1.濁りの下
俺とハリスさんとロウガさんは一旦別行動をとり、それぞれ、街の中にそっと情報を落として廻った。
街の端で、余所の国の民が死んでいるらしい。六人もだ。
決して目立たないように、いかにも「自分はよく知らないのだが」という態で声音を抑えて口にすれば、相手も眉を寄せ、または顔を顰めて、本当かい、と半信半疑ながらも不安そうな表情をする。
街の中で死者が出る。それも、一度に何人も。しかも、他の国から来た民が。
それだけで、十分人々の不審と関心を引くことは間違いない。詳細が判らずとも、いいや判らないからこそ余計に、その話を聞いた人間は、湧き上がりざわめくものを自分の中だけに閉じ込めてはいられない。ひそひそ、こそこそと周囲にばら撒くことによって他の誰かと共有し、鏡に映すように自分と同じ困惑顔をそこに見出して、少しでも安心を得たいと望むものだ。
囁きを交わす声は、噂が広まっていくと同時にだんだん大きくなりだして、事実を確認しようとする者、あるいは他者にそれを求める者も現われはじめる。
この場合、子供なら母親に、女性なら男性に、男性なら自分よりもしっかりと確認の手段をとれそうな誰かに。
折よく、街の中には、王ノ宮の兵の姿がちらほらと見えることだし。
──だから、最初の手順をこなした後は、俺たちはただ待っているだけでよかった。
街の住人たちは、噂の真相を知るために王ノ宮の兵に助力を求め、それを聞いた兵たちは、一様に色めき立って事実確認に走った。さほど時を置かず、街の端で起こった惨状は彼らも知ることになり、ひと騒動だ。
王ノ宮への連絡、空き家周辺の封鎖、わらわらと物見高く寄ってくる住人たちの排斥などに人手が足りなくなり、散らばっていた仲間が一斉に駆り集められる。
街に出入りする者たちを片っ端から調べるため、門の前に詰めていた兵たちもだ。
彼らがそこに呼ばれて姿を消したのを見計らい、俺たちは守護人を囲むようにして、誰にも見咎められずひそかにマオールを出ることに成功した。
こんな時こそ、怪しい人間を逃がさないよう、少なくともこの場所の監視だけは続けなければいけないんじゃないか、と思うのだが、あちらもかなり混乱しているのだろう。そのおかげで、厄介なことにならずに済んだ。
神ノ宮へと帰る道中は、ほとんど誰も、ろくに口をきかなかった。
守護人をまず無事に戻すことが俺たち護衛官の務めとはいえ、そしてその務めはなんとか上手くいったとはいえ、頭の中は半分以上、小さな家で見た凄惨な光景で占められている。手についた血はすっかり洗い流したはずなのに、いつまでもあの臭いがまとわりついて離れない気がしてならなかった。
ちらっと見れば、ロウガさんも、ハリスさんも、俺と同じように、強張った顔つきで前方に視線を据え、足を動かし続けている。
前を歩く守護人は、あれきり、一言も言葉を発しない。
彼女がようやく口を開いたのは、視界に神ノ宮の正門が入ってきた、という時だ。
「……間に合いませんでしたね」
前を向いたまま、後ろを振り向くことはしないので、どんな顔をしているのか俺からは見えない。ぽつりとした調子の、まるで独り言のように出されたその言葉が、風に乗って耳に届いただけだった。
日暮れまではまだ間がある。大神官に言われた時間に間に合わなかった、という意味ではないだろう。異国民に会って、話を聞くことが出来なかった、なぜ神ノ宮に毒虫を放とうとしたのかその理由を知ることが出来なかった……ということなのだろうか。
そう思った時に、また小さな声が聞こえた。
「もう少し早く行っていれば、死なずに済んだかもしれないのに」
「…………」
守護人は、俺たちに向かって話しているわけではないようだった。口調はいつもの通り淡々として、聞きようによっては、冷たく突き放しているような言い方だ。その言葉を出している彼女自身、誰からの同意も反論も、まったく必要とはしていないように思えた。
──でも。
そこには、深い後悔が滲んでいる。なぜか、そう聞こえる。憤るのでもなく、憐れむのでもなく、こちらの事情もあちらの思惑もすべて別のところに置いて、ただ、命が失われてしまったことを悔やんでいる、そんな感じがした。
もう、誰かを死なせるのは真っ平です、と言いきった時の、強い眼差しを思い出す。
まっすぐに伸びた小さな背中は、それを食い止められなかったことを、ひたすら自分に対して責めているように、俺には見えた。
また、死なせてしまった──と。
***
守護人は、街から神ノ宮に帰ると、少し時間を置いただけで、今度は王ノ宮へと出かけて行った。
どういう理由で呼ばれたのか、それとも彼女が自ら望んだのか、そんなことは俺には知りようもない。大神官は体調不良のため同行せず、また守護人自身も余分な供を求めなかったため、王ノ宮についていったのはロウガさんだけだ。
