喪われし女神の名前
「あんたが、もう覚えてない、あのコの名前だけどさ。あれ、俺の母親の名前と同じだったんだ」
カスティージョ伯爵邸の二階。人質に取った細工師たち二人の上に、どっかりと座り込み、大剣を細工師の首に押し当てている、この屋敷の主人を前に、中途半端な距離をとったまま、イリヤは微笑みに近い表情を浮かべ、突っ立って、話し続けていた。
「はぁ。……また何をいきなり話し始めるのだお前は?」
話が思わぬ方向へ向いたので、カスティージョはいかつい眉のあたりをしかめた。
「まあ、聞きなよ、おっさん。俺の母親さぁ、これが多分、まだ生きてるんだけど、俺はもう二度と会いたくないんだよね。だから、十年ちょっと前、故郷から飛び出てきたの。それからは音信不通。でも、その母親と同じ名前となると、無視出来なくってさ」
カスティージョには一向に話の向かう方向が見えないままだ。
「?」
イリヤは窓辺で大段平を持ったまま、震えているホアキンの方など、見ようともしない。彼の鉄色の目は、ひたりとカスティージョの顔から動かなかった。
「俺の故郷は、プエブロ・デ・ロス・フィエロスってとこなんだ。獣人達の村、って言う意味。あんたは知らないだろうけど、ここ出身で今、このハウヤ帝国の中枢にいる人って、結構いるんだよ」
彼らがザラ大将軍のもと、名もない結社を形成していることも、カスティージョは知らないだろう。
「俺の母親の父親が、東の方の国からの移民でさ。だから、母親の名前はそのまんま祖父さんの故郷の土着の言葉の名前なんだ。俺の名前もそうさ。俺の名前の半分は、東方の国の言葉なんだ。もう半分も、外国らしいけどね」
イリヤの話し方の中に潜んだ、危険な匂いでも嗅ぎ取ったのか、カスティージョ親子はそれまでのように反論したり、話を遮ったりしようという様子がない。
「ヤンジカだよ」
イリヤは、その名前の響きを確かめるように、そして、ちょっと嫌そうにその名を口にした。
「ヤンジカ、って言ったんだよ。……あんたが手ェ出した女中の名前さ。俺の母親が言うには、これは東方の小国の、今はもう喪われた女神の名前なんだって。それが同じだったから、興味を持っちまったんだ。このハウヤ帝国じゃ、母親以外にはいないと思ってた名前だったから、珍しくてさぁ」
ヤンジカ。
確かに、それはこのハウヤ帝国のある、パナメリゴ大陸の西側にはない響きだ。
「馬鹿だろ、俺。大嫌いな母親と同じ名前の女にコナかけて、それで、やっと入った軍隊を首になってさぁ」
ここまで聞いて、カスティージョは、はっとしたように声をあげた。
「何をいまさら! あの女の名前なんぞ、どうでもいいわ! そこまで気に入っていたなら、どうして国へ帰るなどという言葉で騙されたのだ?」
イリヤは、すぐにはその質問には答えなかった。と言うか、答える前に事態が動いた。
彼が、何か続けて言おうとした時、ちょうど窓から外を見た、ホアキンが大きな声を出したからだ。
「ち、父上! 大変だよ! たいへん……」
一方、屋敷前に展開した、大公軍団の方は。
「細工師ギルドの連中の、武装解除が完了致しました!」
その報告が治安維持部隊の隊員からあったのは、ヴァイロンやイリヤたちが突入して、すぐのことだった。
ヴァイロンたちの突入で浮き足立った、細工師ギルドの人々数百人。
それを見逃すことなく、熟練の隊員たちが人々の中に入り、素手や棒、刺股で、細工職人達の持つ包丁やらナイフ、斧に鉈、それに山刀などを叩き落とし、取り上げた。
それから、なるべく怪我をさせないように、人々を屋敷前の一角へ押し集めたのだ。
「国立医薬院より、医師と助手、それに学生が参っております」
屋敷の門の方から走って来た隊員が、そう告げた時には、カイエンはもう、現場の屋敷の正面に持って来させた木の椅子にどっかと座って、全体を見回していたところだった。
「すぐに入ってもらえ。……隊員だけでは対応できない怪我人もいるようだ」
カイエンは、どっかりと、男のように足を踏みしめて椅子に座り、杖を顎の下に当てるようにして、まっすぐに屋敷の二階の窓を見上げたまま、隊員を促した。
もう、この事件が解決するまで、その場所をテコでも動く気は無かった。黒い長靴の底で踏みつけた、石の敷かれた庭の上は、ひたすらに固く、そして冷たかった。冷えが長靴を伝って、足元から上ってくる。だが、それでもだ。
屋敷の中からは、次々と、ヴァイロンと共にやって来た、帝都防衛部隊の隊員が怪我人を引っ張り出してくる。その中にはこの屋敷の郎党らしき、大柄な若者も幾人か混じっていた。
応急手当ては帝都防衛部隊のロシーオたちが行なっていたが、中には手に余る怪我人もいた。そこへ、やって来た国立医薬院の医師たちの白い筒型の帽子に、白衣の姿が走り寄っていく。
屋敷の前は、このようにごった返した有り様となっていたが、屋敷に突入したヴァイロンたちは戻って来ない。
「カスティージョのやつ、どうするつもりなのだ?」
すでに、カスティージョの家の郎党は、皆、武装解除の上、屋敷内から引っ張り出されたはず、との報告が入っている。出て来た帝都防衛部隊の隊員によれば、もう、中で争っている者はいない、とのことなのに。
