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第1章:【旅立ち、でくじける】

==遠い日の記憶とともに==


ただなんとなく、でっかいことしたい、そんな思いだけで、自分だけの『夢』さえ見つけることもできずに毎日を過ごしていた二十歳の昔。その後の人生を左右するような旅行があった。ヒッチハイクや節約貧乏旅行ではなく、ジェットコースタームービーのように激動の北海道で『生活した』二ヶ月。

ちょっとヤンチャなオヤジとの出会いは、その後の人生でナニがあろうかなんとかなる、と思わせてくれて、そして何よりも、楽しく生きる、ということを学んだ。

友達に話すと、ええなー、おもろそうで、とうらやましがられたけれど、あまりにも奇抜で、偶然が多すぎて、付け加えたちょっと誇張した作り話が陳腐になるほどの事件が毎日毎日、起こりすぎた。 旅から帰ってすぐには、この二ヶ月の全容を話しするのに四時間かかった。三年後には一時間になり、五年後には三十分になった。最近はもう誰かに新しく話しすることはなくなった。

四半世紀が経ち、記憶もあいまいで、忘れてしまったこともたくさんあるけれど、海馬の奥深く側頭葉やらを揺り起こして、できるだけ詳しく綴りたい。



第一章【旅立ち、でくじける】


一九八一年七月、神戸で開催されていたポートピア博覧会は夏休みを迎え、人気パビリオンは何時間待ち、炎天下の行列に倒れる入場者も続出、と大阪のローカルニュースは伝えていた。

アメリカ村での安着売りのアルバイトを辞めたばかりのボクは次の仕事を探すわけでもなく、連日の暑さにウダウダしていた。同じバイト先で知り合った山本は、すでに三ヶ月前に辞めており、もっとウダウダしていた。とってもヒマなボクたちは、久しぶりの再会の場を寝屋川駅前のマクドナルドと決め、安酒を飲みに行く夕方まで、ひと時の涼をとることとした。

大阪の暑さは温度や湿度などの数値ではなく、不快感でいうと日本一ではないだろうか。圧倒的に緑が少ない街の熱気は逃げ道をふさがれ、アスファルトの地面からフツフツと沸いてくるような、重ーい、じめーっとした空気がカラダにまとわりつき、浪人生がひと冬着続けた綿入りの半てんを無理やり着さされているような感じだ。

アメリカ村バイト時代にデッドストックからこっそり抜き取ったデニムとTシャツ、バイト割引で買ったドイツ製のサンダルをつっかけて、山本はやってきた。

「おっ、まいどっ」

「次、仕事どないすんねん」

「そやなあ…」

「そろそろバイト違ごて、ちゃんとした職を見つけなアカンかなあ」

「そんなん言うても、ええ仕事ないやろ」

モラトリアムの真ん中にいるボクたちには、このままではいけない、という思いと、だからといって現状を打破することに必死になることはイヤだった。真っ当な就職活動に踏み出すことは、試験を直前に控えて、いきなり勉強を始めたのを友達に見られたような気恥ずかしさを感じ、ブラブラしていることの言い訳をなんとなく正当化していた。


「暑っついなあ」

「ホンマやなあ」

と、ゆるい会話が、溶けかけた氷しかないコップを前に展開する。

「どっか涼しいとこないかなあ」

「オレの友達で北海道に住んでヤツおるで」

「北海道は涼しいぃんやろな」

「お前行ったことあるんか」

「おお、去年いったんや。ベタベタせーへんし、食いモンうまいし、ホンマ気持ちええで」

ボクは去年の秋に北海道のけんちゃんのところに遊びにいった時の話をした。

けんちゃんは中学の同級生で、獣医になりたいと北海道の大学にいったのだ。ボクは盛岡まで新幹線で行って一泊、在来線で青函連絡船を経て札幌に向い、札幌郊外のけんちゃんの部屋で二泊して、となりの部屋に住む川野くんのクルマを借りて函館に一緒に遊びに行き、温泉に泊まって函館で解散、そのままボクは列車を乗り継いで東京の友達の部屋で一泊して帰阪という、初めての『ひとり旅』を経験していた。

青函連絡船は三十分ぐらいで着くと思っていたら四時間もかかったとか、川野くんのクルマはバッテリーがなくてエンジンをかける度に『押しがけ』しないといけないとか、函館の温泉はすいていて交渉したら一泊二万円が五千円になって、大浴場も貸し切り状態だった、などと北海道旅行について語った。


