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4.価値



 もちろん、俺は大反対した。

 そりゃそうだろう。たとえ、彼女の心がすでに何かを決めてしまっていても、そしてそれが他人の介入を許さないほどの、強固な意志に支えられているのがはっきり見て取れたとしても、ここであっさりと肯ってしまうわけにはいかない。

「ダメです!」

 音量を抑えつけてだが、俺は精一杯の怖い顔になって、きっぱりと言った。

「もう決めました」

 守護人は、俺の顔を見ても、ちっとも怖がってなんかくれなかった。それどころか、正面からこちらを見返し、俺以上にきっぱりした口調で断言した。ああもう、この守護人は……! と、俺は自分の頭を掻きむしる。

「それじゃ俺がここに一人で来た意味がないでしょう!」

「その点については、トウイさんはあとでロウガさんに耳から血が出るほどお説教されればいいと思います」

「だからそういう問題じゃなく! もしもシイナさまに何かがあったらどうするんですか! 自分が勝手な行動をとったことは自覚があります。いくらでもあとで叱られるし、責任も取ります。けど、シイナさまがそうするのは全然別の問題だ! 俺の身に何かがあるのは自業自得でも、シイナさまに何かがあったら取り返しがつかない。俺とあなたでは、存在価値がまったく違うんです!」

「──存在価値?」

 守護人の声が一段階低くなった。黒い瞳で射るように睨まれて、気圧された俺は口を噤んだ。

 自分がどうやら、彼女の触れてはいけないところに触れたらしい、ということだけは判った。


「だったらあなたはどうしてここに来たんです」


 冷たい声を出されて、たじろぐ。

「……どうして、って」

「命に優先順位なんてつけられない、そう信じているから、あなたはここに来たんでしょう。すぐそこに、助けを求める手があったから、あなたはそれを掴んだ。その時に、この命は他のものよりも大事だから、価値があるから、なんてことを考えましたか。違うでしょう。あなたは一瞬だって、そんなことは考えなかった。ただ、失われるかもしれない命を見過ごすことが出来なかった、それだけだったんでしょう。存在価値云々というのなら、あなたはハリスさんの言うとおり、ここに来ちゃいけなかったんです。そうじゃありませんか」

「…………」

 守護人の言葉に、俺は何も言い返せなかった。

 そうだ──守護人の存在価値が他の誰よりも勝るというのなら、そもそも彼女の護衛である俺は、ここに来てはいけなかったのだ。

 関係のない子供を助けるために、その役目を放り出してこの場所まで来てしまった俺が、守護人の安全は何を置いても優先されるべきものだなんて、どのツラ下げて言えるだろう?

 守護人を護ることよりも、見ず知らずの子供の命を助けようとした時点で、俺は護衛失格だった。彼女からも、他の仲間からも、一切の信頼を失って当然だ。

 自分で決めて行動を起こしたとはいえ、己の幼稚さと考えのなさに恥じ入る。当の守護人本人に「ここに来るべきではなかった」と面と向かって言い渡されるのは、鋭い棘で刺されるように胸に堪えた。

 唇を引き結んで視線を下に向けると、しばらくして、すぐ近くで大きなため息が落とされた。

「……何か、誤解があるようですが」

 守護人のその声からは、さっきまでの怒りが消えている。


「今のは、『存在価値が違うなんて考え方はくだらない』、という話です」


「え」

 驚いて顔を上げると、彼女は折った足の膝頭で頬杖をし、眉を寄せて斜め上に視線をやっていた。口をへの字に曲げて、なんとなく、むっつりとした顔をしているように見える。

「そうは、聞こえませんでしたけど」

 てっきり、俺の護衛としての在り方を責められているのかと。

「トウイさんの耳がおかしいんです」

 そうかあ?