カイエンが呟いた時、今度は内閣大学士のパコ・ギジェンを連れて、治安維持部隊の双子の隊長のうち、兄のマリオの方が人垣をかき分けて到着した。マリオの姿を見ると、現場の隊員たちの表情が変わる。先ほどまでは軍団長のイリヤがいたが、屋敷内へ入ってしまったので、不安だったのだろう。
なるほど、大公軍団の頂点の大公とはいえ、カイエンでは現場の指揮は取れない。
パコは宰相府のサヴォナローラに命じられて、この場の様子を見に来たのだろう。何か言おうとするパコを、カイエンはアストロナータ神官の褐色の僧衣の腕を掴んで、そっと制した。
それは、屋敷の裏から、皇宮前大広場署の署長、ヴィクトル・カバジェーロが駆け出してくるのが見えたからだった。彼はヴァイロンたちと共に、屋敷内へ突入したはずだ。
「カバジェーロ署長、どうした?」
カイエンが聞くと、カバジェーロは緊張した顔で報告する。
「帝都防衛部隊長に命じられて、戻りました。中ですが、ここの主人と息子が中に入った細工師達を人質にして、軍団長らとにらみ合ってます。……いや、人質というか、捕まえたやつらを縛り上げて、いたぶろうとしてたようです。あの伯爵さんはいかれてますよ」
これを聞くと、カイエンとマリオは顔を見合わせた。醜聞を載せた新聞社を、郎党どもに襲わせるような男だ。十分にありうる事態だ、と二人共がそう思った。
「それで、軍団長が説得のため、一人で部屋に入り、帝都防衛部隊長と隊員達は、脇の部屋に回って様子をうかがっております」
そこまで聞くと、カイエンとマリオは異口同音にこう言わずにはいられなかった。もちろん、カスティージョとの間に因縁のあるイリヤの、蛮勇とも言える単独行動についてだ。
「イリヤ、馬鹿! それ、火に油を注いでるだけだろ! 情緒不安定か!?」
「火に油を注いでどうするんです! 一人で入るなんて、そんな勝手な!」
イリヤとカスティージョの過去の因縁を知っているのは、ここではカイエンとマリオ、それにシーヴくらいだから、カバジェーロやパコは不思議そうな顔つきだ。
「あー。イリヤさん、面倒くさくなっちゃったんですねぇ」
そして、とどめに聞こえて来たのは、シーヴの一言だった。彼はなんのかんの言って、イリヤとは親しいから、彼の心の動きが読めたらしい。
「シーヴ、それはどういう意味だ?」
カイエンが聞くと、シーヴはけろりとした顔で答えた。
「イリヤさん一人でカスティージョ将軍に相対すれば、今のこの事件より、昔の因縁の方で盛り上がっちゃいますよね。イリヤさん、それで将軍の注意を自分に引き付けるつもりなんでしょうけど……。まあ、そこまではいいんですが、多分、……ええと、そのぅ」
最後の方になって、シーヴは言いにくそうに口をすぼめてしまった。さすがに、過激すぎて最後まで言えなかったらしい。
「……あわよくば、後腐れがないように、カスティージョ親子をぶち殺して来ちまおうと思っているんじゃないか、と言うんだろう? 恨みをのんだまま生かしておくと、後で面倒くさいから」
カイエンが後を続けてやると、シーヴは曖昧な顔で、だが一応はうなずいた。それを見て、マリオはふーっとため息をついたが、カバジェーロやパコには、どうしてそうなるのか、わからない。
カイエンの横で、マリオが一旦、屋敷から出て来た、帝都防衛部隊の隊員たちを集め、怪我人を医薬院の医師に委ねたら、屋敷の裏と横から周り、屋敷の屋根の上へ登れ、と指示している。
確かに、屋根の上からロープで降り、窓から突入して、カスティージョの後ろを取れれば、事態は一気に解決するだろう。イリヤが好き好んで矢面に立っているのも、それなら布石の一つとして機能する。
カイエンは彼女の言葉を聞いて、心配そうに唸っている、パコの真面目一方の顔を、ちょっと気の毒そうに見てしまった。今日も、急いで駆けつけたからだろう、小太りの彼は十一月だと言うのに汗ばんで、眼鏡もちょっとずり落ちたままなのだ。
「私情が絡んでない時は、冷静なんだがな。情に絡んだ展開になると、いきなり吹っ切れちゃうんだよ。まあ、あれで、ずる賢さと抜け目なさには不自由してないから、今回も逃げ口は用意していると思うがな。今、マリオが屋根の上に隊員を配置したし。……マリオ、今のこの手順は、訓練でもやっているんだろう?」
カイエンが聞くと、マリオはいつもの無表情のまま、静かに答えた。
「はい。こういう状況での訓練もしておりますし、今までのところでは、事態は訓練通りに動いています。ですから、単独行動中の軍団長にも、隠れて待機中の帝都防衛部隊長にも、先は読めているはずです」
「そうか。それでも、イリヤの行動だけは、訓練通りじゃないかも知れないわけだな?」
しっかりと顎を引いて肯定するマリオの顔を見ながら、カイエンが思い浮かべたのは、イリヤにまつわる二つの情景だった。
一つは、もう一昨年のこと。カイエンの異母弟だったカルロスの死を伝えに来た時のイリヤ。
(おまえはグスマンの側か? それとも私の側か?)