話が終わるかどうかのタイミングで、どちらからともなく、

「一緒に北海道行こか」

そして、

「飛行機で行こ。スッチー見ようぜ」

ボクたちはふたりとも飛行機に乗ったことがなく、ナマのスチュワーデスも見たことがなかった。マンガのように頭のななめ上にスッチーの姿が浮かんだ時に、

「オレ、金ないわ」

と山本が言う。

バイトを辞めて三ヶ月、近所のスナックのママさんのヒモのような生活をしていた山本には数千円しかお金がない。

「大丈夫や、オレは十万円ぐらいあるから」

もらったばかりの最後のバイト代をこのスッチー見学付きの北海道旅行につぎこむことに未練はない。

大学に行った友達は就職活動を始め、どこそこに面接にいったとか、OB訪問してあの先輩に会ってきた、とかの話を聞くようになった。そんなことは自分には関係ないと思いつつ、追い立てられるように行き場が段々なくなってきたと感じていた。

居場所を探していたボクにとって、『避暑』と『スッチー見物』という大義名分を得た現実逃避はとっても魅力的だ。日ごろのモヤモヤした気持ちを振り払うように、この企画にのめりこんでいく。

山本のなじみのスナックにカシを変え夢は広がる。

「こっちが涼しなるまで向こうにおろうや。二ヶ月ぐらいかな」

「住み込みのバイトとかしたら、ええやん」

「そやな。観光シーズンやから土産モン屋とかが、ええかもな」

「最悪はオレの友達ンとこ行こ」

話だけはトントン拍子に進む。

しかもスナックのルーレットゲームで山本はジャックポッドをだし、三万円の『旅行費』までゲットするオマケ付き。北海道まではきっと飛行機でも往復五万ぐらいだろうから、二人で交通費十万円。現在所持金合せて十三万円、

「向こうでは食べるブンだけ働いたらいけるやん…」

バラ色の北海道旅行がふたりの頭に浮かんでいた。そうと決まればソク、行動だ。出発は夏休みで飛行機が混んでいることを考慮し翌日の早朝と決める。

「明日早いから」とスナックを早々と後にし、旅支度をした山本はウチに泊まり、出発の時を待つ。翌朝六時、朝帰りの兄を捕まえて空港までクルマで送ってもらう。

「ちょっと北海道いってくるわ」

さっそうと旅は始まる、かに思えた。


大阪伊丹空港は早朝にも関わらず想像以上に混雑していた。初めて飛行機に乗るふたりには、それが通常よりどれくらい多いのかはわからなかったが、混雑していることは確かだ。札幌行きのカウンターを探す。

「札幌行きは全便満席でございます」

カウンターのおねえちゃんは、こちらの意気込みなど無視しナニくわぬ顔で言う。

「北海道行きたいねんけど、どないしたらよろしいの?」

「キャンセル待ちがありますが、受け付けしますか」

「おお、それそれ。いつ頃乗れる?」

「さあ…」

キャンセル待ちの番号は百五十番台。一便飛ぶことに番号は進む。

「二十五番までのキャンセル番号をお持ちのお客様…」

「三十二番までのキャンセル番号をお持ちのお客様…」

「三十六番までのキャンセル番号をお持ちのお客様…」

んっ。進まない。お昼をまわっても、まだ五十番にもいかない。

まずい。

「すんません。ボクら百五十番なんですけど、乗れますか」

「この後も団体様が続くので、キャンセルはあまりなさそうですね」

「えっ、ボクら、どないしたらよろしいの?」

「さあ…」

午後二時まで待つ。どう考えても順番は回ってきそうにない。寝屋川のスナックとウチの兄貴に北海道に行ってくる、と言った以上、これで帰るわけにはいかない。

ボクたちは、少しでも北海道に近づくために東京へ行くことにした。東京便もキャンセル待ちだったが、すぐに乗ることができた。 生まれて初めての飛行機は、遊園地のアトラクションのように心地よい緊張をもたらせてくれる。あこがれのスッチーとの対面と離陸時のターボ音に興奮しながらボクたちは大阪を離れた。


