第2章:【北海道生活、やってみんべ】
けんちゃんの決心は固く、明日には大阪にいったん帰るという。もう少しするとお盆になって交通機関が混む、ということもある。大阪に帰って、親に大学を辞めたこと、そして北海道を離れることを伝え、次のメドがたったところで、荷物を引き取りにもう一度、戻ってくるという。ヤマムラマンションの契約はまだ残っているが、お向いに大家さんがいる下宿的なため、本人不在でまた貸しすることは、厳しく禁じられている。
ボクたちは、いよいよ住む場所を探さなくてはいけなくなった。あわてて新発売の『アルバイト北海道』を買いに行く。贅沢は言っていられない。住み込みのできるバイトをナンでもいいから探す。あった。
倶知安の冷凍ポテト工場、夜勤で食事、寮付き。電話する。まだ募集しているので、来てくれ、という。ボクたちは、けんちゃんにお礼をいい、荷物を抱えて、まだ見ぬ冷凍ポテト工場に向かった。
列車で三時間か四時間ほどかかっただろうか。函館本線で札幌、小樽を経由し、倶知安からさらに支線を乗り継いで着いたところは田園風景の中にある、静かな、今までテレビでしか見たことのないような田舎の町だった。ホームには柵もなく、後方には蝦夷富士といわれる羊蹄山の稜線がくっきりと見える。
その駅で降りたのは、ボクたちだけだった。駅前には人っ子ひとりいない。動いているのは羊蹄山に向かう白い雲だけで、列車が過ぎ去っていく音に驚いて振り返ったぐらいだ。
駅前の大通りは、ひっそりと静かに、商店のもうしわけばかりのヒサシのカゲだけが映っている。寂しい感じはまったくしない。どこかに活気が潜んでいるわけでもないのに、堂々と、そしておおらかに時間が過ぎているようだ。
小さな駅から深呼吸して「さぁ、行こうでぇ」と、ボクたちは意気揚々と工場を目指す。いかにも田舎のかわいい駅舎から延びる道は、これから働くボクたちを励ましてくれているようだ。歩き始めてしばらくたった時、向こうから大きな荷物を背負った同じ年頃の若者が歩いてきた。これから山登りにでも行くようなリュックだが、服装は山登りには似つかわしくない。バックパック旅の途中、とでもいったところか。
ボクたちは、迷うはずのない一本道を進んでいたが、親近感を感じて彼に道を尋ねてみた。
「ポテト工場はこっちでいいですか?」
「そうそう、これをまっすぐね。君ら、バイトするの?」
「これから面接ですねん」
「そう。あの仕事…キツイよ」
彼はそう言い残し、険しい表情のまま駅に向かって歩き始めた。
ボクと山本は顔を見合わせ、漠然とした期待感を捨てることにした。ここにきて、どんな覚悟をしろというのか。ボクたちにはもう選択肢はなく、二人で一緒にいる、ということだけが心に支えだった。お互い「どうするぅ」なんてことは、口に出すこともなく、無言のままポテト工場を目指した。
工場は大阪港で見るプラントに近いような、あるいは大規模農場のサイロのような、大きな敷地にいくつかの巨大な建物が並び、壁面を覆うたくさんのダクトは集合し煙突となり、白煙をあげている。いかにも工場、だ。
ゲートをくぐると正面に事務棟がある。受付っぽいところを探し、バイトであることを告げると、すぐに担当者が現れた。面接、というよりも、すぐに仕事の説明を受ける。どうやら、ココにたどり着いただけで、採用、らしい。
「そうですかぁ、大阪からですかぁ」
と明るく話す担当者に連れられて、あいそ笑いのボクたちは、工場から歩いて五分ほどの住み込み寮に案内された。本来の工場の寮はすでに満室で、繁忙期の夏の間だけ特別に工場が借り上げている寮だそうだ。