そう尋ねたカイエンに対して、
(いやですねえ。俺は大公殿下の軍団の軍団長ですよ)
そう言って、カイエンの革靴を手に押しいただいた時のイリヤだ。
あの時の満面の笑みは、本当に怖かった。
今思えば、影でグスマンの死を偽る工作をしていたわけで、あの男の微笑みの裏にはろくなことがないのだ。
二つ目は、カイエンに桔梗星団派のことを気付かせるため、大公宮に潜んでいた「盾」の手先だった侍従の口を塞ぎ、そしてアストロナータ神殿から盗み出した盾と、軍団支給の安物の剣を持たせ、元開港記念劇場の裏手に転がしておいた事件だ。実際には、「盾」の一番上は、彼自身だったにも関わらず、彼はアルウィンを見限ると同時に、それまでの仲間をも切り捨ててのけたのだ。
どちらも、カイエンがイリヤを免責しようとすれば、簡単に出来た。だが、彼はカイエンはそうしない、としたたかに計算していたのだ。
憎らしい。
カイエンは何度もそう思ったが、イリヤが大公軍団の軍団長を辞めれば、誰が後を引き継げると言うのか。
マリオでもヘススでも、業務そのものは引き継げるだろう。だが、アルウィンの桔梗星団派の事情までは彼らは知らない。薄々は分かっているだろうが、彼らは当事者ではないのだ。
イリヤを朝餐の席で、アキノとともに断罪した時から、カイエンはイリヤの「毒」もろともに懐に入れる方を選んでしまった。
「それに致しましても……あのう、宰相殿は必要ならば、ザラ大将軍に動いていただく、と言っておりましたが」
パコも、シイナドラドへ随行しているから、まったくそのあたりの事情を知らないわけでない。パコの申し出に、カイエンは一つうなずいた。
「まずは、私たちで何とかやってみよう。近衛が動いたらただの騒動じゃなくなる。もう、すでに解決に時間を食い過ぎているしな」
カイエンは、そう言うと、ふと屋敷の二階を見上げたが、すぐに目をそらした。
「マリオ」
「はい」
「二階のカスティージョの立てこもっている部屋の隣、見てみろ。ああ、目だけ動かしてな。カスティージョが窓からこちらを見ているかもしれん」
カイエンが言うまでもなく、マリオも気が付いていたらしい。
「窓辺で手信号を送ってますね。あれは……帝都防衛部隊のサンデュです。ええと、『怪我人、人質六、七名あり。軍団長事件対応中なれど難あり。人質救出緊急なれば、外より援護求む』です」
帝都防衛部隊の創立から二年あまり。
治安維持部隊ではあまり採用していなかった、手信号や光の信号でのやり取りの訓練は大公軍団全体に及んでいた。それまでにも、簡単なやり取りは話さずとも出来るようになっていたが、言葉自体をそのまま、身振りや、光の点滅に置き換える手段は、確立していなかった。
これは、市街地での戦闘行為を想定した上で採用されたものだった。かなり前に、当時は国立士官学校の教授だった、マテオ・ソーサが発案したものだったが、軍隊では、それほどの精度の連絡方法の周知は必要ない、として採用されぬままであったものだ。確かに、軍隊なら目で見える距離で、緻密な会話を信号で送り合うことが必要な場面は少ないだろう。
「ヴァイロンがいて、なおサンデュが送ってきたのが、今の信号なんだな?」
カイエンが聞くと、マリオは考え込むように、浅黒い顔の中の真っ黒な瞳を彷徨わせていた。とっさに判断がつかなかったのだろう。
「恐らく、軍団長は得物を奪われたものと思われます。それでも、ヴァイロン様が入られれば、とは思います。ですが、そうなっていないのは、これも推測ですが、人質に直に凶器が押し当てられている、というような状況なのでしょう。カスティージョ将軍は、人質を生きて返すつもりがないのでは?」
ここで、カイエンの頭にふと浮かんできたものがあった。
顔を上げれば、もう午後の半ばに至った、十一月の太陽が、西へ傾き出している。
「マリオ、門の外に読売りの記者どもは来てないか」
カイエンが聞くと、マリオはすぐに顔を上げた。
「ええ。来ております。もう、ここで騒ぎが勃発してかなり経ちますからね。……黎明新聞のホアン・ウゴ・アルヴァラードと、自由新聞のレオナルド・ヒロンの姿もありました。例の醜聞を載せたカストリ新聞の記者も居ましたよ」
カイエンは、目を輝かせた。
「それはいいな。よし、そいつらみんな、ここへ引っ張ってこい」
これを聞くと、誰よりも先に難色を示したのは、宰相サヴォナローラの下で働く、内閣大学士のパコだった。
