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1.迷走の果て



 目を開けると、灰色っぽい石の天井が見えた。

 一瞬、自分がどこにいるのか把握できなくて、混乱した。神ノ宮? ううん、違う、あそこは出たんだっけ。じゃあ、どこかの街の宿屋?

「!」

 ぼんやりとしたのは数秒のことで、すぐに記憶と正常な思考が戻ってきた。自分の見た場面が雪崩のように脳裏に甦り、がばっと勢いよく上半身を起こす。

 ──わたし、気を失っていた?

 ざあっ、という音が自分の耳で聞こえるくらいに、血液が逆流した。心臓が凍りついたように冷える。

 風人、と名乗った男の腕を神獣の剣で斬り落としたところまでは、確かに覚えている。でも、その後のことはさっぱりだ。じゃあ、直後に意識をなくしたということなのか。

 一体、あれからどうなった?

 周囲を見回してみれば、ここはトウイの家だった。ミーシアさんやニコと一緒に寝起きしていた部屋。わたしが寝ているベッドは、もともとこの家にあったベッドだけでは数が足りなくて、ハルソラの街の他の住人に頼んで借りてきたものだ。

 わたしはちゃんと、「この世界」にいる。真っ暗な狭間ではない。では少なくとも、トウイは生きている、ということ。

 だったらどうして、ここに彼の姿がないのだろう。

 掛けられていた毛布を払いのけて、自分の身体を点検した。頭の布は外れているけど、着ている衣服はシキの森に向かった時のまま、どこも破れているわけではない。傷もなければ、痛みもない。

 どういうこと? あれから、トウイはわたしとルチアさんを連れて、シキの森を脱出したの?

 ベッドの脇には、きちんと鞘に収まった神獣の剣が立てかけてある。

 裸足でベッドから飛び降りて、ドアを乱暴に開け放った。

「シイナさま、お目覚めになりましたか」

 ちょうど隣の部屋から出てきたミーシアさんが、驚くように言った。わたしはそれには答えずに、彼女が持っている桶に視線を据えつける。

 桶の中には、真っ赤に染まった水。そして同じく、真っ赤に染まった布が入っている。

 戦慄が背中を駆け上がった。


 血だ。


 それが誰の血であるかを聞く前に、無言でその部屋のドアまで足早に進み、取っ手を掴んで開けた。

「あ、シイナさま……」

 気遣うようなミーシアさんの声を背にして、その光景はわたしの視界に飛び込んできた。

 ほんの昨日までメルディさんが寝ていたベッドに横たわっているのはトウイ。彼は青白い顔で、目を閉じたまま、ぴくりとも動かなかった。

 その目も──片方しか見えない。

 左目の部分を覆うように、頭から斜めに包帯をぐるぐると巻かれている。

 男に剣で斬りつけられて、大量の出血をしていた姿を思い出し、ひやりとした。あの傷は、どれくらいの深さだったのか。もしも眼球にまで達していて、失明なんてことになったら……

「シイナさま、気がつかれましたか」

 ドアのところで立ち尽くしていたわたしを振り返り、ロウガさんが言った。彼の近くにある台には、水や、布や、治療のための道具が乱雑に置かれている。

 未だ意識が戻らないらしいトウイのベッドの周りには、ロウガさんだけでなく、メルディさんとハリスさんの姿もあった。ニコは足元のほうで心細そうに毛布の端を掴み、いちばんトウイの顔に近い枕元では、ルチアさんが膝をついた姿勢で彼の手を握っていた。

「……トウイさん、は」

 自分の口から出る声が低い。怖くて、なかなか続きが喉から出てこない。そんなわたしに、いつもの軽い調子で答えを寄越してくれたのはメルディさんだった。

「おやまあ、そんな『この世の終わり』ってな顔をするシイナさまには、なかなかお目にかかれませんねえ。そんな表情なさらなくとも、別に死にゃしませんよ。どちらかというと、そちらのほうが倒れそうな顔色じゃございませんか」