『谷呉服店』と看板が残る寮は、少し前まで実際に呉服店であったであろう二階建ての一軒屋で、土間と板張りの『店』の二階の二十畳ほどの大広間と、居間のような十畳ほどの部屋が工場労働者のための住居にあてがわれていた。大広間にはすでに布団が十組ほど敷かれており、そこには数人の先客が、ボクたち新入りを横目で見て、軽い会釈をしてくれる。
引率の担当者はいう。
「まあ、好きなところに寝てください。七時四十五分にさきほどの工場に集合です」
仕事は夜八時から朝八時までの十二時間。途中一時間の食事休憩があり、工場内の食堂で無料でふるまわれる、のだという。
大広間にも、もうひとつの部屋にも、ボクたちのスペースはまだ十分にあったが、ボクたちは、空室になっている三畳の部屋をみつけ、先輩たちに使ってもいいかと確認し、そこを根城とすることにした。三畳の部屋は二人分で、先輩たちは単独で勤めている人ばかりだったので、誰かと二人きりの相部屋になることを避けていたのだろう。
仕事までまだ時間がある。
ボクたちは旅装を解くと、谷呉服店に残っている先輩たちにあいさつし、気になる仕事内容のリサーチをしてみた。
とにかく肉体労働でカラダがキツく、時間も夜勤なので、慣れるまではしんどいだろう、と教えてくれる。
大阪から一人旅の途中で旅費を稼いでいる、というおっちゃんは、親切にいろいろと教えてくれる。おっちゃんはお金を貯めて、北海道からソ連に渡り、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパへ行くのが目標だという。ちょっとハゲあがった頭と、大きなダミ声のこのおっちゃんは『大阪のおっちゃん』とあだ名をつける。小樽の先、積丹半島からやってきた無口なおじさんは『シャコタン』、権藤さんは『ゴンさん』、小樽の大学生は『タル』、とわかりやすいあだ名をつけ、仕事の情報を蓄えた。
ポテト工場は、自身のメーカーブランドの商品だけではなく、今日はA社、明日はB社、そして翌日は自社、というように包装だけをかえて、同じものを作りつづける。メインは居酒屋のメニューにでてくるギザギザに切ったフライ用のポテトだ。だだっ広い工場からは、どの場所からかは特定できないほどの轟音が重なり合って鳴り響いている。
内部は白っぽいホコリがモヤのようにかかり、遠くの壁はかすんで見える。三~四階建て分ぐらいはありそうな高い天井の中に、鉄枠で覆われた三メートルほどの機械が点在しベルトコンベアでつながっている。複雑にうねるダクト、むきだしのボルト、点滅する操作盤を抱える鉄板や鉄枠は、なんの役割かわかならいながらもハイテク感をかもしだす。
そんな工場の中で流れ作業式に仕事は始まる。最初に配置されたのは、冷凍されて包装も終わったポテトのダンボールをさらに大きなダンボールに詰め込む仕事だ。いや、そこの仕事場は寒かったという記憶がないので、冷凍前のナニか別のものだったかもしれない。まあ、中身はあまり関係ない。
次から次へとベルトコンベアで流れてくる箱を、次から次へと大きな箱に移していく。そこらじゅうの機械は爆音をあげ、となりにいる人間との会話も大声になり、そして単調な作業に無口になる。
北海道初心者のボクたちには、北海道の方言はわからない。作業中に破れたダンボールの処理方法を主任に聞く。
「すいませーん。これどうしたらいいですか」
捨てることを北海道では「投げる」という。本当に投げるのも「投げる」だが、捨てるのも「投げる」という。大阪での「ほおる」と同じだが、ボクたちの「投げる」は「投げる」でしかない。
主任から
「おおっ、それなら投げちくれ」
と指示がでる。
「えっ、投げるんですか」
「おうおう、投げちくれ」
「ほな、いきますよ。はいっ」
「バカやろー、なに投げてんだぁ。投げちくれ、って言ったべや」
わけがわからない…。
けんちゃんは北海道に来たばかりのころ、やはりバイト先で仕事が終わったあと、先輩にこう声をかけられたそうだ。