「殿下、それは……。立てこもっているカスティージョ将軍をかえって刺激するのでは?」
カイエンはもっともだ、と思いながら言った。
「その通りだ。だが、また新聞種になる、そこではまたしても自分が悪役になる。そして、ここに私がいる以上、もみ消すことはできない、と知ったら、カスティージョは動揺するんじゃないか?」
「えっ?」
カイエンは畳み掛けた。その後ろで、マリオが屋敷の門へ向かって隊員を走らせている。
「ここで事態の収拾に当たっている大公の私が、直々に新聞屋どもに話しかけ、そして新聞屋が何事か書き取っている、そんな風景を見たら、まだ自分の地位に未練がある奴なら慌てるさ。そして、カスティージョは未練があるんだ。まだ、将軍の地位を放り出していないし、郎党どもを使って、醜聞の新聞社を襲っている。……まだ、取り返せるつもりなんだよ」
内閣大学士のパコは、死者の日に、カスティージョの息子のホアキンが起こした事件も、そしてカスティージョの醜聞をカイエンが仕掛けたことも知っている。だからこそ、事態の推移を案じたサヴォナローラは、彼をここへ寄越したのだろう。
「ああ。それは、そうでしょうが……」
カイエンはいつも色の悪い、白茶けた顔に、意地の悪い笑みを浮かべた。
「私も今更、いい人ぶるつもりはない。私が反女帝派のカスティージョを引きずり落とすと決めたんだ。そのためには細かい工作もした。一度、始めたからには、徹底的にやらねば、うまく行くものもいかなくなろう。それが、敵への礼儀でもあるだろう」
カイエンがそう言い切ると、パコは恐ろしそうに身をすくめた。
彼も宰相であるサヴォナローラのそばに仕える者だ。そんなことは理解しすぎるくらい、理解していた。それでも、神官である彼には迷いがあったのだろう。
「いいんだ、パコ。悩むのは真っ当な証だ。私はこの件に関しては、もう、迷いはない。こんな一幕で、私の大公軍団を率いる人間を失うわけにもいかないのだ」
カイエンの言葉の最後は、パコやカバジェーロには聞こえぬまま、すぐそばにいたシーヴの耳にだけ入って、消えて行ったのだった。
「殿下!」
マリオが連れてきた記者たちの中で、直接にカイエンの顔を知っている、唯一の人物が声をあげた。
「ああ。ウゴ、さすがに早かったな」
久しぶりに会う、ホアン・ウゴ・アルヴァラードは、相変わらずぼさぼさの褐色の髪の毛を振り乱し、同じ褐色の目に面白そうな色を浮かべていた。その様子には、殺人鬼に襲いかかられた時の慄きぶりはもう、見て取れない。
「よく、俺たちを入れてくれましたねえ。……あれ、もう細工師ギルドの奴らはとっ捕まってるじゃありませんか。なのに、まだ?」
ウゴはきょろきょろと周りに目を回すと、早速、なにやら手帳に書き始める。カイエンは、その様子を静かに見ていた。頭の中で、彼らに話す言葉を練り上げながら。
「後ろの二人は、どこの新聞だ?」
カイエンが聞くと、ウゴは思い出したように自分の後ろの二人を振り返った。
二人は、興味深そうに、屋敷の真ん前に椅子を据えて見守る、この街の女大公の姿を眺めている。
「ああ。……えーと。こっちのタヌキみたいなのが、『自由新聞』のレオナルド・ヒロンです。で、こっちの、ちょっといい男なのが、例の醜聞専門の『奇譚画報』の……ええと、あんた、名前バラしていいの?」
その男。確かにウゴの言う通り、見た目は細身で優しい、そして身なりもいい、まだぎりぎり二十代に見える男が首を振った。
「えー、勘弁してよ。ウチはこの界隈でメンと名前が割れたら、商売にならないんだよ。ウチは、お屋敷の召使いや出入りの商人を手懐けるところから始めて、いろいろやって引っ張り出した、お貴族様の醜聞と愛憎関係の記事で売れてるんだから! ……でも、今日はしょうがないか、じゃあ、キケでいいや。苗字は勘弁して」
この街の大公の前だと言うのに、なかなか本名を明かそうとしなかったこの男こそ、カイエンやミルドラが醜聞を書き立てられ、そして今度はカイエンがカスティージョのネタを提供した、貴族の醜聞が専門のカストリ新聞の記者だった。
大公宮でも、今度のカスティージョの醜聞の件で接触を持ってはいたが、それは間に幾人もの人を挟んでのことだった。だから、カイエンはこの男にも、この新聞社の人々にも面識はない。
「ああ、そう、キケね。……殿下、すみません。俺はこいつの名前、ちゃんと知ってますんで、いつでも聞いてください。でも、今日は勘弁してやってください。今日は人目が多いですから」