そして王ノ宮に行ったきり、暗くなっても戻ってこない。
一体、いつ帰ってくるんだと、俺は気が気じゃなかった。今頃王ノ宮で、誰とどんなやり取りが交わされているのだろう。ひょっとして、守護人が街に行ったことがバレたんじゃないだろうな。いや、それは大神官が正式に許可を出しているのだから王ノ宮は咎められないはず。でももしかして、異国民の集団自決の場に、守護人が少しでも居合わせていたことが知られたとか。注意深く動いたのだから、彼女の存在は気づかれなかったと思うけど……いや、でもな……
「鬱陶しい、ウロウロするな」
詰所の中と外を行ったり来たりして、それでも飽き足らず、食堂の端から端をぐるぐる廻るようにして歩いていたら、べしりとハリスさんに後ろから頭をはたかれた。
少しむっとして、振り返る。
「ハリスさんだって、人のこと言えないと思うんですけど」
「何がだよ」
「ずっと、窓に張り付いてるじゃないですか」
俺が指摘すると、すぐそばに卓も椅子もあるというのに座りもせず、腕を組みながら食堂の窓際にもたれるようにして立っていたハリスさんは、ふん、というように肩を竦めた。
「俺はこの場所が好きなんだ」
「普段は真ん中あたりの席に堂々と陣取ってるのに?」
「大人の男はたまにこうして隅っこのほうで孤独を噛みしめたくなるもんなんだよ、お前のようなガキにはわからねえだろうけど」
「その席に座ってた人をわざわざ暴力的に排除して、なのに立ったまま、ちらちら窓の外を気にせずにはいられない孤独感なんて、理解できませんよ」
「うるせえな」
ちょっとイラついたようにそう言って、ハリスさんはまた視線を、暗くなった窓の外へと投げた。その窓からは、詰所に入ってくる人の姿が見えるのである。
ふう、とため息をつき、ハリスさんは目をこちらに戻すと、ようやく近くにあった椅子を引き寄せて座った。
人差し指で、トンと卓を叩き、座れよ、という仕草をする。俺もまた短い息を吐きだして、向かいの席に座った。いい加減、落ち着かない気分でウロウロするのは、自分でもうんざりだ。
「──まことの神、って何のことだと思う?」
真面目な表情になったハリスさんに訊ねられたが、俺は無言で首を横に振るしかなかった。実は自分の中でもその問いは何度も繰り返していたものだったが、一向に答えが思い浮かばない。
「それを言うなら、まがいものの神、って何のことですかね」
俺が反問すると、ハリスさんもやっぱり同じように首を横に振った。どちらも判らないのは同様、ということだ。
俺もハリスさんも。相反する二つのその言葉の意味も。
まことの神、まがいものの神。
なんだ、それは。
俺たちにとって、神は神だ。本物も偽物もない。七つの国と妖獣の住まう草原地帯をつくったという唯一にして絶対の神。人それぞれ、信仰心の深い浅いの差はあれど、どの国の民も、神を神として崇めることに、なんの疑問も持っていない。国によって宗教色は少しずつ違うが、神といえば、すべて同じ存在を指すものだ。こちらの神は本物、あちらの神は違う、なんて分け方をすることはない。
「この場合の神ってのは、天上におわすほうじゃないんだろうな」
「つまり……」
言いかけて、俺は言葉を呑み込んだ。この場所で、それに対する迂闊な言動は許されない。守護人に対して軽んじた扱いをすれば不敬罪で罰せられるが、神獣についてはもっと厳しいのだ。
神獣は、神に等しきものだから。
神が実体をもって現世に現れたもの、それが神獣。神と神獣はイコールで結ばれるのではなく、「同等である」とされる。神の使いであると同時に、それ自体が神でもある、ってところか。正直、細かいことはよく判らない。一般民衆にとって、神獣は神として敬うべき対象、くらいに理解されていると思う。
しかしなにしろその姿を見られるのは、王と大神官、そして守護人だけ、というごくごく限られた人間しかいない。そのため、本当に神獣なんてものがいるのか、それはニーヴァの王ノ宮と神ノ宮が国の都合として作り上げた架空の存在なのではないのか、と疑う向きも少なからずある。実を言えば俺だって、この神ノ宮で護衛官としての職に就いていながら、本当にいるのかなあ、と考えたことがあるくらいだ。
決して表には出てこない神獣。
どんな姿をしているのか、それさえも判らない生き物。
ちゃんと実在しているのか。
それは果たして、本当に「神」なのか。
俺でさえ、そんな思考がちらりと頭を掠めたことがあるのは否定しない。ひねくれている、と自分で自分を評するハリスさんあたりなら、もっと思ったことがあるだろう。
だったらなおさら、他の国の民が、そう考えても無理はないことかもしれない──が。
だからって、それを「まがいものの神」と呼ぶのは、なんだかおかしくないだろうか。
それに、「まことの神」だって?
