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第4章【大逆転、は一回だけじゃない】

初日の大勝ち以来、競馬ではぱっとしないものの、二~三日働いては前借りして競馬の旅にでる、という生活が続いていた。工場でイチバンきつい職場であるマッシュポテト工程にまわされた日以外は『昼』で帰ることもなく、工場勤務にも慣れてきた。

何度目かの旅から帰ってきた時、父上とボクたちの三人は主任から呼び出しをくらった。父上はひとりで、ボクたちは二人で面談だった。主任は父上のことを指し、

「一緒につるんでいるようだが、これからも同じようにやるなら辞めてください。あの人には辞めてもらうことにしました。でも、キミたちは若いので心を入れ替えてがんばるなら、もう少し働いてもらいますが」

と話した。

ボクたちは心を入れ替えることはできなさそうだったので、心地よい谷呉服店に別れを告げることにした。工場に来て一ヶ月以上経っていた。その間、勤務したのは合わせて一週間にも満たないだろう。人手不足なのか、度量がデカイのか、ポテト工場には感謝である。勤務態度のいいナゴヤは、そのまま工場に残った。

工場に戻ってきた、という時点でボクたちは無一文に近かった。お金がなくなったから、帰ってきたのだから当然だ。そして収入を得ることにないまま、路頭に迷う身となった。

父上は

「二、三日たったら仕事をみつけて、何か食わせてやっから」

と、男気をみせてくれた。ボクたちも手をこまねいて待つわけではない。

「ボクらもナンか探すわ」

と、いったん別れることになった。ボクたちは不本意ながら、けんちゃんチに戻ることにした。「何かのため」にと借りておいたけんちゃんチのカギを、「何か」が起こったので、使うことにした。けんちゃんチの近くまでクルマを運転し、国道の角の『喫茶べっぽろ』に、三日後の朝一〇時に落ち合う、という約束をして、父上と別れた。


けんちゃんチに、窓からではなくカギを使った入ったボクたちの最初の作業は、明かりが漏れないように、窓に毛布をはって目張りすることだった。

大家さんに見つかってはいけない。

いつものように空腹のボクたちは、けんちゃんチのキッチンをあさる。めぼしい食材はボクたちが以前に食べてしまっていた…。インスタント味噌汁が一袋だけあった。お湯を多めにして、二人で味噌汁を分けた。夜勤と競馬旅行という不規則極まりない生活は、想像以上にボクたちを疲れさせていたようだ。その夜、お化けも何もいないけんちゃんチで、ボクたちは久しぶりの安眠をむさぼった。


翌日は職探しを始めた。本屋で『アルバイト北海道』を立ち読みし、物件をさがす。日払いであること、住み込みであること、短期であること…などが条件だか、ぜいたくはいわない。めぼしいところの電話番号を覚えては電話する。すでに終了や遠いのに住み込み不可など、なかなかない。駅のゴミ箱からスポーツ新聞を拾ってくる。求人欄を探す。まずはなんとかメシ代をかせぐことが先決だった。

あっ『日払い』があった。アンケート調査。十六時から二十一時までで日当一万円。上等上等。すぐに電話する。たった一日、しかもすぐではないが三日後、父上と会う約束をした日の夕方からの仕事があった。一件一〇〇〇円を十カ所で一万円だが、残っているのは十五件なので、二人合せて一万五千円でどうか、と聞かれる。問題ない。

手持ちのお金、ボクたちの全財産は五百九十円だった。札幌までの電車賃が二百八十円、ふたりで五百六十円。これを使うとバイトにも行けなくなる。使える金は、ないに等しかった。なんとかがまんして、三日たったら、バイトもあるし、父上にも会える。そして、そこからやりなおそう、と決心した。


とにかく、じーっと待機のタイミングだった。光の漏れない、入らない部屋で、テレビの音も最小に、日がかわるのを待つ。それだけのことなのに、やっぱりお腹は空くのだ。テレビの食事シーンはとっても不快だ。いきなり胃がキュルキュルと痛み出し、気分が悪くなる。胃液が働き場所を求めている。感情の起伏が大きくなってきている気がする。潜伏生活と空腹で、だんだん頭がおかしくなってきていることを自覚する。