ウゴが調子のいいことを言ったので、彼はパコやマリオ、シーヴ、それにカバジェーロにもぎろりと睨まれた。
「まあいい。……ウゴ、今度の細工師ギルドの殴りこみだが、仕組まれた裏があったんだ」
カイエンが慎重に言葉を選びながら話し出すと、ウゴと他の二人の新聞記者の顔がすっと真面目になった。仕事中の顔になったのだ。
「例の、死者の日の日の事件で、ここの息子に暴行された細工師が、とうとう亡くなった、ってのはもう聞いてます」
ウゴがそう言うと、カイエンの顔も自然と厳しいものとなった。
「そう、それも今回の事件の原因の一つだが、もう一つ、細工師ギルドに貴族の夫人たちを使って、ある情報が囁かれたそうだ。つまり、カスティージョ将軍が、細工師ギルドの工房のある街を襲う、という情報だ」
これを聞くと、ウゴではなく、「自由新聞」のレオナルド・ヒロンが声をあげた。
「ああ! それでね! 俺もあの細工師が死んだとはいえ、すぐにギルドの細工師どもが、貴族の屋敷に殴りこみってのは、なんだか納得できなかったんだ。……そんなことしたら、ただじゃあ済まないからね。平民が貴族相手に、こんな騒動起こすには、生きるか死ぬっかって瀬戸際に立たされないとね。それ、あそこの奴らから聞いたんですか」
カイエンはこの馴れ馴れしい言葉にも、不快そうなそぶりは見せなかった。彼女の目的のためには、そんな瑣末なことにこだわっている場合ではなかったから。
「ああ、そうだ。ギルド長自らが話してくれたよ。つまり、裏にいるのが誰かはわからないが、彼らはむしろ被害者だっていうことだ」
桔梗星団派のことや、ザイオンなど、外国からの干渉のことは言えないから、カイエンが簡単に言うと、新聞記者たちは、胡乱そうな様子ながらもうなずいた。ここは取引だ、と言うことがもうわかっていたのだろう。
「なるほど。俺たちに記事にさせて、細工師ギルドの奴らへの同情を煽ろうってわけですな。それはいいですよ、俺たちも心情的には、細工師たちの方の味方だ。事実を曲げているわけでもないと言うんだから、書きましょう」
レオナルド・ヒロンは、呆気ないまでに簡単に約束する。それには、同業のウゴも驚いたらしかった。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫さ。今のはここに来てない新聞には書けないネタだ。ありがたく頂戴しとくさ。……それで、大公殿下、こうして細工師どもはもう捕まっちゃってるってのに、まだ治安維持部隊があのお屋敷と睨み合ってるってのは、どうしてです?」
来たな、とカイエンは思った。パコやマリオが心配そうに見ているが、彼らは言葉を挟まない。新聞屋たちに、自分たちも同じ意見だ、というように見せなければいけない、ということはよく分かっていたからだ。
「それだよ。どうやら、カスティージョ将軍は、憤りすぎて、今度もまた理性を失われたようなのだ」
カイエンがそ言うと、すかさず、「奇譚画報」の記者キケが、忙しく書き込んでいた手帳から顔を上げた。
「えー。本当ですか!? あのおっさん、本当にやばいですね。将軍なんかやらしてちゃ危ないですねえ。察するに、中に押しかけた細工師連中が捕まって出てこない、って感じですか?」
さすがに新聞記者だけあって、その読みは鋭かった。
「ああ、そうだ。さっき、うちの軍団長が中に入ったが、動きがない。中の隊員からの情報では、人質の救出は難航しているらしい。……細工師ギルドの連中も大人しくなったし、これ以上、こちらは怪我人を出したくないんだ。また死人でも出たら、収まりがつかなくなるからな」
言いながら、カイエンはマリオの方を見た。さっき、隊員がマリオに耳打ちしている言葉の一部が聞こえたのだ。
「……はい、殿下。今のところ、屋敷から引っ張り出して来た人たちに死者は出ていないそうです。重傷で国立医薬院の病院に担ぎ込んだ人はいるそうですが」
すかさず、マリオが答える。
「よかった。それで、中のカスティージョ将軍の注意をこちらに引き寄せたかったんだ。おっ、窓のカーテンが動いたぞ」
カイエンが椅子に座ったまま見上げると、カスティージョの立てこもっている部屋の隣から再び、サンデュの手信号が送られて来た。
「殿下、信号です。『将軍がブン屋に気付いた。息子が動揺している。息子は窓のそば。手にした得物は大剣一本だけ』だそうです。息子を抑えますか?」
