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4.真偽



 神ノ宮の正門に立つ二人の警護は、わたしが三人の護衛官だけを連れて外に出ると聞いて、仰天したように目を真ん丸にし、それから青くなった。

「とんでもございません。いくら守護さまの仰せでも、ここをお通しすることは出来かねます」

 そう言い張って、がっちりと行く手を阻むように前に立ちはだかる。

「だから言ったのに……」

 と背後から小さく聞こえたのはトウイの声だ。主殿からここに来るまでずっと、無理ですよ、とか、通してもらえませんよ、とか一生懸命言い続けていたもんね。ロウガさんとハリスさんが、トウイほどうるさく言わずについてきたのは、こうなることが判っていたから、という理由がいちばん大きいのだろう。

 そんな無茶な言い分がどうせ通るはずもないのだから、とりあえず気の済むようにさせてやればいい──というところか。やっぱりこの二人は大人だなあ。

「どうしてダメなんでしょう」

 わたしの問いに、警護が二人揃って、え、と目を瞬く。

「ど……どうしてって……大神官様の許可がなければ、守護さまの外出は」

「許可はもらいました」

「え」

 今度は、警護の二人だけでなく、後ろの三人の口からも同じ声が出た。

「守護さま、そんなウソをついても、すぐにバレますよ」

 声を潜めてこそこそとそう言ったのは、またトウイ。トウイってもしかして、わたしのこと、幼稚園児と同レベルで見てない? ウソをつくなら、もっとマシなことを言うでしょ、普通。

「ウソじゃありませんから、どうぞ本人に聞いて、確認してください」

 わたしがそう言うと、警護の二人は困惑したように目を見合わせた。眉を寄せながら、わたしと後ろの三人を見る。

「……確認に行かせて、警護が一人になったところを、数にものをいわせて押し通る、というつもりでは……」

 疑い深いなあ。

「わたしはともかく、ロウガさんがそんなことをするとは思えません」

 その言葉は、相手を納得させるに足るものであったらしい。しばらく黙って考えてから、「少々お待ちを」と言い置いて、警護の一人が主殿に向かって走り出した。

 もう一人残されたほうが、どこか不安そうにそわそわしながら、走っていく相方の後ろ姿を見送り、それから眉を下げてわたしたちを見やる。

 大柄でがっしりした体格の男の人で、顔はロウガさんよりも強面なくらいだし、堂々と門前に立っていればいかにも厳しく人を寄せつけなさそうなのに、そんな表情をしていては台無しだ。

「じゃあ一人になったことだし、さっさとこの人をのして外に出ましょうか」

 そう言ったら、ひっ、と小さな叫び声を洩らして、彼は慌てて剣の柄を握った。うん、この護衛官三人が本当にその気になったら一瞬で倒されるのは自分でも判っているだろうに、逃げずに職務を全うしようという姿勢は偉い。

「冗談です」

「守護さま、真顔でタチの悪い冗談を言うのはやめましょう」

 後ろを振り返ると、トウイはかなり渋い顔をしていた。その隣で、ハリスさんは口許を押さえて目線を下にやっている。

 今まで当惑したように成り行きを眺めていたロウガさんが、やっと口を開いた。

「……守護さま、大神官様に許可を得られたというのは本当ですか」

「はい、本当です」

「守護さまが非公式に、身分を隠し、護衛官だけを連れ、神ノ宮の外に出られること──ましてや街に行かれることを?」

「そうです」

「そのような許可が下りるとは、にわかには信じがたいのですが」

「ですから今、ロウガさんが信用できる人に確認に行ってもらいました」

「一体どのように、大神官様にお話を」

「それは秘密です」

「…………」

 こちらに向けられるロウガさんの目には、なんとなく胡乱なものが滲んでいる。どうやら、わたしがまた大神官に剣を突きつけて脅したのでは、とでも思っているらしい。みんなして、どうなの、それ。