とにかく寝ることにした。三日目。ウラの家で飼っている犬がほえる。鳴き声がお腹にこたえる。

「うるっさいなあ」

とつぶやく。

また鳴く。

「うるっさいなあ。食うてまうぞ」

と、という冗談に、真剣に応える自分がいる。

「ナベにしたら、イケルかもな」

ブタは経験済み、犬ぐらいなら…と、考えている自分タチがいる。ふとわれに返り、ぞっとする。あともう少しで、実行に移してもおかしくないぐらいになってきた。

よく考えたら、かれこれ四日間、二人で味噌汁一杯しか口にしていない。空腹で動けなくなる恐怖よりも、空腹で頭がおかしくなっていく恐怖の方が強い。回転しなくなった頭で、一生懸命考える。どうしたら、何か食べ物にありつけるか。

「自販機のお釣受けのとことか、機械の下とかにコイン残ってないか探してみよか」

「駅前のスーパーで試食とかやってないかな」

かなり陳腐な案が、ものすごくすばらしいアイデアに思える。


アイデアを実行に移すべく出かける準備をしているボクの目に、ロバートブラウンの空き瓶が飛び込んできた。けんちゃんが誕生日にバイト先の仲間にもらったお祝いで、みんなの寄せ書きが白のマジックで書いてある。

「やらせそうで、なかなかやらせてくれない」セーコちゃんの、思わせぶりな言葉が輝いている。ビンの底に一円玉があった。一枚や二枚ではなく、何十枚という一円玉が沈んでいる。きっとサイフに残ったお釣りを、ここに貯めていたのだろう。

「おい、カネや。カネがあるぞ」

とボクは叫んだ。

数えると六十二円あった。

ラーメンなら一個買える。

でもラーメン一個しか買えない。

ここで糖分を失っている頭脳が生きることへの執着をみせ、悪魔のアイデアをささやいた。一円玉を六十二枚、数えるのは、けっこうめんどうだった。なかなか集中力のいる作業だ。それは空腹のボクたちだけでなく、誰にとっても集中力のいることに違いない。これに集中している間は、他のことに気付きにくいに違いない…。

ハンカチに六十二枚の一円玉を包み、夏なのに山本はアディダスのグリーンのジャンパーを着込み、ボクたちは近くのコンビニに向かった。途中の自販機のお釣受けや機械の下を覗くことを忘れずに、コンビニについたボクたちは二手に分かれた。ボクはラーメンを一個、レジに運ぶ。五十四円のラーメンは一円玉六十二枚から五十四枚を使って支払われることになる。この時間、コンビニの店員はひとりしかいない。

「一枚二枚三枚…これで十円」

と、店員の集中はハンカチに包まれた一円玉に注がれている。山本は店内をウロウロし、そのうちジャンパーの中をいっぱいにふくらまして、何気なく先に店の外に出て行く。

五十四枚を数え終わった。

「五十四円。ありがとうございました」

という声に、こちらこそ、と心で大きくつぶやき、ボクは山本を追った。

ひと言でいえば万引きである。犯罪である。ボクたちが生きるために、これ以上の殺生をしないために、やむなくやったことだと、情状酌量していただきたい。

店をでた二人は、ウチに向かって持てる力をふりしぼり、走り始めた。

みつかってはいけない。

せめて部屋まで帰ってから。

でもがまんできなかった。

角を曲がって壁と壁にはさまれた狭い路地で、山本のジャンパーから、いただいたモノをとりだす。テッシュボックスほどのグルグルのロールケーキ、ジャンボソーセージ、カツサンドがそれぞれ二つずつでてきた。まず、カツサンドをむさぼる。コンビニのなんてことはない、ただのカツサンドが、まるで超高級店のメインディッシュのように輝いて見えた。