カイエンは、屋敷の屋根の上をそっと目だけ動かして見た。帝都防衛部隊のロシーオたち、身軽な隊員がカスティージョ親子のいる部屋の真上に位置し、縄の用意をしている。この屋敷は三階建てなので、三階の窓を通過して飛び込むことになるが、三階に人影は見当たらない。
「よし。そうしろ。隣室のヴァイロン、サンデュやアレクサンドロも突入だ。……これが手順だろう?」
マリオは表情も変えず、わずかに二階のサンデュへ向けて手を動かした。「やれ」と命じたのだろう。
その少し前。
人質越しに、父と一人で入ってきた男との会話を聞いていたホアキンは、しばらく下の様子を見ていなかったことに気が付いて、慌てて屋敷前の様子を見やった。
そして、どっかりと、屋敷の真ん前に据えた椅子に座り込んだ大公カイエンのそばに、いつの間にか現れた、平民の普段着姿の男たちに気が付いた。
平民の平服の男が、こんな現場で大公に呼ばれてそばに寄り、大公と会話し、うなずきながら、手帳を出して何やら書き込んでいるのだ。その正体は少し考えればわかるものだった。
「ち、父上! 大変だよ、たいへん!」
「どうした?」
カスティージョには慌てた様子はない。彼にはもう、目の前のイリヤしか見えていないのだ。
「た、大公のやつ、新聞屋どもを中に入れたよ! ああ、やつら何か書き取ってやがる! また、インチキ記事をでっち上げるつもりだよ!」
だが、息子のこの言葉には、さすがにカスティージョも反応した。
「なに? また新聞屋だと!」
そうして、危うく窓の方を振り返りそうになったが、そこは彼も軍人で、将軍にまで上り詰めた人間である。剣を取り上げたとはいえ、正面のイリヤから目を離すことはなかった。
入ってきたのがイリヤでなく、普通の隊員だったら、息子に服の中まで身体検査をさせただろうが、相手がイリヤではホアキンの方が逆に取り押さえられ、人質にされかねない。だから、イリヤから目を離すことはできなかったのだ。
カスティージョも、今や大公軍団長となったイリヤの腕には、一目置いていたと言うことだろう。
「くそ! あの尻軽女め、悪知恵が回りやがる。新聞屋どもが現場で、それも大公から聞いた話として読売りに書けば、真実として市内に知れ渡るだろうからな。又聞きなんかじゃ信用しない貴族どもも、信じるだろう……。俺を完全に追いおとすつもりだな」
この言葉を聞くと、ホアキンは震え上がった。
「ええっ。父上、そんなことになったら俺はどうなるんだよう? 父上の押しでやっと親衛隊に入れたってのに! 謹慎じゃ済まなくなるよッ」
この言葉を聞いていた、イリヤもヴァイロンも、サンデュも、そしてヴァイロンたちとは反対側の部屋に潜んでいたアレクサンドロも、「何を今さら……」と冷めた気持ちで聞いていた。
その時だった。
父親の方を向き、窓に背中を向けてしまっていたホアキンの後ろ。
開け放たれていた窓の向こうから、どうしてあの小さな体から、こんな声が出てくるのだ、と目と耳を疑いたくなるような、野太い、だが間違いなく女の声が、大音声で聞こえてきたのは。
「こらーぁ! カスティージョ伯爵、いい加減に観念しろぉ! 寒い中、何時間もこんな吹きっさらしに座らせやがって! 新聞屋には、洗いざらい喋ったからな! 打ち壊しは確かによろしくないが、その反撃ついでに、素人の職人いたぶりやがって! もう許さねぇから、首洗って待ってろぉ!」
これには、えっ、とホアキンのみならず、カスティージョもまた一瞬、驚きのために頭が一時停止してしまった。
彼らの常識では、年頃の若い女が、それも貴族の頂点にある、皇帝家出身の女が、こんな汚い言葉を、それも戦場での雄叫び並みの大音声で叫びあげるなどとは、彼らの知っている世界ではあり得ないことだったのだ。
尻軽女、などと賤しめた呼び方で呼びながら、カイエンの真実の姿はまったく知らなかったのが、彼らの大いなる過ちだった。
その、瞬間を狙っていたのだろう。
まだカイエンの大音声の響きが残っているうちに、開け放たれた窓から、真っ黒な大きな野生の動物のような身のこなしで、何かが部屋の中へ飛び込んできた。
ホアキンは振り返る余裕もなく、後ろからの鋭い蹴りを食らって前のめりに倒れる。ほぼ同時に、左右の部屋から体の大きな三人の男が、隠し扉を蹴破るようにして、乱入してきた。アレクサンドロの潜んでいた方の部屋には隠し扉などなかったので、廊下を回って突入したが、それでも十分に間に合った。