「新田くん、今日はコワかったね」
「コワイ」はしんどい、疲れた、という意味だそうだが、そんなことを知らないけんちゃんは、
「いやー、別にコワいことは、ないですけど…」
と応えると、
「そうぅ、やっぱりキミ若いから」
と感心され、そんな会話をする先輩がコワくなったそうだ。
さて、工場の仕事は続く。
流れてきた小さな箱を、大きな箱に入れて流す。
流れてきた小さな箱を、大きな箱に入れて流す。
流れてきた小さな箱を、大きな箱に入れて流す。
流れてきた小さな箱を、大きな箱に入れて流す…。
爆音のなか、延々とこの作業が続く。手が慣れて「熟練工」になりかけた時に、工場全体にサイレンが鳴り響き、ベルトコンベアが止まった。
深夜十二時。みながいう「お昼」、食事休憩だ。工場の食堂には、すでに多くの人が列をなしている。ポテトの箱をトレイにかえ、流れ作業で、お惣菜、味噌汁、ご飯、漬物をとっていく。食べている間も、爆音の耳鳴りは止まらない。ボソボソしたご飯を食べながら、山本が話しかける。
「おいっ、こんな仕事やってられへんな」
ボクたちは、食堂をあとに工場の門を出て、月あかりの道を谷呉服店に向かって歩き出した。別幌よりもさらに大きな空は、星もまぶしい。ただ広いだけでなく、とっても深い夜空を、時折珍しげに見上げながら、足取りも軽く『家路』を急ぐ。心はすでに次っ、だった。誰もいない深夜の町を、さわやかな気持ちで谷呉服店に帰ると、先にリタイヤしたおじさんが一人でタバコを吸っていた。昼間には、いなかったおじさんだ。
「おめぇら、どうしたんだぁ」
と聞く。
「うるさいし、単調やし、あんな仕事やってられへんから、帰ってきてん」
「そうだべ、そうだべ。あんな仕事やってられねぇべ」
すっかり意気投合である。
おじさんは、普段は魚の行商をしているという。冷蔵車が壊れて、仕方なくアルバイトとして、この工場に来たという。齢のころは四十半ば、三木ノリヘーとか植木等とかの昔の喜劇役者のような、人なつっこい笑顔の、おもろいおっさんだ。ボクたちの話もし、盛り上がってきたところに、やおらどんぶりとサイコロを取り出し、ちんちろりんをやろうという。
「ボクら金ないから、賭けられへんで」、
「賭けんでもええ、やり方を教えてやるべ」
ちんちろりん講座が始まった。
どんぶりに投げ込むふたつのサイコロの目の合計が九に近いほうが勝つ。サイコロで行うオイチョカブだ。出したい目を上にして、まっすぐに落とすと出やすい、といわれるが、そうそううまくいかない。そうこうしているウチにゾロゾロと寮の住人たちも仕事が終わって帰ってきた。仕事から帰ってきた大阪のおっちゃんや札幌の学生くんなどを集め、おじさんはちんちろりんを始めた。一進一退のはずが、着実におじさんの持ち金が増えていく。
あれよあれよという間に一万円ほどが集まった。大阪のおっちゃんが
「今日はあかんな。しんどいからもう寝るわ」
と席を離れたのをきっかけに、ちんちろりんはお開きとなった。おじさんはボクたちに、
「おめぇら、競馬に一緒に行くかぁ?」
と聞く。なんだかわからないけど、工場よりははるかに面白そうだ。
「行く行く」
と応え、おじさんのバンに乗って、一路岩見沢というところに向かった。
地図でみると、倶知安から岩見沢は中山峠を超え百㌔以上ある。おじさんとボクは途中で運転を交代し、信号の少ない北海道の道をひた走った。おじさんは、競馬に行く仲間が欲しかったんたんだろうか。
