3.未来
誰も、咄嗟に言葉が出なかった。
「……滅びるって」
しばらくして、ハリスさんの口から低い声が洩れる。その言葉が疑問にもなっておらず、思わず零れた独り言のような呟きであることが、収拾のつかない精神状態をよく表していた。
「王が死に、多くの国民を失い、国土は廃墟と化して、地図上からニーヴァの文字は消える。それを『滅び』と言わずに、なんと言う?」
淡々と幻獣の口から紡がれるのは、あまりにも悲惨なニーヴァ国の末路だった。
ハリスさんだけでなく、ロウガさんとメルディとミーシアの、大きく見開かれた目が、一斉に幻獣へと向かう。その時、守護人のほうに目を向けていたのは、おそらく俺だけだっただろう。
彼女が、さっきよりもさらに青い顔をしていることに気づいたのも。
「──いくらなんでも、問いに対する答えが飛躍しすぎじゃありませんか。そりゃ、長い目で見れば、国というのはいつかは滅びるものかもしれませんが」
呼吸を整え、いつものような軽い笑みを口許に浮かべて、メルディが言う。彼女自身、そうやって冷静さを保とうとしているようだが、その口調はやっぱりどこかぎこちなかった。
「そう。国というのはいつかは滅びるものだ。しかし、ニーヴァの場合は、『いつか』などという不確定な先を示す形容はつかない。ニーヴァは一年も経たないうちに滅びる。これは確定事項だ」
相変わらず身じろぎもせず石の椅子に座ったまま、幻獣はすっぱりと言い放った。
これっぽっちも感情の乗っていない顔、ひとかけらの慈悲も混じらない声音で、単なる事実を告げるようにつまらなさげに。
予想もしなかったその言葉に、俺たちは硬直した。
一年も経たないうちに、滅びる?
「まさか、そんなバ」
「そんなバカなことはあり得ない、と?」
気色ばむハリスさんにも、幻獣は冷たい目を向けるだけだった。軽蔑さえも含まれないその黄金の瞳に、俺たちは一体どんな風に映っているのだろう。
ひょっとしたら、幻獣にとって俺たちは、ちっぽけな虫のようにしか見えていないのかもしれない。そう思ったら、少し吐き気がした。
「君たちの浅く狭い思考と視野の中で、どれほどのものが『あり得ない』こととして処理されているんだ。短い生の、そのまた短い期間の経験で培った知恵やら常識やらで、一体何をもって判断し、可能性を切り捨てるという愚を犯す。君たちはあまりにも無知のくせに、己が無知であることにも気づかない恥知らずだ。それを少しは自覚してものを言え」
「お説ごもっともですが、その続きはまた今度にしていただけませんかね」
俺と同じようなことを感じたのか、割って入るメルディの口調は、珍しくそれとはっきり判るほどに尖っていた。
幻獣のほうは顔も態度も最初からまったく変わらないのに、話していると、こちらの神経が削られる。なぜだろう、妙に追い詰められるような気持ちになってくるのだ。
「本筋に戻しましょう。ニーヴァが一年以内に滅びると。その根拠はどこにあるんです?」
「根拠など必要ない。僕はそうなることを『知っている』。それだけのことだ」
幻獣の台詞は、奇しくも、守護人の台詞をそっくりなぞっているかのようだった。
──わたしはそれを「知ってる」。
「いくらなんでも一国が、それも成り立ちはどうあれ一ノ国として権勢をふるっていた大国が、そう簡単に沈むだなんて信じがたいですね。大規模な自然災害でも起こるっていうんですか。それも、ニーヴァにだけ?」
「大国であろうと一ノ国であろうと、滅びる時は滅びる。災害などなくとも、一度その道を辿りはじめたら止まりようがない。滅亡するまではあっという間だ。そうだろう、守護人」
幻獣がちらりと一瞥した方向へ、全員が視線を移す。
