表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/102

4.告解



 どうしてここで前代の守護人が出てくるのか、と代わる代わる問われたけれど、それに対する明確な答えを、わたしは口にしなかった。というか、出来なかった。自分でも、どうしてそれを知ろうとしているのか、よく判らないのだ。理路整然とした説明なんて、出来るはずがない。

 結局、なんとなく、とか、気になって、とかを繰り返していたら、向こうのほうが根負けした。メルディさんとハリスさんが、同時にふーっと大きなため息をつく。

「……よくは判りませんけど、今必要なのはそれだと、シイナさまは思われるわけですね」

「はい」

「神獣の守護人の勘、というやつなんですかね。だったら俺たちは従うしかない」

「すみません」

 ──実を言うと、勘、ばかりでもない。

 神獣は、狭間からこの世界に来るための入口はひとつ、と言った。

 だったらリンシンさんは、なんらかの形で守護人との関わりがあるはずだと、わたしは思っている。

「謝られる必要はありません。旅の行き先や指針をお決めになるのはシイナさま。我々は、それを全力でお助けするのみです」

 ロウガさんが生真面目な顔つきでそう言って、トウイとミーシアさんがこっくりと頷く。

 わたしは半分ほっとするような、そして半分後ろめたいような気持ちで、「……で」と口を開いた。


「前代の守護人について、判っていることは何ですか」


 その問いに返ってきたのは、沈黙のみだった。

 一生懸命テーブルの上の朝食を頬張っているニコ以外の全員が、顔を見合わせる。

 ん?

「来訪したのは数百年前、ということですけど、正確には何年前なんですか」

 さらに突っ込んで聞いてみると、今度は五人の眉が一斉に寄った。

「えーと、たぶん……」

 最初に自信なさげに声を出したのはトウイだ。

「数百年前、っていうんだから、百年よりは前かと思うんですけど」

 うん、当たり前だね。そして、まったくなんの参考にもならない。

「じゃあ、百年以上前にやって来たその守護人は、男なんですか、女なんですか。年齢はいくつくらいの人だったんです?」

 みんなの眉間の皺が、さらに深くなった。


「……男が守護人になることもあるのだろうか」

「その場合、侍女ばかりに囲まれて、居心地が悪くなったりなさらないかしら」

「現れの間の扉を開けて出てきたのが年寄りのじいさんだったら、神官連中が腰を抜かすんじゃないか?」

「いや、いくらなんでもそういう人を神獣が選ぶとは……」

「私ははんなりとした絶世の美女がいいですねえ」


 それぞれ自分の意見を出してくれるけれど、実のある内容はひとつもない。ちなみに最後の超どうでもいいセリフはメルディさんのものだ。

「…………」

 わたしはテーブルの上で頬杖をつき、ふー、と長い息を吐きだした。

「……つまり現在判っているのは、『前代の守護人について、判っていることは何もない』、ということですね」

 先が思いやられる。



「まあ、普通に考えて、神獣の守護人についての詳しい文献が残っているとしたら、それがあるのは神ノ宮なんですけど」

 多少は建設的な方向に話を持っていこうとしたのか、メルディさんが言った。

「でもあそこでは、重要極秘文書、と指定されているものがありましてね。もともと閉鎖的な場所なんですが、極秘文書についてはもっと厳重に封印されているんです。それらの閲覧が許されているのは大神官、または大神官が許可した者のみ、となっていて」

「メルディさんもこっそり見ようとしたけど、無理だったとか?」

 わたしの言葉に、メルディさんは苦々しい表情になった。

「ええ、まあね。散々探しましたけど、保管場所を特定することも出来ませんでしたよ」

 ぷいっと顔を背けて認める。どうやらその事実は、密偵としてのプライドを傷つけるものであるらしい。

 わたしは口を噤んで、神ノ宮の内部構造を頭に浮かべた。神官にのみ開放されている書庫、というのは記憶にある。その中の書物は神官であれば誰でも閲覧可能となっていたはずだから、それとはまた別にあるということか。王ノ宮随一の有能な密偵である(と本人が言い張っている)メルディさんが見つけることも出来なかった、というのだから、相当用心深く秘匿されているのだろう。

