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女大公カイエン  作者: 尊野怜来
第三話 夏の夜の夢
67/220

未曾有の時代へ向かって (2016.0611 冒頭部分を改稿)

 きれいな目をしていた

 この世離れして

 それなのに、あの人の見ていたのはこの世のことだけ


 あの風は今も昔も変わりなくこの草原を吹き抜けていくが

 あの人はもういない

 変わらない草原の向こう

 青みがかった白の城壁と城  

 あれはまだあそこにあるか


 この頰に風を感じているうちにも

 わたしは日々に考えを変え、薄汚れていくけれども

 だからこそ、この地上の空高く

 吹きすぎていくあの時代の風は美しい

   

 いつか炎に灼かれて

 ひと摑みの風塵にかえるこの身だから

 空を見上げて泣きながら決めたことのために死のう

 そして

 あの人のいる

 あの風の向こうへと吹き抜けて消えていこう




       アル・アアシャー 「海の街の娘」より「風の城の娘」 

  





 クリスタレラの大城へ入り、一晩ゆっくり休んだカイエン一行は、その晩、クリストラ公爵夫妻の開いてくれたこじんまりとした晩餐会に出席した。

 晩餐会と言っても、それはあの先年の騒動の最後を彩った皇后主催の晩餐会のような、内うちの集まりだった。

 場所も公爵たち家族が揃って食事するときに使われる、私的な大食堂が当てられた。

 本来なら一番身分の高い大公のカイエンが部屋の一番奥の鏡張りの壁面を背にして座るはずだったが、この夜はそういう堅苦しいことは避けられ、カイエンのカイエン以外は男ばかりの一行と、公爵家の家族が交互に男女一組づつ隣り合うような形で座ることとなった。

 カイエン側からは、カイエン以下、ジェネロ、パコ、それにチコとイヴァンの副官たちの五人。

 この旅ではカイエンの馬車の御者役のガラは昨夜はどこからともなく戻ってきて、朝、また消えてしまった。兄のサヴォナローラに託された秘密の任務でもあるのだろう、と彼に関してはカイエンも彼女の周りのものも理解していた。ガラの寡黙ではあるが裏表は無さそうな人柄が、すでになんとなく理解されていたこともあるだろう。

 公爵家の家族は当主のヘクトル、夫人のミルドラ、それにアグスティナ、バルバラ、コンスエラの五人の総勢十人の晩餐であった。

「なんだか落ち着かないですなあ」

 そうこぼしたのは将軍のジェネロ・コロンボで、その向こうでは副官のチコ・サフラとイヴァン・バスケスもまた、なんだか居心地悪そうに空咳などしている。

 カイエンはともかく、ジェネロは固辞したのだが彼ら二人が長いテーブルに向かい合って、一番上座に座らされた。

 カイエンの隣にはヘクトル。次が長女のアグスティナ、その隣が内閣大学士のフランシスコ・ギジェンでその隣が三女のコンスエラ。

 向かいはジェネロの隣がミルドラ、次がここは年齢が上ということで副官のイヴァン、その横が次女のバルバラ、最後がチコ・サフラ、という具合だった。

 公爵家の執事や侍従、アキノやルーサ、それにシーヴはそれぞれの主人の後ろの壁際へ控えた。

「大公殿下、昨日はよく休みになれましたかしら?」

 ミルドラがこればかりは血の繋がった伯母の目つきで聞いてくる。

 だが、彼女ら二人の本当の血のつながりを知らない、ジェネロ以下の面々が同席しているので、彼女の言いようは丁寧にならざるをえない。

 カイエンは晩餐であるから、さすがに大公軍団の制服ではなく、柔らかい夏らしい薄い絹地の夜会用のドレスをまとっていた。色はこのクリスタレラの青大理石を思わせる明るい空色だ。流れる滝のように裾へ向かって重なった少しづつ色味の違う青の絹地が涼しげだった。これもまた、あのノルマ・コントの作である。今度の旅にはこの他にも幾つものドレスや礼服が用意されていた。

 髪もいつもと違って上の方でまとめていたので、細い首筋がすっかり見えていた。あの、ヴァイロンから受け継いだ紫翡翠の耳飾りと指輪も、それらのこしらえによくあって見えた。