 ていうか、なんで膨れっ面なんだ。まるで拗ねているようなそんな顔、今までに見たことがない。

 ……なんで、俺の心臓はこんなにも跳ね回ってるんだ。

「だって、怒ってましたよね」

「別に、トウイさんに怒ってたわけじゃありません」

 じゃ、誰に対して、何に対して、怒ってたんだろう。さっきまでの声のトーンと、「あなた」という呼び方が、普段のものに戻って、ほっとした。

「俺のこと、許してくれるんですか」

「許すも許さないもありません。トウイさんはトウイさん。それでいいんです。だから、わたしも一緒に行きます」

 いきなり話のほうも戻った。

 それでいい、という言葉と、だから一緒に行く、という言葉の間が、すっぽり抜けていてるような気がするんだけど。それって、俺の頭が悪いせい?

「けど──」

 反対したいし、反対しなきゃならないのは判っている。でも、今しがたやり込められたばかりで、何をどう言えばいいのか咄嗟に思いつかない。口ごもっていると、守護人はどんどん畳み掛けてきた。

「大体、ダメって言われてもどうしようもありません。もうここまで来ちゃったんだし。それとも、トウイさんが戻ってくるまで、わたし一人でここで待ってろと?」

 その質問に、俺は険しい顔ですぐさま否定した。

「とんでもない。そんな危ないこと」

「じゃあ、一人で戻れと?」

「い……いや、それも」

「だったらトウイさんも一緒に戻りますか? 戻ったら、ロウガさんがもう一度テトに来る機会を与えてくれるとは、到底思えませんが。そうしているうちに、夜になり、朝になってしまいますね」

「…………」

 結局、折れざるを得なかった。こんなところで、守護人を一人にはさせられない。かといって、このままニコたちを見捨てることも出来ない。今の俺に残された選択肢は、彼女を護りながらなおかつ二人の子供を助ける、という道だけだ。

 深い息を吐きだしてから、俺は守護人と向き合った。

 その瞳をしっかり見つめて、確認する。

「シイナさま、俺をまだ護衛として信用してくれますか」

「わたしがトウイさんを信用しなくなることは、これからも絶対にありません」

 躊躇なく返ってきた言葉に、じわりと胸が熱くなった。でも同時に、かすかな訝しさも覚えた。


 ──どうして彼女は、こんな俺のことを、そんなにも信用してくれるんだろう。


「子供たち、無事だといいですね」

 街の壁を見ながら呟かれた守護人の言葉に、我に返った。あれこれ考えるのは後回しだ、今は別の大きな問題が、目の前に差し迫っている。

 ニコも、フィリーも、必ず助ける。守護人も、なんとしてでも護ってみせる。

「……本当は」

 守護人がこちらに視線を向けないまま、ぽつりと呟くように言った。

「命に優先順位をつけるなんて、とても愚かなことです。わたしも、そう思います」



          ***



 街の中に入る場所を探すなら、ニコが手を伸ばしてきた穴のなるべく近くがいいのではないか──と、先に言ったのは守護人だ。

「この中がどうなっているのかわかりませんが、とにかくあの子が話していたのがすべて事実だったと仮定するとして、外に出て自分の姿を他の人たちに見られるのを、なにより警戒していたはずです。だとしたらあの穴の周りは、塀や壁で囲まれているか、すぐ近くに人の目を遮るようなものがあるんじゃないかと思います。少なくとも、外から丸見えの開放的な場所ではないでしょう。中の人たちがどこにいて、どういう動きをしているのかわからないこの状況なら、まずはそこから始めてみるのがいいんじゃないでしょうか」

 淡々と説明されて、俺はちょっと戸惑った。その考え自体は筋が通っていると思うし、俺もどこから入るかとなったらその結論に辿り着くだろうと思う。でもそれが、こんなにも当然のように守護人の口からすらすら出てくるとは思ってもいなかった。

「……なんか、シイナさま、手馴れてません?」

 落ち着いた態度はいつものこととしても、彼女の口ぶりは、これまでにもどこかに忍び込んだ経験があるかのように聞こえる。まさか神ノ宮で、メルディと同じ密偵の真似事をしていたとは思わないけど──大体、警護と護衛官に四六時中見張られていて、そんなことは不可能に決まっているんだけど、そういうあり得ない疑念を抱かずにはいられないほど、守護人はこういったことに慣れている感じがした。