「すると、他には」

「王ノ宮にも、日々の出来事を記録していく部署はありますし、現在に至るまで書き綴られた文書がございます。それももちろん、簡単に閲覧できるわけではありませんが。……でもまあ、それは要するに、代々の王がどのような偉業を成し遂げ、いかに王ノ宮が多大な業績を残したか、というのを後世に残すのが目的ですから」

 王と王ノ宮にとって都合の悪いことは書かれない。むしろ事実が歪曲されている場合も大いにある、と。

 この世界はどの国も絶対君主制だもんなあ。たとえば前代の守護人がおじいさんだったとしても、王様の意向によっては、絶世の美女として書き記されている可能性もあるわけだ。

 どちらにしろ、今さら神ノ宮や王ノ宮に引き返してはいられない。戻ったとしても、大神官がすんなりと極秘文書を見せてくれるとは限らない。大体、わたし、こっちの文字が読めないし。


「いちばん早いのは、神獣に訊ねてみることでは?」

「それが出来れば苦労しません」


 頼んでもいないのにすぐ目の前に現れて、ペラペラと余計なことばっかり喋るけど。でも、わたしがいちばん知りたいことは、絶対に教えてくれない。それが神獣だ。

「へー。やっぱり神獣には、そんな個人的な頼みごとは出来ないんですか。でも、人の言葉は通じるんでしょ? 最奥の間では、どんな高尚な会話をなすってたんですかねえ」

「…………」

 メルディさんの揶揄するような言葉に、わたしは無言を通した。今のみんなの頭に、どんな「神聖な獣」の像が浮かんでいるのだろうと思うと、なんかムカッとする。

「控えろ、メルディ。最奥の間の中でのことは、いかなる内容でも余人が干渉することは許されない」

 ロウガさんに怖い顔で窘められ、メルディさんは「はいはい」と肩を竦めた。

 そして唐突に思いついたように、軽く両手を打ち合わせて、声を上げた。


「あ、じゃあ、『星見の塔』に行ってみます?」


「ほしみ?」

 わたしが首を傾げると、「えーとですね」と折り畳んだ地図をガサガサと広げ、一点を指差した。

「ここがトルティックだから、そんなに遠くありません。馬で二日もあれば行けますよ」

 メルディさんの指が、地図上のトルティックの位置からすっと滑って、別の地点に移動する。

 そこには、黒い丸がぽつんとあるだけだった。すぐ横に書いてある文字が、「星見の塔」と読むらしい。

「ずいぶん、小さい……」

「そりゃそうでしょう。星の流れや動きを見て、研究する施設ですからね。街とは違います」

 天体観測所、みたいなものなのかな。

「星を見るわけですから、この施設は高い山の上に作らなきゃならなかったんです。だから、王ノ宮直轄とはいえ、首都とは離れた場所にある」

 地図では判らないけど、ここには山があるのか。

「これは王ノ宮の直轄なんですか」

「ええ。ここで正確な暦を作ったり、天候の変化や天変の予想なんかを立てたりして、王ノ宮に送るんです。王ノ宮はそれを判断材料にして、その年の方向性を決定するので、結構重要な機関でもあるんですよ」

 とはいえ、と、メルディさんは人の悪い笑みを浮かべた。

「その予想は、外れることも多いんですけどねえ。近年続いた天候不順だって、あちらはまったく正反対のことを言ってたそうですから。そのおかげで計画が完全に狂ったって、王ノ宮の上のほうはカンカンですよ」

「…………」


 そう──天候不順。

 それがあって、ニーヴァの経済状態は悪化した。首都のほうではまだそれが実感として伴っていないけれど、国の端のほうではすでに民が困窮しはじめている。だから拝礼日に遠方から救いを求めてやって来た人々は、最初から荒んだ精神状態にあった。