「ええ。おかげさまで静かにゆっくりと休ませていただきました。久しぶりに朝寝もさせていただいて、疲れが吹っ飛びましたよ」

 カイエンがそう言うと、隣でヘクトルもうん、うんとうなずいた。

 ヘクトルとミルドラの夫妻も、娘たちもまた、晩餐にふさわしい優雅な衣装でおっとりと座っている。

「私どもは帝都からこのクリスタレラまで、年に何度か往復致しますが、それでもミルドラや娘たちは毎回、疲れた疲れたと大騒ぎですからな。ゆっくりなさっていただけて、私どもも安心致しました」

 言いながら、公爵が手で合図すると、使用人たちがそっと現れて食前酒の用意を始める。

「将軍方、それにギジェン殿もどうか、お気楽に」

 如才なくヘクトルはジェネロたちにも微笑んだ。

「君たちにはこれから頑張ってもらわなければならないからね。大公殿下ももちろんだが、君らにもこれからこのハウヤ帝国を支えてもらわねばならん。これを機に昵懇にしてもらいたいものだね」

「はあ。まあ、出来うる限りを尽くさせていただきます」

 そこは元の性格がものを言うのか、ジェネロはとっくにこの場の空気に馴染んでいるように見えた。少しも萎縮してなどおらず、むしろ堂々としている。

 今日も彼は帝国軍の将軍の制服だが、脂っ気のない薄い茶色の短く刈られた髪から、くるくると内面の感情を示して色の変わる灰色がかった緑色の目、やや無精髭のようなものが散見される顎まで、全くいつも通りのジェネロ・コロンボだ。

 平民出身の彼が、おじ気もせず、卑屈にもならずに大貴族のクリストラ公爵に応答する様を見て、カイエンはそっと微笑んだ。

 カイエンは旅に出る前にヴァイロンから、ジェネロの人となりをしっかりと聞かされてきている。カイエンは彼には全幅の信頼を持っていた。

(ジェネロには、留守中の彼の家族のことを託されております。ですから、殿下には私と同じ信頼をジェネロにもお持ち下さいますように)

 カイエンにもヴァイロンの言いたいことはわかった。

 皆がみな、大切な存在をこの旅に出し、または後に残して来ているのだ。

 だが、副官のチコとイヴァンの方は上官のそんな態度を不安そうに見ている。まあ、こちらの反応の方が普通といえば普通だろう。

「私も、微力を尽くすつもりで参っております」

 なんだか甲高い声で言ったのは内閣大学士のパコだ。

 彼は左右を、着飾った美しい公爵家の長女アグスティナと三女のコンスエラに囲まれて、褐色のアストロナータ神官の衣装に包んだ小太りの体を、落ち着かなげにこわばらせている。なんともアストロナータ神官らしからぬ俗っぽさだが、それがいやらしく見えないのは彼の生真面目な性格が誰の目にも明らかなためだろう。

「そうだね。宰相もいい方を大公殿下につけてくださったようだ」

 そう言うと、ヘクトルはみなの手に食前酒のグラスが行きわたったのを確認して、すっと席を立った。

「では、大公殿下のこの度の旅の安寧を祈りまして……」


 乾杯サルー



 乾杯の後にはすぐに前菜の皿が供された。帝都ハーマポスタールは大陸の西の果て、大海に面しているので魚介類が豊富だが、このクリスタレラは山間部に近い森林地帯で、海からは離れている。

 料理には鹿肉や森の山菜、キノコ類を使ったものが多く出て、カイエンたちを珍しがらせた。

 

 

「そうそう、アグスティナの縁談がまとまったんですのよ。この子、お嫁に行くんですの」

 そう、ミルドラが話し始めたのは、メインの鹿肉をマリネしたものをオーブンで焼いた大皿が出てきた頃合いだった。

「え。アグスティナは公爵家を継がないのですか」

 カイエンが驚いて聞く。

 このクリストラ公爵家には娘ばかり三人しかいない。皇女だったミルドラと大恋愛の末に結ばれた公爵には妾腹の子もないと聞いている。

 カイエンはなんとなく、長女のアグスティナが女公爵の称号を得るのだと思っていた。アグスティナは今年、二十一で、そろそろ婚期の遅れが気になる年齢なのも、良き婿がねを探しているからだと思っていたのだ。