「人をジャイアンみたいに……」

「は?」

「なんでもないです。ちゃんと平和的にお話をして、許可をもらいました」

 正確には、それは「取引」と呼ぶべきものかもしれないが、外出の許可を得ていることは間違いない。暴力的手段でもぎ取ったわけではない。決して。たぶん。

「平和的に……?」

 わたしの言うこと、ぜんぜん信じてませんね、ロウガさん。

「わたしは別に一人で出かけても構わなかったんですが、それだけはダメ、と大神官さんに言われたんです。護衛官三人をつれて、日が暮れるまでに神ノ宮に戻ること、を条件に了承を得ました」

 タイムリミットは日暮れまで。わたしに与えられた時間は少ない。だから正直なところ、こんな場所でグズグズしていたくもない。

「たったそれだけの条件で、大神官様が首を縦に振られたと?」

「たぶん、わたしのおねだりの仕方が可愛らしかったんじゃないでしょうか」

「…………」

「冗談です」

「…………」

 そこでロウガさんはいろいろと諦めたのか、あるいは開き直ったのか、はあーっと大きなため息をついて、頭を下げた。

「……承知しました。どちらにしろ、我々は守護さまの身をお護りするのが使命です。そうとなれば、なんとしても、守護さまが無事に神ノ宮に戻られるよう、全力を尽くします」

 そこまでやる気を出してくれなくてもいいんだけど。せっかく街に行っても、この三人にぎゅうぎゅう周りを囲まれて身動きがとれないというんじゃ、あまり意味がない。

「それでは守護さま、ここを出る前に、我々も少々お時間を頂いてよろしいでしょうか。この格好では神ノ宮の護衛官であることが誰の目にも明らかなため、不便なこともあろうかと」

「はい、そうですね」

 護衛官の制服を着た三人がびっちり張り付いてたら、目立ってしょうがないもんね。

「すぐに着替えてまいりますので、お待ちを」

 ロウガさんは、残った警護の人に、くれぐれも守護人から目を離さないようにと厳しく言いつけて、あとの二人と一緒に詰所に向かって駆けて行った。

 主殿に行った警護とあの三人、どっちが戻ってくるのが早いかな。どうせ時間をとられるのならいっぺんに済んだほうがいいとは思っていたけど、やっぱり精神的にじりじりしてしまうのは抑えようがない。

 バタバタという足音が消えると、のどかなほどの静寂が訪れる。

 その場に残ったのは、わたしと、門を死守する構えをとる一人だけ。そちらにちらっと目をやると、彼は途端に、ぴしっと緊張したように身体と顔つきを固くした。

「……さて、うるさいのがいなくなったこの隙に、とっとと神ノ宮を脱出……」

「ご冗談を!」

「冗談ですってば」

 門にへばりついて喚く警護にそう言って、短い息を吐き出す。

 わたしだって、余計なことを口にせずにはいられないくらい、ものすごく緊張しているのだ。

 だって、街へ行くのは、これが本当に「はじめて」なんだから。

 ……最初のトウイが、わたしを連れて行こうとしたところ。



 塀を越えて、街へ。

 彼は最後まで、そう言っていた。

 血塗れの紙飛行機をわたしの手の中に入れて、逃げろと言ってくれた。息絶えるその寸前まで、早く行け、と身体を押していた。諦めちゃダメだ、と。

 そっと目を閉じる。

 ──やっと、行けるよ、トウイ。



          ***



 神ノ宮からいちばん近い街は、マオールという。

 街の中に神ノ宮や王ノ宮がある、というわけではなく、それらはそれぞれ、ある程度の距離をとってつくられている。神ノ宮の敷地から出て見えるのは、ぽつりぽつりとある人家、あとはぷっくりとした小さめの森や、でこぼことした平地が続いているだけの、素朴な景色だ。