 それには、星見の塔から送られた誤情報により、王ノ宮がとるべき対策をとらなかった、という理由もあったのか。


「……で、その星見の塔が」

「星や月を見て予想を立てるなんてこと、一朝一夕には出来ないでしょう? そこには、計算をはじき出すための、これまでに積み重ねてきた膨大な記録の山が保管されている。天候と政情とは切り離せないものでもあるし、もともとそのための施設ですからね、その年、その月、その日に何が起こったのか、そんなに詳細でなくとも記してあるはずです。星見の塔もかなり古くからあるものですしね、お目当てのものでなくとも、手がかりくらいは見つかるかもしれません」

 今のところ、前代の守護人の来訪が百年前なのか二百年前なのかも判らないのだから、ほんのちょっとの手がかりでも前進だ。

「でも、その記録は気軽に見せてもらえるものではないんじゃ?」

「そこはまあ、話の持っていきかた次第じゃありませんかね。コレとか」

 メルディさんが、親指と人差し指で円を作って片目を眇める。ロウガさんはイヤそうな顔をしたけれど、賄賂でなんとかなるのなら簡単でいい。星見の塔というのは、王ノ宮や神ノ宮ほど、ガードが固くないようだ。

「じゃあ、早速出発しましょうか」

 と立ち上がりかけて、ふと気づいて隣のニコに目をやった。一心不乱に食べ物と格闘していたニコは、すっかり満腹になって、機嫌よさそうにぽんぽんと出っ張ったお腹を叩いている。


 ──思い返してみたら、今までかなり露骨に、神獣だとか守護人だとかの単語を出して話してたよね。


「……ニコ、わたしたちの話、聞いてた?」

「ううん、ぜんぜん!」

「…………」

 清々しいくらいにきっぱりした返事と、満面の笑みが返ってきて、わたしはその小さな頭をくりくりと撫ぜた。



          ***



 星見の塔に向かうまでの道のりは、平坦な場所があまりなくて、ところどころ難儀した。

 そういうルートを避けて回り道をすると、時間が倍くらいかかるというので、なんとか馬に頑張ってもらうしかない。坂や岩場を上ったり下りたり、時には川を歩いて渡ったり、ということもして、わたしたちは行程を進んでいった。

 足場が悪いと、馬も歩きづらいけど、馬上の人間もどうしたって不安定になる。鞍に乗ってぐらんぐらんと揺れに任せているニコは大喜びだけど、手綱を操るトウイはかなり苦労しているようだ。

 かといって、代わってあげられるものでもないし。これからは、馬の乗り方も教わったほうがいいかなあ。文字も勉強しなきゃならないし。覚えることがありすぎて、そのうち頭がパンクしそうだ。


「……ど、どうしました? シイナさま」


 後ろに顔を向けてじっと見ていたら、トウイがぱちぱちと目を瞬き、ちょっとどもりながら訊ねてきた。

 その頬には、まだくっきりとした傷跡が残っている。

「トウイさん、少し休んだほうがいいんじゃないですか」

「いや、まだ大丈夫ですよ。シイナさまはお疲れですか?」

「わたしは平気ですけど……」

 思えば、神ノ宮を出てから強行軍でやってきて、トウイたちは休みもないんだもんね。毎日毎日馬に乗って、その合間に、盗賊に襲われたり子供を救出したり街中を走り回ったりしているのだから、疲労が溜まっていても無理はない。

 今度から、どこかの街に入るたび、一人ずつ交代制の休日にしたらどうかな。そうしたら、トウイだって心おきなく花と戯れていられるかもしれないし。

「トウイさん、あそこ」

 気がついて、馬上から手で指し示す。わたしの指が向いた先にある、ごつごつした岩の隙間に顔を覗かせたオレンジ色の大輪の花を見て、トウイはきょとんとした。

「あの花が、どうか?」

「綺麗ですね」

「そうですね。……お望みなら、摘んできましょうか?」

 なんとなく怪訝そうな顔で、とぼけたことを言う。わたしが花なんて欲しがるガラに見える?

「目で楽しむだけでも、少しは癒されて疲れがとれるかなと思って」

「誰がですか。もしかして、俺が?」

「だって、好きなんですよね? 花」

「…………」

 トウイが目と口をぽかっと開けて、ハニワみたいな顔になった。


 あれ?


