5.無欲な掌
お店の中で、ひとつの丸テーブルを五人で囲み、話を聞いた。
シャノンさんは、もうさっきまでの怒りは見せず、淡々とした調子で、事の成り行きを語ってくれた。心の中ではいろいろと思うこともあるのかもしれないけれど、少なくとも、それを表に出すことはやめたらしい。ただ言葉の端々から、彼女が神ノ宮や神獣のことよりもずっと、ハリスさんたち個人のことを気にかけているようなのは、よく伝わってきた。
一般人の立ち入りを許さない閉鎖的で堅苦しい場所や、その姿を見たこともない「神」よりも、大事なのは、身近にいる人。そんな当たり前のことを、当たり前のように考えている。
……きっと街には、こういう人がたくさんいるのだろう。
シャノンさんの話の途中、お店のドアがドンドンと外から叩かれて、「なんで閉まってんだあ? おーい、シャノン、いないのかーい」という、男の人の声が聞こえた。
一瞬、剣の柄に手を置きかけたトウイたちを仕草で黙らせ、シャノンさんはいかにものんびりとした、けれどよく通る声でそれに応じた。
「いるわよおー。でもちょっと今は取り込み中なの、悪いけど、荷物は裏口の前に置いといてちょうだいな」
どうやら、ドアの向こうにいるのは、シャノンさんもよく知る人物のようだった。
「なんだい、男でもいるってのかよー」
あくまで軽い冗談、というノリの口調で言われた台詞に、ハリスさんがぼそっと小さな声で「当たってる」と呟く。
「うっさいわね、余計なお世話よ。さっさと荷物置いていかないと、ぶっとばすわよ」
美人のわりに、シャノンさんは言うことが乱暴だ。ドアの向こうの男の人は、「おお、おっかねえ。シャノンにぶっとばされたら、ホントに死んじまう」と言いながらも笑っているから、いつもこういう軽口の応酬をしているのだろう。ハリスさんとトウイが、揃ってうんうんと深く頷いているのが、よくわからないけど。
「んじゃ、裏に廻るよ。ジャマしたねー」
その言葉と共に、荷物を持ち上げたような音がした。歩きながら口ずさんでいるのだろう鼻歌がだんだん小さくなり、やっと場の空気が緩む。
「悪いわね、こっちも商売してるもんだからさ」
とシャノンさんに言われて、わたしは頷いた。
実のところ、こういうやり取りを耳にするのは、ずいぶん新鮮な気がして胸がどきどきしていた。もとの世界でも見たり聞いたりした、生活に密着している「日常」が、ちゃんとこちらにもあるのだと知って、ひどく安心もした。
「……えーと、どこまで話したかしら。そうそう、突然転がり込んできたハリスの面倒をしょうがないから見てやってた、ってところよね。まったく、あの時もこんな風に気ぃ遣ったわよ」
守護人であることは忘れてください、と一言言っただけで、頭のいいシャノンさんは、わたしのことを、徹頭徹尾ただの女の子として扱ってくれた。くだけた話し方に、ロウガさんはずっと眉を寄せていたけれど、口を引き結んで黙っている。本当はあれこれ注意したいところ、頑張って我慢しているらしい。
「じゃ、ハリスさんは、街に潜伏してる間、シャノンさんのところにいたんですか」
「なにしろこの男は根っからの女ったらしだもの、他にも行くところはたーくさんあるんでしょうけど、ここがいちばん好き勝手できるんでしょうよ」
「シャノン、余計なことは言うな」
肩を竦めるシャノンさんに、ハリスさんがちょっとだけイヤそうな顔をする。ハリスさんのこんな表情、今まであんまり見たことがないな。たぶんそれだけ、この女性に心を許しているということなのかもしれない。
……この二人、恋人同士なのかなあ。
その疑問は最初からずっとあったのだけど、そこまで聞いていいのか判らないので、わたしは少し首を傾げるだけにした。二人の関係性なんて、プライバシーの問題だし、この件に関わるようなことでもない。曖昧に流しておいたほうがいいのだろう。
