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女大公カイエン  作者: 尊野怜来
第五話 不死の王
129/220

白い髑髏の砂糖菓子


 ハウヤ帝国北端、フランコ公爵領の中心地であるラ・フランカ。

 自治領スキュラの国境までは、そこから馬で一日二日の距離しかない。ラ・フランカは森林に囲まれた内陸の街だが、スキュラとの国境は森に囲まれた、小さな山脈が形成されている。

 その向こうには、北海から流れ込む川が流れており、それゆえに人々や物資の出入りは、ラ・フランカから繋がる、山脈を避けて通された街道を使って行われていた。

 国境には川を挟んで検問所もあり、通常は橋を挟んだ、川の向こうとこちら側の両方で、通る人々や隊商の荷駄などを改めることになっていた。

 だが。

 スキュラが後継として迎えるはずだった、ハウヤ帝国の第三皇女アルタマキアを拉致し、一方的な「独立宣言」をしてからは、川と向こうとの行き来は完全に途絶えている。

 それどころか、アルタマキアに随行していた者たちの多くが追い返されてきてすぐ、川に架かっていた橋はスキュラ側から火を放たれ、川の半ばまでが燃え落ちてしまった。

 アルタマキアの拉致は、追い返されて来た随行者たちの口から明らかになったのだ。こんなところから見ても、スキュラ側は今度のことに十分な時間をかけていたことがうかがわれた。

 街道以外にも、獣道やら山道を使って国境を越える手段はあることはあるが、大人数の軍隊を動かすことは難しかった。

 

 七月の下旬にアルタマキアの事件が起きてから、もう、二ヶ月。

 時は九月の下旬となっていた。

 時刻はそろそろ夕刻に差し掛かる頃。

 冷たそうな青黒い色をした川に面して建てられた、石造りの建物の一番高いところ、そこは川の向こう岸を見渡すことができる、高い塔のようになった場所で、通常ならば国境警備団の物見が常在している場所である。

 そこに、二人の男が立って、川の向こうを眺めていた。

「ご覧なさい、旅鳥が行きますよ。あいつらはこのハウヤ帝国の上は素通りだ」

 そう言って川面の向こうの空を何気なく指差した男は、短い金茶色の髪に空色の目をした、いかにも貴族らしい顔立ちの、やや線の細い感じの男だった。

 川の向こうから吹き付けてくる風は、もう秋の風になっている。その風が、その男の色の白い顔を囲む髪の毛を後方へ吹き払っていく。

 彼は彼の容貌にはあまり似合うとは言えない、鎖帷子で身を包んでいた。もっとも、それは上半身だけだ。腕や足の籠手もつけてはいない。腰には細身の剣を下げていた。

 本格的な戦ともなれば、その上に甲冑を装着するのだから、彼のなりは抗争の場に入っているが、戦闘状態にはない、という今の状況を端的に表していた。

「そうですな。……山の方へ向かわせた一隊からの報告では、人馬はともかく、大砲や補給の荷駄などが通行できるような道はない、とのことでした。これはお借りしたこの辺りの地図の記載を裏付けております。山には集落もありますが、こちら側の住民はともかく、スキュラ側の住民は……どうなっているのかわかりませんし」

 答えた男の方は、上下ともに鎖帷子で固め、腰にはかなり重そうな、段平といったほうが良いような大剣を下げている。

 こちらはもう一人とは違って、そうしたなりが完全に板についていた。ややずんぐりとして見える体は、かなりの長身でもあり、その体型は太っているのではなく、鍛え上げられた筋肉であることが誰の目にも明らかだ。

 年齢はやや老けては見えるが、三十代の後半に差し掛かったあたりだろう。短い灰色の髪で、顔は同じ色の髭で覆われている。特にあご髭は長くて立派で、手入れが行き届いていたので、嫌が応にも目についた。

 眉も太く、顔立ちは真四角でなんとも厳つい。薄い青の目も厳しく、全体としては灰色熊が人間の形をとったような容貌だ。

「この土地の領主として情けないことだが、歴史的にも、スキュラ側の山の民と、こちら側の山の民はあまり仲が良くないのだ。不思議なことだが、見てくれも生活習慣も、向こう側とは違うんだよ。まあ、君もこの辺りの出身だからご存知だろうがね。スキュラが自治領として、ハウヤ帝国の中に入ってからは、余計にいけなくなった」

 この土地の領主。

 そう。貴族的な容貌の持ち主は、ハウヤ帝国の三公爵の一人、テオドロ・フランコであった。

「確かに。私の実家は、ラ・フランカの東のアパネカに近いところで、まあ土地の豪族ではありますが、あちらでも山の民は見事に国境線を挟んで対立していましたな。何かあると、『山向こうの連中は』って顔をしかめてね。……こんな事態が起こってみますと、元から何か気質が合わないところがあったのかも知れません」

 そして、フランコ公爵とともに川の向こう岸を見ていたのは、サウリオアルマの将軍、ガルシア・コルテスだった。

 彼の故郷、アパネカのそばには水の火山(ボルカン・デ・アグア)、と呼ばれる三角の山があり、温泉が出るので病人の療養所があり、避暑地としても有名なところだ。貴族たちの別荘も多く、大公家の別荘もあった。現大公のカイエンも、子供の時に喘息の療養をしていたことがあった場所である。

