エピローグ09 戦乱の後(3)
その後、馬車は順調に進んだ。
「おねえちゃん! 海が見えるよ!」
例の女の子が指さした。
リディは馬車から顔を出した。
視線の先には広大な海が広がっていた。
そして街道の方に目を遣ると、グヴェナエル共和国の街並みが遠く見えている。
グヴェナエル共和国は港町で交易の中心地だ。
街を囲む城壁の中には所狭しと建物が立ち並んでいる。
ここで言う『グヴェナエル共和国』とは港町の事を指している。
この国の政治の中心地は別にある。
港町から数キロ離れた小高い丘の上にある城がそれだ。
その城はかつてこの一帯を統治していた王国のものであったが、それが倒れた後もグヴェナエル共和国の政庁として機能していた。
しかし世間では交易の中心地たる港町の方を『グヴェナエル共和国』と呼ぶ風潮が強い。
「この距離なら、夕刻にはグヴェナエル共和国に到着出来るだろうな。」
馬車の脇の騎乗兵が声を掛けて来た。
あの一件以来、リディは警護兵達と打ち解けていた。
「ここまで無事で来られたのはリディ殿のお陰だ。感謝するよ。」
「ぇ…、そんな、大げさな…」
リディは顔を背けた。
“アスカ達と別れて以来”、誰かから褒められるなんてことは殆ど無かった。
…どうもむずがゆい。
他にも色々と感謝の言葉を述べられた気がするが、そんなものは放っておこう。
あまりそういう感謝云々に付き合って“フラグ”と化しても困る。
日が傾き始めた。
馬車はグヴェナエル共和国を囲む城壁の門へたどり着いた。
警護兵が衛兵を話をしていた。
街の中に入る許可を得ているのだろう。
数分後、馬車は街の中に入り、賑わう街中を進んだ。
「おかあさん! もう少しでお家に帰れるね!」
女の子が嬉しそうな声で言った。
「そうね。お父さんもきっと私達を待ってるわ。」
母親は女の子を優しく撫でた。
「・・・」
リディは二人の姿をじっと見た。
視線に気づいたのか、母親がリディに視線を合わせた。
「あ、リディさん。ここまで私たちに優しくしてくれて、何とお礼を言ったらいいか…」
「…問題ない。それよりも言いたいことがある。」
「言いたい事…?」
母親がキョトンとした表情になった。
これはリディからしたら言う必要は無い事だ。
だがこの親子にとっては重要な事だ。
「いち早く家に帰りたいのは分かるが、少しボクに付き合ってもらおう。」
「え…? それはどういう…?」
「ボクに感謝の心を持っているのなら、大人しく従う事だ。」
リディが親子に強い視線を向けた。
「は、はい…」
リディの迫力に気圧されたのか、母親は押し黙った。
「おねえちゃん…?」
女の子は不安そうな表情を浮かべた。
そうこうしているうちに、馬車がターミナルに到着した。
乗客達は馬車を降り、思い思いの方に立ち去っていく。
リディは警護兵に声を掛けた後、その場を離れ親子を裏路地へと誘う。
親子は何も言わずついてきた。
その表情は複雑だ。
自らに優しくしてくれたリディを信じているのだろうが、不安も感じている。
そんな感じだ。
「え…っと、ここだ。」
リディはある建物前で足を止めると、扉を開けた。
少し狭い室内は薬草の鉢植えや薬壺が置かれていた。
「いらっしゃい…」
カウンターの向こうの女性が口を開いた。
「ボクはリディ・ベルナデット・ウイユヴェール。君達のボスの、フェルディナンはいるかい?」
その言葉を聞いた女性がじっと睨んできた。
「ウチのボスを知っているのかい? 魔族のお嬢ちゃん。」
「ボクはバルデレミーの船で一緒になった者だ。そう言ってくれれば分かるよ。」
「…分かったわ。」
女性はそう言うと奥の部屋に入って行った。
「リディさん、ここは…?」
母親が恐る恐る尋ねてきた。
「・・・」
リディは何も答えなかった。
少しして先程の女性が現れた。
「ボスが会うわ。入って。」
「ああ…」
リディは後ろに立つ親子に目配せした。
親子は何も言わずついてきた。
奥の部屋に入ると、そこに如何にもガラの悪そうな男が煙草をふかしていた。
「よう、久しぶりだな。」
「ああ。相変わらず悪そうな見た目だな。フェルディナン。」
リディがそう返すと、フェルディナンがニヤッと笑った。
バタン!
先程の女性によって入り口の扉が閉じられた。
それを見た母親が明らかに動揺した顔になった。
「ところでその親子は…?」
それをフェルディナンがリディに問いかけて来た。
「うん。今日ここに来た理由は、その親子に関係していてね。」
リディはそう言うと親子の方を向いた。
「すまないが、あなたがご主人の為に買ってきた薬をもう一度見せてくれるかな?」
「え、でも…」
母親は躊躇した。
「良いから…早く見せるんだ。」
「・・・」
リディが強く迫ると、母親が薬袋を手渡した。
そしてその薬袋をフェルディナンに渡した。
「この薬は…?」
「この人のご主人は肺病を患っているそうだ。フェルディナン、君はこの薬、どう思う?」
「ふむ…」
フェルディナンは薬をじっと見た。
「駄目だな、こいつは…」
そして真面目な顔で母親の方を見た。
「奥さん、アンタは騙されてるよ。これを見てくれ。」
フェルディナンは薬袋を破り皿の上に出すと、液体を振りかけた。
皿の上の粉末が紫色に変わっていった。
「こいつはただのデンプンだ。肺病に効くどころか、薬ですら無え。」
それを聞いた母親の目から、生気が消えていった。
そしてその場にへたり込んだ。
「そ、そんな…。私は何のために…」
「おかあさん…」
女の子は何が起きてるか分からないというような表情だが、母親の顔から重大な事が起きていると察したようだ。
「・・・」
リディは親子の姿を見ていたたまれない気持ちになった。
この親子は藁にも縋る思いで薬を求め旅をしてきたのだろう。
それが徒労に終わった訳だ。
絶望でしか無い筈だ。
「で、どうするんだ?」
フェルディナンがリディの方を見た。
「君なら用意できるんだろ?」
「勿論だ。だが、金が掛かるぞ。」
「ボクが金を出そう。今すぐ用意してやってくれ。」
リディは懐から財布を出した。
それを聞いた母親がハッと顔を上げた。
「リ、リディさん…? で、でも…」
何か言いたそうな母親を制すと、リディは財布から金貨を数枚取り出した。
「10グラハム金貨くらいあれば足りるか?」
「十分だ。すぐに調合しよう。」
フェルディナンは椅子から立ち上がると白衣を見に纏った。
「宜しく頼む。出来たらこの親子に渡してくれ。ボクはちょっと出てくる。」
「ん? どこに行くんだ?」
「ボクはちょっと用事があってね。あ、この薬もどきはボクが貰っていくよ。」
リディは母親が持っていた薬袋を手に取ると、フェルディナンの薬屋を後にした。