 地面には道もあるけれど、それはもちろんコンクリートで綺麗に舗装された道路ではなく、人の足跡や馬車の轍が自然とそれを道にした、というようなものだった。


「マオールの街まで、どれくらいで着きますか?」


 街へと続く道を歩きながら、後ろを振り返って聞くと、ロウガさんが「歩いて半限もかからない程度かと」と答えてくれた。じゃあ、馬車で三十分くらいかかる王ノ宮よりは近い、ということか。馬車だって、そんなに速いわけではないけど。

 護衛官の制服は目立つから、という理由で着替えてきたロウガさんとハリスさんとトウイは、拝礼日、門の外にいた人々と同じような格好をしていた。普段、地味な制服姿しか見たことがなかったので、それだけでもかなり印象が違う。

 形はさほど制服と変わりはないものの、あれよりは多少色味があって、装飾がある。ハリスさんはふわりとした薄い上着がなんとなく伊達男っぽいし、トウイがしている革製の腕当ては、保護とか防御用とかの意味合いもあるのかもしれないけれど、普通に小物としても違和感がない。全体的に、制服を着ている時よりも、ずっとラフな感じがする。きっと、この世界の十代の男の子は、大体みんなこういう服装をしているのだろう。

 ……でもロウガさんは、あんまり制服の時と変わらないな。なんでだろ。着ているものはともかく、周囲を油断なく警戒する視線や、ピリピリした空気が、いつもとまったく同じだからかな。

 恰好だけ変えても、これじゃ意味がないのでは?

「街での潜伏調査は、ハリスさん一人でしていたんですよね?」

「そうです」

「大正解ですね」

 ロウガさんはわたしの言葉の意味が判らないらしく、「は?」とぽかんとしたが、あとの二人には通じたようで、トウイとハリスさんが同時にぷっと噴き出した。

「街に入ったら、なるべく頭をカラッポにして、リラックスしましょう」

「そんなわけには──」

「わたしたちはこれから、あの場所へ遊びに行くんです。そうですね、兄三人と妹、というのはどうですか」

「そんなわけには」

「じゃあ、親戚のオジサンでもいいですよ」

「…………」

 ロウガさんが珍しく、困り果てたような顔でわたしを見返した。

 ハリスさんとトウイが、「無理がある」「無理がありますよね……」と笑いを堪えながらぼそぼそと言っている。あ、二人とも、ロウガさんに拳骨を落とされた。

「では、こういうのはどうですか」

 と、ハリスさんが頭をさすりつつ提案した。

「金持ちの商家のお嬢さんと、その護衛、ということで。これならそう無理がないでしょう。剣を携えている言い訳も立つ」

「お嬢さんと護衛……」

 口の中で呟きながら、三人の姿を改めてまじまじと見てみた。

 赤茶色の髪の毛ばかりの住人の中で、一人だけ黒髪で浮いてしまわないように、わたしは頭をすっぽり布で巻いて隠している。こちらでは、トウイたちがしているバンダナのように、頭に何かを巻くというのはかなりスタンダードなので、それだけならそんなに変だとは思われないはずだ。

 そしてマントを羽織っているのは、おもに剣を隠すという目的だったのだが、三人は特に隠す気はないようで、制服を脱いでもいつもと同じように、腰に剣を差していた。

「ここでは、普通の人々が剣を持ってそのへんを歩いていても、罪になったりはしないんですか?」

「誰が持っても、特に罪にはなりませんね。剣は高価なので、市井の人間にはあまり手が出るもんじゃない、というだけのことです。それよりは、食べ物や衣服などの、生活必需品のほうが優先される。だからまあ、わざわざ剣を持つってのは、ただの道楽か、またはそういう仕事に就いているか、という場合がほとんどなんです」

「そういう仕事?」

「自分たちのように雇われて護衛をしている人間は、なにも神ノ宮にだけいるもんじゃなくて、もっと上の階級の家庭にも大きな店にもいるんです。そういう連中は、腕に差はあれど、ほとんど剣を持ってますね。あとは王ノ宮の兵とか……」