これで旅は始まった。トボトボと大阪空港から戻るわけではない、という少し晴れがましい気持ちにさえなる。羽田空港でも、すぐに札幌行きカンターに進む。ここでもキャンセル待ちは遠い。これは予想していたことだ。空港で夜をあかし、明日の朝イチでキャンセル待ちをすることに決める。そうなると夜までヒマである。

「竹の子、見に行こか」

原宿まで電車を乗り継ぐ。車内に聞こえる笑点の落語家のような『東京弁』のおじさんに旅を実感しつつ、テレビでしかみたことのない竹の子族を見学。

「うわー、パンツ見えそうや」ぐらいの感想しかないまま、他に行くアテもなく羽田に引き返す。車内の少し離れたトビラの横の小学生ぐらいの子どもを示しながら、

「おい、あんなちっちゃい子まで東京弁やぞ」

と、小声で山本は報告してくれる。

空港に戻る。喧騒の空港は夜深くなるにしたがい閑散としてくる。空港ロビーのソファに横になり旅の一日目の夜はゆっくりとふけていく、はずだった。

突然、ガードマンがやってきて、

「はい、閉めますよ。出てください」

えっ。空港って二十四時間じゃないの。テレビや映画で空港のソファで寝ているところ、よく見たけれど…と思っても、現実は違うらしい。ガードマンに聞く。

「ボクら、どないしたらよろしいの?」

「どうされましたかぁ」

「明日の朝の北海道行きのキャンセル待ちですねん」

「ああ、それなら、もう外で並んでいますよ」

うげっ。

空港出口というか入口というか、チケットカウンターに近いトビラの外には、すでに五~六人が新聞紙を敷いて並んでいる。列の後ろに並びウトウトと東京の夜風を感じながらやっと初日は終わった。翌朝は一番目の飛行機でキャンセル待ち成功。

晴れて札幌に着いたものの、交通費に大きな誤算があったことに気付く。往復五万円ぐらいという、なんの根拠もない、いい加減な数字も大きく違っていたのに加え、東京経由にしたため直行よりも割高となり、ふたり分の片道で、すでに十万円近くがなくなっていた。手元には三万円…、引き返すお金もなくなった。

さあ、職探しだ。


札幌の真ん中、観光客が集まる狸小路商店街に狙いを決め、お土産ではなく職がありそうな店を物色する。あー、いるいる。いかにもバイトの、田舎くさい青年が働いている。『アルバイト募集』の貼り紙も見える。

まずは、仕事内容を確認するため、お客のフリで店内を一周してみよう。

「おっ、これなんか、アイツの土産にええんちゃうん」

とか、

「うわっ、これめっちゃウマいやん」

などと、土産モノを物色してみる。

おー、バイトくんが近寄ってきた。

「なあなあ、ここのお店、何時までやってんの。あとで来よと思てんねんけど」

山本、なかなかいい質問。勤務時間の確認。その質問に答えることなくバイトくんは返す。

「あいやー、あんたたちナマってんでないかい。地方から来なすったんかい?」

んぐっ。

『ナマってるぅ…地方ぉ…』

ボケっ、ナマってるんはお前や。大阪は地方ちゃうわい。お前に『地方』といわれたくないわい。バイトくんには「いやいやあ」と、笑顔をみせながら、ボクたち二人は彼の予想外のたったひと言に軽くキレてしまった。

「こんなとこ、やめとこ」

ボクたちの職探しのモチベーションは一瞬にしてなくなってしまった。ボクたちは、まだまだ大阪以外の土地への免疫力が弱い。さあ、店を出て作戦会議だ。


「どないするぅ?」

「しゃーないなあ、連れンとこ行ってみるか。情報収集しよ」

出発前には「最悪の場合行くことになる」と想定していた、けんちゃんの部屋に、さっそく初日から行くことにした。

電話してみる。留守だ。学校に行っているのだろう。とはいえ、どこかに観光しに行く気分でもない。あいまいな記憶を頼りにけんちゃんの住む町『別幌』に向かう。別幌までは札幌から列車で二十分ほど。札幌のベッドタウンであり、けんちゃんが通う大学に近い学生の町でもある。

平屋の駅舎から出ると空の広さに北海道を実感する。真夏の北海道の空は南国の抜けるような真っ青ではなく、やや紫をおびた薄いベールをなぞり遠くまで広がっている。どちらかというと春の空、だ。大阪の暑さに比べると、その快適さは、さわやかであることを忘れさせるぐらい自然に気持ちがいい。