「…………」

 俺の問いかけに、守護人は少しだけ黙り、ちらっと視線を寄越した。

「……敵に見つからないように隠れたり動いたりするのは、はじめてじゃありません」

「え、ええ~?」

 ぼそりと返された言葉に困惑する。なに、それ。

「はじめてじゃないって」

「何度か」

「な、何度か? 大体、敵っていうのは何ですか」

「いろいろです」

「い、いろいろ? もしかして、もといた世界で、ってことですか?」

「ここではない、前にいた世界、ということならそうです」

「はあ……?」

 いちいちおかしな言い回しで表現される答えに、俺の困惑は増す一方だ。いろいろな敵、って一体なんだ。もといた世界っていうのは、どういう世界だったんだろう。

 守護人はそこで、敵と戦うような立場だったんだろうか。いや、まさかな。彼女がこの世界に来た時、ほとんど腕に筋肉もついていないような、いかにもほっそりとした女の子だった。

 俺の脳裏に、ふっと、絵の扉を開けて現れの間に姿を見せた少女の記憶が甦った。

 黒ずくめの変な衣装を身につけて、すらりとその場に立ち尽くし、まっすぐ俺に視線を向けていた。あの時あんなにも遠い存在だった彼女が、今は息遣いが聞こえるほどこんなにも近くにいる。

 おかしな感じだ。守護人は、格好以外はあの時と何も変わっていない。表情に変化がないところも、口数の少なさも、素っ気ない態度も、以前と同じまま。なのに、あの時とはまったく違う目で、俺は今の彼女を見ている。


 ──変わったのは、こちらのほう、ということか。


「トウイさん、この石を動かすことは出来るでしょうか」

 俺が別の思考に気を取られている間にも、守護人はさっさと先に進んでいた。ニコと言葉を交わした場所の付近まで到着すると、手の平で壁をなぞるように動かしながら調べ、下部に開いていた穴に注目する。

 地面から三角形に切り取ったように開いた穴は、あちらから石が置かれて塞がれてあった。どれくらいの大きさの石なのかは、こちらから確認できない。

「ちょっとやってみます」

 地面に腰を下ろし、後ろに両手を突いて、右足で少しずつ力を入れて押してみる。

 ず、と石が動く感触があった。

 どうやらさほど大きな石ではないらしい。考えてみれば、中にいるのは十分に栄養も摂れていない、痩せ細ったやつばかりというのだから、そんなに重い石を移動させてあちこちに置けるはずもない。せいぜい二、三人で転がせられる程度のものだろう。

「いけそうですね」

 囁くようにそれだけ言って、慎重に石を動かしていった。守護人は壁にぺったり張り付いて耳を澄ませている。人の気配も話し声もしないが、障害物を取り除こうとしているのがあちら側から見られていないように、と祈るのみだ。

 どうにかこれなら人一人くらいは通れそうか、というくらいまで動かしたところで、俺は四つん這いになり守護人を見上げた。

「……先に俺が入って様子を見ますから、合図をしたら続いてください」

「はい、気をつけて。二人とも小さいと、こういう時、便利ですね」

 守護人が余計なことを言った。そりゃ、この穴の大きさじゃ、ロウガさんはもちろん、ハリスさんも入れないだろうけどさ。

 ──女の子ってのはやっぱり、背の高い男のほうがいいのかね。

 ちょっとだけ傷つきながら、俺は用心深く穴を潜って、テトの街への侵入を開始した。



          ***



 守護人の手を取って、中に入る手助けをしてやってから、もう一度石を動かして軽く穴を塞いだ。ぽっかりと進入路が出来ていることを誰かに気づかれたくはないが、ここを出る時のことも考えておかないといけない。帰りは、ここを通る人数が増えている──はずだ。そのために、俺はここに来たんだから。

 幸いなことに、守護人の見立ては当たって、穴の向こうは非常に人目につきにくい場所になっていた。家の裏手である上に、まったく手入れもされずに伸びきった雑草がみっしりと茂っている。そろそろ暗くなりかけているのも、幸いの上乗せだ。

