4.理由
神獣の剣の凄さを目の前で見せつけられた護衛官たちの高揚は、それからも醒めることなく続いていたらしい。
その日の仕事を終え、詰所に入ってからも、食堂内は、昼間に見たもののことで、男たちのざわめきと喧騒に満ちていた。みんな、俺と同じで、興奮が抑えがたいのだろう。剣を身近にする人間にとって、あの稲妻のような鋭さと、圧倒的なまでの威厳と存在感は、心を捉えられずにはいられない。頬を上気させてまくし立てる男たちの目つきは、どれもこれも子供のようにぴかぴか輝いていた。
やはり至宝だからこそのあの切れ味だ、と、剣そのものの力量がすべてだと言いきる男もいる。
いやいや、使い手に馴染んでいなければああまで見事な軌跡は描けないだろう、と、守護人の手腕に感嘆する男もいる。
もう一度、今度はじっくりと見てみたいもんだねえ、と、うっとりと夢見るような表情をしている男もいる。
そんな中、いちばん近くでその剣の動きを目にした俺のところに、彼らの関心が集中するのは、無理もないことだったかもしれない。守護人の護衛を終えて、やっと食事にありつけると卓についた途端、どっと男連中に周りを囲まれて、俺は食器に手をつけることも出来なくなった。
「なあ、トウイ、お前はあの神獣の剣を何度か見せてもらったのか?」
「そんなわけないじゃないですか」
先輩護衛官に言われた言葉に、呆れて返す。神獣の剣に限らず、何かを「見せてもらう」ほど、俺は守護人に近くない。というか、あちらが俺に対してこれっぽっちも興味を示していない。なにしろ、質問の対象にも見なされていないんだから。いや別に、子供扱いされてることに、傷ついてるわけじゃないけど。
「いつも帯剣しているから、大人しく鞘に収まっているところを、後ろから眺めるくらいですよ。実際に抜いたところを見たのは、今日がはじめてです」
ましてや、守護人が剣を振るうのを見たのもね、と答えると、男たちは一斉に落胆の表情を顔に浮かべた。
「そうなのか? 俺はまた、お前がこっそり守護人の剣の稽古の相手でもしてるのかと」
「冗談はやめてください」
そんなことをしていたら、俺の首がいくつあっても足りやしない。
「じゃあなんで、あの時、守護人は鞘を持つ相手にお前を選んだんだ? 周りには、他にも大勢いたのによ」
「それは……」
投げかけられた問いに、口ごもる。
なんでって、それを聞きたいのは俺のほうだ。あの時、張った縄の周りには、まだたくさんの護衛官と警護の男たちが残っていた。俺とハリスさんは、詰所に戻ろうと足を動かしはじめていて、そこから少し離れた場所にいた。なのに守護人は、近くの男たちをすっ飛ばして、俺に声をかけてきたのだ。
「多少は、顔を見覚えていたからじゃないですかね」
自分でも考えたのだが、それくらいしか、理由が思いつかなかった。
そりゃ誰だって、何かを頼んだり命じたりする時には、まったく見知らぬ人間よりは、少しでも知っている人間のほうを選びたいものだろう。これまでよく話をしていたというロウガさんやハリスさんでなく、なぜ俺だったのかというところに疑問は残るけど。
「そんなもん、決まってるだろ」
突然、別の声が飛び込んできた。
ん? と視線を向けると、俺を囲んでいる男たちの頭の向こうに、人の悪い笑みを浮かべて立っているハリスさんの姿があった。
「決まってるって、何がです?」
「守護人が、お前を選んだ理由さ。そんなのひとつしか考えられないじゃねえか」
「え、なんですか」
本気で判らなくて聞き返す俺に、ハリスさんはますます笑みを深くした。
「ちょうど、背丈が釣り合ってたからだよ。あんなことをするのに、たとえば俺やロウガさんじゃ、不便でしょうがないだろ」
「…………」
思わず無言になってしまった俺の周りで、男たちがみんな、「なるほどな!」と納得して、どっと沸いた。
あ、そうか、そんな理由か……
確かに、守護人はごく小柄だ。手にした鞘を一刀両断するのに、身長差がありすぎたら、剣の刃が届かない。
だが、体格がよく背も高い男たちばかりの護衛官と警護の中で、守護人がそれほど見上げずに済む人間というのは、わりと限られる。
……あまり言いたくはないが、まあ、俺とかだ。
