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4.出発



 少し無言の間を置いて、厳しい表情を変えないままのハリスさんが、別の方向から疑問を提示した。

「……で、今度は、どんな条件と引き換えに、王ノ宮から自由を得たんです?」

 その問いに、守護人は黙っている。

「ほんのちょっとの時間、街に出るだけで、大神官の後ろ盾になることを約束した。じゃあ、今度は? 守護人がふらふら外を出歩くことを、王ノ宮がすんなり承諾するわけがない。一体、カイラック王とどんな密約を交わしたんです。今度は、守護人の何を差し出すつもりですか」

 遅ればせながら、俺もそれを聞いてはっとした。

 そうだよな、いくら不在の間、守護人の名前を好きに使っていいと言われたって、それだけですぐに王ノ宮が首を縦に振るはずがない。そこには、外に出す危険を上回るほどの、メリットがなければ。

「もちろん、王ノ宮からの監視はつきます」

 と守護人は答えたが、それはハリスさんが問いかけた内容とは、明らかにズレていた。

「わたしの行動のひとつひとつは、その監視役によって王ノ宮に逐一報告されることになっています。それが、わたしが外に出ることの、最低条件です」

「俺がお聞きしているのは──」

「それ以外については、答えられません。それも含めての約束ですから」

 口外しない、という条件のもとで、守護人とカイラック王との間で交わされた取引、ということか。ハリスさんは横を向き、かすかに舌打ちをした。

 ぴったりと監視がついて、いちいち報告がされるとなったら、それはもう、守護人の言動の半分以上が、王ノ宮の支配下にあるようなものだ。外に出たって、彼女には最初から、足枷が嵌められている。

 そんな不自由な「自由」と引き換えに、守護人は自分の何を犠牲にするつもりなんだ。

「……大したことじゃありません。気にしなくても大丈夫です」

 考えが顔に出ていたのか、守護人は今度は俺のほうを向いて念を押すように言った。

 大したことじゃない、大丈夫、といつもの調子で淡々と。

「…………」

 俺は奥歯を噛みしめた。

「その監視以外にも、カイラック王からは、たくさん護衛をつける、と申し出があったんですが」

 護衛、と聞いて、身体が強張る。俺たちの任を解いたのは、そのためか。

 王ノ宮の護衛、しかもカイラック王が直々につけるとなれば、さぞ選りすぐりの精鋭たちに違いない。そりゃ、神ノ宮の護衛官でしかない俺たちよりも完璧に、守護人の身を護り抜くだろう。

 ……でも、所詮、王ノ宮の護衛は、王の駒だ。

 王命が、「守護人を危険な目に遭わせないこと」であれば、連中は徹底的にそれに従う。そのために、より確実な手段をとることには躊躇しないだろうが、その時必ずしも、守護人の意志や意見が尊重されるとは限らない。というより、ほとんど聞き入られることはないかもしれない。そいつらが最優先にするのは、カイラック王、または王ノ宮の思惑であって、守護人のそれではないからだ。

 監視と、護衛という名の分厚い壁。そんな状態でニーヴァを廻ったとしても、何か得るものがあるとは──

「そういう人たちを連れていったら、ただのお大名旅行になるのは目に見えていますね」

 俺が思ったことを、そのまま守護人がさらりと口にした。もしかして、俺の心、読まれてるんだろうか。

「監視役のアレを連れていくのはしょうがないとして」

 アレ?

「……わたしは、ニーヴァを観光したいわけじゃない。表面的なもの、綺麗なもの、楽しそうなもの──そういうものの『下』に沈められ、隠されているものを見たいし、知りたい。街に出てみて、はっきりとわかりました。神ノ宮の中にいるだけでは、それらは決して見えないということが。だからこそこちらから見つけに行こうとしているのに、カイラック王の息のかかった人たちに四方を囲まれていては、意味がない。それじゃあ、『神ノ宮』が『王ノ宮』に取って代わる、ただそれだけです」

 そう言って、守護人は顔を上に向けた。

 天から降り注ぐ月光が、彼女の全身を包み込む。月を見上げるまっすぐな瞳は、それが発する光に負けないくらい、強く輝いていた。

「ですからその申し出は、断りました」

 断った?

「守護人の名は、王ノ宮に置いていきます」

 さっき説明していたことを、改めて口にする。俺の心臓が大きく飛び跳ね、緊張した。

 もしかして、これって──

「つまり、神ノ宮からも王ノ宮からも離れて、この国を廻るのは、神獣の守護人ではなく」

 ではなく?