岩見沢の競馬は『ばんえい競馬』というやつだ。生まれて初めて訪れる競馬場は、今までボクが嗅いだことのない匂いで鼻を刺激する。それは馬場からたちこめる糞尿の匂いであり、食堂のラーメンスープの煮える香りであり、薄汚れた黄色いテントの屋台から漂うしょう油の焼ける匂いであり、赤ペン片手のおじさんたちの熱気であり、消して整備されているとはいえない建物のカビ臭さであり、それらが混然とした得体のしれない淫靡な匂いとして、一瞬恍惚とさせるほどの『こそばさ』で、非日常を感じさせてくれる。
ばんえい競馬とは、サラブレットとはまるで違う農耕馬のようながっしりした馬が、コンクリートの固まりの重いソリに騎手を乗せて曳き、直線二百メートルを競争する。途中にこんもりした坂が二つあり、二つ目の坂のほうが険しく、そこさえ越えればゴールはすぐである。
二百メートルを馬とともに、観客も観客席側の広場をゆっくり併走することが可能だ。馬までの距離はおよそ十メートル。ウマの息遣いも聞こえてくる距離だ。大きな声で声援すれば十分に聞こえる。坂を必死に登る馬の姿を見ていると、おもわず力が入る。またばんえい競馬は、本命が来ても連複で千円以上つく、非常に読みにくいレースでもある。荒れやすい、ということなんだろう。
おじさんの出目予想の決め手は『占い』である。魚屋と同時に占い師もしていたという腕前で、馬の生年月日、出走日時などを元に占っていく。それを競馬新聞の予想とあわせ、馬券を決めるのだ。中央競馬と違い、払戻し予想金=オッズも本番とは大きく異なるが、おじさんの競馬新聞には、前日占ったという出目がびっしりと書いてある。
軍資金はちんちろりんで稼いだ一万円。おじさんが買った馬をボクたちは必死になって応援する。一レース目、いきなり当たりがきた。ボクたちは大興奮だ。一万円が三万円ぐらいになっている。二レース目、三レース目ははずしたが、お昼は豪華にうなぎ弁当をいただく。
食事後の四レース、五レースがおわり、六レース目。
来た。また来た。すごい。
場内放送に耳を傾ける。
「ただいまのレースの払戻金をお知らせします」
「連勝複式2番5番、一万百二十円…」
ボクたちは、人目もはばからず、悲鳴にも近い歓声をあげた。
万馬券だ。その馬券をおじさんは三千円分買っていた。三十万円になった。その後のレースで二十五万円ほどなってしまったが、当時のボクたちには、考えられないような大金である。その時から、おじさんのことをボクたちは、尊敬をこめて『父上』と呼ぶようになった。競馬場をあとにしながら、父上が運転手のボクに言う。
「ススキノに行くべ」
ススキノのディナーはやっぱり焼肉をリクエスト。こんなうまい肉は喰ったことがない。父上は肉にはほとんど口をつけず、かといってアルコールにはそんなに強いわけでもないらしく、ちょびちょびとビールを飲んでボクたちの旺盛な食欲を笑ってみている。肉の追加を頼もうとした時に、父上は
「おめえら、そんへんにしとけぇ。次行くべ」
と席を立った。
次は寿司屋だった。父上は実は肉よりも魚を食べたかったのかもしれない。若いボクたちのために、焼肉を先に選んでくれたのだろう。焼肉食べて、寿司も満腹に食べて、店をでてもススキノの夜は明るい。父上はボクたちを次の店に連れて行った。
『国際線待合室』という店で、ボクたちは番号札をわたされて、ロビーで呼ばれるのを待つ。
「三十一番のお客様、ご搭乗の用意ができましたので、2番ゲートにお急ぎください」
という呼び出しを受けて、2番ゲートしかない入り口へ進む。そこには、ミニスカのユニフォームを着たスッチーがヒザを落として待っていてくれた。
さっぱりしたボクたちは、札幌駅前の父上行きつけというサウナで休むことになった。生まれて初めての競馬で、こんないい思いをしたボクたちは、父上の占い馬券が絶対的な力を持っていることを感じていた。このまま行けば、いったいいくらになるのだろう。
ボクと山本にはリッチな未来が待っている。サウナのロッカー室で、どちらからともなくつぶやくように話しかける。