聞いてみたら、至極簡単なことだった。でもどっちかというと、知りたくなかった。ちぇーっとふてくされて卓に突っ伏したら、周りの男たちに、笑いながら代わる代わるばんばんと頭や背中を叩かれた。
「まあ、そう落ち込むな、トウイ」
「そうそう、ちっこいのも、そんなに悪いこたあねえ。小回りが利くし、他人からは見えにくいところが、護衛に向いてる」
「ちっこいって言うのやめてください」
「何にしろ、今回は役得だったじゃないか。神獣の剣をすぐ間近で見られてよ」
「そうだそうだ。お前の背の低さを、こんなにも羨んだことはないね」
げらげら笑いながら、慰めているのか貶しているのか判らないことを言う。俺はますます面白くない気分になったが、一部は頷けるところもあったので、なんとか気を取り直した。
──何にしろ、神獣の剣を間近で見られたのだから。
一度でいいから目の前で見てみたい、という願いが叶ったことは間違いない。ものはこのニーヴァ国の至宝、本当だったら、ただの護衛官の俺には、抱くことすら不相応な願いだった。なのにこうして実現し、想像以上の感動だってもらったのだ。それを思えば、背の低さをからかわれることくらい、なんてこともない。
……うん。
それは、僥倖と言ってもいい。
「今夜はいい夢を見られそうです」
守護人が手にしていた神獣の剣の輝きを頭に思い浮かべ、俺は笑ってそう言った。
ふと顔を上げると、男たちの後方で、すっかり笑みを消したハリスさんが、窺うようにこちらを見ていた。
***
翌日は、いつものように神ノ宮の外をぐるぐると巡る守護人の護衛についた。
彼女の後ろについて歩く俺の目線が、どうしてもその腰の剣に吸い寄せられてしまうのは、この場合仕方のないことだと思って欲しい。
神ノ宮の内部に、そうそう神経を尖らせなければならない危険などはない、ということもあるし、一晩経った今でもまだ俺の頭の中には剣の滑らかな動きが残像として留まっている、ということもある。とにかく、引きつけられてしまうのだ。これだから俺は、ハリスさんに、ガキだガキだと言われるんだろうなあ。
神獣の剣は、今は少女の腰の鞘に収まって、ひっそりとその輝きをしまい込んでいた。これまでは不釣り合いな飾りのようにしか見えなかったその剣が、硬い鞘をすっぱりと二つに分けた昨日の光景が目に焼き付いているせいか、今はまるで彼女に忠実に従い、その身を守っているかのように見える。
……いや、違うか。
変わったのは、俺の見る目だけじゃない。守護人のほうも、変わっているんだ。
よくよく気がついてみれば、最初の頃と比べて、彼女の細い腕には、いくらかしっかりとした筋肉がついている。身体の軸にはブレがなく、帯剣していても非常にバランスが取れている。だからこそ、剣が彼女を支配しているわけではなく、彼女が剣を支配できている。
足を動かすたび、ちらりと見える小さな掌は、くっきりと赤くなっていた。
王ノ宮からこの剣を借り受けた時から、彼女は彼女で、それを扱う努力をちゃんとしていた、ということなんだろう。
──誰からも見えない場所で。
いくら血の滲むような努力をしたところで、こんなにも短期間で、あんな風に剣を使いこなせるものだろうか、とか、手に取ってからそんなに経っているわけではないのに、あんなにも吸いつくように掌に馴染むなんてことがあるだろうか、とか、疑問はたくさんあるんだけど。
この時、俺が最も不思議に思ったのは、どうしてこの少女は、そこまで、あらゆることを隠そうとするんだろう、ということだった。
感情も。考えも。行動も。
ないわけではないのだ。彼女はたぶん、いろんな感情があり、考えがあり、それに則った行動をしているだけ。
しかしそれを、決して他に見せようとしない。
だからロウガさんは警戒し、ハリスさんは信用できないんじゃないんだろうか。
俺は……どうなのかな。
銀の鞘をぼんやりと見ながら思った。
変わってる、という印象は、はじめからまったく動いていない。守護人だから、異世界人だから──それ以外の理由を見つける気はない、というところもだ。でもだからって、過剰な警戒心や不信を抱こうというつもりにもなれない。逆に、妄信も出来ない。目の前にいるのは、どこからどう見ても俺と齢の近い女の子で、神のような存在ではなかった。
でも……どこかが妙に、引っかかる、ような。
ふと、閃いた。