「──お金持ちの商家の、ワガママなお嬢さんです」

 守護人の視線がこちらに戻ってきた。広間で守護人の護衛官の任を解くと言い放った時の、微塵も動揺の存在しなかった真っ黒な瞳が、今はわずかに揺れていた。

「ロウガさん、ハリスさん、トウイさん」

 俺たちの名を呼ぶ真摯な声も、わずかに揺れている。


「……どうか、守護人の護衛官としてではなく、商家のお嬢さんの護衛として、わたしと一緒に来てもらえませんか」


 守護人はそう言って、頭を下げた。

 こちらの世界に来てからずっと、一方的な要求ばかりを押しつけられていた少女。この国、この世界で、何が起きていようと自分には関係ないと言いきる権利を、唯一持っているはずの、異世界の少女が。

 深く頭を垂れ、乞い願う。

 ……その姿はまるで、自分の罪を受け入れる、咎人のようだった。




「行きます」

 ほとんど間を置かず、真っ先に返答したのは俺だった。

 守護人はぱっと顔を上げると、俺を見て、それから少し目を伏せた。

「返事は、今すぐでなくてもいいです。今のあなた達は守護人の護衛官じゃない。断る、という選択肢だってあります」

「行きます」

 同じ言葉を、二度目は強い口調になって繰り返す。再びこちらに向かってきた視線を、眉を上げたまま受け止めた。

 守護人の唇が小さく震えるように動いて、息を吐きだした。それが呆れるようなため息なのか、安堵のため息なのか、それとももっと別の理由で出されたものなのかは、俺には判らない。

 でも、いいんだ、もう。

 判らないことは山ほどあって、隠されたこともきっとたくさんあって、守護人には守護人しか知らない理由というものがあるんだろう。でも、そんなこと、今はどうだっていい。


 ──近くにいよう。

 それが、何も言わない彼女が口に出せる、ただひとつの願いなら。

 それだけが、現在の俺に出来ることなら。


「……私も、行きます」

 次いで、そう言ったのはロウガさんだ。そちらを向いた守護人に、普段と同じ生真面目な表情で頷いた。

「神ノ宮の外で何かが起きているようだ、という点には同感です。湖の国の民のことも、中途半端なままでは落ち着きません。あれこれと聞いて廻ることによって、新しい事実を掴むことも出来ましょう。それが神ノ宮を護ることに繋がるのなら、私の仕事の領分とも言えます。そもそも数々の規則違反を犯して神ノ宮を追放されるはずだったこの身、こうなったら、とことんまでお付き合いさせていただきます」

 ロウガさんの言い方は堅苦しい。要するに、「これから起こるかもしれない出来事に関与できない立場になるのは我慢ならない」、ってことだろうに。

 と思っていたら、怖い目でじろりと睨まれた。なんでみんな、俺の考えてることが判るんだ?

 ハリスさんは、まだ黙っている。

 俺とロウガさんに目を向けられて、ハリスさんは整った顔を顰め、むっつり閉じていた口を曲げた。いかにも渋々というような、大きなため息をつく。

「ま、しょうがないから、俺も同行しますよ。一緒に行くのが、突っ走ることしか能がないガキと、柔軟性に欠けるロウガさんじゃあ、先行きが不安すぎる。一人だけこの退屈な神ノ宮で留守番するのも面白くない。それよりはまだしも、野放図なお嬢さんのお供として、ニーヴァの国巡りをするほうが性に合ってる」

「へーそーですか」

 適当な相槌を打ったら、ハリスさんに足を踏まれた。手加減というものがまったくないから、ブーツの上からでもかなり痛い。毎回攻撃する場所を変えてくるのはやめて欲しい。

「…………」

 守護人はしばらく黙って、俺たちの顔を一人ずつ見つめた。

 そして、

「──ありがとう」

 と、ぽつりと言った。

「不在の間、護衛官としてのみなさんの籍は、ちゃんと残しておいてもらいます。帰ってきたら、その日から神ノ宮の護衛官に戻れるようにしておくことを、約束します。……必ず」

 帰ってきたら、と神獣の剣の鞘をぎゅっと掴んで呟いたけれど。

 「守護人の護衛官」に戻れるように、とは、彼女は言わなかった。




          ***



 翌日、王ノ宮から迎えに来た馬車は、守護人の「名前」だけを乗せて、神ノ宮の表門から出て行った。

 ずらりと揃って頭を下げる、神ノ宮の神官と侍女たち。それから警護と護衛官が一糸乱さず両側に整列して作った道を、ガラガラと音を立てて窓を塞いだ馬車が走り去っていく。

 あまりにも仰々しく、粛然とした雰囲気に、他の護衛官と一緒に並んでいた俺は、足元がむずむずしてしょうがなかった。あの馬車の中が本当はカラッポだなんて、この中の誰も、考えてもいないだろう。