と思いながら、ふと視線を別の方向に向けてみると、わたしと同じように首を傾げている人がいた。シャノンさんとハリスさんを交互に眺め、釈然としない表情を丸出しにしていたトウイだ。
「…………」
トウイ、その顔、何を考えているのか、バレバレだよ。
「あらトウイ、あたしたちの関係が気になる?」
案の定、シャノンさんに気づかれた。にんまりと目を細めて問われ、トウイが「げ」と飛び上がるように反応し、慌てて両手を振る。
「や、べ、別に俺はそんな」
「んふふ、あたしとハリスが、二人きりでいる時、どんなことしてるか知りたい?」
「は?! いや、そんなこと知りたくないです!」
「あら誤魔化さなくてもいいじゃない、そういうことに興味のある年頃だものね、無理ないわ。そうねえ、なんだったら今度、トウイをここに泊めてあげてもいいのよ? いろいろ教えてあ・げ・る」
「ちょっ……! 違いますから! 冗談はやめてください!」
トウイはますます大慌てで否定し、両手を振るスピードも速くなった。シャノンさんはトウイをからかいながら、少しずつ前のめりの体勢になっていくから、テーブルに押しつけられた大きな胸もどんどん圧迫される。そうするとどうなるかというと、深い谷間がより強調されることになる。
顔を赤くしたトウイは座っている椅子ごと後ずさりながら、でも、視線はしっかりとその位置に向かっていた。
「…………」
へえ……
トウイが美人好きなのは知ってたけど、やっぱり大きいほうがいいのか。メルディさんはスレンダーなのに。なにしろ男だから。それとも顔が良ければ、そこの大小は関係ないのかな。
ふうん。
「シャノン、トウイで遊ぶのはそれくらいにしておけ」
ハリスさんに窘められ、シャノンさんは笑って身を引いた。トウイがはーっと大きな息を吐きながら、疲れたような表情をしてもとの位置に戻る。
「……で、まあ、ここを一応の根城にして、街をうろついて様子を探っていたわけです」
ハリスさんが話を戻し、わたしはそちらに顔を向けて頷いた。
「いろいろ聞いて廻ったりした結果、どうも、異国民たちがいるのは、街の端のほうらしいというんで、そこまで行ってみたり」
マオールの街は、神ノ宮ほど広大ではないらしい。周りを囲む壁に沿ってぐるりと巡ってみたって二時間もかからないくらい。それでも、首都にいくつかある街の中では、大きいほうなのだという。
構えの大きいお店や家などは大体真ん中に集まって、その周りから徐々に規模が小さくなっていく、という造りは大体どの街も同じ。体裁の問題からか、街を出入りする門の近くはまだそれなりなのだが、そこから離れた壁沿いで暮らすのは、貧しい人々ばかりなのだそうだ。
門からも、賑やかな中央からも遠く、貧困層が居住するその区域を、「街の端」と呼ぶ。
その街の端を、ハリスさんは注意深く調べていった。ひと気のない路地で、または使われていない空き家の周辺で、頭からすっぽりと布を被っている人間たちを見かけたものの、あちらも用心しているのかなかなか接触できない。特に、男を見ると、それだけで逃げていくくらいなので、容易に近づくことも出来なかった。
「それで、ちょっと知り合いに頼んで」
その言葉に、その場にいた全員が納得して頷く。ハリスさんて、いかにも、女性の「知り合い」には困らなさそうだもんね。
「怪しまれないようにきっかけを作って、ようやく、なんとか布の下をちらっと覗いてもらうことに成功したんです。どんなやつだったって聞いてみたら、驚きだ」
ハリスさんはそう言って、唇を歪めるように上げた。
「相手も女だった、っていうんだから」
わたしは目を見開いた。
「女の人?」
「そうです。若い女だったらしいですね。しかも、いかにも家の中で繕いものでもしているのが似合いそうな、優しげな女だった、というんです。わずかに見えた髪は、青銅のような色をしていたと」