カスティージョの前に立っているイリヤは、一歩も動かない。動く前に、もうホアキンは床に押し倒され、後ろで腕を交差させ、足も後から飛び込んできた帝都防衛部隊の隊員に押さえつけられ、身動き出来なくされていた。
カスティージョは、背後で動きがあっても、息子が押さえつけられても、イリヤから目を外さなかったのはさすがだったが、まさに野獣が飛びかかるのに似た速さで殺到した、ヴァイロンの巨躯から繰り出される鋭い蹴りを受けた。
そのまま、人質の首に当てていた刃を動かすこともできずに、反対側の壁まで吹き飛ばされる。
ヴァイロンは、カスティージョが尻に敷いていた、二人の男にはカスリもさせず、カスティージョだけを吹っ飛ばしたのだ。だから、カスティージョが人質に押し当てていた剣もまた、カスティージョの右手に握られたまま、その持ち主と同じ運命をたどった。
「ぐふっ」
壁に叩きつけられたカスティージョは、すぐに立ち上がろうとしたが、肋骨のあたりを抑えて膝を突く。
「あらあら、さすがだわ大将。吹っ飛ばしついでに肋骨折ってたのね。それも死なないように手加減してさぁ。芸がこまかいねぇ」
自分だけは、一歩たりとも動かなかった囮の男だけが、面白そうに笑っていた。
その時、シーヴとマリオを引き連れ、杖をつきつき、苦手な階段を上がり、二階まで到達したカイエンには、さっきの大音声のために、目一杯掻き立てた怒りがまだ残っていた。
「イリヤ」
カイエンは、イリヤの前に立つと、不機嫌そのままの顔で、ぬっと手袋をした手を伸ばした。
「出せ」
イリヤはちょっとだけ、目をそらした。
「えー、なにおぉ?」
「出せ!」
カイエンが地響きのような声で命じ、横からマリオとシーヴにも睨まれると、イリヤはこれ見よがしにため息をつき、腰の後ろから一本の投げナイフを出した。
「それだけじゃないだろ」
カイエンが言うと、カスティージョの確保を終え、完璧に身動きできないように縛り上げたヴァイロンもやってきた。
そして、彼が無言のままイリヤの背後に回り、巨躯に似合わぬ素早さで手を動かすと、イリヤの真っ黒な制服から、これでもか、という量の暗器の類がボトボトと床に落ちていった。
「ね、殿下。このヒト、一人でやっちゃう気だって言ったでしょう。帝都防衛部隊の皆さんの活躍がもうちょっと遅かったら、一人でやっちゃってましたよ」
そう、カイエンの横から、告げ口するように言うのは、もちろんシーヴだ。
「ねえ、イリヤさんは多分、まだ喋り足りてなかっただけですよね?」
シーヴにそう言われると、さすがにイリヤも苦笑して認めた。
「あー、バレてましたかぁ。シーヴ君、頼もしいねぇ。そうなの、あそこのおっさんに、もうひとくさり、言い足りてなかったの。でも、ぶち殺す気はなかったよ。これは、本当」
カイエンは雁字搦めに縛られた、カスティージョの方を見た。
「ちゃんと意識はあるようだぞ。言いかけていたことは、最後まで言って来たらどうだ?」
カイエンが彼女のより、かなり上方にあるイリヤの鉄色の目を見上げて言うと、さすがのイリヤも素直に従ったのだった。
「あのさ、さっきのヤンジカの話。先があるんだわ」
肋骨を折られ、早くも発熱が始まってるのか、怒りのためか、真っ赤な顔で縛られて床に座っているカスティージョの前まで歩くと、イリヤは立って、カスティージョを見下ろしたまま、話し始めた。
「さっきは、あんたがどこまで知ってるのか、分からなかったから、適当なこと喋ってゴメンね。まあ、あれで、あんたが何を知ってて、何を知らないのかがわかって、安心したんだけど。……あのコ、今年、このハーマポスタールまで戻ってきたんだよ」
それを聞くと、カスティージョはさすがに驚いた顔をした。
彼は、先程、
(ネグリア大陸の最南端へ行く船に売り払ってやったわ。あっちでは肌の白い女は高く売れるからな)
と、言ったのだ。だから、戻って来るはずなどないと思っていたのだろう。
「それでさ、まー、ネグリア大陸の南の果てから帰ってきたんだからさ、まあ、酷い有様でさ。あれ、気力だけで帰ってきたんだろうね。現地でいい旦那さん見つけたとかじゃないの。年季明けまで働いて、壊れた体で帰ってきたのよ」
カスティージョは笑おうとしたが、結局、笑うのは止したようだった。