 いちばん前で見送っていた大神官は、馬車の姿がすっかり小さくなると、やれやれというように肩から息を抜いて主殿へと戻っていった。その後ろ姿は、ここ最近で、ずいぶんと老け込んだように見える。

 守護人は、一体どういう話の持っていきかたをして、この無茶な要求を大神官に呑ませたんだろう。「平和的な話し合いで」と本人は言っていたけど、絶対それだけじゃないよなあ。

 その大神官にひそかに手を廻してもらい、俺たちはこの後、神ノ宮の複数あるうちの門の中でも、最も目立たない五の門から、外に出ることになっている。その場に待機してくれている警護と護衛官の二人は、がっちりと口が堅いのをロウガさんが厳選した。

 荷物は昨夜のうちにまとめておいてある。もともと、私物なんてそんなにあるわけでもない。しばらくの間、この神ノ宮ともお別れか──となんとなく感慨深い思いで、俺は主殿がある方向に眇めた目を向けた。

 ……またここに帰ってきた時、少しは何かが変わっているんだろうか。

 変わっているのは、神ノ宮か、守護人か、俺か。



「──は?」

 ロウガさん、ハリスさんと一緒にこっそり移動して、五の門に到着した俺は、そこにいる人物を見て、間抜けな声を上げた。

 頭に布を巻きつけ、マントを羽織って立っている守護人──は、いい。警護と護衛官が一人ずつ、これもいい。しかし。

 なんだって、ここに、ミーシアとメルディまでが?

 俺とロウガさんから当惑の眼差しを向けられた守護人は、珍しく困ったように眉を下げて、こりこりと指で頬を掻いた。

「えー、ご紹介します。ミーシアさんと、メルディさんです」

「いや、知ってますけど」

 なぜ彼女らがいるのか、を知りたいのである。こちらの困惑には構わずに、メルディはニコニコしているし、ミーシアは泣きだす一歩手前のような真っ赤な顔で、俺たちを睨みつけている。意味が判らない。

「どうしてここに?」

「どうしてかといえば、メルディさんは王ノ宮の密偵で、わたしの監視役だからです」

「ええっ?!」

 思いきり大声を出してしまってから、慌てて口を手で塞ぐ。今日この五の門には人が近寄らないように手配してあるとはいえ、さすがに叫ぶのはまずい。

「いやですわ、守護さまったら。極秘事項をそんなにアッサリと暴露なさって」

 メルディが唇を尖らせて拗ねたように文句を言っている。

 このメルディが、王ノ宮の密偵だって? いつから? もしかして、最初から?

「今の状況で隠し通せるわけがないじゃないですか。どうせ、もう半分以上はバレてますよ」

 守護人はそう言ってから、目を丸くしている俺を見て、「……一部には、バレていなかったようですが」と付け加えた。

 見れば、ロウガさんもハリスさんも、憮然とした表情をしているものの、俺ほど驚いてはいない。そうか、守護人が王ノ宮との独自の連絡ルートを持っている、という推論まで立てていたのだから、それは当然、可能性として考えていなければならないことだったか。

 そして考えてみれば、メルディは侍女にしちゃかなり変だった。

「あの若いのは、有能なんだか無能なんだか、よくわかりませんねえ」

 メルディが妙に感心したようにずけずけと言い、

「トウイさんは有能です。ただ、美人に弱いだけです」

 と守護人がまったくフォローにならないことを言った。

「…………」

 俺、どちらにしろ、ものすごく誤解されてないか? 大体、美人に弱いって、守護人の頭の中ではいつの間にそんなことに。

「それで守護さま、ミーシアはなぜここに?」

 反論するために開きかけた俺の口を、拳骨ひとつで強引に閉じさせて、ロウガさんが早口で問いかけた。

 まあ、そうだよな、兄としては気になるよな。

 事情を知って見送りに来た……ということならまだわかるのだが、ミーシアの腕の中には、どう見ても自分のものと思われる荷物が、しっかりと抱え込まれているんだから。

「その……ミーシアさんは」

 守護人が目を逸らしながら、ぼそぼそと口ごもった。

「一緒についていく、と」

「はあ?」

 今度大きな声を出したのは俺じゃない。ロウガさんだ。すぐに我に返って口を閉じたが、代わりに、問い詰める声が極限まで低くなった。これはこれで怖い。強張って両眉を上げた顔も怖い。