 俺たちは身を低くして、手前にある家の陰から街の様子を窺った。

 ──やっぱり、まったく人の話し声が聞こえてこない。

 すぐに声が聞こえるほど近くにいられても困るが、こんなにどこもかしこもしんと静まり返っていると、逆にどのあたりに人がいるのかもまったく判らなくて困る。物音さえも聞こえてこないとは、一体ここの連中は、どういう生活をしているんだ。

 それにしても、数年前、テトの街を襲った火災というのは、どれほど大きなものだったんだろう。

 目に入る建物はすべて、一部か、あるいは全体が、黒く焦げていた。俺たちが隠れている家も、天井部分がほぼ焼け落ちて、真っ黒の壁が残っているだけだ。中にはさほど形が崩れていないものもあるが、それでも家というよりはただの残骸にしか見えない。確かにこれでは、住人たちは再建を断念せざるを得なかったはずだと納得した。


 寂しく、哀れな、「捨てられた街」。


 たとえ健康な人間だったとしても、こんなところで暮らしていては、きっと精神を病んでしまうだろう。それほどまでに荒んだ、空虚で暗い場所だった。

 ここに住み着いた連中が、どんな目的があり、どういう事情でやって来たのであれ、この街を選んじゃいけなかったんだ、と俺は悟った。

 テトはもうすでに、死んでいる。街として機能していないとか、そんな問題じゃない。ここはこのまま、自然に朽ち果てるまで、静かに眠らせておかなければならなかったのだ。

「トウイさん、あそこ」

 抑えた小声で言って、守護人が指で示した方向には、小さな四角い家があった。

 そこも壁が黒ずんでいるが、一応どこも崩れてはいない。他の家から少し離れて建てられているため、街じゅうを舐めつくした猛火から受けた被害も少なかったとみえる。

 もう陽が落ちかけていても、かろうじて、その黒っぽい扉の色が、もともと青に塗られていたのだろう、ということが判別できた。

 ……青色の扉の家、とニコは言っていたっけ。

 その家には、確かに上のほうに小さな窓がついていた。その他にも窓はついているが、すべて、外から目張りをするように複数枚の板でみっちりと覆われている。扉には、頑丈そうな鍵が取りつけられてあるのが確認できる。どの家も放置されたままなのに、その家だけ、穴という穴、割れ目という割れ目がすべて丁寧に補修して潰されていて、その異様さは背中が冷たくなるほどだった。

 あれじゃ、昼間でも家の中は真っ暗だ。

 あんなところに閉じ込められていたら、年端のいかない子供には、どんなにか恐ろしいことだろう。その気になれば窓から出られるニコはともかく、フィリーというもう一人の子供が極限まで追い詰められているというのも理解できる。

「あの鍵は、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにありませんね」

 すぐにもその家の中に飛び込み二人を助けてやりたくて、剣の柄を握った俺は、守護人の声でなんとか自制心を取り戻した。馬鹿なことを考えたらダメだ。ここで俺が無謀な真似をすれば、それこそ取り返しのつかないことになる。

「鍵が開けられるのを待つか……」

 自分を落ち着かせるために、考えながら呟く。

 ニコのあの腕を見るに、とても腹が満たされるほど食べさせてもらっているとは考え難いが、それでもまったく与えられないわけでもないだろう。フィリーという子は何も食べないし飲まない、と言っていたから、最低限はあの家の中に運ばれているはず。その時は鍵も開けられるのだろうから、その機会を待つのが最善だろうか。

 しかし問題は、それがいつのことになるかまったく判らない、という点なのだが。

「そうですね。それとも、」

 守護人が何かを言いかけた時だった。

 突然、どん! という激しい音が響いた。



 咄嗟に、守護人を庇うようにして、左手で抱き寄せた。

 彼女の身を自分の腕の中に入れて、同時に剣を抜く。

 息を殺し、周囲を探りながらじっとしていたが、自分たちに何かが向かってくる、ということはなさそうだった。守護人も全身を固くして、しかし彼女も自分の剣に手をかけながら、次に起こることを呼吸も止めて待っている。