タクシー数台でいっぱいなるような小さなロータリーの横に電話ボックスがならんでいる。そこからもう一度けんちゃんチに電話するが、まだ留守だ。

駅前のわりには人は少ない。焼鳥屋やおもちゃ屋、本屋などが並ぶ駅前の道を進む。部屋に向う途中、国道沿いの喫茶店『喫茶べっぽろ』で休憩することにした。ちょうどお腹も空いてきた。焼きソバを頼む。

ジュージューと熱された鉄板に焼きそばが乗っている。よく郊外のファミレスでハンバーグとかステーキを頼むと出てくるタグイの一人前用の鉄板だ。焼きソバの頂上は少しへこみがほどこされ、そこにナマのタマゴの黄身が落とされている。黄身を混ぜ、まったりとした味わいに、ううん、なかなかウマいぞ、とウナる。このマスター、ただモンじゃないな、と、割り箸の角からチラ見する。ひょうひょうとコーヒーのサイフォンを操るマスターは、どう見てもフツーのおじさんだった。

腹を満たし確かこのあたり、と探す。少し迷ったが無事発見。住人が『ヤマムラマンション』と呼ぶ『山村ハイツ』は二階建てで、各フロアに六部屋が並ぶ典型的な学生アパートだ。さびついた鉄製の外階段がセンターから建物の両脇に広がる。ヒダリ側の階段を上がり二階の三号室、一年ぶりの訪問にドアをノックするが応答はない。あっ、窓にカギがかかっていない。間取りを思い出す。この窓の下はキッチンの流し台があるはずだ。窓を開け、まずはボクがおじゃまする。すぐに玄関を開け山本を迎える。


A型のけんちゃんの部屋は、さすがに整理されていて、いつでも客を迎える準備ができていると感心する。玄関を入ると四畳半にコタツを置いた居間、奥の六畳間は寝室。「部屋を広く見せるため」というこだわりの低いチェストと、その上にキッチリと貼られたニューヨーク夜景の横長ポスターが微妙な貧乏臭さを出している。

そんな安住の場所にたどりついたボクは、ぼーっとテレビを観ているうちに、どっと眠気がおそってきた。奥の部屋で少し寝ることとした。

「ちょっと奥で寝るわ」

二つ折りになったフトンを勝手に広げ、そうはいってもタテに堂々と使うことは、さすがにはばかられ、やや遠慮がちにフトンのはじっこに寝させてもらう。山本は北海道ローカルのテレビが気に入ったようで観入っている。

何時間がたったのだろう。ボクがすっかりフトンの真ん中に移動し、グッスリ寝ている最中に、けんちゃんと山本の最初の出会いはこんな風に行われていた。


ヤマムラマンションに帰ってきたけんちゃんは部屋の明かりがついていることに不審に思いながら、となりの部屋の川野くんが来ているんだろう、とでも思いつつ玄関をあける。玄関を振り返った居間の山本と目が合った。しばらくの間、時間が止まる。

「ん、お前、誰や」

「こんちは。おじゃましてまーす。山本っていいます」

「そうか」

まあ、とりあえずは部屋に入ってから話を聞こうと思ったけんちゃんは、居間の山本と正対する。山本は、これ以上ない笑顔でずっとニコニコしていたそうだ。この在りえない光景にもなぜかけんちゃんも冷静だったという。

「カギ、開いてた?」

「いやー、窓から入らせてもらいました」

というところで、そんな騒がしさに奥の部屋のボクは、やっと起きて居間に顔をだした。

「おぅ、すまんな。ちょっと世話になるわ」

「ああ、やっぱりお前か」

けんちゃんは室内に入った時に、山本しか見えないのにボクの気配をなんとなく感じたらしい。さすが、中学生以来の親友だけある。

こちらの事情をざっと話し終えたあと、けんちゃんの近況にボクは驚いてしまった。

もう半年以上、大学には行っていない。

札幌の喫茶店でバイトをして生計を立てている。

学校に戻ることはもうないだろう。

親には、大学のことは話していない。


そんな話をしながら喫茶店の厨房で覚えたというチャーハンを三人分作ってくれた。

「どっか、住み込みのバイト見つけて、すぐ出て行くからな」

就業の心意気もあらたなボクたちに自然の猛威が襲う。時期はずれの台風が北海道にやってきた。

警察白書によるとこの年『八月三日から六日にかけて、寒冷前線の停滞と折から三陸沖を北上してきた台風第一二号の影響によって、北海道全域にわたって雨が降り続き、中央部を中心に集中豪雨に見舞われた。この豪雨により、一級河川の石狩川が六年ぶりにはん濫した』とある。別幌や札幌周辺でもいたるところが冠水し、鉄道は不通になり、札幌への交通手段はバスを乗り継いで行くしかなかった。