「──……」

 死にはしない。その言葉に、細く長い息を吐きだす。でも、じゃあ、どうしてトウイは目を覚まさないのだろう。どこか他に傷でも負ったのか。

 トウイに近づくため、部屋の中に一歩を踏み出した足は、


「近寄らないでよ!」


 という、鋭い拒絶の声に動きを止めた。

 顔を向けると、眉を吊り上げたルチアさんが、目の端に涙を溜めてこちらを睨みつけていた。その口調の激しさに、ニコが怯えたように身体を縮め、わたしのところまで駆け寄ってきて、今度は衣服をぎゅっと握りしめる。

「あ──あんたのせいなんだから! トウイはあんたを助けようとして、こんなにボロボロになっちゃったんだから! あんたがいなきゃ、トウイ一人で無事に帰って来られたのに! どうしてくれるのよ、トウイがこのまま目を覚まさなかったら! トウイの目が見えなくなっちゃったら! この傷が一生消えなかったら! あんた、どう責任を取ってくれるの?!」

「…………」

 わたしは口を噤み、黙ってルチアさんの弾劾の言葉を聞いていた。

 ハリスさんが明後日の方向を向きながら、「……これはまた見事な八つ当たりだな」とぼそりと呟いたけれど、そうは思わない。


 ルチアさんの言葉は、ちゃんと真実の的の中心を射抜いている。


「ロウガさん、トウイさんはどうなんですか」

 その場から動かずに訊ねてみると、ロウガさんは自分の手を布で拭きながら、何事もなかったように淡々とした様子で返事をした。

「目の上の傷は応急措置を済ませました。また改めて医者に診てもらいますが、目が見えなくなる、という可能性はまずないかと」

 ちらっとルチアさんを見る。

「他にも大した外傷はありません。正直、どうしてこの馬鹿がまだ目を廻しているのか私にもさっぱり判らないのですが、どちらにしろ起きたらすぐに私に殴られてまた倒れるかもしれません」

 淡々とした顔つきと口調のまま、物騒なことも続けて言った。きっと、これはロウガさんなりの優しさなのだろうなと思ったから、わたしは「そうですか」とだけ返して、足を後ろへと動かした。

 最後に、まだ右目を閉じているトウイの顔を見てから、ドアを閉めた。




「トウイのそばにいなくていいの? シイナさま」

 またもとの部屋に戻ろうとしたら、下のほうで声が聞こえて、ん? と目を移した。

 そこでようやく、ニコがわたしの服にしがみつくようにして、こちらを見上げていることに気がついた。あのまま、くっついてきてしまったらしい。

 わたしは立ち止まり、膝を曲げて目線をニコと同じ高さにすると、その頭に自分の手を乗せた。

「ニコは、トウイさんのそばにいてあげて。起きた時、ニコの顔を見れば、トウイさんも安心するだろうから」

「違うよ。トウイがいちばんに顔を見たら安心するのは、シイナさまだよ。そんなこともわからない?」

「…………」

 まっすぐにこちらに向かってくる瞳と言葉に、何も返せない。透き通るような眼差しは、怒りも呆れも含んでいない分、誰に何を言われるのよりも、心の深くまで突き刺さった。

「あの女の人の言うことなんて、気にしなくていいよ」

「そうです、シイナさま。いくらなんでも、あんな言い方ってありません。大体、トウイはあの人を助けに森に行ったのではないですか」

 ニコの言葉に、さっきのやり取りを聞いていたらしいミーシアさんまでが同調する。手にはまだ桶を抱えているのに、いかにももどかしそうに足踏みをしているものだから、ぽとぽと水が垂れて床がびしょ濡れだ。

「トウイがシイナさまを守ろうとするのは当たり前だ。シイナさまは、『大事な人』なんだから」

「ええ、そうです。そうですとも。なのにあんなひどい言葉」

「…………。そう、かな」


 神獣の守護人は、ニーヴァにとって大事な存在。

 だから、護衛のトウイが護ろうとするのは当たり前。


 事情を知らないニコは、耳に入れた情報の断片だけを口にしているだけ。侍女のミーシアさんは素直にそれに同意しているだけ。そう判っているのに、胸のあたりがちりちりと痛んだ。