 ハリスさんはそれから何かを言いかけたようだったけれど、トウイをちらりと見て一瞬口を噤んだ。

「まあ、ですから、剣を持っていたって、珍しそうな目で見られたりはしても、特別奇異に思われることはありません」

「へえ……」

 今、トウイに関することで何かを続けようとしたのだな、とは思ったけれど、そこは追及せずに頷くだけにした。


 ……トウイの私的なことなんて、わたしが踏み込んで聞いていいことじゃないしね。


「それで、お嬢さんと護衛?」

「商家の中には下の階級から成り上がった者もいますから。そういうところのちょっとワガママなお嬢さんが、護衛だけを連れて街を歩いていても、そう見咎められることはないでしょう。兄と妹よりはまだよろしいかと」

 ハリスさんの目が、からかうように眇められる。確かにね。ロウガさんの性格からして、そうそう柔軟に態度を変えられそうにないし。

「それでいきましょう」

 ハリスさんの案を採択すると、まだ街に着いてもいないのに、ロウガさんがすでに疲れたように大きく息を吐き出した。

「守護さま……」

「椎名です。これからは必ずそう呼んでください。幸い、守護人の名前を知っている人は限られているようですし」

 毎回、謁見の間でカイラック王に名を問われるけれど、それ以外では訊かれたことがない。だからわたしも自分の名前を口にするのはその一回しかないし、「守護さま」という名以外で呼ばれたこともない。

 最初の時を除いて。

「それだけ守護人の正式な御名を出すのが畏れ多い、と考えられているからです」

 と、ロウガさんが真面目な顔で言った。

 バカバカしい。

「名前はただの名前です。なんの力もありません」


 のぞみ、という名前に、なんの力もないように。


 わたしがやや強い口調になったのが伝わったのか、ロウガさんは少しの無言の後で、「では」と言いづらそうに続けた。

「……シイナさま、とお呼びいたします。お許しを」

 さま、は要らないんだけどな。でもそう言っても、これ以上の譲歩はしてくれなさそうだなあ。

「シイナさま、ですね」

 トウイがぶつぶつと復唱している。

「──……」

 わたしはそちらを少し見て、すぐに再びくるりと前を向いた。

 勝手に、歩く足取りが早まった。

「……急ぎましょう」

 胸がざわざわする。羽織っているマントの上から手を当て、ぎゅっと布ごと拳を握った。

 ──トウイの口から、わたしの名が出ることに、こんなにも動揺するとは思わなかった。

 そこから、もう「希美」という名前が出ることはないのだと再確認することが、こんなにも。



          ***



 マオールの街は、どっしりとした石の壁に囲まれていた。

 壁がないところ、すなわち街への入口には、一応木製の大きな扉がついてはいるけれど、その扉は開放されたまま、通行人に目を光らせるような見張りらしき人の姿もない。

 街への出入りは自由、ということらしい。でもそれならどうして、壁があって、扉があるのかなとも思う。外部から攻撃されることを想定していても、それはあくまで形だけ、ということなのだろうか。それとも夜間はきっちり閉める、ということなのだろうか。

 大体、この世界の法律はどうなっていて、こういう街に暮らす人々は、何によって保護されているのだろう。大神官の口から「警察」という言葉が出たからそういう組織はあるのだろうけど、それは果たして、ちゃんと機能しているのか。だって上の階級の家庭や大きなお店は、個人的にボディーガードを雇っているっていうんだから、治安は決して良いとはいえないんじゃ?