またまた就業モチベーションの低下である。土地カンのないボクと山本は台風がおさまるまでの間、『自宅待機』することにした。仕事があるけんちゃんは、いつもより早起きし、バスを乗り継ぎ札幌市内のバイト先に向う。けんちゃんをフトンから見送ったボクたちは、昼頃にノソノソと起きだし、買い置きしてあったインスタントラーメンで腹ごしらえし、近所の七丁目ストアというスーパーに買い出しに向かう。夕食用の食材を、たっぷりと時間をかけて買ってきても、まだ三時。テレビのワイドショーで芸能ニュースを吸収。そのあとはお待ちかねの青春アワー。『朝日が丘の大統領』だったか『夕陽が丘の総理大臣』だったかの再放送を鑑賞し、夕方のニュース番組、ウラのアニメもダラダラと見続けながら、けんちゃんの帰りを待った。

夜七時頃、けんちゃんはバスを乗り継ぎヤマムラマンションに帰ってくる。ボクたちは、「お帰りー」と元気よく、けんちゃんを迎え「お腹へったー」と訴える。ボクたちは料理ができないのだ。昨夜のチャーハンに感激したボクたちは、料理をセミプロのけんちゃんに任せる、という真っ当な判断を下していた。

けんちゃんの料理は本当にウマイ。食器の数は足りなかったが、昼間にいただいた『どんべい』の空容器を万能の食器として、作ってくれるものをなんでもその発泡スチロールに詰め込んで、『北海道の味』を満喫した。


昼頃まで寝ていてロクに動いてもいないボクたちの夜は長い。山本のバカ話がさえる。山本はバカ話を始める時、いったん背筋を伸ばし、含み笑いをこらえた表情で、「そうそう、そういえばな」と、身を乗り出して話し始める。

「そうそう、そういえばな」

この前京阪に乗ってた時のことやねん。オレは座ってたんやけど、前にサラリーマン風の兄ちゃんが立ってたんや。門真でな、両手にでっかい荷物持ったおじーちゃんが乗ってきた。じーちゃんがサラリーマンの横にきたから、席譲ろかどうしよかと悩んでたら、じーちゃんがアタマを何度もサラリーマンの肩になすりつけてるように見えるねん。サラリーマンも気が付いて、肩をゆすってイヤがっているねんけど、それでも止めへんから

「ナニやってねんな」

と、じーちゃんに言うたんやな。

そしたらな、じーちゃんがな

「すんまへんな。アタマ、かいーぃんですわ」

と返しよんねん。サラリーマンは一瞬黙ったんやけど、

「えっ。そんなん自分でかいたらええがな」

「手がふさがってますねん」

と、両手に荷物を持ったままのじーちゃん。

「えっ、荷物を下に降ろしたらよろしいやん」

「あー、そうかぁ」

と、じーちゃんは大きな荷物を降ろして自分の手でアタマを掻きはじめたんで、席かわるタイミングなくしてしもうで。


「そうそう、そういえばな」

今年の正月にイナカに帰った時のことや。神戸過ぎたら電車も空いてきて、ゆっくりした感じになるねん。おんなじの電車の中でひとり旅のオッサンがおって、たまたま席が一緒で仲良うなったんや。ある駅に着くちょっと前に、ここの駅弁うまいんでっせ、と教えてくれた。停車している間に売店で買うことができるらしい。

で、オッサンが買うて来てくれることになったんや。一万円札しかなかったから、クズしたいのもあって、これで買うてきてくれませんか、と頼んだんや。駅に着いてオッサンはホームを走って売店に向っていってくれる。けっこう遠いんやな。

そのうちに発車の時間や。なかなか帰ってけーへんけど、きっとハジっこの車両に乗り込んで、車内を歩いてくるんやろ、と思てた。でも、どっかで、もしかしたら一万円いかれたかも、ちゅう気もしたんや。電車が動き出した。あれっ、ヤバいかな、という気が強くなった時に、ふと窓の外みたらな、反対側のホームにオッサンが立っとんねん。目が合うた。オッサン笑顔で、一万円札を手に持って、こっちに手を振りよった。