「おいっ。一〇〇万円持って帰ろうぜ」
一〇〇万円という当時のボクたちには夢にも見たことのない途方もないお金が、その夜にはもう手の届くところにある気がしていた。しっかりとした感触すらあった。
サウナの大浴場はすいていた。父上と一緒に湯船に浸かっている山本が、すっとんきょうな声を上げた。
「父上ーー!。おしっこしたでしょ」
「ありゃ、わかった?」
「カラダぶるぶるって、いわせてたやん」
こうして長い長い一日はふけていった。
翌日も、当然競馬場に向かう。昨夜の豪遊で軍資金は一〇万円ほどだが、きっと十分だろう。百万円ぐらいどーんと儲けて、それを元手になにか商売でもしようぜ、と山本と盛り上がりながら、希望の二日目は始まった。
が、しかし…、いい線いくのに、ことごとく当たりからずれている。1―2と2―5を買ったのに、くるのは1―5とか、単勝3番を買うと3番は二着とか、ほんの少しのことで、勝ちに恵まれない。
五レースほどしただろうか。父上が持ち金がなくなったことを告げた。ボクたちは初めて競馬は負けるもんだ、ということを実感する。そして父上に散財させてしまい、もうしわけない気になったが、父上は夕べのサウナの湯船で、山本に責められた時と同じ笑顔で、僕たちに言う。
「いやー、おもしかったね」
『おもしかった』、つまり、面白かったかどうかが、父上の最大のそして唯一の価値基準だ。会ったばかりの大阪のあんちゃん二人と、競馬にいって大勝ちして、ススキノで散財して、は父上にとって、おもしろかったんだ。
もちろんボクたちも、とっても「おもしかった」。
三人はクルマでポテト工場に戻ることになった。二日振りにポテト工場で働く。今度は朝までしっかり十二時間、轟音と単調作業にもすこしは慣れ、朝八時、日勤のおばちゃんたちと笑顔で交替する。
このあたりのおばちゃんたちは、ガタイがいい。父上はおばちゃんたちを「トド」と呼んでいた。蔑称、というわけでもないらしい。食堂の奥のおばちゃんを示しながら、
「あのトドのおっぱい、しゃぶってみてーな」
と、淡い恋心も抱いていたりする。
宿舎の谷呉服店では、三日前と同じメンバーがいる、新メンバーはいないようだ。荷物を置いていったボクたちの部屋もそのまま。この二日間の話を谷呉服店の皆に披露し、羨望を浴びる。ボクたちと同い年という名古屋の大学生が、とても興味を示し、話がひと通り終わっても、その場を離れず、いろいろと聞いてくる。彼は自分のクルマで名古屋から日本各地を一人旅しており、クルマで寝泊りしながら、北海道まで着たらしい。
途中で所持金がなくなり、非常用に持っていたカンパンで飢えをしのぎ、ようやくこのポテト工場で職をみつけ、ふとんで寝ることができたというのだ。見た目はやさ男の風体で、ちょっといい格好しぃで、頼りなさげなこの男を「ナゴヤ」と名付け、ちょっとイジってみることにした。けしてイジめる、のではなく、イジるのだ。実家は神戸ですし屋をやっているという。
「ホンマか、寿司握れんのか?」
「当たり前だがぁ」
というヘンなナゴヤ弁に
「えー、どんなん握れるねん」
と、つっかかる。
「ちゃんと魚おろせるんけ」
「コハダとかの準備するんか」
とつっこんでいくと、
「いやー、そんな寿司と違うねん。イナリとか」
イジりがいのある返事が返ってくる。
「えー、イナリかい」
「そしたら、揚げの味付けとか、酢メシとかからやるやろな」
「…」
「どないやねん」
「いやー、それはできない」
「えっ、そしたら詰めるだけか」
「うん、まあ」
「ぼけっ、詰めるだけやったら、誰でもできるんちゃうんか」
「違う、違う。そういうわけじゃないんだがや」
と、楽しい会話が続くのだ。
ボクたちは、父上とそしてナゴヤの四人組になり、二日半分の給料を前借りしてみることした。工場の二階の事務所に主任をたずねる。
