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5.終わりの時



 王ノ宮が妖獣に襲われている、という報せは、あっという間に神ノ宮中を恐慌に陥らせた。

「馬鹿な! 妖獣が草原を離れるなど」

「ましてや王ノ宮を狙うなんて」

「そんなこと、あるはずがない!」

 神官たちは泡を喰ったように叫ぶばかりで、何ひとつ事態への具体的な行動はとれなかった。

 今やるべきことは、まず事実確認だろうが、と俺でさえ歯噛みするほどじれったく思うのに、連中は右往左往して「そんなわけがない」と繰り返し、果ては神に祈りだすやつまでがいる始末だ。こんな時に祈りを捧げたところで、一体何の役に立つ。阿呆が、と俺は忌々しく小さな声で罵った。

「トウイ、剣を離すなよ。何があるか判らない。混乱のあまり暴れはじめるやつが出たら面倒だ」

「はい」

 腰に帯びた剣の柄をしっかりと握り、ハリスさんが耳打ちしてくる。普段は不真面目な態度でヘラヘラ笑っていることの多いハリスさんも、今はさすがに引き締まった厳しい顔つきをしていた。きっかけは小さなものでも、集団でのパニック状態が発生したら、とてもではないが俺たちだけでは手に負えない。

 その時、俺とハリスさんは、神ノ宮の敷地内に建てられた護衛官の詰所の近くにいた。

 今日、守護人護衛の任にあたっているのはロウガさんだ。神獣や守護人の住まう主殿のほうをちらりと見る。あの中も、今頃は騒ぎが大きくなっているだろうか。

「あの、ハリスさん、俺、守護さまの様子を──」

 見てきます、と言い終える前に、言葉が喉の奥で止まった。

 神官の誰かが、空を指差し、金切り声を上げたからだ。


「妖獣だ!」


 弾かれたように顔を上げると、青い空に、太陽の光を阻むがごとく飛んでいる大きな黒い影が見えた。

 その怪鳥は間違いなく、この神ノ宮へと向かってきている。

 近づいてくるにつれ、その巨大さに硬直した。

 弓矢も跳ね返しそうな頑丈な体躯、爛々と光る黄色い目。広げられた羽は耳が痛いほどの力強い唸りをあげて上下に動き、嘴は人を一飲み出来るくらい大きく鋭い。木の幹かとみまごうほどの太い二本の脚の先には、なんでも切り裂けそうな凶暴な爪が光っていた。

 ──あれが、妖獣。

 思わず、息を呑んで凝固する。額に汗が滲んだ。絵姿から想像していたよりもはるかに大きいその姿は、明らかに異形で、また、残忍さを孕んでいる。

 あれは駄目だ、と本能で察した。

 人間の言葉も考えも理解しない相手。理解しないからこそ、一片の慈悲も憐れみもなく、やつらは人間たちを蹂躙していくだろう。まるで、俺たちが虫を叩き落とすように。

 どう見ても力の差は歴然としている。その上、俺たちは妖獣のことを、ほとんど何も知りはしないのだ。何が弱点で、どうやったら死ぬのかも。

 一瞬の静寂を置いて、甲高い悲鳴がつんざいた。

 その悲鳴を契機にして、外に出ていた人々が一斉に大声を上げながら闇雲に走り出す。

 もう、止めようがない。逃げまどう神官や侍女たちは、ぶつかり、転倒した人間の身体を踏みつけ、我先にと神ノ宮の門へと全員が殺到していった。

 が、門のほうでも、絶望的な悲鳴が次々に上がった。

 空からだけではなかった。地上からも、妖獣たちはこの神ノ宮へと襲いかかろうとしていた。ぬめるような青黒い体毛を持つ大きな四つ足の獣が、牙を剥いて門番たちの喉笛を噛み切っている様子を目の当たりにして、数人がその場にへたり込む。