それまで食べた何よりも、そしてその後、食べた何よりも、うまかった。舌や口やノドや胃だけでなく、全身がカツサンドを十二分に味わっていた。『魂で味わう』とかいうグルメマンガの表現を、今ボクたちは実際に感じていた。たぶん人生で一回きりのことだと思う。パンに浸み込んだソースは『味』というひと言では言い切れない極上の幸せを、カラダ中に運んでくれる。

おそらく一生忘れない、最高のご馳走だった。あの味を思い出すと今でも、マブタに映像が浮かび、口の中にツバがあふれ、ついでに涙も出そうになる。

ラーメンとグルグルロールとジャンボソーセージで、ボクたちはもう一日、食いつないだ。犬の鳴き声も気にならなくなっていた。明日は父上と会って、ご飯を食べて、バイトに行こう。


父上との約束は、十時に『喫茶べっぽろ』だった。そしてボクたちが目を覚ましたのは、もうお昼も近い十一時半だった。こんな大事な約束の時間を、なぜ寝過ごすことができるのか、自分でも不思議だが、すっかり寝過ごした。久しぶりの満腹感が睡眠を深いものにしたのだろうか。

あわてて『喫茶べっぽろ』に走る。

店内を見渡す。いない。店の人に尋ねる。年恰好を伝えると、少し前まで、そんな人がいたという。

父上は来てくれていたんだ。

もう連絡方法はない。

店をでて、駅の方に走りながら、キョロキョロと探してみたが、みつからない。

しかたない。父上とのことはあきらめた。


今日は、三日前に決めたバイトがある。十六時に琴根という駅の駅前ビジネスホテルに来るように指示されていた。琴根までは札幌から地下鉄で十五分ほどだという。今日のことなので、もう寝坊はない。まだ一時過ぎ、時間は充分、という計算は、はずれるわけがなかった。札幌まで列車で二十分、そこから地下鉄だが、地下鉄の電車賃がないので歩くことを考えると、一時間三十分ほど余計にみて二時間前、午後二時に駅にいけば楽勝、のはずだった。

二時に駅にいったボクたちは愕然とする。二時から四時まで、札幌方面の列車はなかった。大阪の感覚で列車はせいぜい十五分間隔、と思い込んでいた。二時間もないのは、まったくの予想外だ。

あせる。

あのひもじさがよみがえる。頭のまわりを景色がグルグルと回っている。テレビドラマの安っぽい演出が、この状態で再現できるなんて、なんと悲しいことだろう。山本が言う。

「ヒッチハイクしよ」

駅から国道へ向かうことにした。

「でけへんかったら、どないする」

「タクシー乗り逃げしよか」

かなり追い詰められている。


国道に向かう道の途中に二軒のパチンコ屋があった。一軒のパチンコ屋に入る。パチンコをするためではない。たばこを拝借したかったのだ。

ボクたちは、けんちゃんチに戻って以来、シケモクしか吸っていなかった。けんちゃんチには、エライさんの応接室にあるようなガラスの大きな灰皿があった。几帳面にコーヒーの出がらしを敷き詰めた灰皿から一ヶ月振りに救出するシケモクは、ほのかにコーヒーの香りがしたが、それも吸い尽くし、数本分まとめての再利用も限界がきていた。

昨日は道に長いタバコが落ちているのをみつけ、思わず拾って火をつけたが、落ちているタバコはよくない。なんともいえない湿気った、いかにもまずーい味が口に広がり、すぐに捨てた。何がそんな味にさせるのかわからないけれど、すでにタバコとは似ても似つかない味になっている。拾いタバコは吸えたモンじゃない。

パチンコ屋では、台をキープするためによく受け皿にタバコを置いている。それをこっそりいただいて、長ーいタバコを久しぶりに吸って少し頭を落ちつけたかった。店内をグルリとまわる。あったあった。まだ二~三本しか吸っていないだろうと思われるマイルドセブンが、左右誰も座っていない台に置かれていた。台をチェックするふりをして、タバコをいただく。