 駅弁買うてへん…。

 こっちに向って、手を振ってる。

 あーっ、って思いながら思わずオレも手を振ってしもたわ。あんじょぉ、やられたわ。

爆笑とともに夜はふけていく。


台風余波がおさまった翌日、やっとボクたちは札幌に職探しに出かけた。『アルバイト北海道』を百円で買って検討する。住み込みができて短期の仕事。マネキンの仕事があった。デパートやスーパーに派遣される出張売り子である。電話して面接に向かう。事前に面接中のサインを決める。

『なかなかよさそう』は鼻の頭をかく、『これは厳しいな、やめとこ』は両手の人差し指で両耳を同時にかく、『そうやな、やめとこ』は、自分の頭の後ろをポンポンとたたく。

面接官がやってきた。仕事の説明を始める。仕事はカンタンでラクそう。スーパーの惣菜売り場でバイト経験ある山本は、おもむろに鼻の頭をかく。確かに、これならいいかも。質問を続ける。日当五千円って書いてあったことを確認すると、正確には歩合制なんだという。最低保証のない完全歩合。短期バイトに歩合制はキツイ。慣れるまでの稼ぎが読めない。おもむろに山本が両手をあげ、耳をかきはじめた。面接官の話が続くなか、ボクは自分の後頭部をてのひらで、二回三回とたたいた。


「てっとり早く、水商売にするか」

「ホストとかどーや」

「それらしいのあるか」

大半が時給五百円から六百円程度の中、『日当一万円以上。午後八時から十二時まで』という、いかにも怪しそうなバイトがあった。電話する。

お店が始まる前、夕方にきてください、と電話口から温和な声が聞こえる。ススキノの繁華街の少しはずれに、その店はあった。豪華絢爛のホストクラブを想像していたボクたちは、小さな雑居ビルの一室のスナックのような店構えに違和感を持ちながら、トビラを開いた。

「すいません。アルバイトで電話したモンですが」

店内もフツーのスナックである。十五人も入れば満員になるだろうか。小太りのおじさんがでてきて、ボクたちはボックス席に座らされた。腰をかけながら店内の様子をうかがい、仕事内容を推測する。まあ、ホストというよりスナックのカウンターレディのような仕事なんだなあ、と思いめぐらせたところで、面接は始まった。

ボクたちの軽い自己紹介のあと、お店の説明が始まる。もう長くこの場所で商売している老舗だということ、自分は店長ではなくマネージャーで、あとで店長に紹介するということ。仕事は単発の日払いなので今日からでも働けるということ。ひとしきりの説明がおわったあと、おもむろに担当者は切り出す。

「実はねぇ…」と。

「実はね、ウチは日当一万円以上って書いてあるけれど、これは、お客さん一人のお相手をしてもらって一万円ってことなのよね」

いつの間にかカマ言葉になっている。

「相手、っていうのは、どんなことですか」

「お店にきたお客さんと近くのホテルに行って、一緒に遊んで、それで一万円」

一瞬、どういうことかわからなかった。店じゃなくてホテルに行ってぇ…、一緒に遊ぶぅ…、という言葉の意味を考える。うーん。どうやらカラダで稼げ、ということらしい。

「お兄さんたち、いい男だから、すぐにお客さんつくわよ」

うぅん!?。ボクたちの体を舐め回すように見る目つきが、あやしすぎる。言葉の意味ではなく、視線の意味を考える。まさかの疑問をぶつけてみる。

「もしかしたら、お客さんって、おとこ、ですかぁ」

「うん。そうよ。そういうの、ダ、メェ?」

ボクたちは、ふたりとも同時に自分の両耳がかゆくなった。


次にボクたちは、初日に訪れた狸小路商店街の土産モン屋に向かう。水商売、と言い出したオレが悪かったと、どちらからともなくあやまり、先ほどの思い出しただけでも鳥肌が立ちそうな余韻を消し去りたい気になっていた。もう、ナマってるとか、地方とか、好き嫌いは言っていられない。初心に帰って土産モン屋の条件ぐらいは聞いてみよう。