「このクリスタレラの郷士でポンセ男爵ってのがいるんだけど、そこの長男のラモンとですのよ」

 ミルドラはジェネロたちをはばかって、いつもの伯母姪の間の言い方とは違う、いかにも高貴な貴婦人、それも腹違いの年の離れた姉妹でちょっと距離がある、という設定での話し方をするので、カイエンはなんだか落ち着かない。

「はあ」  

「うちは公爵家ですけれども、このクリスタレラの領主としては地元とのつながりも必要なのですわ。私もヘクトルも去年までの国境紛争以来、なんだか知らないけど、このクリスタレラって土地をより確固とした気持ちで守らなきゃ、って思い始めたんですの。そこへ、このアグスティナが母の私にポンセ男爵家の長男への気持ちを告白してまいりましたのよ。それを聞いて、これは将来を考えたらいいことなのかもね、って思いましたの。まあ、皇帝陛下にはこれから奏上せねばなりませんけれどもね。まあ、多分……きっと、いい顔はなさらないでしょうけれど」

 カイエンは目を白黒させた。

 全てが初めて聞く話なので、すぐには返答出来かねた。

 落ち着こうと、皿の上の柔らかい鹿肉を一切れ切って、口に入れ、ゆっくり咀嚼してから答えた。

「では、御相手の方とは相思相愛というわけですか」

 なのにカイエンの口から出たのは、当事者のアグスティナが赤面するような言葉になった。

「あら!」

 父のヘクトルとパコの間で、ナイフを取り落として、赤くなった顔を隠すアグスティナ。

 その様子は、去年、急に皇帝の命令で、そっち方面の世界へ引っ張り出されたカイエンにはなんとなく覚えのあることであった。

 気恥ずかしい。

 それだ。

「すまないアグスティナ!」

 カイエンが慌ててヘクトルの体越しに同じ側に座ったアグスティナの顔を見ると、アグスティナは父親によく似た顔を赤らめて、カイエンをちょっとにらんだ。

「ひどいわ。……でも、その通りだけど」

 公式には若い叔母と姪だが、実は従姉妹どうしのカイエンとアグスティナは顔を見合わせれば、年頃の若い娘同士だ。

「そうか。よかったなあ。後で、どんな男か聞かせてくれ」

 カイエンが言うと、アグスティナはもう恥ずかしがらずに、にやっと微笑んだ。その顔はミルドラに似て、気が強そうだ。

「もちろんよ。いいえ、もちろんですわ」

 これは、今夜は晩餐の後には秘密の女子会が待っているというわけだろう。やれやれだ。

 カイエンがなんだかくすぐったい思いでそう思っていると、他の公爵家の娘たちが我慢できない、というように話し始めた。

 こうなっては、ジェネロも副官の二人も、パコも、男どもは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ただただ聞いているしかない。

「そうなの! お姉様はお嫁に行ってしまうって言うんですの!」

 これは今年、十八の次女のバルバラ。

「行っちゃうんですのよー」

 これは三女のまだ十二のコンスエラ。

 カイエンは二人を交互に見ながら、聞くしかなかった。

「じゃあ、クリストラ公爵はどちらが継ぐことにしたの?」

 娘たちの勢い込んだ様子から見ると、その辺りももう、決まっているのではないかと思ったのだ。

 すると、次女のバルバラが、さっと顔を引き締めたではないか。

 バルバラはナイフとフォークを静かに置くと、カイエンの方に体を向けて、まっすぐに目を合わせてきた。

 父親似のアグスティナと違って、母親のミルドラに似たバルバラの顔は、もちろん、カイエンにも似ていた。年齢も一つ違いだ。

 カイエンの黒髪は紫がかっており、ミルドラのそれは緑色がかっている。バルバラの黒髪は母親と同じだった。目の色は虹彩の一部に父親からもたらされた青みが入ってはいるが、深い灰色。これは、ハウヤ帝国皇帝家に三百年に渡って受け継がれてきた顔だ。


「私ですわ」


 バルバラは胸に手を置き、父のヘクトルの顔も見据えながら、はっきりと言った。

「私はご覧の通り、アグスティナお姉様や妹のコンスエラと違って体も小さいですし、実のところ武道はからっきしですわ。それでも、もう決めました。お姉様がポンセへ嫁ぐとなれば、このクリスタレラは郷土揃って一枚板になれます。今までよりも強固な国境の防衛力となるでしょう。私は私とともに、このハウヤ帝国の東の国境を強固に守ってくださる方と結婚したいと思います。身分など問いませんわ」