こちらに背中を向けて動きもしない守護人の口からは、一言も返事が発されることはなかった。彼女が今どんな表情をしているのか誰の目にも見えないが、強く握られた神獣の剣の鞘は、小刻みに震え続けていた。
どうしてわたしに聞くの、とイヤそうな顔で問い返してもよさそうなものなのに。
「では、災害でなければ、どういう理由で」
「君たちはもうそれを知っているはずだが」
強張った表情で問いかけたロウガさんは、素っ気ない幻獣の返事を聞いて、眉間に皺を深く刻んだ。
そう、きっと本当は、ハリスさんだってメルディだってロウガさんだって、頭にあったのはその名前。ただ、どうしても信じられなくて、自分自身で否定していただけなのだ。
だってそうだろう、たった一人の人間が。
「──リンシンが、国を滅ぼす?」
ロウガさんの小さな呟きに、幻獣は頷いた。
「別の世界の血を半分受け継いでいるがゆえに、あれの作った流れに抗うことが出来る者、しかし自身もまた災厄の一部であることから逃れられない者だ。もう半分はこの世界の血を受け継いでいるがゆえに、運命に逆らうことを願いながらも、同時に、運命に加担する。……あの男が国のあちこちに撒き散らした災厄の種は、順調に育っているようだな」
幻獣の口調は、どこまでも他人事のようだった。
「しかし人一人の企みで、そんな短期間のうちに滅びに向かうほど、この国は脆弱では──」
「だが、君たちが考えるほど強固なものでもない。大地の疲弊、人心の荒廃、それに伴う信仰を巡る根深い争い。それらはすべて、君たち自身の目で見てきたことでもあるはずだ。複数の要因が絡み合えば、人間とは呆気ないほど容易く、良心やら道徳やらの枷を自ら引きちぎってしまえるものだということを、君たちはよく知っているのではないか?」
「…………」
俺たちは揃って黙り込んだ。誰の口からも反論の言葉は出ない。出せなかった。
「現在すでに、暮らしていた街を放棄して離散した人間たちが、貧しさに喘いで他の街を襲いはじめている。負の念は新しい負の念を呼び、次第に大きくなって一方向へと向かいだす。イーキオの枝によってまやかしの神と幸福を得た者は神ノ宮に、より恵まれた立場を妬む者は王ノ宮に。感じないのか、ニーヴァの上空に、増幅した不信と怒りが渦を巻き、暗雲となって立ちこめているのを」
座っているだけでほとんど身体を動かすことのなかった幻獣が、ここではじめて片手を上げて、前方へまっすぐ突き出した。
「信じられなければ、自分たちの目で見るがいい。──ニーヴァという国の行く末を」
その腕が、左から右へ、ゆっくりと大きく弧を描く。
腕の動きと共に、白い部屋が闇に染まっていった。
***
闇が広がると同時に、ここではない光景が目の前に現れた。
その途端、突然、すぐ間近に大声を上げる人間が出現して、俺は反射的に鞘から剣を抜いた。何かを思う暇もなかった。男は手に太い棒を持っている。それがこちらに向かって振り下ろされ、剣で受けようとしたのだが──
その棒は、刃を、いやそれどころか、俺の身体をも通過した。
「な……」
目を瞠る。信じがたいことが起きたというのに、男のほうはまったく頓着していなかった。明瞭ではない怒鳴り声を口から吐き出し、ぶんぶんと棒を振り回す男の目は、こちらに向かってはいない。というより、俺を通した「向こう側」を見ている。
男が大きく足を踏み出した。
ぶつかる、と思って身構えた俺を、男はそのまま突き抜けていった。
「……っ」
どっと汗が噴きだした。喉がからからに干上がって、動悸が激しく胸の内側を叩きつける。
頭を巡らせてみると、白一色に覆われていた部屋は、どこかの街の中に場所を変えていた。男だけではなく、他にも多くの住人らしき人々が、それぞれ目を血走らせ、呪いの言葉を口々に喚き散らしている。