「青銅のような?」
にぶい青茶色、ということか。
ロウガさんのほうを見る。すでにハリスさんからこの話を聞かされていたのだろう彼は、驚きこそ浮かべてはいないものの、どこか納得のいかないような表情をしていた。
「青銅色の髪は、湖の国の住人に多いと聞いていますが──」
湖の国。四ノ国、スリックだ。
「しかし、湖の国は、非常に穏やかな性質で、元来争いを好まぬ国民性だと聞き及んでおります。かつて、あの国が他の国といざこざを起こしたとも、民が騒乱を引き起こしたとも、一度も耳にしたことがありません。それが、ニーヴァでこのような行動をするとは、どうにも信じ難く」
わたしも、今まで開けてきた扉の中で、スリックが他の国と戦争をしていたり、動乱があったりしたという記憶がない。今回も、そんな話は聞かない。確か、前回のトウイだってそう言っていた。
湖の国スリックは、昔から穏やかな治世が続いているようです──と。
世界情勢は毎回のように変わるのだから、それを参考には出来ないけれど、それでも、わたしはそこにはまったく違和感を抱かなかった。他の国はともかく、湖の国は、いつも大体似たような状況にあったからだ。
いくら扉の中の世界が、開けるたびにいろんな状況が違うといっても、国民性までは変わらない。そこにいる人々の性質や性格が、いつも同じであるように。
だから問題が起きるのは、ニーヴァと隣接しているゲルニアかカントス、あるいは荒々しい気性を持ったキキリやドランゴであることが多かった。
それが、今回はスリックなのか。
穏やかで平和を好む湖の国の住人が、神ノ宮に毒虫を放り込もうとする。
だったらそこには、必ず何かしらの、特殊な理由や事情があるはず。
わたしはそれを、知らなければ。
「女だったら捕まえて話を聞きだすのも簡単かと思ったんですが、なにしろ、全部でどれだけいるのかがはっきりしない。一人を捕まえている間に、他のやつらに下手な行動に出られても困りますからね」
それでハリスさんは、その知り合いに頼んで、続けて近づいてもらうことにした。相手にどんな思惑があるとしても、この街に居座るのなら食糧だって必要だ。異国の民を心配するような顔で、あれこれ話しかけたり食べ物を用意したりしていれば、あちらの気持ちも少しはほぐれてくるのか、ありがとう、と笑みを浮かべるようにもなった。
ハリスさんのその説明を聞きながら、わたしはテーブルの下で、ぐっと拳を握った。
──ありがとう?
毒虫でたくさんの死者を出すことも厭わなかったような人間が、そうやって笑顔を見せて、同じニーヴァの街の住人と言葉を交わしたりもするのか。
どうして、そんなことが出来るんだろう。
人はどうして、そんな残酷なことが。
「青銅色の髪をした女は、こっそり言ったそうです。もしかしたら、もうすぐ神ノ宮で騒ぎがあるかもしれない。巻き込まれたくなければ、しばらく近づかないほうがいい、とね。知り合いが無邪気な顔を装って、騒ぎ? と聞いたら、相手はこう答えたらしい」
神の怒りに触れて、不幸が続くかもしれないから──
ぴくりと指の先が揺れた。
「……神の、怒り?」
「はっきりそう言ったらしいです。大人しそうな外見をした女だったようですが、その時ばかりは、妙に恍惚とした表情を浮かべていた、と」
不幸が続く、という表現で、ハリスさんは、異国民たちが何をしようとしているにしろ、大勢で神ノ宮に襲いかかる、というようなやり方はしないんじゃないかと推測した。一気に潰そうとしているのなら、そんな言い方はしないだろう。そもそも、そんな手段をとるのに、非力な女がいる理由が判らない。どう調べても、武器らしいものを用意している様子もなかった。
「それで、もしかしたら、神ノ宮の食べ物に毒物でも仕込むんじゃないか、と考えたわけです。そこにシャノンが、そうそう資金に余裕があるとも思えないのに、連中がえらく立派な花を大事にしているらしい、って情報を持ってきて」