「シイナさま……」

 ニコは、わたしの顔を見て、表情を奇妙な形に歪めてもごもご口を動かした。何かを言いたいのに、言えない。または上手く言葉に出来ない。そんな感じで。

「オレ……けどトウイが……言っちゃダメって……」

 と、難しい算数の問題を解くように眉を寄せて、小さな声でぶつぶつと呟いている。

「──シイナさま、よろしいですか」

 その時、今しがたわたしたちが出てきたばかりのドアが開いて、ロウガさんが廊下に出てきた。

「ちょっと、お話があるのですが」

「はい」

 わたしはこっくりと頷いたけれど、ミーシアさんは「まあ、兄さん」と咎めるような声を出した。

「シイナさまはまだ意識が戻られたばかりなのよ。お話なら、もう少しお身体が回復されてからにしたらどう?」

「いいから、お前はその手に持っているものを早く片付けたらどうだ。床も濡れてるぞ」

「じゃあ、すぐ戻るから、私もシイナさまと一緒にいさせて」

「トウイがいつ目を覚ますか判らないし、そちらに付いていてくれ。それに、ニコが腹を空かしているだろう。何か食べさせてやるといい」

 ミーシアさんとニコ抜きで話がしたい、ということらしい。ミーシアさんは兄に命じられた内容に、珍しく不満そうにぷっと頬を膨らませた。子供みたいで可愛いけど、このままだと兄妹ゲンカになりそうだなと察して、わたしも口を挟む。

「お願いします、ミーシアさん。トウイさんが起きたら、知らせてもらえますか」

「ですけど、シイナさま……」

「わたしもお腹が空きました。ニコに食べさせるついでに、わたしの分もちょっとだけ残しておいてください」

 実際は空腹とは程遠い状態だったけれど、わたしがそう言うと、ミーシアさんは眉を下げて口を曲げた。なんだか泣きそうにも見えて、ハラハラする。

「──はい。じゃあ行きましょう、ニコ」

 渋々、片手に桶を持ち、もう片手でニコの手を引いて、ミーシアさんは台所のほうへと向かった。その後ろ姿を見送って、ロウガさんがやれやれと大きな息を吐きだす。

「申しわけありません、シイナさま。ミーシアはたまに……」

 と言いかけ、曖昧に口を濁す。もしかしたら、たまに頑固になる、と言いたいのかもしれない。でもそれもまた、ミーシアさんの長所のひとつだと、わたしは思っている。

「それより、わたしも話を聞きたいです」

 そう言って、ドアを開けた。



          ***



 ロウガさんは、部屋で二人になると、わたしが気を失っていた間のことを、簡潔に説明した。

「実を言うと、私にも詳しいところはまったく判らないのですが」

 という前置きをつけて話してくれたところによると、ルチアさんのお母さんから言伝を聞いて、ロウガさんはすぐにシキの森に向かったのだそうだ。

 中で何が起こっているのか判らないからと、森に到着したロウガさんは、わたしとトウイがそうしたように、気配を殺しながらそろそろと進んでいった。

「そうしたら、突然、大きな音がして」

「大きな音? どんな?」

「木が倒れるような、何かがひしゃげるような……私はてっきり、王ノ宮の軍隊でも突入してきたのかと思ったほどです」

 その音は、森の奥のほうから聞こえた。ロウガさんのいる位置からは、何が起きたのかさっぱり判らない。慎重に足を進めたが、その間にも大きな音は響いてくる。

「破壊音は途切れることなく続いていました。木がへし折れる音、風が唸るような音、地響きのような音もする。それを聞いているうち、私は気づきました。……これは」

 ロウガさんが、わたしの目をじっと見つめる。


「これは、森を壊すような勢いで、何者かが暴れているのだと」


「何者か、って」

 わたしはぽかんと口を半開きにして問い返した。ロウガさんが何を言っているのか、よく判らなかった。森を壊しながら暴れるなんて……巨人が現れたわけでもないだろうに。

 巨人。

 その言葉で、わたしは恐ろしいことに思い当たった。頭の痺れるような衝撃が全身を貫く。

「辛抱が切れて、私は走り出しました。何があったのかは判らないが、とにかくとんでもない事態になっている、という予感がしたのです。近づくにつれて、ずっと聞こえていたバサバサという音が、鳥の羽音ではないか、と思いはじめました」