その中に、ちゃんと仲間たちの姿もあった。ロウガさんとハリスさんはやはり剣を抜き、茫然とした表情で周囲を見回していた。しかし人々は、彼らのことなど目に入らないように怒り、叫び、武器とも言えない武器を手に高く掲げ、突進していく。
俺と同じだ。人の群れはすべて、ロウガさんたちの身体を通り抜けた。
──ここにいる人々はただの幻、実体を持っていないんだ。
別のほうに顔を動かすと、石の椅子に座った幻獣が見えた。大勢の人が前から後ろから押し寄せては自分の中を突っ切っていくというのに、幻獣は指先ひとつ動かさず、無表情のままだった。
位置関係から考えて、俺たちはたぶん、最前からまったく動いていない。
別の場所に移動したわけじゃない。ここは、あの白い部屋の中だ。
「……幻獣、これは」
俺は喉の奥から言葉を押し出した。
周囲で蠢く人々の幻影。その瞳にあるのは凶暴で攻撃的な、ぎらついた光だった。覚えがある、この顔。拝礼日、自分の裡に押し込めていたものを爆発させようとしていた人たちと同じ。
「これから起こることだ」
幻獣が平板な声音で言った。
不意に、場面が変わった。
罵声を上げていた人々の姿が一瞬にして消え、今度現れたのはどこかの一室だ。
さっきの街がひどく寂れて荒れていたのに比べ、そこはどこもかしこも豪奢な部屋だった。磨き抜かれた床、柱には凝った彫刻が施され、天井も高い。奥の壁には、ニーヴァ国の旗が仰々しく飾られている。
広い部屋には十人ほどの男たちがいた。二つの長い卓に向かい合って並んでいる顔は、俺でも知ってる。ニーヴァの大臣たちだ。
国旗の前、一人だけ正面を向いて座っているのは、カイラック王。
つまりここは王ノ宮か。しかも、王と国の重鎮たちしか出入りできないような場所ということか。俺たちはそのど真ん中に立っているというのに、やはり、あちらはこちらの存在になど目もくれなかった。
「なんと不甲斐ない、軍はまだ民の暴動を制圧できぬのか」
王の声は苛立っていた。叩きつけるような荒々しい語調に、席の前方、王のいちばん近くに座っている小太りな男がびくっと身体を揺らす。顔を俯かせているが、あれはカイラス王太子じゃないだろうか。
彼は卓の上で繋げた自分の両手を、しきりに組み替えていた。もじもじと落ち着かなさげに王をちらっと窺ったり、大臣たちのほうに目をやってはまた下を向く、ということを繰り返す。いかにも、ここには自分の居場所がない、というように。
「こうなったら見せしめとして、街のひとつやふたつ、潰してしまえ!」
乱暴なことを口にする父王に、王太子は何かを言いかけて顔を上げ、しかしすぐに口を噤んでうな垂れた。
「大至急申し上げます!」
その時、俺たちの後方から──いや違う、部屋の入口から、血相を変えた男が飛び込んできた。王と大臣らの目が、俺たちの身体を通り越して、そちらに向けられる。
「砂の国ゲルニアより、宣戦布告あり!」
なんだと、と場が一気に色めき立つ。
馬鹿な、と卓を平手で打つ大臣もいれば、ゲルニアなど一瞬で捻り潰してしまえ、と好戦的に叫ぶ大臣もいる。しかし今はまず民のほうを……とおどおどと言うカイラス王太子のことは、誰一人見向きもしなかった。
「……それで、どうなさいますか」
紛糾するその場で、末席にいた大臣が、静かに王の意向を訊ねた。
他とは違い、彼だけが平静を保っているように見えるが、見覚えのない顔だった。神獣の守護人の護衛官は、来訪時の祝典などもずっと近くで侍っていたから、ほとんどの大臣の顔は知っているはずなのだが。
「もちろん、受けて立つ! 生意気な砂の国め、どちらが上かということを骨の髄まで思い知らせてくれるわ!」
カイラック王が立ち上がり、拳を握って大声で言った。
ガシャン、という音がした。