 その獰猛そうな脚一本が子供ひとり分ほどもあるというのに、武器もない人間が、どうしたって敵うはずがない。

「おい、トウイ! どこに行く?!」

 俺はくるりと踵を返し、ハリスさんの怒鳴り声を背に、主殿のほうへと駆けだした。



          ***



 いつもは静謐な空気に満たされているその建物内も、もうすでに混乱の極致にあった。

 あちこちで泣き叫ぶ声が聞こえ、何かを倒しているやかましい音が響く。神官たちはみんな、「どうしてだ、どうして妖獣が」とひたすら疑問を発しながら、阿鼻叫喚の態で見えない神に向かって助けを求めていた。

 神ノ宮は不可侵領域、と疑うこともなく信じ切っていたからこそ、それがひっくり返されて余計に取り乱しているのだろう。空から来る敵のことなんて、誰一人想定したこともなかったに違いない。

 日頃、祈るだけでそれ以外のことをしない神官たちは、呆れるほど精神的に脆かった。ちらほら見える警護や護衛官は懸命に「落ち着いて」と暴動にも似た騒ぎを収拾しようとしているが、その声も耳に入らないらしい。ある者は他人を突き飛ばし、ある者は手に持てる限りの貴重品を抱えて逃げようとしている。武器を携えている警護と護衛官に比べ、神官と侍女のほうが格段に数の上で多いのだから、とてもそれらを抑えきれるものではない。

 右に左にと走り回る人の群れの中を突っ切るようにして、俺は建物奥に向かって駆け抜けていった。広すぎるというのは、こういう時に本当に不便だ。ただでさえ人の波に遮られて進みづらいから、なかなか目指す場所にまで辿り着けない。

 後方のほうで、叫び声が聞こえた。


「妖獣が来たあっ!!」


 ち、と舌打ちする。もう建物内に入ってきたか。

 周りにいた人々が、その声にさらに大絶叫をあげた。もうなりふり構っていられないのか、手にしていたものを放り出し、わずかに残っていた理性も吹っ飛ばして、声とは反対方向に向かって突進していく。長い裾を手で持ち上げ、前を走る人間の衣服を掴んで引っ張り倒してでも、先を走ろうとする有様だった。

 倒れていたり、廊下の端で震えたまま泣いているのは侍女ばかりだ。日常の面倒を見てくれている彼女たちのことを、逃げていく神官たちは一顧だにしなかった。

 俺は倒れた侍女に手を貸して起き上がらせ、泣いている侍女たちのほうを向いて声をかけた。

「表門に向かってももう手遅れだ。この先を進んでふたつめの廊下を左に曲がり、それからすぐ右に曲がると、裏庭へと通じる窓がある。そこを抜けてまっすぐ走れ。障害物があっても気にせず行けよ。塀をよじ登ってでも外に逃げるんだ、いいな?」

 このところ散々守護人の少女と一緒に敷地内をうろついて、俺の頭の中には神ノ宮全体の地図が刷り込まれている。外へ逃げるならどの道が最短か。敵の目に入りにくい通路はどれか。目立たず移動できる道はどこか。


 少女と何度も辿った、この神ノ宮の入り組んだ内部。

 敵に襲われた場合、どこをどう逃げるのが効率的か、今の俺はすぐにでも言える。


「あ、ありがとうございます……!」

 侍女たちは手に手を取り合い、身を寄せ合うようにして俺の指示通りの道へと向かった。自分らと同じく取り残されている他の侍女に声をかけ、バタバタと走り去っていく。

 俺は彼女たちと別れてまた奥へと向かったが、そのうち焦げ臭い匂いが鼻をついて、ひやりとした。

 火の手が上がったのか。

 神ノ宮では、祈りの時には必ず火を焚く。現れの間にもあった灯火台は、建物の中のあちこちに置かれている。逃げる神官のうちの誰かが、慌てるあまりに火の焚かれてあるそれを倒したとしても、まったく不思議ではなかった。

「早く火を消せ! 神獣をなんとしてでもお守りせよ!」

 前方で大きな声を張り上げているのは大神官だった。走り回っている神官たちに揉みくちゃにされながら叫んでいるが、誰の耳にも届いている様子がない。あたりは怒号と叫喚で満ち満ちている。大神官の姿すら目に入っているかどうかも覚束ないくらいだった。