 もう一度、どん! という音がした。

「だれか!」

 聞こえてきたのは、子供の声だった。

 ニコだ、と俺にはすぐ判った。

 ニコの悲痛な叫び声は、青い扉の小さな家から聞こえてくる。あの大きな音は、どうやら内側から扉を叩いた音らしい。

「だれか! だれか、来て! フィリーがぐったりしてるんだ! 呼びかけても返事をしない! たすけて、たすけて、早く! 頼むよ、だれか! フィリーをたすけて!」

 守護人の肩に廻した手に、ぐっと力が篭った。

 ニコはまた泣いていた。自分だって怖くてたまらないだろうに、あの子供が口にするのはいつも、フィリーを助けてやって、という言葉ばかりだ。

 何度も何度も、扉を叩く音は続いた。ニコの泣き声も途切れない。

 そのままの姿勢でニコの叫びを聞いていなければならないのは相当な辛抱が要ったが、待っていた甲斐はあった。

 しばらくすると、小さな家に近づいていく人物が現れたからだ。

 痩せた男だった。頬はこけ、歩くスピードもじれったいほどにゆっくりだ。まるで地面を滑るような歩き方をしていた。眼窩は落ち窪み、ぎょろりとした目玉がやけに目立つ。肌の色はいかにも不健康そうに青白い。

 薄闇の中をゆらゆらと進んでいくその男が、果たして本物の生きた人間なのかも、見分けがつかないくらいだった。

「どうした?」

 男は、家の前に立って、小さな声で問いかけた。

 てっきり老人かと思ったのに、その声はどう聞いても若者のものだ。口調にまったく張りはなく、ぞくりとするほど生気がないが。

 どんどんと扉を叩き続ける音が止まった。

「たすけ──たすけてくれ! フィリーが、フィリーが、さっきからずっと返事をしないんだ! 目を閉じたきり、動きもしない! このままじゃ死んじゃうよ、お願いだ、ここから出してやってくれよ! 頼むから!」

 ニコがそう叫んで、身も世もないほどの泣き声を上げる。友達の命が刻一刻と失われていくのを目の当たりにして、混乱の極致にあるようだった。

「…………」

 その懇願を聞いても、男は表情一つ変えなかった。何を考えているのか、というより、何かを考える能力があるのかも定かではない虚ろな目が、ただじっと扉に向かって据えつけられている。

「シイナさま、今なら……」

 俺は守護人の耳に寄せた唇をかすかに動かして囁いた。もしもここであの男が鍵を開けたら、その瞬間が絶好の機会になるのではないか。あんな体力もなさそうな相手だ、後ろからそっと近づいて、気絶させるのは容易い。

「ダメです、見て」

 腕の中の守護人が、同じように息のような声を出して、俺を牽制した。

 その言葉通り、青い扉の家に寄っていくのは、男だけではなかった。一体どこにいたのやら、いつの間にか現れた他の人間が、やはり鬱蒼とした顔つきで、音もなく歩いてきたのだ。

 一人が二人に、二人が三人に、幽鬼のような人間は、どんどん増えていった。揃って声も出さず、他の人間と目も合わさず、静かに集まってくる。

 冷や汗が滲み、皮膚が粟立った。


 ……なんだ、この連中は。


 最終的に、ニコたちが閉じ込められている家の前には、六人が集まった。どれも男だが、年齢がまるで判らない。若いのか、年寄りなのか。

「六人、くらいなら……」

 俺一人でもなんとか、と言いかけたところで、守護人が強い調子で遮った。

「倒すことは出来るかもしれませんね。でも、六人いっぺんに相手することは出来ないでしょう? いくら弱そうでも、あちらは手も足も動くし、頭もある。五人を倒している間に、残りの一人が子供を人質にしたらどうするんです? ニコという子はまだしも、フィリーという子は自力で動けないんだから、簡単ですよ。その時には、子供を助けるために、自分が捕まって、殺されるんですか?」