「しゅ……シイナさま、どうされました?」

 トウイに声をかけられて、はっとした。街の扉を見ながら、ぼうっとしていたようだ。

「すみません、行きます」

 頭を振って考え事を追い出し、足を動かす。

 わたしがこの世界の人々のことをあれこれ考えても、しょうがない。

 たった一人を守ることだって、出来ないのに。




 街の建物はすべて、石造りの四角い箱のような形をしていた。

 神ノ宮の中にあるどの建物に比べても、格段に小さい。色もみんな似たようなベージュ色。木製のドアの色だけがそれぞれ違うが、ほとんど褪せているか剥げている。

 まるで、同じ色のブロックが、無造作に積まれているような光景だった。ただしそれは、縦方向には積まれず、横方面に伸びている。高層の建物は、こちらの世界の、少なくとも平民の人々にとっては、一般的なものではないらしかった。

 ハリスさんに案内されたお店も、そういう外見をしていた。四角い箱のような建物。軒先に、木の看板がぶら下がって、風に吹かれてゆらゆら揺れているけれど、そこに書かれている文字はわたしには読めない。

「シャノン、いるか?」

 声をかけながら、ハリスさんがお店のドアを開ける。

 中には、誰もいなかった。お客さんの姿もないし、テーブルに椅子がひっくり返して乗せられているから、まだ開店していないのだろう。きっともっと暗くなってからはじまる類のお店なんだな、とわたしは店内を見回しながら思った。


 護衛官の人たちは、仕事が終わったら、こういうところに来るのか。


「……トウイさんも、このお店にはよく来るんですか?」

「いや、俺はこの間来たのがはじめてです。ここはハリスさんの馴染みの店で」

「でも、似たようなお店には行くんですよね?」

「は? まあ、そうですね」

「ここ、飲み屋さんでしょう?」

「そうです」

「未成年なのに、飲酒……」

「え。なんですか、それ」

「……こちらでは、子供と大人の境目は何歳なんですか」

「独り立ちすれば大人ってことでしょ? 年齢って特に関係ないと思うんですけど」

「…………」

 本気で不思議そうな顔をされて、わたしは口を閉じた。どうもこちらには、未成年、という概念がそもそもないらしい、と気づいたのだ。

 何度も扉を開けてやり直しているのに、そんな基本的なことすら、わたしは知らなかった。


 神ノ宮の中が、いかに狭い世界であったのかを、今になって思い知る。

 わたしはもっと早く、外に出なければいけなかったのかもしれない。


「あっらー、いらっしゃい」

 その時、お店の奥から、一人の女の人がにっこり微笑みながら現れた。

「ハリスと、トウイ。そちらのお二人ははじめましてね。こんな時間にどうしたの? まだあたし、店の掃除も終えてないんだけど」

 シャノンさんというのは、とても美しい人だった。美人というならメルディさんもそうだと思っていたけど、あちらとは違って、こちらには大人の色気と可愛さがたっぷり上乗せされている。

 艶々とした髪の毛と、同じく艶々とした唇。妖艶さもありながら、無邪気にも見える大きな瞳。メルディさんの場合は、どこか性格の悪さが顔に現れているけれど、このシャノンさんは、それさえもとびきりの魅力に変えてしまっているようだった。

 胸の開いた真っ赤なドレスの丈はそんなに長くない。普段、女の人の洋服というと、侍女の人たちの、灰色で胸元が詰まって長さはくるぶしまである、という衣服しか見ていないので、目がちかちかした。