「大神官様」

 俺はそこに駆け寄って声をかけた。あちらが俺を個別認識しているか定かじゃないが、服装で護衛官ということは判ったらしい。「おお!」と目を見開いて、がしっと俺の腕を掴んだ。

「早く! 早く神獣をお助けせよ! 最奥の間に火が廻ったらおしまいだ! なんとしても神獣だけは守らねばならんのだ!」

 火の手が上がっているのは最奥の間の近辺らしい。あそこは文字通り建物の最も奥、行き止まりだ。神獣の部屋に、すぐ外に出られるような窓がついているとも思えない。

「大神官様、守護さまはどうされました。お部屋に?」

 私室にいるのか。それとも外にいるのか。俺が第一に確認したいのはそこなのに、大神官はその問いには答えなかった。

「守護人などこの際どうでもいい! 神獣だ! 神獣に傷一つ負わせてはならん! 神獣がおらねば、この国は、この国は……!」

「──……」

 思わず、拳を握る。

 どうでもいい、だと?


 こちらの都合で勝手に呼びつけ守護人という肩書を一方的に押しつけた、異世界の女の子に向かって言うのがそれか。

 結局、それが本音か。

 あの少女が何も言わず、不平も不満も零さないからって、それは決して、彼女をどう扱ってもいい、ってことじゃないのに。


 俺は無言で大神官から顔を逸らし、床を蹴って走り出した。背後から聞こえた「必ず真っ先に神獣をお助けするのだぞ!」という声に、振り返ることも返事をすることもしなかった。

 俺の最初で最後の、命令違反だ。



          ***



 進むにつれて、焦げ臭い匂いばかりでなく、煙まで漂ってくるようになった。とっくに逃げたのか、そのあたりにはもう、神官たちの姿もない。

 守護人の近くにはロウガさんがいるはずで、あの人のことだから、危険が迫っていたら然るべき手を打っているだろう。私室にいたのなら、そちらに向かう俺と行き会ってもよさそうなものだ。あるいは本当に外にいて、運よく難を逃れたかもしれない。

 そう思うのに、俺の足は止まらなかった。誰の姿も見えず、しんとした静けさの中で、向こうのほうから、かすかにガシャンという音が響いてくるのも、不安をかきたてる。煙で見通せないが、あちらでも何かが起こっているのだろうか。

 と、その煙の中から、誰かが走ってくることに気づいた。

「……トウイ?!」

 ミーシアだ。ミーシアが奥からやって来るということは、やっぱりあの少女もまだ取り残されてるのか。

「ミーシア、守護さまは?」

「しゅ、守護、守護さまは」

 身体を支えるようにして問うと、ミーシアは荒い息をして、喉を詰まらせながら、なんとか言葉を絞り出した。その顔がびっしょりと涙で濡れているのは、煙で目をやられたせいではないのだろう。

「ま、まだ、向こうに。妖獣が、翼をもった妖獣が、い、いきなり窓を破って飛び込んできて」

「妖獣──」

 火事どころじゃない。もう妖獣がこちらに廻っていたのか。緊張が全身を支配して、肌が粟立った。

「あ、あっという間に、守護さまのお部屋の警護が、二人とも殺されてしまったわ。中にいた守護さまと私を、兄さんがなんとか逃がしてくれたの。守護さまが私の手を引いて走ったのだけど、ま、また新たに妖獣が目の前に現れて」

 二匹もいるのか、と戦慄する。一匹だけでも人間の手に負えないだろうに。

「守護さまが剣で妖獣の脚を斬りつけて、暴れている隙に私の身体を押したの。『逃げて』って。『今まで世話をしてくれてありがとう』って。わ、私、いやですって言ったの。守護さまのおそばにいますって。け、けど、私がいると、気になって戦えない、って……」


 ──ミーシアさんに傷でもついたら、わたしが責任を取ってお嫁さんに貰わないといけないでしょう?