その言い方、神獣の存在を疑うというよりは、まるで。
神を名乗る何者かが、別に存在するみたいじゃないか。
結局、ニーヴァが神獣を掲げているのをよしとしない勢力なのか、と思うしかない。それなら歴史上、繰り返されてきたことで、まだしも理解が出来る流れである。ニーヴァと他国で争いが起こるのも、それが原因であることが多い。神獣がいるからこその一ノ国、そこから引きずりおろしたいと思う連中は、まずそれを否定するところからはじめるからだ。
でも、そんな時、「神獣と対抗する何か」を相手が持ち出すことはない。そりゃそうだろう、人間には出来ないことが起こるから、神威なのだ。神獣は本当に神なのかと言うのと、こちらが本当の神だと何者かを祀り上げるのとは、まったく話が違う。そんなことをして、じゃあ絵の扉を開いて異世界から女の子を呼んでみろ、と言われたら窮するのは向こうに決まっている。
「……よく、わからないですね」
「わからないな」
どうしても、結論としてはそうなってしまう。湖の国で何が起こっているのか、なんて、神ノ宮の護衛官詰所の中で考えるには、あまりにも遠い話でありすぎるのだ。
湖というよりは、どんよりと茶色く濁った池を眺めているような気分になる。
そこに足を入れてみたら、嵌ったまま抜くことも出来ずぶくぶくと沈んでいくしかない、底なし沼であるかもしれない。
あるいは、大きく恐ろしいものが潜んでいて、こちらを虎視眈々と狙っているのかもしれない。
そんな不気味さを孕んでいるけれど、波も立たない水面を見ているだけでは、まったく判らない。
その下には一体、何が隠れているのか。
ハリスさんと二人して、わからない、と言い合う実のない時間を過ごしているうちに、食堂の入口付近が少しざわざわとしはじめた。
やあロウガ、遅くまでお疲れさん、という声が聞こえて、俺とハリスさんが同時に、ガタッと音をさせて勢いよく椅子から立ち上がる。立ってから、ハリスさんは一瞬バツの悪そうな顔をしたかと思うと、すぐに再び椅子に腰を下ろした。ずっと気にしていたのはミエミエなのに、往生際が悪いというか、素直じゃないよな、この人も。
ロウガさんは、かけられた声に手短に返しつつ、すたすたと自分の部屋に向かって歩いていたが、立っている俺に目を止めて、わずかに顎を動かし合図した。
ぱっとその場から離れ、そちらに向かおうとしてから思い出して振り返ると、ハリスさんはいかにも億劫そうな顔で、のんびりとまた椅子から腰を上げようとしている。
いささか意地の悪い気分になって、俺は薄い笑みを浮かべた。
「いいんですよ、ハリスさんは来なくても。気にしてないんでしょ?」
「バーカ、俺はまたここを追い出される羽目になったら嫌だから、話を聞きたいだけなんだよ」
「俺が代わりに聞いてあげますから、ご心配なく」
「ガキが言うことは信用しない」
「ですよね、信用しないんですもんね。別にいいですよね、これっぽっちも信用しない守護人の身にどんなことが降りかかろうと。王ノ宮で何があったって、ハリスさんが付いている時じゃなきゃ、責任を問われたりもしませんしね」
「……うるせえ」
ハリスさんは、長い脚を振り上げて、思いきり俺の腰を蹴った。
***
守護人は、王ノ宮でカイラック王と対面したらしい。
王と守護人との、ごく私的な会談ということで、仰々しい迎えや口上などもなく、通されたのはあの大きな建物内でも目立たない場所にある一室で、警護も最小限だったそうだ。
ロウガさんはもちろんそこへの入室は許されないので、王と守護人以外に、誰が同席していたのかも判らなかった。ただ、少なくとも宰相はいたようだ、というのが推測できたくらい。
部屋の前で立っていても、中からはまったく声も物音も聞こえない。そこに誰がいて、何が起こっているのかも判らない。いや、何かがあったとしても、王ノ宮の警護は、中からの許可がない限り、決して扉を開けないという厳重な構えをとっている。たとえ、守護人の悲鳴が聞こえたとしてもだ。ロウガさんのそばには、別の警護の男がついていて、いつでも剣を抜けるような状態でいたという。