「すいません、給料の前借をお願いしたいんですが」
タイムカードを手に頼むと、あっさりと二日半分の二万円弱を封筒に入れて出してくれた。
軍資金を手に、今度はナゴヤも一緒にばんえい競馬に出陣である。父上の予想は、予想紙『勝馬』との相性がいいらしい。初めての競馬新聞に、その見方を教わりながら、各自の予想でも買ってみたりする。
三人の興奮をよそに、まったくハズれるわけでもないが、大当たりもなく、持ち金は確実に減っていく。ほとんど成果もないまま、競馬場をあとにする。でも今日はナゴヤ合流記念で、ばんえい競馬のお膝元、岩見沢でいっぱいやっていくことになった。
岩見沢イチの繁華街は、日が暮れたというのに、ひとけがない。そんななかでもハデそうな店に父上が入ってみたいという。風俗ではない。『ディスコ』と書いてある。『ディスコ』というヤツにいっぺん入ってみたかったそうだ。
札幌には当時『シャカマンダラ』とう怪しげな名前のディスコがあり、昨年の北海道旅行の時に、けんちゃんに連れられて行った。体育館のような広いフロアで、札幌の若者たちが、カラダを寄せ合うように踊り、熱狂していた。
だが、岩見沢のディスコ『ミッキー』は違っていた。小さなフロアと、まぶしいばかりのミラーボール、がらんとした店内には、残念ながら活気はない。そんな店内の様子を見つつ、食べ放題飲み放題の元をとるべく、ボクたちはまず腹ごしらえを始めていた。ここで誰かが踊っている姿は想像できないよな、なんて思いながら。
でもそうこうしているうちに、いつの間には席が埋まっていく。でもフロアにでる人はまだいない。長靴の青年たちのにぎやかな笑い声が、次第に店内を活気づけていくのがわかる。
店内の曲調がかわった。
うん?…。
イントロあけに、流れた歌声の主は、フロアの横にいた。
「長ーーーい夜をーーー」、えっ、松山千春…?。
カラオケやん、と驚くボクたちを、もっと驚かせる光景が始まった。青年たちがゾロゾロとフロアにでて、踊り始めたのだ。カラオケは続く。踊りも続く。カラオケでもディスコでもなく、その両方でもあるシュールな世界が、岩見沢の『ミッキー』では、夜な夜な繰り広げられているに違いない。
ボクたちは、何か楽しくなってきた。まず山本が得意の唄をイッパツ。顔がもっとよければ歌手になっていたほどで、北新地のクラブで弾き語りのバイト経験もある山本の『セクシャルバイオレット・ナンバーワン』が響く。全員が山本の唄声に「誰?誰?」という顔をする。踊りもヒートアップしている。次はボクたちがフロアだ。
山本とボクがいよいよフロアにでて、少し踊り始めると、さっきまでいっぱいだったフロアから、ひとりふたりと席に戻っていく。スロータイムになったわけもない。カラオケだから踊りやすいわけではないが、踊れない曲になったわけではない。広くなったフロアで、踊り始めたボクたちは、いつもとは違う視線を感じた。
席に戻った青年たちは、ボクたちの踊りを、じーっと見つめているのだ。ナゴヤのクニャクニャダンスではなく、注目はボクと山本だった。
ボクたちは、決して踊りがうまいわけではないが、普段アメリカ村のディスコで鍛えた大阪風の見栄えのする踊りを心得ている。ちょっと前に流行ったステップを二人でそろえてみたりする。ちゃんとそろわないけれど、まあ、いいだろう。
ここのお客さんたちは、きっと自分たちと違うちょっと変わった踊りに、ひいてしまったんだろう。と二曲目が終わる時には、フロアはボクたち二人になっていた。これでは、こちらがひいてしまう。席に戻るボクたちに、じっとみていた青年たちから、にこやかな顔で拍手がおこった。
岩見沢のディスコでは、ヒーロー気分が味わえる。
(第3章に続く)




