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第3章【出会いはヒトだけじゃない】

翌日の競馬は惨敗した。ナゴヤの選ぶ本命はハズれ、父上の読みもだめ、山本も一発勝負で敗退、ボクもかすることなく、全員が一文無しになった。仕方がない、ポテト工場に逆戻りだ。

という帰路、運転しているボクは、クルマのガソリンがないことに気がつく。父上のディーゼルのワゴン車は、倶知安と岩見沢の往復ですっかりガス欠寸前だった。

「父上ぇ、ガソリンもうないでぇ」

「油切れかあ…。どっかで、もらってくか」

とつぶやくと、道の途中、畑に囲まれた一軒の家の前で、停めるようにいう。停めたクルマから、父上はその家にズカズカと入っていく。

「すいませーん。魚屋でーす」

魚屋?…今は魚屋ではない。

「いつも魚ありがとうございます。すいませんが、今日はクルマの油がなくなったんで、ちょっと分けてもらえますかねぇ」

普段の魚の行商のお得意さんなんだろう。でてきた奥さんは「そうかい、そうかい」といいながら、相手をしている。ほどなく、家のウラからポリタンクをもった父上が現れる。ここでガソリン補給である。農家では耕運機などの農機具用に各家庭にガソリンがあるらしい。

「どーも、でした。またよろしくーー」

なんて調子であいさつしながら、その家をあとにする。走るクルマのミラーに手を振って送ってくれる奥さんが映る。北海道の人は親切だ。

「親切やねぇ。いつも通ってたん?」

と何気なく父上に聞く。

「いやー、知らねぇ。初めてだぁ」

北海道の人は、異常に親切だ。


ある日、同じようにクルマを走らせていると、父上が「ちょっと停まれぇ」と、クルマを停め、スイカ畑に入っていったことがあった。作業している人とひとことふたこと交わし、ボクたちを手招きする。ボクたちはもぎたてのスイカをご馳走になった。隣の畑では大きなししとうがなっていた。ご主人は、それをもいでナマでバリバリ食べ、ボクたちにも勧めてくれる。

「たんまに、カラーいのあるんで、気をつけてね」

といわれて、気をつけようもないが、このナマのししとうは、驚くほどうまい。フルーツのようだ。調子にのって食べていると、当たりがあった。辛い。唐辛子をかじったような辛さが全身を駆け抜ける。のたうつボクを見て、ご主人はカラカラと笑う。父上はその人とも初対面だった。畑をみて、大阪から若いヤツが遊びに来ているので、新鮮な作物を食べさせてくれないか、と頼んだという。こんなこともあった。

夕方、クルマで走っている途中、ある山村の集会所のようなところでお通夜が開かれていた。北海道でお通夜を見るのは初めてだった。クルマを降りて様子をみていると、父上がまたしても手招きする。わけもわからず、ついていくと、お通夜の会場に父上は入っていき、お焼香をあげている。

農村でのお通夜は、特に礼服を着るわけでもなく、野良着のまま三々五々集まり、故人をしのぶようだ。普段着のボクたちがいても、それほど違和感はない。霊前には、人のよさそうなおじいちゃんの写真が飾られている。ボクたちは、このおじいちゃんが父上の知り合いではないと、確信している。そして広間にところ狭しと並べられたお供養のから揚げやおにぎりにナマツバを飲み込む。

大阪弁で

「じーちゃんには、昔ちょっとしたことで世話になりましてん」

と、おにぎりをほおばりながら、あいまいに話すボクたちは、かなりいぶかしがられながらも、参列の人たちと一緒にじーちゃんの冥福を祈った。


二~三日働いては、前借りで競馬に行き、また戻ってくるという生活が続いた。その間、大勝ちすることはなく、食堂のある工場を離れている時は、ひもじい思いをすることもしばしばあった。ナゴヤの乾パンには手を出さなかったが、とことんお腹が減ってどうしようもなくなった頃に、しぶしぶナゴヤが出してくる『ヘソクリ』に助けられた。