ハリスさんの言葉に、シャノンさんが肯う。
「質素な身なりにはそぐわない、ずいぶん豪華絢爛に見える大きな白い花をね。あたしはてっきり、その花を売りに行く、って口実で神ノ宮の内部を探ろうとしてるのかなと思ったんだけどねえ」
毒と、花。
ハリスさんの頭の中で、その二つが繋がった。
「あの侍女じゃないが、俺もミニリグって虫のことは聞きかじったことがあったんですよ。なにしろ昔ちらっと聞いたことがあった程度なんで、毒のことが頭になければ、たぶん思い出しもしなかったんでしょうが」
「……スリックの隣は、モルディムでしたね」
ミニリグが生息しているのは森の国モルディム。隣国ならば、手に入れるのは、他の国より容易いかもしれない。
シャノンさんのほうを向く。
「シャノンさん、今までに、街で騒ぎは起きていませんか」
「あたしは聞いたことがないわね。なにしろ、街に入り込んでる連中の中に女がいた、ってこともハリスに聞いてはじめて知ったくらいだもの」
わたしの問いに、シャノンさんは両手を天井に向けて広げ、答えた。
「原因の判らない死者が出ていませんか?」
続けて出した質問に、シャノンさんは今度は、少し鼻白むような顔をした。
「聞かないわ」
では、少なくとも今のところ、ミニリグはこの街の中には放たれていない。彼ら──あるいは彼女らの標的はあくまで神ノ宮であって、無差別に被害を広げようという考えはないのかもしれない。
「神ノ宮で何が起こったか、街の人々は知らないんでしょうか」
「知るわけがないわよ。なにしろあそこときたら、おそろしいまでに排他主義のところだしね。普段だったら街に情報を流してくれるのは護衛官や警護たちだけど、最近は姿も見やしない。ただ、誰かの亡骸がひっそりと外に運び出されたようだ、って噂だけは聞いたわ」
サリナさんだ。
「珍しいことだけど、それもまったくないことではないからね。たまに病気で亡くなるようなのもいるし。だから街の住人は誰も、それについて、特に気にしてるようなのはいないわよ」
「…………」
神ノ宮であったことは知られていない。でも、誰かが亡くなったようだという話は広まっている。街の人たちは、何も気にしていない──
わたしが考えている間、シャノンさんが髪をかき上げ、「あたしはその話を聞いて、生きた心地がしなかったけどね。まさか死んだのはハリスやトウイだったんじゃないかって」と大きな息と共に言った。
「縁起でもないこと言うな」
「心配させてすみません」
ハリスさんは憮然とし、トウイが律儀に謝る。シャノンさんはトウイのほうを見て、面白いオモチャを見つけたというように、機嫌のよさそうな笑みを浮かべた。
両肘を突いて上半身を前に傾け、色っぽい流し目をする。傾けた分、どっしりと重量のありそうな胸がテーブルの上で揺れた。
「トウイはハリスと違って可愛いわあー。ねえ、今度、トウイ一人だけで店にいらっしゃいよ。たくさんサービスしてあげるから」
「だからそういうことを言うのはやめてくださいって……」
トウイは困ったように再び後ずさったけれど、やっぱり視線はテーブルの上にあるそれに向かっていた。
「…………」
しばらく黙ってから、わたしは口を開いた。
「トウイさん」
「あっ、はい!」
すぐに引き締まった顔つきになったトウイが、瞳に緊張の色を乗せて、ぱっとこちらに向き直る。彼は彼で、とても真面目にこの件に取り組んでいるのだ。
「トウイさんは、シャノンさんの胸、じゃなかった話をどう思いますか」
「…………」
五秒くらい、トウイは石になったみたいに動かなかった。五秒後、みるみるうちに首が赤く染まった。
「……あの、今、明らかに文脈にまったく関係のない単語を挟みましたよね?」
そうだっけ?