案外、ロウガさんもハリスさんも俺も、彼女に対して感じているものの根は同じなのかもしれない。ただ、その表現方法が違うだけで。
ロウガさんが「解せない」と疑問に思ったもの。ハリスさんが「絶対に信用するな」と警告したもの。俺が「変わってる」としか言いようのないもの。
……この守護人を見ていると、ものすごい違和感を覚えるんだ。
何かが、ずれているような、違和感。
***
そんなことを考えていたためか、前を歩く守護人の足がぴたっと止まったことに気づくのが、一拍遅れた。
慌てて俺も立ち止まったが、その分、距離が詰まる。彼女は、いつもよりも近くに寄ってしまった俺の顔を、一瞬だけちらっと見上げて、すぐに別のほうへと逸らした。
「……あれは、なんですか?」
「は?」
まず、話しかけられたことに驚き、それから質問をされたことに驚いた。いきなり名指しを喰らった昨日ほどの動揺はないが、彼女に何かを訊かれたのはこれがはじめてなので、ちょっと緊張した。
「え、と……あれって」
少女の顔が向けられた方向に、自分も目を向ける。と、そこには、地面に無造作に積まれた材木があった。
「一昨日までは、なかったと思うんですけど」
そう言いながら、視線はじっとそこに据えられたまま動きもしない。そうか、昨日は教練場に見学に来ていたからな──と俺は思って、しかしわずかに首を捻った。
なんだありゃ。
俺だって、神ノ宮のことをすべて把握しているわけじゃない。でもここで答えられないと、「やっぱりコイツには無理だったか」と思われて、以後はきっぱりとそういう対象から外されるんだろうなあ、と予想がついたので、けっこう必死に頭を振り絞って考えた。
材木が積まれてるということは何かを造るってことなんだろうけど、それにしちゃ量が少ないし。どう見ても質も悪い。この神ノ宮内では、それがたとえ単なる補修であれ、木でも石でも、材料となるのはかなり上等なものが使われるはずなのだが。
これから神ノ宮で行われる予定っていうと──
「あ、そうか」
思い出して、つい、ぽんと自分の拳を手の平に打ちつける。すぐに、それは守護人の前でするような仕草でも言葉遣いでもないことに気づいて焦ったが、少女は相変わらず感情の見えない瞳をこちらに向けただけだった。
こほん、と小さく咳払いをして、軽く頭を下げた。
「あれは多分、三日後にある『拝礼日』のための準備ではないかと」
「……拝礼日、ですか?」
「はい、そうです」
重ねての問いに頷いて返事をする。おお、守護人とはじめて会話が成り立ってるぞ、と俺は内心で思った。意外に、なんでもなく話せるもんだな。もちろんそれは、守護人からの「誰でも、自分に対する時、過度に礼をとる必要はない。むしろとるべからず」というお達しが、大神官経由であったからこそなのだが。
静かな声、落ち着いた物腰。淡々としているのはいつもと同じだが、彼女の口調は、身分が上の人間にはあり得ないほど、丁寧だった。
ロウガさんやハリスさんには、ずっとこんな感じで接していたのかな。
「普段の神ノ宮は、特に許しがない限り、一般民衆の立ち入りは禁じられています。でも『拝礼日』だけは例外で、その日だけは子供から老人まで、誰でも敷地内に入っていい、とされているんです」
「誰でも、入れる?」
俺の言葉を繰り返して訊ねる守護人の瞳に、さっと戸惑いが走るのが見て取れた。
それを俺は、見知らぬ人々に対する怯えだと解釈した。こちらの世界に来てから、ずっとこの神ノ宮の中と、あとはせいぜい王ノ宮くらいしか入ったことのない彼女にしてみれば、いきなりその他大勢の民衆が押し寄せてくるような想像は、恐怖に近いものがあるのかもしれない。
「いえ、といってももちろん、入れるのは決められたごく一部の建物だけです。主殿からも離れていますし、門を通る人間は洩れなく全員、記名と簡単な身体検査が義務づけられます。あの材木は、多分、その受付を設置するために使われるものでしょう」
なにしろ、拝礼日は一日だけ。それが終われば、受付なんてものも必要なくなる。すぐに壊してしまうのだから、造りそのものも大雑把だし、それに使う木材の質は悪くて当たり前なのだ。
「拝礼日……」
守護人は、どこかぼうっとした視線を積まれた材木に向けて、小声で呟いた。
「……そんな日、わたし、知らない」