ナゴヤはヘソクリを競馬に使うことは、断じて許さなかったが、食費に使うことは、生きるために仕方ないと思っていたようだ。それはパンツの中の二重になった生地から出てくる二千円であったり、クルマの天井貼りの破れ目からでてくる三千円だったり、靴の底からでてくる千円だったりした。そのたびに、

「もうこれで最後だがー」

と、泣きそうに言うナゴヤにとっても感謝しながら、『あるんやったら、もっと早よ、出してくれや』、と、空腹で気が短くなった心の声を抑えていた。


競馬の調子がよくないボクたちは、しょっちゅう空腹だった。畑のししとうや、葬式のおにぎりや、ナゴヤのヘソクリは本当にありがたかった。なんとか食いつないでいる毎日だったが、父上はコーヒーを飲みたくて仕方なかったらしい。競馬からの帰り、時々喫茶店に寄った。その時、所持金はまったくなくても関係なかった。喫茶店に入った父上は、ママさんと交渉する。自称占い歴二十年の父上は、ママさんの占い代と引き換えに、コーヒーをいただくのだ。いくつかの喫茶店にいったが、交渉の成果はかなり高かった。

岩見沢の喫茶「セブン」は、ウエイトレスの女子高生ショーコちゃんが、とってもかわいくて、ボクたちのお気に入りだった。郊外の住宅地の中、三角屋根に白しっくいの壁、白木のドビラ、ランプ風のライト、レースのカーテンが揺れる出窓…、絵に描いたような、どんくさい喫茶店だが、ママさんは、ちょっと昔はブイブイならした美人だったことを想像させるエプロン姿で、この界隈の男性のまさに「憩いの場」だった。

明るくケラケラ笑うママさんを占い、コーヒーをゴチソーになる。別の日にいった時には、

「今日はショーコちゃんが、みてもらえばいいっしょ」

というママさんのひと声で、ボクたちも少しばかり気になる占いが始まった。

手相、人相、姓名判断、四柱推命と、父上の占いレパートリーは広い。もっともらしいことが、次から次へとでてくる。ショーコちゃんは彼氏との相談をもちかける。

「どれぐらいつきあってんだぁ」

「一ヶ月ぅ」

「やっちゃったかどうかも、わかるんだぞ」

「うっそー」

と反応するショーコちゃんの手相をじっと見つめながら、

「ありゃ、このヤロ、やりやがったな」

「えー、なんでわかるの?」

横で聞いていたボクたちは、心の中でつぶやく。「なんでわかるの」と言わなきゃ、わかんない。


父上は言う。

「占いなんて誰でもデキっべぇ。んでも占い師ってのは、なかなかなれるもんでねぇ」

占い師と名乗るとんでもないインチキ野郎がたくさんいるらしい。占い師は、見る相手の役に立つことが大事なんだという。占い師にみてもらう人は、多かれ少なかれ悩みをもっており、その解決の糸口を占い師に求める。四柱推命や手相や姓名判断は、その人の心を開かせるためのきっかけでしかなく、それをもっともらしく言うことで、まずは「この人の言うことは当たる」と信頼してもらうのだという。

ゆっくり慎重に手を差し出す人、几帳面に拭いてから出す人、いきなり乗り出すように出す人…。何百人も占っていると手の出し方だけでも、その人の性格はある程度わかるようになるらしい。また占いには、当たっていると思わせる喋り方のパターンがあるらしい。あいまいな言い方でも、当たっていると感じさせるテクニックがある。手相をみながら、「あんたはねぇ…」とパターンにあったことを言えば、たいていは「当たってるぅ」となるわけだ。

「せっかちにいろいろ聞いてくんヤツいるべぇ。明るいバカだな。そんなヤツに、『あんたね、明るくて人気モンだけぇんど、ひとりでいる時は、きっと寂しがり家でおとなっしい性格だっぺぇ』っていうんだ」