最悪の可能性も念頭に入れ、ロウガさんは油断なく周囲に気を配りながら、じりじりした気分で守護人を待った。「さすがに胃が痛くなった」とロウガさんが言うくらいだから、相当緊張感の張り詰める時間だったのだろう。
二限は過ぎたか、という頃になって、ようやく守護人が部屋から出てきた。
神ノ宮に戻ります、と告げた守護人に、特別変化は見られなかった。ロウガさんは、そう思った。表情も、声も、態度も、変わりない、と。
「顔色は悪かったが……」
そこまで言って、ロウガさんがちょっと下を向く。
「考えてみれば毒虫の一件からずっとそうだったと、その時になってやっと気がついた」
それから神ノ宮に帰った守護人は、大神官とまた一限ほどかけて話をし、次いで最奥の間に行った。その間、まったく休むこともしなかった。
──そうして、たまりかねたミーシアに泣き落とされ、少しだけ食事を摂ると、あっという間に倒れるようにして眠ってしまったという。
「……あの守護人は、何をそんなに急いでいるんだろう」
ロウガさんは、一通りの説明をしてから、ぽつりと呟くように言葉を落とした。
急いでいる。うん、そう感じてしまうのはよく判る。それは、せっかち、というのとは違うのだ。俺も以前、そんなようなことを思った。
彼女は何に追い立てられているんだろう、と。
しんとした室内には、俺とハリスさんとロウガさんの三人しかいない。ロウガさんの部屋は食堂から離れた場所にあるので、喧騒もここまでは届かなかった。しかし、床に座り、頭を寄せ合ってぼそぼそと話す声は、たとえ隣の部屋で壁に耳を当てていても、到底聞こえない音量だ。
俺は、私室の寝台で眠りに就いているであろう守護人のことを思った。
彼女の夢には、誰が現れるのかな。
生者か、死者か。
そして彼らは、夢の中であの少女に何を語るのか。
「どうも、これからまた、何かをしようとしているようだ。もちろん詳しいことは判らないが、今日の守護人の行動を見ていると、その準備をしているように感じられた」
「何かって」
「わからんが……きっと突拍子もないことだろうな」
ロウガさんの口調は、自分がそれに振り回されるのを警戒しているというよりは、突拍子もないことをしようとする守護人のほうを案じているように聞こえる。
でも、ここでもやっぱり「わからない」なのか。そう思い、俺がため息をついたのと同時に、
「──でも、ひとつはっきりしたことがある」
ずっと黙って聞いていたハリスさんが、難しい表情でぼそりと言った。
「守護人は、王ノ宮と通じている」
「え」
俺はびっくりしてそちらを見た。ハリスさんはもとより、ロウガさんの顔にも驚きがないことに、またびっくりする。
「それ、どういう」
「王ノ宮の行動が早すぎる。街に兵が出張っていったってことは、あちらはもうすでに神ノ宮で起きた出来事の大部分を掴んでいる、ってことだろ。神ノ宮と王ノ宮は、微妙な関係で成り立ってるからな、普通はそうそうお互いの情報は洩れないもんだ。大神官は事の重大性をまったく理解していなかったようだし、ましてやサリナのことは不浄扱いで、神官どころか侍女仲間だって、口にするのも禁じられていた。誰かが故意に伝えなきゃ、王ノ宮はずっと知らないままだったか、騒ぎが大きくなってからようやく、ってところだったろうよ」
毒虫のことも、湖の国の民のことも、もっと多くの死者が出るまで、何ひとつ具体的な手立てをとらずに放置されていたのかもしれない、ということか。背筋が冷たくなるような話だ。
「でもそれを伝えたのが、守護人だとは──」
「他に誰がいる? それに、今日王ノ宮に向かったのがなによりの証拠だ。そうでなきゃ、あんなにもタイミングよくいくもんか。守護人は、王ノ宮との独自の連絡ルートを持ってる、ってことだ」
「…………」