独り言のように出されたその言葉には、少なからず困惑も混じっているようだった。
そうか、まだ大神官から聞いてなかったか、と俺は思う。ひょっとして、言うのを忘れていたのかもしれないな。神官や大神官にとって、拝礼日は少々煩わしいだけの一日で、彼ら自身が、やって来る人々のために何かをするということはない。
「おそらく、今日か明日にでも、大神官様あたりからご説明があるかと。これは守護さまには直接関わりのない行事ですし、あまり前もって申し上げて混乱させてもいけないと思われたのではないでしょうか」
拝礼日にはどっと人がやって来るため、大がかりな行事であることには違いないが、民に許されるのは、神ノ宮の端にある、小さな建物内に祀ってある神獣の像──とはいえ、幕で覆われているため、その像を見ることは不可能なのだが──に祈りを捧げることだけだ。
守護人、ましてや最奥の間にいるとされる本物の神獣には、その存在を感じるほど近くに寄ることは出来ない。
その日、守護人は主殿の私室にこもっているように、と大神官から言われることになるだろう。神官たちは普段通りの日常を続けるが、護衛官や警護は、当日は総出で神ノ宮のあちこちに立ち、目を光らせなければならない。いくら主殿には寄せつけないとはいえ、こっそり神の姿を拝んでみようという不届き者が出ないとも限らないからだ。
「拝礼日は朝から夕方まで、門が開放されます。外には、塀を囲むようにして、ずらっと長い行列が続くほどで」
いつもは静謐な雰囲気に包まれる神ノ宮だが、拝礼日だけはやっぱり空気がぴりぴりして落ち着かない。民の中には、大声を出すガサツな中年男や、人の熱気にあてられて泣き喚く子供なんてのもいて、神官の中には、自分たちの聖域を穢されるようだと、露骨に顔を顰めるのもいるくらいだ。
いっそ拝礼日なんてなくしてしまうべきだ、という意見は、毎回のように神官の間から上がるらしい。
──でもさ。
「でも、一年に一度のことですから。拝礼日のために、わざわざ日数をかけて遠くからやって来るような人もいるんです。……普通に神ノ宮の外で暮らす人たちにとって、神獣を身近に感じることの出来る機会は、とても貴重なものなんですよ」
何日もかけて長い道のりをやって来て、手も足も、それどころか顔までも真っ黒にして、姿も判らない神獣の像に向かい、短く定められた時間、ただじっと手を合わせ祈る人々。
そのひたむきさ、一途さは、こちらの胸を打つものがある。
神ノ宮の外で暮らす一般民衆たちのほうが、俺たちや神官たちよりも、神に対してよっぽど敬虔だ。少なくとも、俺はそう思う。
そういう人々を完全に締め出してしまったら、神ノ宮というものに、果たしてなんの意味がある?
「一年に一度、ですか」
守護人はじっと考えるような顔をしていた。
「そうです。近くの街ではそれに合わせて、ちょっとした祝事も催されますから、かなりうるさ……いや、賑やかになりますね。特に今回は、守護さまが来られたということで、国全体が湧きたっていることですし」
今年の拝礼日には、神ノ宮にやって来る人々の数は、どれだけ膨れ上がるのか予想もつかない、というのが正直なところだ。時間がきっちり決められているので、閉門となったら、あぶれた人々は虚しく神ノ宮の外から祈るだけになってしまう。
どうせなら、なるべく多くの人が入れるといいなと思うんだけど。
「拝礼日というのは、いつも、この時期に?」
「いや、普通は、毎年、もっと遅い時期にあるものなんですが」
だから、今年の拝礼日が急に早まったことに、俺たちも驚きを隠せなかった。きっと、数百年ぶりの守護人の来訪、ということで前倒しで行うことにしたのだろう。
「遅い時期……そう、そうでしょうね……」
無意識のように手を口許に持っていって、守護人が呟く。
「だから、わたしは知らなかった」
一心に宙を見据えるその黒い瞳に何が映っているのか、俺には判らない。
それから彼女は、ふいに我に返ったように、顔を上げた。
「──戻ります」
静かにそう言って、くるりと踵を返して歩き出す。
「あ、はい」
俺は急いでそれに従ったが、少しして、ぽそりと落とされた言葉が、ふわっと吹いた風と一緒に流れてきた。
「……今度の火種は案外、すぐ近くにあるのかも」
その意味も、俺にはまったく判らなかったのだが。