 羽音? 木を倒し、風を起こし、大地を揺らす、そんな鳥がいるわけがない。

 いるとしたら……

 そこであることを思い出して、わたしは真っ青になったまま口許に手を当てた。そうしないと、大きな声を出してしまいそうだった。

 そうだ、あの時あれを見て、すぐに気づいてもよかったのに。


 卵──

 男が手にしていた、大きな卵。

 あれがもしも、妖獣の卵だったら。


「その時突然、何かが光りました」

「……光?」

 必死で抑えつけた反動でか、わたしの口からは囁くような声しか出なかった。それでも、しんとした室内ではちゃんと耳に届いたらしく、ロウガさんは大きく頷いた。

「強烈な、白い光です。炎の明かりとはまったく違う、すべてを呑み込んでしまうような輝きが一面に広がりました。あまりにも眩しくて目を開けていられず、しばらく経ってようやく目を開けても、なかなか視覚が元に戻らぬ有様で」

 目を擦ったり、何度か瞬きを繰り返し、ようやくロウガさんの視界に色がつきはじめた時。

 森の奥から、誰かが近づいてくることに気づいた。

 咄嗟にロウガさんは身構えたけれど、歩いてくる人物からは、危険な気配は漂ってこない。いや、それどころか、戦う意思もまったく感じられない。まだ少し白い光の残像が残っている目を凝らして、よくよくその人物を見てみれば──


 肩にわたしを担いでいる、トウイだった。


「左目の上から流血して、無事なほうの右目もどこか放心状態に見えました。ふらふらとした足取りで、右手には、抜き身の神獣の剣を持っておりました」

「神獣の剣?」

 ベッドに立てかけてあるその剣を振り返る。

 それを手に取り、抜いてみたけれど、何を斬っても曇りもしなければ血糊さえも残さない刀身に、これといった痕跡は見つけられない。

 あ、でも。

 銀色の柄部分に、血が付着している。薄っすらとついた指の跡は、わたしのよりも長くて大きい。

 トウイは、この剣を使って、妖獣と戦ったということ? そういえば、彼の剣は風人の男に地面まで弾き飛ばされていた。

 だけど──

 神獣の剣を持ったとしても、わたしというお荷物を抱えて、トウイが妖獣から逃げおおせることは可能なのだろうか。

 いいや、そもそも。

「……それで、暴れていた『何か』は、どうなりましたか」

 考えながら問いかけると、ロウガさんは首を横に振った。

「それが、光が収まった時には、もうすっかり森の中も静まり返っていたのです。確認したいのは山々だったのですが、トウイが私の姿を見て安心したのか倒れてしまい、まずはシイナさまを安全なところにお運びするのが先決だと思ったものですから」

 そんな次第で、ロウガさんは、意識を失ったわたしとトウイを抱え上げてハルソラに戻った。家にまで運んでトウイの治療をしているうちに、先にわたしが目を覚ました、というわけだ。

 すると、シキの森にはまだ、妖獣が──あるいは、その屍があるかもしれない、と。

 そうか、だからロウガさんは、早いうちにわたしと話をしたがったのだ。場合によっては、一刻も早く手を打たなければならない事態になっているのかもしれない、と思ったから。