「どういうことです、守護さま。ミーシアは」

「はあ。ミーシアさんは、戦場に放り込んでも平気で生き延びそうな図太いメルディさんとは違って、特に自分の身を守るすべを持っていないか弱い女性だから、何があるかわからないこの旅に、同行させるわけにはいかないと、わたしも何度も言ったんですが」

 ちらっと後ろにいる侍女二人に視線をやる。メルディはまあひどいまあひどいと賑やかに不満を言い立てたが、ミーシアは意固地な子供のように黙り込んだまま、ますます荷物を強く抱きしめた。

「……どうしても行く、ってきかなくて」

 はあー、と守護人が深いため息をつく。彼女がこんなに弱りきっているところ、はじめて見るぞ。すごいなミーシア。

「けどミーシアは従順な性格ですから、守護さまにきっぱりダメだと言われれば諦めるでしょう?」

 首を傾げて俺が訊ねると、守護人がちょっと恨みがましい顔つきになった。

「わたしがそう言わなかったとでも?」

「言い方に問題があったんじゃ?」

「じゃ、トウイさんが止めてください」

 押しつけられて、ええー、と眉を寄せる。だって、そもそも守護人と侍女だろ? この関係で、止められないもへったくれもないと思うんだけど。ダメ、の一言で済む話じゃないか。

 しょうがないので、ミーシアのほうを向いた。そうしたら、涙を湛えた目でキッと睨まれた。

 今にも零れ落ちそうな涙を、必死に留めているようなその瞳に、思わずひるむ。

「……あのさ、ミーシア」

「いや」

「けど、外は何があるかわからないぞ? 俺たちはあくまでも守護さまの護衛として行くんだし、何かあればそちらを優先して護らないといけないんだから」

「もちろん、そうすればいいんだわ。私も、みんなと一緒に守護さまをお護りします」

「いや、でも、ミーシアは剣も扱えないわけだし……」

「剣で戦うことだけが、護るということではないと思うわ。大体、兄さんと、ハリスさんと、トウイで、どうやって守護さまの身の回りのお世話をするというの? むさ苦しい男所帯に慣れきったあなた達に、私が安心して守護さまを任せられるとでも思って?」

「それなら、メルディが……」

「あ、私にそういったことはあまり期待なさらないでくださいね。私には私の仕事がありますし。そりゃーまあ、湯浴みや着替えの手伝いは、やれと言われればやりますが」

 軽い調子で口を挟んできたメルディは、そこまで言ったところで、突然「ぐはっ」と呻き声を上げて顔を伏せた。すぐ前に立っている守護人は知らんぷりで別の方向に目をやっている。

「メルディはついていくのに、私は駄目だなんて、おかしいわ。同じ守護さま付きの侍女なのに」

「だから、それとこれとは」

「どう別だっていうの? じゃあトウイは、守護さまがご不便な思いをされていたら、すぐに気づけるという自信がある? 気づけたら、それからどうすればいいのかわかってる? 無理よ、そんなこと。きっと守護さまは黙って我慢なさるに違いないわ。私、そんなお気の毒な環境に守護さまお一人を置くなんて、到底耐えられない……!」

 そりゃまあ、神獣の守護人という身分を隠して国を廻るのだから、神ノ宮での生活と同じレベルで、というのは無理だろう。でも守護人だって、それくらいは覚悟の上だと思うんだけどなあ。

「なんと言われようと、私、絶対に一緒に行くんだから! 選んでいただいた時、何があっても守護さまにお仕えしようって誓ったもの!」

 とうとう、堪えきれなくなった涙が、ぽろりと零れてミーシアの頬を伝った。

 ぐっと結んだ口許はぶるぶると震え、こちらに向かってくる視線は真剣でひたむきすぎて、痛いほどだった。

「…………」

 うん、納得した。


 これは、無理だ。


 俺は再び守護人にくるっと向き直った。

「ここはやっぱり身内に任せるのが最善かと」

「まったくもってその通りです」

 というわけで、ミーシアのことは兄であるロウガさんに一任することにして、俺と守護人は用意された三頭の馬のほうに顔を向けた。ロウガさんがぎょっとしたような表情で口を半開きにして何かを言おうとしたが、気づかなかったことにする。