そちらに目をやると、ハリスさんの手から滑り落ちた剣が、床に当たる音だった。その両の目はかっと開かれたまま、瞬きすることさえ忘れたように一点に集中して据えられている。
「砂の国ゲルニアは、近年、新しい技術開発に成功したと耳にしただろう。それが軍事方面に特化した技術だという情報が、王ノ宮には届いていない。一ノ国だ、大国だと、傲慢になっているから、そんなことすら疎かになる。しかもカイラック王というのは、野心家で、考え方が幼稚で、負けず嫌いだ。平常時ならまだしも、戦時においてはただの愚王でしかない」
幻獣の言葉に、指の先のほうから冷たくなっていった。
メルディが、重い息を吐きだす。
また、場面が変わった。
見慣れない鎧に身を固めた兵たちが、鬨の声を上げている。黄味の強い茶色の髪は、砂の国ゲルニアの民の特徴の一つだ。
彼らの足許に転がっているのは、無数の死体。ほとんどが、ニーヴァの兵だった。
ゲルニアの兵士たちは、二本の槍を高々と天に挙げて、何度も勝鬨を繰り返していた。その槍の先端に突き刺さっているのは、人の頭部。
カイラック王と、カイラス王太子だ。
空になった玉座に、この戦いの将らしき男が満足げに笑んで腰を下ろす。その傍らに影のように寄り添っているのは、赤茶色の髪の人間だった。
この男──さっき、末席にいた大臣じゃないか。
主君を失ったというのに、その男は敵将の耳に顔を寄せ、何事かを囁いて、笑っている。
その光景が薄くなり、消える一瞬前。
見つけた、という小さな呟きが、近くで聞こえた。
次の場面は、神ノ宮。
その場所も、ゲルニアの兵によって蹂躙されていた。
倒れているのは護衛官と警護ばかり。先輩で、後輩で、仲間だった連中が、血を流して絶命している。ある時は軽口を叩いて笑い合い、ある時は互いに励まし合った男たちは、みんな無残な姿で殺されていた。
敵うわけがない。あちらは鉄製の鎧、こちらは革製だ。防御面でも、攻撃面でも、天地ほどの開きがある。他国から攻め入られることなど想定もしていない。神ノ宮は、あまりにも無防備でありすぎた。
屍の中に白い衣服の神官があまりいないのは、ここから真っ先に逃げ出したためか。護ろうとした人間が命を失い、役目を放棄して逃げた人間が助かる。そんな理不尽なことがあってもいいのか。
侍女たちは兵士数人がかりで暴行を受けていた。
お助けください、お救いください、と神に願い求める泣き声だけが、悲痛に響き渡る。
蒼白になったロウガさんが膝をつき、ミーシアが床に突っ伏して大声で泣いた。
流れるように、新しい場面が現れては消え、次の場面を映し出していく。
トルティックの街を、カントス軍が占拠していた。これぞ好機とばかり、領土拡大を求めて侵攻をはじめたらしい。王を失ったニーヴァ、覇権を主張するゲルニア、そこにカントスが新たに参戦するとなったら、国は戦乱の地となるだけだ。
マオールでは、ゲルニアの兵に物資を略奪され、街の端に追いやられた住人が怯えて過ごしている。
ゲナウで丹精込めて作っていた織物は、すべて取り上げられた。
サザニの街の住人たちは、みんなどろんと死んだような目をしている。外にはもう、見張り役の男たちの姿もないのに。
ダウスの南北は争い、互いを傷つけ合い、死者を増やしていく。
真っ赤な火の粉を噴き出し、燃える街がある。
──あれは。
炎に包まれているのは、ハルソラの約束の樹だった。
***
再び、白一面の部屋に戻った。
ニーヴァの人々の叫喚も、悲鳴も、慟哭も聞こえない。しんとした静けさだけが、辺りを包んでいる。
気づけば、全身がびっしょりと濡れていた。頭から水を浴びたように、おびただしい量の汗が流れ落ちる。かろうじてその場に立っているものの、足の震えはずっと止まらないままだ。
──これが。
これが、「これから」起こること。
ニーヴァの行く末?