この調子でもう一箱ぐらい、と思いウロウロしている時に、後ろから声がかかった。


「おめぇら、ナニやってっんだぁ」。

タバコを獲ったのが、ばれたと思った。そのわりにはのんびりした調子の声だが。

ヤバイ、と振り返ったところに、父上がいた。

赤いチェック模様の似合わないチョッキを着て、腰にはカギ束をジャラジャラさせていた。

「うわっ。父上こそナニしてんの?」

「おらぁ、ここで働いてるんだぁ」

父上は、このパチンコ屋に就職していた。


話もそこそこに、父上にクルマを借りて、とりあえずのアンケートバイトに向かうことにした。深夜二十四時に郊外のミスタードーナッツで落ち合う約束をする。つい今朝がた、約束の場所に現れなかったボクたちによくクルマを貸してくれたと思うが、ボクたちは、タクシー乗り逃げという罪を犯すことなく、タバコの窃盗、程度の罪だけで、バイト先に着くことができた。

ビジネスホテルのロビーで、東京からやってきたという調査会社の担当は、仕事内容を説明する。十人ほどのバイトくんが集まってきた。指示されたレコード屋の前で、そこからでてくる客に五ページ程度の聞き取り調査をする、というものだった。ボクたちの担当は十五件。一軒のお店で五人に聞き、三店舗で十五件のアンケートを回収する、というものだった。札幌郊外の町の三軒だ。二十一時にここに戻ってくるようにいわれる。

説明を終えて、ホテルをでたボクたちは、どちらからかともなく、つぶやいた。

「これ、いかんでも、ええんちゃう?」

匿名のアンケートで、営業時間の希望とか、好きな音楽のジャンルとか、一ヶ月に何枚レコードを買うか、実際にナニを買ったか、レンタルがあると使ってみたいか、とか、そんな内容だった。

レンタルレコード、という業種が都会で流行り始めていた。どうやら、レンタルレコード屋の出店計画に使うようだ。クルマに乗り込み、すこし走って、喫茶店を目指す。手持ちのお金は五百九十円。コーヒーが三百円だったら、足りないので、メニューを確認して、二百五十円のコーヒーをふたつ頼んだ。喫茶店でマッチをもらって、さっきのタバコもいただく。長い。つい、タバコの中ほどに火をつけそうになる。吸ってから煙が口に届くまでの時間も長い。

残ったお金で、指定されたレコード屋に、実際に営業をしているかどうかを確認するために、電話をかける。三軒とも通常営業、問題なし。一杯のコーヒーで、ボクたちは一生懸命十五件のアンケートに回答した。父上とも会うことができて、こうして現金も得るメドがたち、おいしいコーヒーも飲めて、長いタバコも吸えて、久しぶりのほっとしたひと時だった。

二十一時、ホテルに戻る。他のバイトくんたちも戻ってきた。小声でバイトちゃんが話しかけてくる。

「きちんと、答えてもらえました?。私、いくつの質問を自分で答えちゃいました」

と舌を出す。

山本が反応する。

「えっ、うそっ」、

「えー、マズいですかねぇ…」

心優しき、善良な人だ。

バイト代と、駅で調べておいた電車賃を合わせて頂戴する。一万六千円ほどが、ボクたちの手元に入った。そこからガソリンを二千円分ほどいれ、別幌に帰る。


二十四時、ボクたちは遅れずに、きちんとミスタードーナッツに行った。父上もやってきた。ボクたちは、今回の奇跡的な再会までを、興奮しながら話した。

「いやー、大阪に帰ったと思ってたベ」

と父上は、タバコ泥棒のボクに声をかけるまでのことを話し始めた。ポテト工場を出て、けんちゃんチの近くで別れたあの日、父上は、そのまま特になんのアテもなかったけれど、駅方面に向かった。そこでパチンコ屋の前を通ったら、求人の貼り紙があり、すぐに働くことになったという。駅の反対側に寮もあって、そこで寝泊りしているのだといった。