 バルバラはカイエンの顔をまっすぐに見た。

「大公殿下。私、なんだか遠いところから声が聞こえてくるような気がしていますの。これから、この国に起こる未曾有の時代の始まりのこと。そんな時代に、私は私として、この故郷、どこよりも私にとっては美しいクリスタレラを守らなければならないと思います。大公殿下の御領地である帝都ハーマポスタールはここから遠いですが、大公殿下にとっても同じでございましょう。私は、私どもはともにおのれの領地を、そこに住む人々を少しでも時代の荒波から守り、安寧に保つために生まれてきたのだと感じているのです」

 カイエンはまだ知らなかった。

 だが、聞いていたジェネロはその頑強極まる体を人知れず震わせて、未だ見知らぬ恐怖に耐えていた。

 自分は言った。

 ヴァイロンに言った。

 確かに言った。

 あの日。

 大公宮で開かれた彼の誕生日の宴の中で。

 あの言葉は、おのれのどこから出てきた言葉だったのか。

 今となっては、ジェネロにもわからなかった。

 それでも、自分は確かにヴァイロンにあの言葉を告げたのだ。

 あの言葉を紡いだ口は本当にこの俺の口か?

 そう、質したくなる。

 だが、間違いはない。俺の口が言ったのだ。あの言葉を。


(それに、あの人はこの街に必要な人だ。よく分からねえが、きっとあの人こそが、この先何があろうとこの街を守ってくれる人だ。俺はなんでか知らねえが、それだけはもうわかった。……もしかしたらこの先、この街がこの国じゃなくなるような時代になってもな。この街を、俺の家族を守ってくれるのは大公殿下だ。そして、ここにいる奴らはそれを助けるに違いねえ。だから俺はあの人を守るよ)


 来るのか。

 そんな時代が。

 これが自分だけの思い込みなら良かった。

 だが。

 今、このバルバラっていうクリストラ公爵の娘が言っていることはあれと同じだ。

 そして。

 おそらくは、この大公殿下のシイナドラドへの旅は、そういう時代への始まりなのだ。

 それだけはもう、間違いがない。

 

「バルバラ……」


 ヘクトルもミルドラも、そしてアグスティナもコンスエラも。呆然とした顔でバルバラを見ていた。己の娘や姉妹がこれほどのことを言うとは、思ってもいなかったのだろう。


 バルバラは語るべきことは語り終わったというように、目を伏せて静かに座っている。

 今までの言葉は、まるで何かが彼女に憑依して言わせていたかのようだ。 

 カイエンは、知った。

 いや、昨年から始まった己の運命の変遷の理由を漠然と悟ったのだ。

 父のアルウィンが去り、彼女が帝都を預かる大公になったのはなぜか。

 皇帝が自分に辛く当たったのかなぜか。

 ヴァイロンが将軍の任を解かれて、彼女のそばに置かれたのはなぜか。

 結果的に皇帝の沙汰によって強化されることになった、カイエンの大公軍団のすべきことは何か。

 おのれの責務。

 おのれが守らなければならない人々の重み。

 これらはすべて、同じ未来へと準備された物事だ。

 螺旋帝国での革命もまた。

 おそらくはあれまでもが、この時代の変化に繋がった出来事の一つなのだ。

 恐らくは、皇帝サウルもあの宰相サヴォナローラも、何がしかのきっかけでこの未来への道筋を見たのだ。だから、あのような迂遠な方法でもって彼女を無理やりに起き上がらせ、立たせ、一人前の大公にしようとしたのだ。

 そうとしか思えなかった。

 カイエンは、ゆっくりと、宰相サヴォナローラが付けてきた内閣大学士フランシスコ・ギジェンの顔を見た。

「パコ」

 カイエンのその声は、後ろに立っていたアキノやシーヴがぎょっとしたような冷たい声音だった。


「シイナドラドで待っている者どもは、この答えを知っているのだろうか?」


 カイエンの灰色の目の中で、パコの濃い金色の目は瞬きもしなかった。今、彼の小太りな体は椅子の上でしゃんと直角に座っていた。

 彼もまた、あのサヴォナローラ同様に、何者かに選ばれた存在なのだろう。

「おそらく」

 彼が答えた言葉はただ、それだけ。

 そうか。

 だが、カイエンは、深く深くうなずいた。

 この旅は始まりの始まりだ。

 もう、去年の春から始まった嵐の後に続く、次の時代のうねりを連れてくる出来事の始まりなのだ。

 次々に押し寄せる困難は、一つ一つが、ただの始まり。

 だが、いつまでも始まりに佇んではいられない。それは自明のことだ。

 今は、ただ。


 進め。

 進め。

 人も時代もまた、進まずにはいられない。

 戻る道などあったためしはないのだから。

 カイエンはもう、ためらわなかった。

 