「すると当たってる、って言うけど、ひとりでいる時に騒いでいるヤツなんでいねぇべぇ」

占い師の仕事はそこからだ。こうして心を開いた相手の悩みを聞き、その人が本当にやりたいと心の底で思っていることを判断し、それを後押しするために、占いではこうすればよくなると出ている、と言ってあげるのだという。ほとんど人は、悩んでいる時にナニをすればいいのかは自分でわかっていて、それを確認し、ひと言、後押ししてあげれば、勇気を持って対処でき、いい方向に向かうらしい。本人が心の底でやりたくないと思っていることは、やってもうまくいかず、こうしようかな、と思っていることを自信をもってやれば、うまくいくということらしい。

占い師はそれを、占いという不思議な力が導いていますよ、とか、将来はこうなるから、自信を持ちなさい、という「ウソ」をついて、人生の手伝いする仕事なのだという。地獄に落ちるとか、病気になるとか、相手をビビらせて占い料をまきあげるような占いをするのは、占い師として最低のことだと、父上はタンタンと語る。

言ってみればセラピストである。占いは当たるものではなく、相手の気持ちを汲み取って勇気を与え、結果、当たるように仕向けるということらしい。

「いいかぁ。占いなんて当たるわけねえべぇ」

そういいつつ、競馬四季報に書き込んだ数字で出目を占うことに、ボクたちはあまり疑問を感じなかった。


競馬に遠征中の宿泊は、札幌のサウナと決まっていた。競馬で少し勝ち、ナゴヤのへそくりも必要なく食事できそうなある日、父上は「焼肉、食うか?」と聞いた。

「食べたい、食べたい」

父上は、初日に食べたススキノの高級焼肉店に向かった。余裕があるといっても、焼肉を食べるほどではない。しかもこんな高級店はとんでもない。父上には秘策があった。この焼肉屋には父上の知り合いがいた。前回来た時に、その人がいることを店の人に確認しておいたらしい。今回は厨房にその知り合いシェフを訪ね、交渉してくれた。

そしてボクたちの前には、ずらりと高級焼肉がならび、久しぶりの肉に、むしゃぶりついた。所持金はひとり二千円ほどしかないことは忘れていた。なんでも頼んでいい、という言葉のまま、狂ったように食べた。お勘定は…いらなかった。お店の人のおごりだそうだ。

北海道の人は親切だ、というわけではなかった。これ一回、ということで、特別にご馳走してもらったらしい。お店の人にあいさつした。弱弱しい笑顔で、あいさつを返してくれた。

「あいつの弱み、思い出したんたんだべぇ」

と笑った父上は、なるべくこの一回ですましてあげよう、というやさしさも漂っていた。

その後ボクたちは、もう一回だけ、ここの焼肉をいただくことになる。


たまにしかいかない工場だったが、仕事はすっかり慣れて、しんどいながらも、終日いても苦にならない要領を得てきた。工場では、とうもろこしの新プラントが明日から稼動するという祝いの集会が開かれた。作業をとめて、アルバイトもパートのおばちゃんも一緒のところに、工場長か誰かがあいさつして、それを聞いているだけで一時間分の給料がもらえるので、この日に出勤してよかったと思う。食堂では赤飯とちょっとばかり豪華なおかずにありつき、また前借りへの意欲がわいてくる。

寮の谷呉服店は、何人かの学生が辞めていくだけで、増員はない。北海道の短い夏休みが終わろうとしているのだろう。万年ぶとんのスペースに歯抜けができる。

昔は町いちばんの大棚だったに違いない谷呉服店は、古色蒼然たる構えから、お化け嫌いの気の弱い学生に、怪談話をしてあげるには、おあつらえむきの舞台だった。大阪のおっちゃんは話がうまく、この谷呉服店に伝わる話として、見てきたような怪談をみんなに話してくれた。ただ惜しむらくは、夜勤の我々にとって怪談を聞く時は、陽も高い明るい時間だったということだろうか。


声をかければ、短い返事だけが返ってくる寡黙な積丹半島の漁師、通称シャコタンは、みんなの輪につかずはなれず、参加もしないが、うるさがっているわけでもない、ビミョーな立場をとり続けていた。大阪のおっちゃんの怪談話の時も、輪から少し離れてじっと聞いていたように思う。「うん」とか「いや」ぐらいの声しか聞いたことがなかったシャコタンの、谷呉服店のメンバー全員が飛び起きるほどの大声を聞いたのは、ようやくみんなが寝静まった昼すぎ頃だ。