あまりの空腹でコンビニにお世話になったあの日、父上はすぐ近くにいたんだとわかる。

ボクたちは、今日はアンケートバイトで収入があったが、明日からはまた探す、ということを伝えた。少し考えて、父上は言った。

「おめぇら、ウチの店に来いっ」

「えっ。ボクらも、あそこで働くのん?」

「いいや。仕事でなく客として来ればいいべ。オレが球を入れてやっから」

パチンコ生活が始まる。


翌朝十時、ボクたちは寝坊することなくパチンコ屋に『出勤』した。ルーレット回転の『777』をそろえるフィーバー台が世の中に出て一年程度、パチンコ屋のメイン台は初期型のフィーバー台だった。当時のフィーバー台はまずルーレットがなかなか回らない。フィーバーになっても、チャッカーのセンターに入らないと途中で終わってしまう。左右の小さな当り口に入るとルーレットは回転するが、五百円で三回も回転させればいい方だ。

球がなくなりかけると、父上が近くを通るのを待って、呼び出しボタンを押す。

「おじさん、球でないよぉ」

「あいやっ、おかしいねぇ」

なんていいながら、父上は持ち球をフィーバーのチャッカーをガバッと開けて、流し込む。チンジャラチンジャ、小箱がいっぱいになるくらい球がでてきた。父上はパチンコをほとんどしたことがないらしい。フィーバー台で、いくら球が詰まったといっても、そういう出方は異常である。ボクたちはドキドキしつつも、まわりの目を盗んで、父上を何度か呼び出した。

まず、ボクがフィーバーを当てた。移動制限のない店なので、そのまま今度は父上を呼ぶことなく、持ち球で二回目、三回目を引き当てた。山本も二回の当たりを出したようだ。

時間は夕方になっていた。お昼を食べていないボクたちは、父上に「終わる」という目配せをして、店を後にした。一日の稼ぎは三万円になった。

夜、ミスタードーナッツで待ち合わせし、父上と三人で食事にいく。おとといのあのひもじさから、イッパツ逆転のゴチソーにありつく。父上には球の入れ方について、チャッカーにたくさん入れるだけではなく、ルーレットを回す場所にも球を入れてくれるようにお願いする。ルーレットが回転さえしてくれれば、フィーバーを引き当てるコツが、少しわかりかけていた。


翌日の夜は、父上が宿泊している寮におじゃまする。一階がビリヤード場、二階にはアパートタイプの部屋が並ぶ。父上は大家さんであるビリヤード場のマスター夫婦と顔なじみになっていた。ビリヤード場の片隅にある喫茶コーナーでコーヒーをよく飲んでいるという。そこでマスター自慢のカレーをいただいた。

うまい。

本当にうまい。寝屋川のジャズ喫茶でカレーを頼むと「三日たったらおいで」、といわれて三日後に行くと、じっくり煮込んだカレーを出してくれたが、それを超える絶妙の味だった。あとで聞いたところによると、マスターは札幌で数本の指に入るフレンチだかイタリアンのお店で名を馳せたシェフで、リタイヤして地元で趣味のビリヤード店を開いたということらしい。ただモン、じゃない。

がっつくようにカレーを食べるボクたちの姿に、自分の子供を思い出したのだろうか、とってもやさしくしてくれる。タダでビリヤードを教えてくれるという。マスターが教えてくれたのは、四つ球、というヤツだった。ポケットしかやったことがなかったけれど、こうして教えてもらいながらやると、おもしろい。ハマル、ハマル。時間がたつのを忘れてキューを撞く。

四ツ球は穴の開いていないビリヤード台で二人対抗で行う。番号のついた玉ではなく、ひとまわり大きい球を四つ使う。赤がふたつ、白はマーク付きとなしのが各ひとつ。マーク付きか、なしかを自分の球(手球)として、手球を撞いて、ほかの二つ以上に当てることができたら一点獲得となる。、自分の球が一つ目の球に当たったあと、どこに行くかを計算し、強すぎず、弱すぎずで撞く。偶然性が少なく、頭も使い、実力通りの結果になるシブいゲームだ。