「他意はありません」
「他意しか感じませんけど」
「それでシャノンさんの胸、じゃない話を」
「あのね、言っておきますけど、俺は──ぐえ」
躍起になって何かを言いかけたトウイの頭が、隣に座っていたロウガさんの大きな手の平によってテーブルに押しつけられ、潰された。
「シイナさま、お話をどうぞお続けください」
「はい。お二人の話を聞いて、大体これまでの流れは理解できました。その上で、『現在』のことを考えましょう。神ノ宮の侍女にミニリグの入った花を渡した人たちは、その後、どうするでしょうね。すぐに逃げますか? わたしはそうは思えません。少しでも結果を知ろうとする、それが普通でしょう。ここにいるみなさんの働きがなければ、今頃神ノ宮では多くの死者が出て、その原因も掴めなかった。いいえ、あちらは当然そうなっていると思っているはず。でも、じゃあ、どうして未だに大騒ぎになっていないのか、気になりますよね。それに、街の人たちは今のところ何も気づいてない」
「すると──」
「彼らはまだ、街の中にいる可能性が高い、ということです」
わたしは椅子から立ち上がった。
「行きましょう」
***
「で、見つけたら、どうされるつもりなんです?」
と訊ねてきたのはハリスさんだった。
四角い箱のような建物が立ち並ぶ街の中を、突っ切るように早足で歩きながら、彼は窺うような目つきでわたしの顔を覗き込んできた。三人はいつものようにわたしのあとをついてくるのではなく、前と両隣で、囲むようにして歩いている。街の人々の、ずいぶん過保護な護衛だな、という、呆れるような声が耳に入った。
「捕まえるんですか?」
「捕まえる?」
問いを鸚鵡返しにして、隣のハリスさんを見上げる。捕まえる、という発想は、最初からわたしの頭にはなかった。
「わたしにそんな権限があるとは思えません」
「では、なぜこうして向かっているんです?」
「話が聞きたいからです」
「話?」
刹那、ハリスさんの顔の上を、侮蔑に似たものが通り過ぎていった。あっという間に彼はそれを薄っすらとした微笑の裏に隠してしまったけれど、目の中にはまだ、甘ったれたことを言う無知な子供に対するひえびえとした光が、底のほうに残っている。
「お優しいことですね」
「わたしは、自分が優しいだなんて思ったことはありませんけど」
優しいとは、関わった一人一人を思いやる心を持った、トウイやミーシアさんのような人をいうのだ。そして、すべてに対して公平であろうとするロウガさんや、仲間のことを守ろうとするハリスさんのような人を。
わたしは、そういうものを持っていない。持っていたかもしれないけど、捨ててしまった。
「捕まえて、裁きを受けさせたいとは思われませんか。あるいは、死なせた者に謝罪をさせたいとは?」
「謝罪をさせる?」
意味が判らず問い返す。何を言っているのだろう。
「罪は罪です。死んだ人に謝ったところで、罪は消えない」
ハリスさんが目を見張った。わたしはそこから視線を逸らし、また顔を前方へと向ける。
その時、
「おおい、あんたたち」
と、後ろから声をかけられた。
トウイとロウガさんとハリスさんが、同時に剣の柄に手をかけて振り返ったことに、その人物は驚いたらしい。おっと、と言いながら足を止め、それからひるんだように二、三歩後ろへと下がった。
「なんだい、またえらく厳重な──そちらの坊っちゃんは、よっぽど上の階級のお方なのかね」
そうは見えない、とこちらに向けられる怪訝な眼差しが言っている。わたしが着ているのは、そのあたりを歩いている男の子の服装と、そう大差ないのだから無理もない。
「悪いね、こちらの坊っちゃんの親御さんに、強く言われてるもんでね。なにしろ目を離すと何をしでかすかわからない、手のつけられない竜巻みたいな子供なんだ」
ハリスさんが、如才ない笑顔と口調で、嫌味ったらしいことを言う。話しかけてきたのは体格がコロコロと丸っこいおじさんだったが、アハハと陽気に笑った。
「そりゃ大変だ。だったらなおさら、早いところ街を出たほうがいいね。あんたたち、ここの住人じゃないだろう?」
「街を出る──どうして?」
ハリスさんが眉を寄せて訊ねると、おじさんはこちらに近づいて、声を潜めた。