 こんな時まで、真面目な顔でそんな冗談を言って。

 少女はミーシアだけを逃がしたのだという。

「そ、それから、私には、他に大事な仕事をしてもらわないといけないから、って」

「大事な仕事?」

 問い返すと、目に涙をいっぱいに溜めたミーシアが顔を上げ、俺の顔をまっすぐ見た。

「……トウイに、伝言を。『わたしがお願いしたことを、忘れないで』って」

「…………」


 いざという時は、自分の命を優先する行動をとってください。


「ああ……くそ!」

 吐き捨てるように声を出す。

 自分のことを棚に上げて、なに言ってんだ、あの守護人は!

 それが出来りゃ、俺だって楽なんだよ! ホントは俺だって、逃げたくて逃げたくてしょうがないんだよ! 神官ですら仕事を放り出して逃げてるんだから、俺が護衛官としての役目を放って逃げて何が悪いんだって、自分でも思うんだよ!

「ミーシア、逃げるなら表門から出ようとしたら駄目だ。建物の裏に廻って塀をよじ登って逃げろ。もう少し進めば、他の侍女たちとも合流できるはずだ。気をつけて」

 それだけ言うと、俺は煙のたちこめる奥へと再び走り出した。



 奥へ向かえば向かうほど、煙が充満してくる。視界が利かない。

 左の掌で口を押さえながら、右手で油断なく剣の柄を握りながら進む。少なくとも、この先に、妖獣が二匹いる。下手をすると、もっと増えているかもしれない。こんなに周りが見えない状態で、いきなり襲われたら──

 その時だった。

 後ろから、どん、という衝撃があった。

 熱い。

 瞬間、感じたのはそれだけだ。何かがぶつかった、ような気がした。痛みを覚えるよりも何よりも、最初に思ったのはそんなことだった。

 喉元までせり上がってくる何かがある。

 かはっ、と咳き込んで、口から吐き出したのは、血の塊だった。

「……なんだ、これ……」

 頭の芯が痺れる。手から滑り落ちた剣が、床に当たる音が響く。茫然と呟きながら自分の身体を見下ろし、腹のところから異物が飛び出していることに気がついた。

 大きくて、鋭く尖った、鉤爪の先端。


 背中から(・・・・)貫かれてる(・・・・・)


 自覚した途端、目の前がぼやけた。足に力が入らない。膝が曲がって、倒れかかるのと同時に、鉤爪が乱暴に抜き取られた。肉を抉るような、ごしゅ、という嫌な音がした。

 だんっと前のめりに倒れて、床に身体を打ちつける。頭もぶつけているはずなのに、まるで痛みを感じない。ドクドクと脈打つ鼓動とともに流れ出る血が、あたり一面を濡らしていった。

 爪で貫かれているのだから激痛があるはずなのに、麻痺していく思考の中、それすらも脳に届かなかった。手の先から感覚がなくなって、冷えていくみたいだった。衣服が大量の血を吸って重くなっていくことだけを、かろうじて認識する。

 赤い血と一緒に、自分の生命力が流れ出ていく。

 ……死ぬのか。

 推定ではなく、怯えでもなく、逃れようのない事実として、直感的に悟った。助かりたい、とも、いやだ、とも、思う余地のないくらいに、それはもう俺にとっての確定事項だった。


「死ぬの?」


 一瞬、自分を襲った妖獣が喋ったのかと思った。妖獣ってのはずいぶん幼い声を出すんだな、と急速に薄れかけていく意識の片隅で思う。

 無邪気なくらいの。……まるで、面白がっているような。

 手にも足にも力が入らない。なんとか顔を持ち上げようとしたが、それも上手くはいかなかった。ようやく、少しだけ角度を変えて、目を動かす。


 そこには、子供が立っていた。


 子供……?

 どうして子供がこんなところに、と思ったが、ひゅーというか細い呼吸が漏れるだけの喉からは、言葉を発することが不可能だった。早く逃げろ、と言ってやりたいが、唇がぴくりとも動かない。