その言葉に、俺は反論できなかった。王ノ宮に対してなんらかの働きかけがされているんじゃないか、というのは、拝礼日の時から俺も疑っていたことである。
「神ノ宮にいながら、王ノ宮とも繋がっているわけだ。一体、何をしようとしてるんだ?」
ハリスさんの言い方は、まるで守護人が、王ノ宮の間諜ででもあるかのようだった。
だけど、そんなの変だろ。
王ノ宮と神ノ宮は微妙な関係ではあるものの、敵対しているわけではないのだから。むしろ、神獣の存在のため、協力すべきところは協力しないと、双方ともに成り立たなくなってしまう。
もちろん、大神官はいい顔をしないだろう。でも、守護人が王ノ宮と懇意にしているからといって、その行為は裏切りだと責められるようなものでないはずだ。
「ハリスの言うことも否定は出来ないが」
俺が言いかけるのを遮るようにして、ロウガさんが落ち着いた声を出した。
「しかし、それは大した問題にはならないんじゃないかと俺は思う。神ノ宮の重大な機密事項を王ノ宮に流している、ということならまた違ってもくるだろうが、守護人はそういったことを知り得る立場にはない。神獣の託宣があったとしても、それはそもそも、王ノ宮にも伝えるべきものだ。もしも守護人が王ノ宮との連絡手段を持っているとしたら、それはどちらかというと」
ごほん、と言いにくそうに咳払いをする。もともと抑えていた声音を、さらに落とした。
「……神ノ宮の閉鎖性に辟易して、という理由が大きいのではないだろうか」
確かに、と俺は納得して、同時にほっとした。
神ノ宮は基本的に、「自分のところが平穏であればそれでいい」という考え方しかしない。今回のことだって、もっと早くに適切な対応を取れていればサリナは死なずに済んだのかもしれないが、下手をしたらこの神ノ宮だけでは収まらない悲劇になっていたかもしれない。でも、何もしようとしなかった。街にまで毒虫の被害が及ばないかという思考は、神官たちの頭にはどうやっても浮かばないものなのだろう。
やり方の是非はどうあれ、王ノ宮が動かなければどうにもならないことはある。しかし神ノ宮は容易に王ノ宮の介入を認めない。認めたとしても、おそろしく手間と手順がかかる。神ノ宮の決まりを「くだらない」と言いきって、大神官に剣を突きつけたあの守護人が、それをすっ飛ばそうとしても無理はない。
「だから、そこがいちばん判らないって言ってるんですよ」
ハリスさんは、ロウガさんの言葉に、逆に苛立ったように、乱暴に言った。
「なぜ守護人が、そんなことまでしようとするんだ?」
少し怒ったように眉を上げている。俺とロウガさんは、口を噤んだ。
「異世界に来た途端、一方的に守護人の肩書きを押しつけられて、お前の義務は神獣のお守りをすることだと勝手に決めつけられたんだぞ? 俺だったら反抗するか逃げ出すか、どっちかだ。この世界がどうなろうと、関係ない、知ったこっちゃないと思うだろう。逃げられないってんなら、何もしない。なのにどうしてあの守護人は、文句も言わず、見えないところであれこれ手を廻し、倒れそうになるまで動いてるんだ? あの娘は聖人か? そんなことはないだろ、普通の人間だ。王ノ宮と神ノ宮に、自分たちの都合だけで利用されてる、ってことも判らないほど、頭が悪いとも思えない。……だったら、なあ」
まっすぐな視線が俺を射抜いた。
「なんのために?」
その問いに答えられないでいると、ハリスさんはすぐに目から険を消して、いつもの調子に戻った。肩を竦め、軽い口調で続ける。
「……だから、俺はあの守護人を信用しない、っていうんだ。胡散臭いし、気味が悪い。何を隠しているのか、まったくわからない」
口にしてから、いきなりむっとした顔になり、黙り込んだ。俺とロウガさんは顔を見合わせ、お互いそこにあるものがハリスさんと似たものであることを見て取って、やっぱり黙った。
部屋の中に、沈黙だけが落ちる。
静かな水面の下に、隠れているもの。
見ているだけでは、判らない。
──俺たちはたぶん、それを知りたいと思ってるんだ。