「……あの……」

 やけに長い沈黙を置いてから、トウイは口を開いた。気のせいか、目許と口元と声が引き攣っていて、手綱を握っている手もプルプルと震えている。

 あれ? わたし、もしかして、何か思い違いしてる?

「ひょっとして……ちっとも伝わってなかった、とか……?」

 なんか、声が低い。怖いよ、トウイ。

「えーと……」

 口ごもる。この流れ、まるでわたしが悪いみたいなんだけど。でも、どう記憶を辿っても、ナミの花の生育の難しさについて語られたことしか思い出せない。

「だから、高いところでしか咲かないという花が」

「綺麗で、可愛くて、俺はせめてその支えになりたいという話です!」

 うん……だよね? わたしの聞き間違いじゃないよね? つまり花全般が好きなわけじゃなくて、ナミの花だけが特別好きだってことなのかな? そんなに顔を赤くしてムキになって怒鳴るほど、その花に入れ込んでるの?

 トウイはわたしをまじまじと見て、いきなり脱力したようにがくーっと肩を落とした。

 俺バカみたい、とぼそぼそ呟く。

 それから、

「……もう、いいです」

 と、地の底から湧くような声で言って、深いため息を吐きだした。

「別のやり方を考えます」

「はあ……」

 別のやり方?

 わたしが困惑していると、すぐ近くを歩く馬に乗ったメルディさんが、

「若いってのはいいですねえ」

 と笑いをこらえながら言い、その後ろのハリスさんが、

「ただ単に、トウイがアホなんだろ」

 と呆れたように言って、こちらも大きなため息を落とした。



          ***



「うわあ……」

 メルディさんの目算通り二日かけて星見の塔の近くにまで到着すると、ニコがぽかんとした顔で感嘆の声を上げた。

 見上げる先には、ずーっと上に伸びて続く階段がある。

 そう、着いたのは星見の塔「近く」なのだ。問題のその施設は、目の前の山の、てっぺんに建っているという。

 星見の塔の性質上、夜に行き来する人が多いからか、すっかり周囲が闇に包まれたこの時刻、階段にぽつぽつと設置された灯火台には、すべて明かりが灯っている。下からだと、小さな炎がずらりと行列を作って上に続いているように見える。

「これを上るのか……」

 まだ一段も登っていないのに、ハリスさんがすでに疲れたような顔をして言った。まあ、その気持ちは判らないでもない。


 なにしろとにかく、長い。


 百段、二百段どころの話じゃない。山の外周に沿って作られた階段は、真っ直ぐではなくぐるぐるカーブしているので、はっきりとはしないけれど、ちょっと見上げたくらいでは、階段の先にあるはずの建物はまったく視界に入らなかった。

「ニコとミーシアには、無理ですね」

 ロウガさんが冷静にそう言うと、ニコがええーっと不満そうな声を出した。ミーシアさんは自分のスカート姿を見下ろして、諦めたように眉を下げる。

 星見の塔がある山の麓には、幸い、小さな街がある。たぶん、あの塔で働く研究者や、その関係者が暮らすための街なのだろう。王ノ宮の直轄施設というのだから、それなりにちゃんとしたところであるはず。