「なんじゃ、なんじゃ、なんじゃ」

という声は、隣の部屋にいたボクたちにも、はっきり聞こえた。あわてて大部屋をのぞくと、ふとんから呆然と立ち尽くしたシャコタンが、足元をじーっとみつめていた。大阪のおっちゃんが声をかける。

「どないしたんや」

「いあや、誰かが脚を、脚を…」

とウラがえった声でいいかけて、

「いやー、なんでもないっ」

と黙ってしまった。

「うわっ、なんかあったんちゃうん」

「脚ひっぱられてんやろ」

「そういえば声がしたあと、廊下をバタバタバタと走っていく音、聞こえたでぇ」

「うわっ、なんか、廊下ぬれてるやん」

「ここゼッタイなんかおるんやわ」、

大阪のおっちゃんとボクたちの大阪トリオは、ここぞとばかりに、谷呉服店を恐怖の館に変えてしまう。シャコタンは数日後、工場をやめて帰っていってしまった。


谷呉服店の内風呂は使っていなかったので、風呂は近所の銭湯に行くことになっていた。ボクたちは、しょっちゅうサウナに行っているので、銭湯を利用することはまれだったが、銭湯に併設されたコインランドリーで洗濯する時は、銭湯の湯船に浸かったりしていた。

北海道の銭湯は、そこ以外にも数か所いったが、総じてお湯がとっても熱い。くるぶしまで入ってしばらくガマンし、じっくりと慣らしてから、ようやく浸かることができる、というフロが多かった。誰もいない時は、水道の蛇口を全開にして、ちょうどいい湯加減、にしたが、他のお客さんがいる時にはさすがにできない。北国の寒い寒い冬と、夏でも熱い湯にガマンして浸かることとはナニか関係があるのだろうか。

競馬に行く途中、寄り道をして温泉にいったこともある。昆布温泉という温泉地の近く、フツーの道端の少し奥にある、囲いもなにもない無料で自然そのままの露天風呂、というやつだ。温泉地の源泉なのかもしれない。意を決して入ろうとしたが、そこのお湯も熱すぎては入れなかった。人はいなかったが、水道の蛇口もなかった。勢いよく風呂を目指したフルチンのボクたちは、時折通り過ぎる他のクルマからの視線を感じながら、ほんの足の指先だけの秘湯を楽しんだ。


父上の自宅は、倶知安からクルマで一時間ほどの海辺の町の一角にあった。なにかの用事で自宅に行くことになり、同行した。電気もガスも水道も止められた仮設住宅のような家は、吹き付ける海風の強さとともに、なんともいえずモノ悲しい風情だった。

ポストからあふれる郵便物のなかに、筆文字の巻物のような手紙があった。広げると二メートルぐらいはありそうだ。昔世話になったある親分さんが刑務所からでてくる、という案内だそうだ。昔の話はあまり聞かなかったが、父上は昔、どこかの組関係に属していたのは間違いない。

刺青はなかったが、サウナで父上のちんちんを最初に見た時、あまりにボコボコした異常なカタチに、山本はてっきりヤバイ病気にかかっていると思ったらしい。よく聞いてみると、真珠を十個ほどいれていてボコボコになっているそうだ。真珠が手に入らない時は、歯ブラシの柄を丸く削って入れてみたそうだが、どうしても取れていない角があって、皮を突き破ってでてきたことがあるらしい。やっぱり真珠に限るそうだ。でも、風俗にいっても、やらせてもらえないと、嘆いていた。そんなとこもカタギじゃない。

別の日、その出所式に連れて行ってもらった。


黒塗りのクルマが十台以上ならぶ横に、ボク運転の薄汚れた白いワゴンを停め、びっちりスーツのコワモテの行列のはじっこから少し離れて、父上とボクたちは並んで待っていた。もちろん、知らないおじいさんの葬式にいった時と同じ、普段着のままだ。

大事な日だからだろうか。こんな胡散臭い(まあ、ある意味どっちもどっちだが)ボクたちに、文句をつけてくるコワモテさんはいない。かなり待ったように思う。三十分やそこらではなく、二時間ぐらいが過ぎた気がする。