しかし以前は確かにあったはずのバイト募集の貼り紙がない。お店の人に尋ねる。観光シーズンもピークを過ぎて人手は足りているので、もう募集はしていない、という。何件か土産モン屋を回るが、みな同じ答えだ。

途方に暮れたボクたちだったが、札幌駅に向かう地下街のおもちゃ屋で魅力的な商品と出会う。夕方、けんちゃんチのテレビで観た『ドクタースランプ』のボードゲームがあったのだ。

『ドクタースランプ アラレちゃんゲーム』

すごろく式のゲームで絵がとてもかわいらしい。いかにも楽しそうな雰囲気を持っている。職を見つけられなく消沈していたボクたちは、つい買ってしまった。

『アルバイト北海道』は週刊である。もう、めぼしい職がない以上、次の号に期待するしかないが、次号は五日後にしかでない。本意ではないが、もうしばらくけんちゃんチにおいてもらうことにした。

『ドクタースランプ アラレちゃんゲーム』は、うれしいことにけんちゃんにも好評だった。独自のルールも作りながら毎夜、ボクたちハタチを過ぎたいい大人三人は、「んちゃ」とか「がっちゃんカードぉいただきぃ」などと叫びながら、『ドクタースランプ アラレちゃんゲーム』に興じる。まるで毎日が親戚の家で過ごす正月休みのような楽しさだ。次から次からでてくる山本のバカ話もますます冴える。


「そうそう、そういえばな」

正田温泉っていうたら、オレの友達がそこで捕まったわ。ええやつやねんけど、やんちゃなとこがあって、傷害がなんかで指名手配されとってん。

 で、名前をかえて正田温泉の旅館で住み込みの仕事をしてたんや。そいつスケベなんでな、そこの旅館でよう女風呂のぞいていたらしいねん。ある日、女風呂から声が聞こえるから、またのぞきにいったら旅館の娘と女将が一緒に入っててんて。

 いつものように桶を重ねて踏み台にして見てたんやけど、なんかの拍子に桶がひっくり返って、自分も落ちてひっくりかえって、えらい音がした。あわてて逃げたけど足をくじいたんで、どうやら後ろ姿を見られたらしい。

 しばらくして仲居さんのひとりから、

「ダンナさんが、部屋に来いて言うてるでぇ」

と、呼び出しをくらったんや。うわっ。風呂のぞいてたん、やっぱりバレたんや、と思って、ダンナさんの部屋に入って、

「すんませんでした」

と、いきなり謝ったんや。ダンナさんは

「謝ってもすめへんやろ」

と、ぼそっと言う。そんなぁ、と思ったところでダンナさんは一枚の紙を目の前にだして

「これ、キミやろ」

と言うたんや。その紙はそいつの顔写真入りの手配書やったそうや。


笑い疲れてやっと寝た朝、けんちゃんは喫茶店のバイトにでかける。フトンから「いってらっしゃーい」と見送ったあと、昼頃にゴソゴソと起きて、おもしろくないお笑いワイドショーを観て、料理番組で今晩の献立を考え、『徹子の部屋』を観ながら、「オレやったら、こうやって応えるでぇ」と、ゲストに対抗心を燃やし、ワイドショーで芸能通になり、青春アワーで中村雅俊よりも激しく生徒に感情移入し、六時になったら七丁目ストアに買い物である。七時には戻ってアニメや『ピッタしカンカン』を観ている頃にけんちゃんが帰ってくる。けんちゃんの手作り料理のあとは、すっかりハマってしまった『ドクタースランプ アラレちゃんゲーム』が登場する。四~五日して、こんな生活パターンに慣れてしまった頃、事件はおこった。


朝、九時。ゴソゴソという音と山本の声が聞こえた。

「けんちゃん、けんちゃん。九時やで九時。バイト行かなあかんやん」

どうやら、けんちゃんが寝過ごしたらしい。

まどろみの中でボクは、そりゃ起きるの、しんどいやろなー、とのん気に思っていたところに、衝撃的な言葉が、けんちゃんの口から聞こえてきた。

「うーん、もう辞める」

「えっ、辞める…って…」

山本は、聞き返した。

「もうバイト辞めて大阪に帰るわ」。

けんちゃんは北海道を引き払い、大阪に帰る決心をしたのだ。

ボクと山本はそんな決断を否定できるわけがない。

でも、そろってつぶやいた。

「ボクら、どないしたらよろしいねん…」


(第2章に続く)

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