「ニコとミーシアさんは、あの街で馬と一緒に待っていてください。ロウガさん、二人についていてもらえますか」

「は。しかし……」

 ロウガさんが躊躇したように言葉を濁す。わたしは上へと続く階段を見上げながら、大丈夫ですよ、と言った。

「体力はいるみたいですけど、それ以外は危険なんてないでしょうから」

 それに正直言って、賄賂とかそういうことは、ロウガさんに向いていない。このおっかない顔で、あちらを警戒させては、かえってややこしいことになる。

「ですよねえ、じゃあ私も一服しながら待って……」

 いそいそと街に向かおうとするメルディさんの後ろ襟首を、わたしはぐっと掴んで引き留めた。なにを言ってるのかこの密偵は。

「お金で解決しそうにない時こそ、メルディさんの出番じゃないですか」

「不法侵入しろと?」

「そんな大げさな。ちょっと鍵を開けて、ちょっと忍び込んで、ちょっと見張りの数人を倒して、ちょっと中から手引きをしてくれればいいだけです」

「明らかに犯罪ですね!」

 やかましいメルディさんの身体をハリスさんと二人がかりでずるずると引きずって、階段の一段目に足をかける。

「シイナさま、どうぞお気をつけて」

 不安そうに見送りをしてくれるミーシアさんに、軽く手を振った。



 しかし階段上りは、想像していたより、キツかった。

 長距離を歩いたり走ったりするのとはまた違う。三分の二くらいを過ぎた時には、わたしはもうすっかり息が上がっていた。

 トウイとハリスさんは、さすがに鍛えかたが違うのか、ほとんど疲れた様子を見せない。メルディさんも、ぶつぶつと文句を言い通しにしては元気そうだ。三人はわたしのためにペースを落としてくれているらしいので、なんとかこれ以上足手まといにならないようにしているのだけど、そろそろ膝が言うことをきかなくなってきた。

「大丈夫ですか、シイナさま」

 トウイがこちらを見る目には、くっきりと心配げな色がある。

「大丈夫です」

 拳で額の汗を拭いながら答えた。言葉を出すと、息の荒さが丸わかりだ。階段の先を見ているとまだまだ続く長さに眩暈がしてくるので、次の段だけを見据えながら、ひたすら足を動かす。

「俺、背負いましょうか?」

 冗談でしょ。

「大丈夫です」

「いいから。ほら──もう」

 上げた足が次の段に乗りきらず、つまずいた。立て直そうとしたのに上手く力が入らず、身体のバランスを崩して膝をつく。

「そんなんじゃ、上に着いた時には傷だらけですよ」

 すぐ目の前に背中が差し出されたと思ったら、両腕を取られてぐいっと勢いよく引っ張られた。びっくりした。

「そうそう、たまには素直になることです」

 後ろからメルディさんに持ち上げられ、あっという間にトウイの背に負ぶさる形になる。ちょっと、と慌てて抵抗しようとしたら、その前に足も取られた。トウイが立ち上がり、一気に視線が高い位置に来る。

「大丈夫ですってば」

「もうそれは聞き飽きました」

 何度降ろしてと言っても、トウイは知らんぷりで、わたしをおんぶしたまま階段を上っていく。


「──こうやって、手を貸したり貸してもらったり、っていうのは、旅の仲間なら当然のことじゃないですか。なんでも一人でやろうとしなくていいんです」


 トウイが前を向いたまま、ぼそりと言った。

「…………」

 わたしは口を噤んで、彼の肩に置いた拳を握る。

 でも──

「あとで交代してやるよ、トウイ」

 傍らを歩くハリスさんがそう言うと、トウイはそちらをちらっと見て、「大丈夫です」と素っ気なく返した。

「お前ねえ……」

 ハリスさんが渋い顔になり、メルディさんがくくっと笑う。

 わたしはじっと身動きせずに、トウイの背中の温かさを感じ、彼の息遣いを聞いていた。


 でも、トウイ。

 わたしは──



          ***



 階段を上り続け、そろそろ到着するか──という時になって。

 いきなり上方で、ドカン! という爆発音が響いた。

 一拍遅れて、複数の甲高い悲鳴があがる。

 わたしたちは動きを止め、お互いの顔を見合わせた。


 この爆発音、覚えがある。


 すぐにトウイの背中から降りて、階段を駆け上る。ややあって、叫び声や大きな足音と共に、血相を変えた人間たちが上から押し寄せてきた。

 彼らに跳ね飛ばされそうになったところを、トウイに抱き寄せられた。そのまま、山肌に押しつけられる。

 走ってくる人たちは、火事だ、火事だ、と上擦った声で、口々に喚いていた。

「あんたたち、何してる! 早く下に! 火に巻き込まれるぞ!」

 人々の群れを避けながら、階段の途中で立ち尽くしていたわたしたちに、そう言ってくれる人もいた。上も下も、ゆったりとした白い服を身につけている。星見の塔の、研究者なのだろうか。