マスターも一生懸命教えてくれるし、ボクたちもみるみる上達していくのがわかる。昼はパチンコ、夜はビリヤード、というアクティブな生活が始まった。


パチンコ生活最初の週末。すでに十万円ほどが手元にあった。それを持って、札幌の場外馬券場に向かった、父上はパチンコ屋での仕事があるので、父上の出目表をもとにボクたちが購入することになった。札幌の場外馬券場は狸小路商店街にある。そう初日にのぞいた土産モン屋のある商店街だ。土産モン屋でバイト君たちがちゃんと働いているのを確認し、馬券購入に挑む。

この日、父上の読みはことごとく外れた。一万円二万円三万円と、お金がなくなっていく。メインレースを前に二万円しかなくなった。父上の読みで一万円、そしてボクたちの読みで単勝に一万円をかける。息を呑んで、モニターの前に陣取る。

スタート。

握ったコブシに力が入る。最後の直線、父上の馬はこない。ボクたちの単勝馬が追い上げる。「行けーーーっ」と、応援というより悲鳴がでる。

並んだ。

ゴール直前、かわした。

獲った。

ボクたちは、まわりのおじさんたちの目も、迷惑もなにも考えず、あの万馬券以来の雄叫びをあげた。一万円は十倍になった。持って行った十万円をそのまま持って帰っただけだったが、ボクたちには、心地よい疲れと満足感があった。


こうして生活が安定してきた頃、ボクはパチンコ屋の近くの公衆電話から一度だけ大阪に電話した。相手は、当時つきあいはじめたばかりの女子大生ヨーコちゃんという女の子だ。この旅を始めるほんの数日前にボクたちは二回目のデートをしていた。はたして恋人としてつきあうことなるのか、このまま友達になるかのビミョーなところだった。

彼女は夏休みで沖縄に二週間ほど遊びに行く予定と言っていたが、もう帰ってきているだろう。まだ好きとか、恋人とかいうような状態ではなかったが、寝る前の少しの時間や、ヨーコちゃんに似たロングヘアの女の子とすれ違う時などに、ぼーっと思い浮かべた。ヨーコちゃんを想う時間は、誰にも侵されない自分だけの貴重な時間であり、ヨーコちゃんを考えるというよりは、女の子というほんわかとした柔らかいイメージを浮かべることで、精神バランスをとっていた気もする。

ボクはそれまで腕時計というものをしたことがなかった。前回のデートは、

「腕時計してみようと思うねん。ちょっと買うのつきおうて」

という口実で始まっていた。ヨーコちゃんがススメてくれたのは、ミッキーマウスのダイバーウォッチだった。特にコレっと決めていなかったボクは、言われるままにその時計を買い、

「沖縄に行っている間、貸しといてぇ」

という、かわいいお願いを聞き入れ、そのかわりと言われ、女性用のフォーマルなカチっとした時計を預かった。もちろんボクの腕には入らず、自宅の机の引き出しにしまわれた。

 電話にでたヨーコちゃんは、残念ながらよそよそしかった。

「今、どこにおると思う。北海道におるねんでぇ」

とテンション高く報告したが、反応は薄く、ヨーコちゃんの沖縄の話を聞くこともできなかった。一ヶ月以上連絡しなかったことで、ボクたちの関係は、恋人にはなれないところまで進んでいた。連絡できなかった言い訳を理解してもらえるとは思えない。

そういえば父上にヨーコちゃんとの仲を占ってもらっていたが、あいまいな結果しか言ってくれなかったのは、こういうことか、とヘンに納得し、電話ボックスの外にいた山本には「あかんわ」と報告した。

毎日毎日のハチャメチャな生活のなかで、ふとした時に頭に浮かべる女の子を失ったのは、痛かった。特定の女の子を思う時は、たいていは不安かスケベのどちらかが浮かぶものだけれど、この頃は心にやすらぎをもたらせてくれる『ふるさと』だった。いつか帰る故郷であり、待っているであろう幸せなデートの時間を夢見る希望、だった。

そんなこちらの勝手な都合は砕け散り、ミッキーマウスのダイバーウォッチは、お店ではめたきり、ボクの腕に戻ることはなかった。ボクはいまだに、腕時計というものをしていない。

(最終第5章に続く)

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