「……神獣は」
しばらくの沈黙の後で、ロウガさんが掠れた声を出した。
「神獣は、こんな非道をただ見過ごしていると……?」
椅子に座った幻獣が、そちらに醒めた目を向ける。
「見過ごすも何も、あれは見ていることしかしない。為政者が変わろうと、国名が変わろうと、箱の責任者が変わろうと、露ほども気にするものか。そもそも、僕が知っているこの未来は、あれも知っている。しかし何もしない。勘違いするな、あれにとって、人間同士の争いなど最もどうでもいいことの一つだ。あれは、世界の綻びがそこにありさえすれば、それでいいのだから」
「──……」
ロウガさんが顔を歪めて小さく唸り、俯かせた頭から何かを払い落とすように強く振った。
「それが判っていながら」
眉を吊り上げ、メルディが食ってかかる。
その顔からは、いつもの飄々とした余裕が剥がれ落ちていた。
「それが判っていながら、どうしてあなたも何もしないんです? 国ひとつが滅び、大勢の人間が死んでいくんです。管理者だと言うのなら、こんなところに引っ込んでいないで何かすべきことがあるはずじゃないんですか。助ける手立てを知ってるんでしょう。そのための力だって持っているんでしょう。妖獣を従えることが出来るのなら、いくらだって」
「──思い上がるな、人間」
氷のごとく冷ややかな声に、メルディは呑まれたように口を噤んだ。
「君たちは、人間がすべて死に絶えたら、この世界までが消滅してしまうとでも思っているのか。この地上に、人間以外の生物植物がどれだけあると思う。人間などいなくとも、他の生物が地上の覇者となり、世界はなんの問題もなく存続していく。世界の管理者とは、決して人間を守るためにあるものではないということを、その浅はかな頭に刻み込んでおくがいい」
メルディがぐっと唇を引き結ぶ。
「……では」と両手を組み合わせたミーシアが、涙に濡れた顔を上げて口を開いた。
「では、神獣も、幻獣も、ニーヴァを救ってはくださらないのですか。神獣は神と同等であると私どもは聞いて育ちました。それは間違いだったのですか」
「ならば聞くが、君にとっての神とはなんだ。人間の思う神とはなんだ。苦しい時に祈れば救ってくれる、それが神か。泣きさえすれば手を差し伸べてくれる、それが神か。だとしたら君たち人間は、いくら齢を重ねても赤子と同じだ。自らの頭で考えることもせず、自らについている手と足を動かそうともしない。それではなんのために、君たちは今ここに在る? 神とは、ずいぶんと人間にとってだけ都合のいいものだな」
無感動に言い捨てられて、ミーシアは顔色を変えた。両手で顔を覆い、再び下を向く。その手の間から、細いすすり泣きが漏れた。
俺は自分の手を拳にして、強く握った。
「──だったら、自分たちでこの未来を変えればいいんだろ」
幻獣が何ひとつ変わらない表情で、こちらを見る。
そうだ、旅に出る前、ニーヴァに何が起きているのか、この先に何があるのか、まったく判らなかった時と、今は違う。俺たちはもう、その理由も、成り行きも、結果も、すべてこの手の中に持っているのだから。
「これから何が起こるのか判っているのなら、出来るはず。暴動がある前に、ゲルニアが襲撃してくる前に、それを食い止める方向に持っていけば、この未来にはなり得ない。そうだろう?」
ロウガさんとミーシアが明るい光を見つけたようにこちらを振り向いたが、幻獣はたった一言でその希望を打ち砕いた。
「無駄だ」
当然のように出された返事にカッとした。どんと足で床を叩く。
「そんなこと、やってみなきゃ」
「やってみるまでもない。君たちはこの世界の一部であることを忘れるな。君たちには、管理者である僕が把握しているこの未来を、変えることなど出来はしない。条理の枠の中でもがいたところで、運命の奔流に飲み込まれ、流されるだけだ」
それでもやってみなきゃわからない、となおも言い募ろうとした俺は、続けて出された幻獣の、「──もしも」という声で口を閉じた。
「もしも変えられる者がいるとすれば、それは一人」
たった一人。
この世界の理の外側にいる者。管理者でさえ、行動のその先が読めない者。別の世界からの来訪者。
幻獣はそう言って、顔を動かし、そちらに向けた。
「僕とあれの管理から外れた『運命』を作り出せる、異物だけだ」
視線の先の守護人は、いつの間にか扉の近くに立っていた。
真っ白な顔色で、扉に身をもたせかけるようにして、ようやく立っているように見えた。歯を喰いしばり、もはや隠すことも出来ないほどがくがくと震え、剣の鞘を強く握ったまま、目を見開いている。
「わたし──」
消えてしまいそうなかすかな声が、歯の間から零れ落ちた。
「……わたしには、関係ない」
守護人はそう言うと、ふらつくように踵を返し、扉を開けて、外に出ていった。