 俺は言葉に詰まった。

「そんな、ことには……」

「絶対にないと言いきれますか。動かない子供の首筋にナイフを当てられて、無抵抗でいろと言われたら、それを撥ねつけることなんて出来ないのに」

 守護人の言い方は、まるで実際にその場面を見たかのように、断定的だった。

「トウイさんの目的は、二人をここから連れ出すこと、でしょう。それから」

 そう言って、まっすぐ俺を見る。剣の柄を握る俺の手の上に自分の手を重ねて、ぐっと握った。


「わたしを護ること、でしょう?」


「──そう、です」

 俺はその目を見返して返事をした。

「だったら、まず考えなければならないのは、トウイさん自身の安全、じゃありませんか? トウイさんがいなければ、わたしと二人の子供たちは、どうやってここを出るんです?」

「……その通りです」

 目の覚めるような思いで、頷く。

 神ノ宮で、俺たちは、護衛官は自分の身を挺してでも対象を護れ、と叩きこまれた。自分が犠牲になっても、決して護衛対象だけは傷つけさせてはならないと。

 でも、今のような状況では、それは駄目なんだ。

 ここで俺が命を落としたり、あるいは人事不省に陥ったりしたら、その時点で守護人と二人の子供の身が危うくなる。この場には、ロウガさんもハリスさんもいない。俺の他に、彼女たちを護れるのは誰もいないのだ。


 守護人と子供たちを護るためには、俺は「自分の安全」を真っ先に確保するやり方を考えなければいけない、ということだ。


「じゃあ……」

 どうするかな、と改めて策を巡らせる。六人の男たちは、頭を寄せ合って、ぼそぼそと何事かを話し合っていた。不安でたまらないのか、ニコがまた内側から扉をどんどんと叩きはじめたが、その音はまったく耳には入っていないようだ。

「トウイさん、ちょっと思いついたんですけど」

「却下します」

「まだ何も言ってません」

 腕の中から不満げな目を向けてくる守護人を、俺は胡乱な顔で見やった。

 なんかもう、本気で聞きたくない。イヤな予感しかしないもん。

「──たとえば、わたしが」

「ダメです」

 最後まで聞く前にきっぱり言った。何を言いだすにしろ、主語が「わたし」の時点でダメに決まっている。常に冷静なように見える守護人だが、時々発想がおそろしく乱暴だというのも知ってる。俺が守護人に望むのは、街を出るまで誰にも見つからないようひたすらじっとしていること、それだけなのだ。

 お互いに眉を寄せて顔を見合わせ、次の言葉を出すために同時に口を開きかけたが、その時、扉を叩く音とニコの泣き声がぴたりと止んだ。

 目をやると、六人の男のうちの一人が鍵を出し、小さな家の青い扉を開けている。

 その男は、家の中に入っていくと、少ししてから一人の子供を両手に抱きかかえ、また外に出てきた。

 ──抱かれているのは、骨と皮ばかりの、痛ましいほどに痩せた女の子だった。

 くるくるした巻き毛は灰色。肉という肉が落ちきったような身体は、男の腕の中に抱かれたまま、ぴくりとも動かない。だらんと垂れ下がった腕は、男の歩みに合わせてぶらぶらと揺れているが、今にも折れそうな細さだ。頭は力なく後ろに倒れていて、白っぽいその顔に表情はなく、薄く開かれた目は何も見ていないようだった。

 今までよりもさらに激しい、ニコの悲鳴のような叫びが、空気を裂いて闇をつんざく。

「だめだ、だめだ、やめて! フィリーを連れて行かないでえっ!」

 助けを求めていたはずの声が、一転して引き留めるものになった。走り出て来ようとするニコを他の男たちが家の中に突き飛ばし、再び扉を閉めて錠をする。

「安心おし、お前は救われる」

 フィリーを抱いた男は、腕の中の子供に向けてそう話しかけ、優しげな微笑を浮かべた。

 それを聞いて、俺は安堵の息を零した。ひょっとしたら手遅れだったのではとヒヤリとしたのだが、フィリーにはまだ息があるらしい。さすがにここの住人も、ニコの声を聞いて助ける気になったのか──

「……無駄に死んでしまう前に、神様に捧げてあげるからね。お前のそのつまらないちっぽけな命が、神様に捧げられることによって、とても価値あるものになるんだよ。なんて、幸せなことだろうね」

 続けて出された男の言葉に、俺と守護人はもう一度顔を見合わせた。




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