待っている間、どうしていたかの記憶はない。ただ、長い時間そこにいたという記憶がある。刑務所といっても、映画の網走刑務所のように、まわりにナニもなく長い長い塀で囲まれた、というわけではなく、町のはずれの、空き地が目立つような一角に建つ、企業のカンバンさえあれば工場といってもいいような建物だ。

やっと出てきた親分さんに、皆がいっせいに頭を下げる。うあー、映画みたい、と思いながらも、ヒザがガクガクと震えていた。顔をあげたら、無礼打ちにあいそうな緊張感のなかで、親分さんの顔を見ることはできなかった。親分さんは父上と目をあわしたのか、どうなのかなんてことも確認できずに、でっかいクルマに乗って、あっという間に走り去っていった。ひとことふたこと、父上はコワモテの一人と話していたが、彼らのクルマも動き出す。

ボクたちは最後まで残っていた。

おそらく緊張した顔でたたずんでいるボクたちに、父上はまた笑顔で声をかけた。

「おもしかったね」


競馬は岩見沢のばんえい競馬が中心だったが、土日は中央競馬にも賭けていた。父上の『愛読書』は競馬四季報だ。会社四季報と同じ体裁の競馬四季報には、馬、騎手の様々なデータが会社情報のようにびっしりと書かれてある。社会人になって会社四季報を見た時に、これ競馬四季報とそっくりやん、と思ったが、元祖はきっと会社の方だろう。

父上の競馬四季報には個々の馬や騎手の情報に加えて彼らの占いデータが書き加えられている。占いは四柱推命が基本になる。すべての数字は1から9までの九つのいずれかの性質を持つ。9で割った余りの数字が、その数字の持つ基本数、ということだ。日付の基本数、時間の基本数などがある。馬や騎手の誕生日の基本数、出走日や出走時間の基本数、出走順、枠番号などの数字の相性を父上独自のアルゴリズムに合わせて出目にしていく。レース毎に3×3の9マスに数字を並べる。右上から左下に1(イー)4(スー)7(チー)が並ぶと、その勝負はイースーチーの基本数を持つものがが強く、タテの258は弱い、なんて調子だが、実際のところは説明を聞いてもよくわからない。ばんえい競馬は競馬新聞の情報で占うが、中央競馬なら競馬四季報のより詳細な情報を加えて占うことができるのだ。

中央競馬の馬券購入は、父上が出入りしている『呑み屋』で行う。ポテト工場からクルマで三〇分ほどの距離だ。フツーの一軒家の居間にあがると、すでに競馬新聞片手のおやじさんたち七~八名が、テレビの競馬中継を食い入るように観ている。

その家の主人と若い衆が、お茶をだしたり、注文をきいたりして、客人をもてなしてくれる。終始なごやかで、闇の賭け事をしているという殺伐とした雰囲気はまったくない。客は全員、(たぶん)善良なサラリーマンや農家の人や商店主で、レースの合間には冗談がとびかい、若いボクたちにも声をかけ、優しくしてくれる。

購入は一口一〇〇〇円単位、万馬券がでても払い戻しは百倍が上限、など、いくつかのルールがあった。客が買った馬券を、投票所にいる別の仲間に電話で伝え、そのまま代行して購入するわけだが、あきらかに来ないと思った馬券は、胴元が『呑んで』もうける、というのが、カンタンな仕掛けだ。何回かいったが、ボクたちの中央競馬での成績は、決して悪くなかった。


その『呑み屋』からそれほど遠くない場所に、父上の息子はいた。施設に預けてある子供に、一度会いにいった。行く途中、おもちゃ屋で小さな人形を買い、それを土産に施設の門をくぐった。ちょうど昼寝の時間で、他の子どもたちは部屋に集まって、遊ぶでも寝るでもないようなグダグダした時間を過ごしていたが、父親がやってきたことで、特別に父上の子どもは昼寝から開放され、部屋の外に連れてきてもらえた。幼稚園生ぐらいだろうか、屈託なく父上に飛びついてきた子供は、本当にかわいかった。