 けれど彼は、こちらが事情を訊ねる間もなく、次から次へと雪崩のように階段を走る人たちに押されるようにして、すぐに姿が見えなくなった。慌てるあまり、階段を踏み外した人が、そのまま何人かを巻き込んで滑り落ち、混乱は大きくなる一方だ。

 茫然と見ているうちに、数分で人の波は通り過ぎた。下のほうではまだ叫喚が続いているけれど、それも次第に遠くなっていく。

 わたしは強張った顔を上げて、次の段に片足を乗せた。

「……行きましょう」




「やあ、一歩遅かったですね」

 闇の中、炎上する建物を背に、にっこり笑ってリンシンさんが言った。

「皆さんが何をしに来たにしろ、ここにはもう、お探しのものはないと思いますよ。僕がやるからには徹底的にやる性分だ、っていうのはよくご存じでしょう? でも安心してください、この場所は他に燃え移るようなものもありませんし、炎が広がることはないはずです」

 星見の塔──少なくとも、そう呼ばれていた建物は、あちこちから火を噴き出し、勢いよく燃えていた。ドーム型の屋根、四角い窓がいくつも並ぶ白い建物。まだその白さは失われてはいないけれど、いずれ真っ黒に焼け焦げた姿になるだろうことは容易に予想できる。

 テトの街で見たのと同様に。

「……どうして、こんなことを?」

 リンシンさんと対峙して、わたしは掠れきった声で訊ねた。トウイとハリスさんが、剣を抜いて両隣に立つ。

「後始末の一環です」

 リンシンさんの声はまったく揺れもしない。さらりとした口調、糸のように細められた目。その顔には、後悔や反省が微塵も乗っていない。彼がこのことを、なんとも思っていないのは明らかだ。

「あなたは──」

 声がうまく出ない。舌がもつれそうになるのを必死でこらえた。

 足がずっと、震えている。

「あなたは、何者なんですか」

 わたしはこの人が怖い。でも、同じくらい、強く引きつけられる。近づきたくないのに、自分から離れることも出来ない。どうしても視線がそこから外れない。


「あなたも、異世界人なんですか」


 わたしの口から出た問いに、トウイとハリスさんが驚いた顔でこちらを向いた。

 リンシンさんがくすくす笑う。

「惜しい。半分当たりで、半分ハズレです」

 半分?

「可愛いシュッシーナ……いや、神獣の守護人(・・・・・・)、『椎名(・・)』」

 わたしがびくりと全身で反応したことに気づいたのか、トウイが庇うように素早く前に出た。

 この世界では呼ばれたことのない発音。懐かしい、その呼び方。

 心が掴まれる。苦しい。震えが止まらない。息が詰まりそうだ。

「君は、自分の前にも守護人がいたことを知っていますか」

「知って……知ってます。数百年、前に」

 無理やり喉から絞り出したわたしの返事に、リンシンさんは軽く声を立てて笑った。

「そんな大昔の話じゃありません。それはもっと前の守護人だ。君の本当の『前代』はね、ほんの三十年前に、神ノ宮にあるあの扉を開けたんですよ」

 な、とトウイが口を開ける。ハリスさんも眉を寄せた。後ろで、メルディさんが「そんな話は初耳ですね」と呟いている。

「や、信じてませんね? まあ無理もないんですけどね。なにしろその守護人は、まったくなんの記録にも文献にも残っていない。なかったものとして、存在を葬り去られたんですから。言葉どおり、神ノ宮から放り出されて」

「なにを……言ってるのか」

 さっぱり判らない。あの扉をはじめて通った人は、監禁されて殺されそうにはなるけど追い出されたりはしない。狭間に戻って自分の世界に帰った人は守護人とは呼ばれない。一度守護人となったら、神ノ宮という籠の中に閉じ込められるだけ。

「なぜなら」

 リンシンさんは、薄っすらと凄絶な微笑を浮かべて言った。


「その守護人は、扉を開けた時、すでに狂人だった(・・・・・・・・)からです。神獣からも神ノ宮からも見捨てられた彼女は、この世界で何度も地獄を経験しながらもなんとか生き延びて、数年後、子供を産みました。……それが、僕です」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