 この国の人間は、色味の濃い薄いの違いくらいはあれど、みんな赤茶色の髪と瞳をもつ。しかしそこにいる子供は、俺が一度も見たことのない外見をしていた。

 白い肌、銀色の髪、そして、妖獣のような黄金色の瞳。

 口許は上がっているが、こちらを見下ろすその目には、なんの感情も宿っていない。細く弧を描く黄金の瞳が、無感情な分、不気味だった。


また(・・)、死ぬんだね、キミ」


 子供がくすくす笑いながらそう言ったが、俺にはその言葉の意味が判らなかった。また? またって何だ。それよりも、こいつはなんだって、こんな場所で平然と立ってやがる。

「ああ、ボクのことは心配しなくてもいいよ。妖獣はとっくに逃げて行ったからね。あんな低俗な獣でも、生物としての格がどちらが上かということは、本能的にすぐさま悟るんだ。そういう点、キミら人間なんかよりも、彼らははるかに敏感だよ」

 まるで、自分はその「人間」の枠内には入っていないかのように、子供が言った。

「まったく、人は鈍感で愚かだよね。愚かな上に、傲慢だ。カイラック王は、守護人の忠告をちゃんと聞き入れるべきだった。草原地帯に異変が起きていないかをしっかり調べて、砂の国と火山の国の動向を詳しく探る──たったそれだけ。守護人の一存ではどうにもならないこれらのことが、王には命令ひとつで済むことなんだから。それを、幼稚な意地の悪さと、どちらが上か思い知らせてやろうなんていうつまらない矜持で先延ばしにしたばっかりに、こんな風に取り返しのつかない事態を招くことになった。……守護人は、結局、間に合わなかった」

 くっくと肩を震わせて笑う。

「まさか砂の国が、妖獣を使って自分の国を襲わせようとしているなんて、誰も想像しなかったんだろうね。その油断と怠慢が命取り。まあ、砂の国にとっても、この計画は諸刃の剣だったけど。なんたって、妖獣は一度怒らせると手のつけようがないから。妖獣たちを草原から出すくらい怒らせるなんて、相当えげつないことをしたはずだし、あっちも無傷では済まなかったろうさ。どんな手段を使ったかな。妖獣の仔を虐殺したか、草原に毒を撒いたか……まったく、人は自分の利のために、どこまでも貪欲に、そして他者に対して残酷になれるものだね」

 歌うような口調で、子供は楽しそうに続けた。

「でもまあ結果的に、このニーヴァに妖獣を送り込むことが出来たんだから、計画は上々だったと言うべきかな? カイラック王は自分の驕りを後悔する前に、首を胴体から引きちぎられたようだし。王ノ宮も、この神ノ宮もほぼ壊滅だ。ここまでやったら、逆に後始末が大変なんだけどねえ。それに妖獣は怒りが収まるまで、この国の住人を殺し尽くすだろうし」


 カイラック王が死んだ──

 王ノ宮と神ノ宮が壊滅し、国民の多くを失う。

 それは、ニーヴァという国の、終焉を意味する。


「あははははは!」

 子供が愉快そうに大笑いした。

 この声。この笑い声。最奥の間の中から聞こえてきた、あの声だ。


 こいつが神獣(・・・・・・)


 かつん、という軽い音がした。

 俺は最後の力を振り絞って、子供の向こうに目を凝らした。揺れて掠れる視界に、靴が見えた。

 布と紐とで出来た、複雑そうな靴。

「四十九回目──」

 小さな声で呟いた少女は、手に神獣の剣を持って、顔も身体もところどころが黒く汚れていた。あれはきっと、妖獣の血だ。

 その後ろでバチバチと燃える炎に照らされて、彼女の全身も赤く染まっていくのに、倒れた俺に目を向けたまま、身じろぎひとつしない。

 こちらを見つめる、黒い瞳。

 その目だ。現れの間で、最初に俺に向けたのと同じもの。

 どうしてそんな目で、俺を見る?


 そんな──悲しそうな目で。


 意識が闇に引きずり込まれる。手も、口も、動かない。必死に頑張ったけど、無理だった。そのことがたまらなく悔しい。

 俺は最後に、あの子に何かをしてやらなきゃならないはずだった。何かを言ってやらなきゃいけないはずだったのに。

 ……結局、一度も笑った顔が見られなかったな。

 指の先だけが、ぴくりと動いた。でも、それだけだった。

 ごとんと頭が床に落ちる。

 周囲の景色が、すべて消えた。

 あははははは、と神獣が笑った。



   (第一章・終)




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