「こちらの坊っちゃんは……っと」

 シャノンさんはにこにこしながらわたしの顔を覗き込んで、長い睫毛に覆われた目をぱちぱちさせた。

「あら失礼。お嬢ちゃんだわね」

 わたしが着ているのは男の子の服装だし、長く伸ばした髪も今は布の下だ。ぱっと見、男の子に見えるだろうと思っていたのに、シャノンさんには通じなかった。

「すぐにわかりますか」

 シャノンさんがうふふと笑う。

「人を見るのも商売のうちなのよ。でもその黒い目、ニーヴァではあまり見ない……」

 そう言って、いきなり、舌が凍ったように固まった。綺麗な笑みをかたどっていた唇が、ひくひくと引き攣る。

 ハリスさんがこちらを見る。わたしがひとつ頷くと、彼はちょっとため息をついてから、またシャノンさんを向いた。

「シャノン、お前さんの話が聞きたいんだそうだ」

「椎名といいます。はじめまして」

 頭を巻いていた布をはらりと解き、わたしは頭を下げた。

「一応、神獣の守護人、と呼ばれています」

 シャノンさんは、へたへたと腰が抜けたように、その場に座り込んでしまった。



 椅子に座って、お水を二杯ほど飲んだところで、シャノンさんはやっと落ち着いたらしい。

 ふー……と深い息を吐いて、がばっと顔を上げると、猛然と店の中を歩き回って窓をすべて閉じ、ドアの錠を下ろす。それからカツカツと音をさせてまた戻ってくると、どすんと椅子に勢いよく腰かけ、腕を組んだ。

「まあったく、いつも面倒事を持ち込んでくれるわね、アンタは……!」

「すみません」

「しゅ……お嬢さんじゃありませんよ、こっちの男に言ってるんですよ。こんなことばかり続いたら、あたしの心臓がもちゃしない」

「鉄の心臓してるくせに」

 明後日の方向を見ながらぼそっと暴言を吐いたハリスさんは、シャノンさんに思いきり耳たぶを引っ張られた。耳がちぎれそうなくらい、遠慮がない。

「──で、お話というのは」

 シャノンさんは、頭の回転の速い人なのか、話の進行も速かった。表情はさっきまでの笑顔が幻だったかのようにニコリともしないけれど、神ノ宮の鈍足にしょっちゅうイラついている身には、非常に快い。

「このあたりで見かけたという異国民についての情報と、一通りの事情をお聞きしたいんです」

「それはこの男からお聞きになりませんでしたかしら」

「まだ詳細は聞いていません。それも合わせて、事の起こりから知りたいと思って、まずここに連れてきてもらいました。時間がないので、手順をいろいろ省いて、シャノンさんを驚かせたことは謝ります。でも」

「ええ驚きましたとも」

 シャノンさんはわたしの言葉を遮るように言って、トン、とテーブルを整えられた爪の先で弾いた。

 それから、憤懣と一緒に、一気に言葉を出した。

「お訊ねがあれば申しましょう、なんでもね。ですけど、それは別に、お嬢さん自ら出張って来ずともよろしいんじゃございませんかね? 得体の知れない連中は、もうみんな逃げたかもしれない。でも、まだいるかもしれない。その危険を冒してまでここに来られる意義が、あたしにはさっぱりわかりませんよ。正義を貫く美しい心根というやつでしょうかしら。けれどもそれは、勇気というよりは無謀ってものです。もしもご自身の身に何かあったら、とはこれっぽっちもお考えになりませんでしたか。それで迷惑のかかる人間のことも? あたしはね、そんなお子様の巻き添えでハリスたちを死なせる羽目になるのは、真っ平御免なんですよ」

「あるじ、口を慎め」

 ロウガさんがきつい口調で言ったが、シャノンさんは眉を上げてわたしを睨みつけたままだった。

「……そうです」

 わたしはシャノンさんのその視線を受け止めて、はっきりと同意した。

 こちらも強い視線を返す。

「もう、誰かを死なせるのは、真っ平です。わたしもそう思います。だから、ここに来たんです」

 救おうとしている命はひとつだけ。

 守ろうとしている命も、ひとつだけ。

 でも。



 誰かが死ぬのはもうイヤだ。

 すぐに手の届くその場所で、命が失われていくのをただじっと眺めているのは、もうイヤだ。

 自分のしていることが偽善だろうとなんだろうと、イヤだと思うその気持ちだけは、まぎれもなく「本物」だ。



「神ノ宮で侍女の人が一人、死にました。これ以上の犠牲は御免です」

 真っ向から見返して言い切ると、シャノンさんはぱちりと目を瞬き、言葉に詰まったように口を閉じた。

「もう待たない。──災厄は、やって来る前に、叩き潰す」




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