「……どうもね、王ノ宮から兵士が大勢やってきて、あちこち調べ廻ってるようなんだよ。それだけじゃなく、門の扉前に陣取ってさ、出入りする人間を捕まえちゃあ、うるさく聞いてるみたいだ。持ち物まで検めてね。面倒事に関わりたくなかったら、早いうちに街を出たほうがいい」
何があったのかねえ、とおじさんは不安げに言って、周囲を見回した。
ハリスさんは、少し固い表情になったものの、わかったそうするよと答え、おじさんにお礼を言った。立ち去っていく後ろ姿が小さくなってから、わたしを向く。トウイも、ロウガさんも、厳しい顔でこちらを向いた。
「──急ぎます」
王ノ宮は神ノ宮よりも行動が早い。
けれど、強硬だ。
***
街の端、と呼ばれるところに、彼らはいた。
おそらくそこを拠点として活動していたのだろう、家具も何もないような、さびれた小さな空き家の中で、見つかった。
……全員、血を流して、倒れていた。
「なんだ……これ」
トウイが喘ぐような声を出した。
狭い家の中は、むわっと血の臭いが充満している。ねばつくような、金気の混じったような臭い。おそらく、まだそんなに時間は経っていない。
倒れているのは六人で、それぞれ首をナイフのようなものでかき切っていた。頭からかぶっていたという布もこの時は外れていて、はっきりと顔が見える。男性が四人と、女性が二人。みんな青銅色の髪をしていた。
年齢はバラバラのようだが、共通しているのは、そんな死に方にも関わらず、顔がみんな安らかだ、ということだった。
ロウガさんとハリスさんとトウイが、手分けして一人ずつ手を取り脈を見ていったけれど、暗い表情で首を横に振るばかり。倒れている人たちは、誰一人として、ぴくりとも動かなかった。
いや──
いちばん奥で倒れていた人の手が、わずかに揺れた。
わたしはすぐに、そこに駆け寄った。「大丈夫ですか」と上を向かせて抱き起こす。この中では、最も若そうな女性だった。青い髪、繊細な顔のつくり、ほっそりと儚げな雰囲気は、ニーヴァの人々とはやはり違う。
でも、白っぽくなったその顔は、サリナさんの姿と重なった。
出血の止まらない首を手で押さえたが、それくらいでは、彼女の身体から抜け落ちていく生命力を引き戻すことは出来そうにない。
「しっかりして」
「……ご、心配、なさらず」
ぴくぴくと震える瞼を苦労しながら薄く開け、若い女性は、浅い息の下から弱々しい声を出した。
「ど、毒虫は、すべて、処分いたしました。この街の人々は、だい、大丈夫ですので、ご心配、なさらず」
ほんのりと目を細める。
彼女を抱きながら周りに視線を走らせると、床に、何かを燃やしたような痕跡があった。黒くなった薄いもの……あれは花びらだろうか。
「ご、ご親切にしていただき、ありがとう。この街の人たちは、優しい方ばかり、でした」
わたしのことを、街の住人だと思っているらしい。目の色が違うことに気づかないのか。あるいはもう、それさえも見えなくなっているのかもしれない。
「王ノ宮の兵に、捕まるわけには、まいりません。わ、私たちは、『まことのかみ』をお護りするために、自ら、命を絶ちます」
まことのかみ?
「大丈夫、ですよ」
女性は手をゆるりと上げ、彼女の首の傷を押さえているわたしの手に重ねた。
そして、やわらかく微笑んだ。
「大、丈夫。神ノ宮は、もうすぐ、神の怒りに触れて、すべて死に絶えましょう。あの、まがいものの神に支配されている、お気の毒なあなた方も、きっと、救われます。……ああ、よかった。あなた方を救えて、本当に、よかった」
幸せそうに、彼女はそう言った。
毒虫を神ノ宮に放ってたくさんの死者を出そうとし、サリナさんの命を奪った女性は、死に瀕した今も笑って、街の住人の親切に感謝をし、救えてよかったと喜んでいる。
大丈夫、大丈夫と、まるで母親が子供を安心させるように。
わたしの手に重なる掌は、どこまでも優しかった。
「……神のご加護が、ありますように」
女性は最後にそう呟くと、息を引き取った。
わたしはその満足そうな死に顔を、穴が開くほど凝視することしか出来なかった。
自分の顔から、血の気が引いている。
まことのかみ。
──「真の神」?
(第六章・終)