回ってみたが、谷呉服店をみつけることはできなかった。
結局、思い出のモノはなにも見つけられなかったけれど、なぜか思い出はよみがえってきた。目を閉じると、昨日のことのように、山本の声が聞こえ、父上の笑顔が浮かぶ。爽やかな風とともに二十数年間忘れていた、ささいなどうでもいい出来事まで、そこの交差点の角から現れてきた。
ボクたちの歩いた痕跡なんて、これっぽっちもないのに、脳ミソやカラダの奥深くを刺激するような不思議な感覚が襲ってきた。その土地の空気とかにおいとか、色彩とか、はっきりとは目に見えない変わらない何かが残っているのだろう。
ボクたちの心にも、記憶だけでない何かが、鮮やかに残っている。
【終わり】