「こうして見ると、馬ってやっぱり大きいですね」

「サイズとしては、普通だと思いますよ」

「わたしの世界の馬よりもずっと大きいです。脚も太いし、顔もちょっと違うし」

「そうなんですか?」

 そういえば、守護人の口から、「わたしの世界」という言葉が出てくるのを聞くのは、これがはじめてだな。

 ……なんだろ。なんか、腹の底のほうがモゾモゾする。

「馬に直接乗るのははじめてですか」

 とハリスさんが訊いた。

「そうですね……。小さい頃、ふれあい牧場でポニーに乗せてもらったことはあるけど、それとは違うんだろうし……」

 守護人がぶつぶつと考えるように呟いている。

「…………」

 小さい頃、か。

 モゾモゾが、さらに大きくなった。

「どうやって乗るかな……まあ、あの調子だとミーシアも仲間に加わることは間違いないとして」

 ちらっとロウガさんとミーシアさんを一瞥して、ハリスさんが言った。妹に甘くて弱いロウガさんは、なんとか思いとどまるよう必死に説得しているらしいのだが、泣きじゃくりはじめたミーシアに、すでに腰が引けている。形勢、明らかに不利。そりゃ、守護人でさえも敵わないんだからな。

「すると、ロウガさんとミーシア、トウイと守護さま、俺は……メルディか」

 ちょっとイヤそうだ。女好きのハリスさんなら、密偵とはいえ美人のメルディとぴったりくっつく態勢になるのは大喜びしそうなものだけど。まだ、サリナの件の時にやり込められたことを根に持ってるんだろうか。

 いや、それはともかく。

「俺が、守護さまを乗せるんですか」

 かなり戸惑う。腕からいえば、そして経験からいっても、いちばん近くで守護人を護るのは、ロウガさんかハリスさんだとばかり思っていた。

「だってお前、自分の前に乗せるんだぞ?」

「はあ」

「バランス的に、どうしてもそうならざるを得ないだろうよ」

「…………」

 そりゃそうですね。

 ミーシアは女性だが兄に似て長身で、はっきり言って俺よりも背が高い。つまり、俺の前に座られたら、前方が見渡せない。メルディはミーシアよりは小さいが、身長は俺とそう変わらない。つまり前に座られたら……

「……守護さま、ご心配なく。俺、馬はわりと慣れてますから」

「はい、お願いします。小さい者同士だと、広々としていいですね」

 フォローになってませんけど!

「では私も、素敵なお兄さんと馬上で仲良く密着するとしましょうかね」

「たまに馬が暴れるかもしれないから、振り落されないようにな」

 メルディとハリスさんは、お互いちょっとゲンナリしている。なんでそう、空気がギスギスしてるんだ、この二人。

 そこへ、満面の笑みを浮かべたミーシアと、肩を落としたロウガさんがやって来た。

「守護さま! 兄から許可を得ました! 私も一緒に行っていいそうです!」

 ロウガさんは、げっそり疲れきった顔で、「無理だった……」と小さく呟いた。

 俺と守護人が、同時にこっくりと頷いた。



 荷物を括りつける作業を終えると、あぶみに足を乗せ、馬に乗った。

「よしよし、荷物がちょっと多いけど、頑張ってくれよな」

 馬の首筋をぽんぽんと軽く叩くようにして撫でたら、気持ちよさそうに目を細め、ブルルルルと応える。体格もしっかりしているし、性格も温和そうで、いい馬だ。「私が見立てたんですからね」と威張って言うメルディの目は確からしい。

「じゃあ、守護さま、どうぞ」

 差し出した俺の手を、守護人が「はい」と返事をしてきゅっと握る。

「──……」

 思っていたよりも、小さな手だった。感触がごつごつしているのは、剣を扱う時にできた豆があるからだろう。

 手を引っ張り、馬上に引き上げた身体も、想像していたよりずっと軽い。

 この小さな手、この軽い身体の中に、守護人はどんなものを抱え込んでいるのかな、と俺は思った。

 それはどれだけ、大きく、重いのか。




「いってらっしゃいませ」

 三頭の馬に分乗した俺たちに、警護と護衛官の二人が、頭を下げる。彼らがどこまでを聞かされているのかは定かじゃないが、これから誰にも言えない秘密を胸に留めておくことになるわけだ。それはそれで大変そうだ、と同情した。

「どうぞ、ご無事で」

 そう言ったのは護衛官のほうだった。こちらは、ロウガさんの仕事を引き継ぐ役目も担っているので、若干表情が固い。

 馬に乗った守護人は、上から二人を見下ろし、静かな口調で言った。

「あなたたちの仲間は、きっと無事に返しますから」

 ごめんなさい、と続けられた声はひどく小さい。

 そして、五の門の外……神ノ宮の外へと、顔を向けた。

「──いってきます」




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