 




 カイエンたち一行、約二千名は、数日後にクリスタレラをたち、ベアトリアの国境へと向かった。

 パナメリゴ街道沿いに進む。

 やがて見えてきたのは、ハウヤ帝国とベアトリアとの間に「あった」河だ。

 名を、リオ・デ・モラドと言う。

 紫の河という意味だ。

 クリスタレラ側の岩山は青白い大理石の山だが、河の反対側の色は全く違っていた。

 ベアトリア側の岩山は紅大理石の山だ。

 それゆえに河の水は紫色を呈している。

 だが、この河が国境だったのは一昨年までの話だ。

 先の国境紛争の末、今では、河の向こうまでがハウヤ帝国の領土となっている。

 橋のない河を渡るのは大変な労力がかかった。

 カイエンたちの馬車や荷馬車は浅瀬を探して渡ったが、それは一日係りの大仕事であった。

 現在の国境の街の名は、クリストバル。

 ベアトリアの国の中にあった先年までの名前は、クリストフォロである。町の名はその属する国を変えた時に共に塗り替えられるのだ。

 

 農場とその中心にある街以外に何もない、新しい国境の街。

 カイエンが馬車の窓から見ていると、田舎っぽい街の手前に、新しく建てられたと思しき、国境の検問所が見えてきた。

 あそこまでが現在のハウヤ帝国。

 その向こうはベアトリアの国内だ。

 


 カイエンたちが馬車を降り、クリストバルの街へ入ると、そこには懐かしい顔が待っていた。

 ザラ子爵ヴィクトル。

 その脇には鼠のような顔をした、だがいかにも切れそうな男が控えていた。

 カイエンは帝都ハーマポスタールで一度会っている。

 シイナドラドのサパタ伯爵だ。


「お待ちいたしておりました」

 国境の検問所の前で待っていた二人の男の片方が、さっとその場に跪いた。

「ご予定通りのご到着、祝着に存じます」

「うん」

 カイエンがそう言って、馬車を降りれば。

 その前で顔をあげた偉丈夫。

 その顔はあのザラ大将軍と共通する鷹のような鋭さを感じさせたが、老年に差し掛かった年齢がいくらか生来の鋭い刃物のような危険さを和らげていた。

「ヴィクトル・ザラ、ここに控えますシイナドラドのサパタ伯爵とともに、すでにベアトリア国内の通行の一切を準備いたしております。大公殿下にはお心やすく、御進み頂けますように」

 カイエンは左右に立っている執事のアキノ、護衛のシーヴ、女中のルーサ、それに将軍のジェネロの顔を見回した。

 どの顔も緊張していた。

 初めて外国へ出るのは、カイエン一人ではない。

「ご苦労」

 カイエンがそう言って、そっとかがんでザラ子爵の手を取ると、その手の持ち主ははっとしたように顔を上げた。

「頼むぞ」

 カイエンは自分の後ろに続く、二千の配下を代表して聞いた。

「ベアトリアの首都、フロレンティアまではどのくらいだ?」   

 あの、ザラ大将軍と同じ、褐色の目がうなずいた。

「ここから五日ほどの距離でございます」

 ハウヤ帝国の広大な版図と比べれば、ベアトリア王国は小国だ。国境から首都のフロレンティアを通り、次のネファールとの国境まで、首都での滞在がなければ十日ほどもあれば着けるだろう。


 ベアトリアの首都、フロレンティアは赤い屋根、白い壁、黒い窓枠で統一された、花の街だという。

 カイエンたちはその王宮で何日かを過ごして、次のネファール国へと向かうことになっていた。

 

  


 

 この話、長いんですが、そろそろなんとなく先の波乱の展開が見えてきたのではないかと思います。

 彼女たちは守ります。彼女の愛するものと、彼女たちの故郷を。

 その果てに彼女たちはどうなるか。

 国は、街は、どうなるか。

 そんな時代のうねりを書いていきたいと思っています。


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