子供好きの山本も、子供嫌いのボクも、その子を楽しませて、めいっぱいの笑顔を父上にみてもらうために、ヘトヘトになるくらいほんの一時間ほどだが、一生懸命遊んだ。日ごろ父上を占領しているせめてのも償いだったかもしれない。父上はずっとニコニコとしながら見ていた。別れ際、子供は泣いた。さっきまでの笑顔がウソのように、行かないでと父上にしがみついて腕の中で泣いた。横にいるボクたちも涙がでてきた。


根がまじめなナゴヤは、工場を休むのはタマで、それでも給料の一部を競馬の賭け金としてボクたちに渡すことで、同じ夢を見ていた。主メンバーは父上と山本とボク、という三人体制は変わらず、時々ナゴヤが参加するというスタイルになった。クルマの運転はもっぱらボクの仕事になっていた。まったく観光地らしい所には行かなかったが、北海道の道をオンボロワゴンで、グリグリと走った。見渡すばかりの牧草地や、はるかに続く一本道の光景はもしかしたら、ガイドブックにも紹介されている光景かもしれない。

ボクたちは、そんな景色のなかを、目的地に向かう必然として走っていた。あるいは、父上がボクたちにそんな光景をみせたくて、回り道を教えてくれたのかもしれない。確かに工場とばんえい競馬の往復は、同じ道をあまり通らず、いろいろな寄り道をして、いろいろな景色のなかを走っていた気がする。

そんな初めての道を走っている最中、父上が思い出したように聞く。

「おめぇら、ホルモン食いたいか?」

間髪いれず、返事する。

「食いたい。食いたい」

「そっかぁ、んでば行くべぇ」

と、思いもかけず、ご馳走がいただけそうだ。父上はボクに道の指示を出す。

「その先ぃ、右ぃ」

「突き当りを左ぃ」

どう考えても、町から離れていく。山の中、といってもいい。人家すらまばらな、よくある北海道の田舎の光景だ。左手におせいじにも、きれいとはいえない平屋の納屋のような建物がみえてきた時に、そこにクルマを停めるようにいわれた。

納屋に見えた建物は意外と大きい。奥行き四〇メートルほどはありそうだ。父上はその建物の中に入っていく。クルマを降りたボクたちは、再び建物からでてきた父上から手招きされて、呼ばれる。

「ほれぃ、見れ、見れ。今、殺してる」


建物に入った時は、ブタ小屋のようだった。何十頭というブタが、ひしめいていた。養豚場の違いは、脚をくくられ、逆さ吊りになったブタがたくさんいたことだ。そこは屠殺場だった。養豚場さえ行ったことがないボクたちは、事態を理解するのに、少しの時間がかったことはいうまでもない。

職員さんと父上は顔見知りらしい。

「おめぇらもちょっと、殺してみっか?」

という、とんでもない呼びかけも、この異常次元では、ししとうを畑からもいで食べることとの差は、ほとんどない。いわれるがままに、ブタのコメカミに菜ばしのような電極をあてて、『屠殺行為の補助作業』を行った。

「ひぇーー、ブタ殺しやでぇ」などと、騒ぐ余裕も雰囲気もない。

職員さんたちは、人なつっこい。びびっているボクたちを見て、ちょっと楽しんでいたに違いない。ボクたちは、隣接する休憩所のような小屋に案内される。そこには、給食で使うような大きなナベが火にかけられ、グツグツと煮えていた。ブタのホルモン鍋だという。ブタのホルモンは傷みやすく、新鮮でないとおいしくないらしい。これは市場にはぜったいにでない、こういった屠殺場しか味わうことのできない極上のホルモン、だそうだ。

思考停止していたボクたちは、ナベをつっついた。いつものようにお腹はすいていたので、夢中で食べた。でも味はわからなかった。血だらけの白衣を着たおじさんたちと一緒に、さっきのブタの視線を脳裏に残したまま、味を感じることは残念ながらできなかった。

この先一生、食べることができないであろう最高の美味を、全く味わうことなく胃に詰め込んだ。

(第4章に続く)

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