 わたしは窓の外を見た。空はそろそろ薄いピンク色になりつつある。あと一時間も経たないうちに、暗くなってしまう。急がないと。


「森に行きましょう」


 神獣の剣を腰のベルトに装着しながらそう言うと、ロウガさんの鬼瓦みたいな顔がぐんにゃり歪んだ。

 造形は違うけど、これ、トウイがよくやる、「言うと思った」、という顔だな。

「……シイナさま、あの場所には、何があるか判りませんので」

「わからないから、行くんです」

「危険があるかもしれないところに、シイナさまをお連れするわけにはまいりません」

「別に、ロウガさんに連れて行ってもらわなくても構いません。位置はもう知ってるから、勝手に行きます」

「まずは私が探ってきますので、シイナさまはここでお待ちを」

「どっちにしろわたしは行くので、そんな二度手間を取らなくてもいいのでは? 別々に行くか、一緒に行くかの違いです。ちなみにわたしをここに置いて行っても無駄ですよ。トウイさんは眠っていますし、ハリスさんもメルディさんも調子が万全じゃないですから。あの二人に対して手段は選ばないので、怪我が悪化するかもしれないです。ああ、でも、わたしがこっそり出て行こうとするのがミーシアさんとニコにバレたら、下手をすると一緒についてきちゃいかねないかな……」

 独り言のようにぼそぼそ呟いたら、ロウガさんの顔が引き攣った。

「──脅しですか」

 もちろんそうです。

「わたしが知っている限りの、あの森の中で起こった出来事は、道中歩きながらお話しします。ロウガさん、聞きたいですよね?」

「…………」

 長いこと沈黙を続けて葛藤した後で、ようやく観念したらしく、ロウガさんははあーっと重苦しいため息をついた。

「一緒にまいりましょう。まだしも、そのほうが私も安心です。その代わり、何かがいるようならすぐに引き返します。よろしいですね?」



 部屋を出ながら、ロウガさんは、「トウイの気持ちはわかったが、やっぱりあいつはあとで説教だ……」と怖い顔でぶつぶつ言っていた。

 たぶん、こういうのを、「八つ当たり」と言うのだと思う。



          ***



 シキの森の中に、妖獣の姿はなかった。

 あったのは、人間の死体ばかりだった。

 妖獣が飛び込んできたためか、背の高いシキの木は無残なほどに破壊されていた。あれだけ上方で茂っていた枝も葉もすっかり薙ぎ払われて、ぽっかりと空いた空白部分からは、夕日が直接地面まで射し入っている。

 赤く染まったその場所には、人の──いや、「人であったもの」の残骸が散らばっていた。

「…………」

 口に手を当てて、込み上げてくるものをなんとか堪える。

 まるで、スクラップ工場だ。マネキンの手や足が散らばっているようで、あまりの惨状にかえって現実感が湧かない。けれど、あたりに充満したむわっと鼻をつく血の臭気が、そんな風に思考を逃避させることすら許してくれなかった。

「大丈夫ですか、シイナさま」

 声をかけてくるロウガさんの顔色も悪い。わたしに向ける目には、心配そうな色と、やはり連れてくるのではなかったという後悔の色がありありと浮かんでいる。

「平気……平気です」

 言いながら、わたしは懸命に地面の上を目で探した。やっと目的のものを見つけて近づき、拾い上げる。


 ──トウイの剣。


 その剣の周囲にも、死体の一部分が散乱していた。森にいた人たちはみんな布を被っていたけれど、その布ごと身体から引きちぎられた頭部は、ほとんどが何かに踏み潰されて原形を留めていなかった。

 これではもう、髪の色や瞳の色を判別することは出来ない。

 わたしが手首から先を斬り落とした男の人はどうなったのだろうと思ったけれど、見たところ、トウイのもの以外の剣はその場には見当たらなかった。でもなにしろ、何人分の死体があるのかも判らないこの状況では、それ以上のことは確認のしようがない。


「シイナさま、これは……」

「羽根、ですね」


 ロウガさんが拾い上げたのは、青黒く艶々とした羽根だった。一見、鳥の羽根と同じ形のように見えるけれど、サイズが全然違う。羽根だというのに手で持っただけでずしっとした重みを感じるほどに、巨大。羽柄の部分だけでニコの腕くらいの太さがある。