「どうやったんだか知らないけど、それが俺を尋ねあてて来た時には、驚いたわ。やせ衰えてて、老婆みたいに皺だらけで、死相が出てたよ。立って歩いてんのが不思議なありさま。その頃はもう、殿下やらクリストラ公爵夫人やらの醜聞が出た後だったからさ、新聞屋に洗いざらいしゃべって死んだら、って言ったんだけど。いい、って言って帰って行ったの。下町の療養所……って言っても治療なんかしないし、金もないから薬も出ないところ、死ぬのだけは看取ってもらえるところにね」
「……」
「俺も、こんな人間だから、金出してやろうともしなかったわ。もう、長くないの、見ただけでわかったからね。なのに、別れ際に思い出したみたいに、話してくれたことがあったの」
聞くつもりはなくとも、その言葉は部屋にいる誰もに聞こえたので、もう、このくだりになると誰も口を聞くものがいなくなっていた。
「俺と会って少しした頃、ソンソナテの母親に俺のことを手紙に書いて出したんだって。それの返信で、知ったらしいんだけど、もうその頃には俺とのことが、あんたにバレて大変になっちゃってて、とうとう話さないままだった話をね」
「……俺の母親はアレだったから、俺はなーんにも聞かされてなかったんだけど、俺の母親には妹がいて、それが生き別れになって、ソンソナテにたどり着いたんだって。それでね、ヤンジカはその一番上の娘なんだって。これ、わかる? ヤンジカの母親は、生き別れになった姉、それが俺の母親ね、の名前を長女につけたんだってさ。だから、俺とヤンジカは従兄妹同士だったってわけ」
カスティージョは、ここに至って、やっと口を挟んだ。
「じゃあ、お前は従兄妹の仇を討ったつもりなのか」
醜聞を流し、社会的に認められていた地位から蹴り落として。
それを聞くと、イリヤは心底、面白そうな顔をした。
「あー、俺、そういう面倒臭いことは、考えもしない人なの。ヴァイロンの大将には『恨みつらみがあるよー』って言っちゃったけど、それほど恨めしくもなかったし。ヤンジカもあんたへの恨みごとは一切、言わずに死んでったしね」
「じゃあ、なんであの女は死にかけの体で、わざわざ、ハーマポスタールまで戻って来たんだ?」
ここまでの話だと、カスティージョの疑問は最もだったので、皆が一斉にイリヤの顔を見た。確かに、恨みを晴らす気もないのに、遠い道を海原を超えて、死にそうな体で帰って来る理由がない。
イリヤは、一拍おいてから答えた。
「……この街が好きだったんだって。故郷のソンソナテより。この街で、海の音を聴きながら、潮の匂いを嗅ぎながら、死にたかったんだってさぁ。すごい執念だよね」
もはや、口を挟む者は誰もいなかった。
「幼馴染の殺人鬼のお墓作ってやった、小悪魔のせんせーに倣って、お墓だけは立ててやったよ。港が見える共同墓地にね。まー、毎日忙しいから、お墓一個塩梅するのも、結構な手間だったけどね」
ここまで話すと、イリヤはもうふらふらと部屋を出て行こうとする。
「まー、おっさん、もう観念するんだね。汚い蹴落としあいだったけど、これで負けはあんたで決まり! あんた知らないだろうけど、今この国、あんたが思っているよりも何倍もやばいからね。今後は親子で大人しくしてた方がいいよ」
さっさと出て行ったイリヤを見送ると、それからカスティージョは気を取り直したように、憎々しげな眼差しをカイエンの方へ向けて来た。
「今は、してやったりと高笑いしておくのですな。ですが、あなたが確実に私を敵に回したことは間違いない。今日、ここで私を闇に葬っておかなかった、あなたの甘さを悔いる日が、きっと来るでしょうからな。は、は、は、はは!」
カイエンは、カスティージョの言葉を黙って受け取り、噛み締めるしかなかった。それは、間違いのない事実だったからだ。
隊員に引っ立てられていく、カスティージョ親子を見送りながら、カイエンは重苦しい気持ちで、胸が痛くなるような心地がしていた。敵を追いおとすのには成功したかもしれない。だが、彼らが失ったのは、社会的な地位だけだ。それも、爵位を失うまでは追い詰められるかどうか。
だとすれば、カイエンは生殺しの敵を作っていくだけなのだ。
だが、だからと言って、彼らを潰すために、命まで奪えるだろうか。
答えは、否。
それをすれば、カイエンたちの側の正当性が揺らいでしまう。
どうしたらいいのか、自分は甘いのか。
考えれば考えるほどに、もう、自ら手を汚すと決めたというのに、彼女には新しい悩みばかりが追いかけて来るように感じられてならなかった。
地味な展開ですが、だんだん、本筋に収束されていくと思います。