 間違いなく、妖獣だ。

 ここにあったのが妖獣の卵だったというのなら、まだしもこの成り行きに納得はいく。どういう思惑があったにしろ、ここにいた人たちは、自分の望みと欲のために、禁忌を犯してしまった。それは人間が、決して手出しをしてはいけないものだったのに。

「──街に戻りましょう」

 わたしの言葉に、ロウガさんがほっとしたように肯った。




 森を出て歩きながら、わたしは呟いた。

「……おかしい、ですよね」

「は?」

 怪訝な顔でこちらを覗き込んでくるロウガさんを見返す。

「おかしいと、思いませんか。ロウガさん」

「何がでしょう」

「どうして、わたしとトウイさんは、助かったんでしょうね?」

「…………」

 やっぱり変だ。こうして殺戮の現場を目の当たりにして、改めて確信した。

 あれほどまでに、人間と妖獣とでは、生き物としての次元が違う。あの場からほとんど傷も負わずに逃げ出すなんて、どう考えても不可能に近いものだったはずなのに。

 なのに、どうして。


 どうして、トウイは生きてるの?


 もちろん、それが不満のわけがない。けれど、わたしは本当に心の底から、その理由が知りたい。それさえ判れば、トウイが生きる道が見つかるかもしれない、ということなのだから。

 わたしが何もしなければ、トウイは必ず死ぬことになっている、と神獣は言った。本来なら、わたしが気を失っていて、他に彼を助ける人が誰もいなかったあの状況では、トウイは確実にその運命に飲み込まれていたはずなのだ。

 ましてや、妖獣。

 前回、トウイは、妖獣の鉤爪で背後から貫かれて死んだ。まったくなすすべもなく、一撃で。

 それほどの存在だ。屈強な兵士を多数擁し、外敵が入り込む余地はない言われる王ノ宮でさえ、妖獣に襲われたらひとたまりもなかった。神ノ宮でも、あっという間に警護も護衛官も殺された。

 わたしの部屋の前にいた二人の警護は、剣を抜く暇さえなく、息の根を止められてしまった。

 ロウガさんも、わたしとミーシアさんを逃がしてくれたのが精一杯で……

「…………」

 ぴたりと足を止める。

「シイナさま?」

 ロウガさんが名を呼ぶ声も、ろくに耳に入らない。今さらのように、自分の頭を殴りたくなった。

 何を言ってるんだろう、わたし。今までそれに思い至らなかったなんて。

 おかしいことは、その時からあったんじゃないか。


 ロウガさんでさえ敵わないような相手から、どうしてわたしは逃げられたの?


 あの時、妖獣は確かに、わたしに襲いかかってきたように、見えた。こちらに向かってきた鋭い爪と、獰猛な牙。今思い出しても、背中が寒くなるくらい。

 でも、実際にわたしはどこも傷つけられなかったし、神獣の剣は妖獣の身体を何度も掠めたはず。だからこそ、あの時のわたしは、妖獣の黒い返り血をいっぱいに浴びていた。

 それはもちろん、わたしに剣の腕があったから、なんていう理由のわけがない。


 あの時、妖獣が狙っていたのは、ミーシアさんのほうだった。

 だから、ミーシアさんを逃がして、その場にいるのがわたしだけになると、妖獣は途端に大人しくなったのだ。


 腰に差した神獣の剣に目をやる。

 きっと、わたしじゃないんだ。この神獣の剣なんだ。妖獣は、「神獣の剣」、あるいはその「持ち主」には、攻撃しない。

 ……でも、どうして?

 それに、ロウガさんが言っていた、白い光、というのも気になる。わたしは今まで、そんな光を見たことがない。

 妖獣には、やっぱり何かがあるのか。

 リンシンさんは、「何かを守っているようだ」と言っていたけど──

何か(・・)……」

 わたしは顔を上げて、赤く輝く夕陽を眩しく見上げた。



 今回、トウイははじめて、自身の手で、自らの死の運命をはね返した。

 ──草原地帯に行けば、正しい答えが見つかるだろうか。





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