「それにしても、ことが起きてすぐに橋を焼かれたのが、痛かったね。今更だが、あの橋は私の父の時代から石造りにしようという話が何度も出ていたんだが……」

 フランコ公爵はそこまで言うと、温和な顔を珍しく大仰にしかめた。もっとも、この二ヶ月、彼はこんな表情ばかりして来たのかも知れなかった。

「金の話と、人足の確保でお流れになって来たんでしたね」

 コルテス将軍も、この辺りの事情はさすがに知っているようだった。

「その通りだ。金の方は我が国の方も出し渋っていた感はあったが、人足の方は向こう岸まで繋げる以上、向こうからも出してもらうのが筋だと、みんな思っていたからね。……こんなことになるのなら、こっちの負担でさっさと石橋をかけてしまうのだったよ」

 フランコ公爵はため息をついた。

 それへ、コルテス将軍は慰め顔に言う。

「それは、もう今さら取り返せない事柄です。それより、公爵様の方の『影使い』からは何か?」

 聞くなり、フランコ公爵の日頃は穏やかな顔立ちが、すっと冷たくなる。その変わり方は、そこで見ていたコルテス将軍などには、もう、見慣れたものだった。彼自身も、戦場に立てばこういう顔になる。

 そういう表情を見れば、フランコ公爵テオドロもまた、ハウヤ帝国の大貴族だということがはっきりと分かった。こんな顔つきは、大公のカイエンにも、皇帝のオドザヤにも、まだしばらくの間はやろうとしても出来ないものだった。それでも、彼女たちもまた、いつかはこんな顔をするようになるのだろう。

「……前に戻って来た者が、アルタマキア様は北海沿いの、マトゥサレン一族の支配している地元民しか知らない集落に連れ込まれて軟禁状態にあるようだ、と。どうして、マトゥサレン一族の本拠地であるマトゥランダ島へ、さっさと連れていかないのか……その理由がわからんよ。生かしておくからには、あっちではアルタマキア皇女には『使い途がある』はずなのにね」

 彼の庶兄である、フィデル・モリーナ侯爵が見たら、馬鹿にしていた弟の真実の姿に気がついたかも知れない。だが、テオドロ・フランコは兄にはこういう自分を見せたことなどなかった。

「それは、うちの出した奴らからの報告とも一致します。あちらで貼り付かせておくために、スキュラ人に見える奴を選びましたが……最近、連絡が滞っております」

 フランコ公爵は顔色も変えなかった。

「消されたかな。私のうちの影使いからも、最近は定期連絡が滞りがちだ。全部やられたとは思わないが、橋がない以上、連絡手段が限られてくるからね。向こう岸の川沿いは、あっちの兵隊ががっちり固めているだろう。あちらは戦ったら負けだ。だからこちらにあっちの状況を摑ませないために、多くの人員を割いていることだろう」

 コルテス将軍はうなずいた。

「元首のエサイアスはあっちでは病死したことにして、独立宣言の後はマトゥサレン一族出身の元、元首夫人のイローナが女王を名乗っております。と、なればアルタマキア皇女を後継者に、などという話は向こうではもうありえないことです。それでも皇女を返さないのは……」

「独立を維持するため、というだけではないのでしょう。イローナには子供がありません。だから、エサイアスの妹であるキルケ様の皇女であるアルタマキア様を後継に、という話になったのだからね。もしかすると、アルタマキア様を後継者にすること自体は向こうも乗り気だったのかも知れないよ。だが、ハウヤ帝国の属国である『自治領スキュラ』ではいたくなかったのだろう」

 コルテス将軍はちょっと驚いた顔をした。

「そうなりますと、やはり……」

 そう言って、彼が見た方向は、川向こうのスキュラの方ではなく、やや東寄りの北だった。それは、オリュンポス山脈の向こう、ザイオン女王国のある方角だった。

「ハーマポスタールの宰相殿からのお手紙にもあった。裏にいるのはザイオンだろう、と」

 この時、まだザイオンの特使がオドザヤへ「縁談」を持ち込んで来たという情報は、ここへは届いていなかった。

 フランコ公爵と、コルテス将軍は青紫色に暮れて来た川の向こうを、同じような薄い青い目で見晴るかすようにした。

「まあ、ザイオンの後ろにも他の方々が控えておられるのかも知れない。どう転ぶにせよ、私はハウヤ帝国の公爵であると同時に、このラ・フランカの領主だ。自分の庭を他人に荒らされるわけにはいかないのですよ」 

 この言葉には、ガルシア・コルテスはあえて何も答えなかった。

 彼はハウヤ帝国帝国軍の将軍だから、彼が守るのはただ一つ、ハウヤ帝国の版図である。だが、領主として長い年月、この地方を治めて来たフランコ公爵家としては別の考え方もあることは承知していた。

(最悪、このハウヤ帝国を抜け、ラ・ウニオン共和国の陣営に与することになるかもしれない)

 ハーマポスタールを発つ前に、南の覇者であるナポレオン・バンデラス公爵が言っていた言葉を、もしこの時、テオドロ・フランコが聞いていたら、同じようなことを北でも南でも考えるものだ、と思ったことだろう。

 だが、今、ハウヤ帝国の将軍とともにスキュラと対峙しているフランコ公爵には、隣国といえどもスキュラと結ぶ未来は考えにくい。では、彼は自分の領地を守るために、どうするのか。

「ああ、もう暮れていきます。もうすぐ十月。日は短くなり、寒さがやって来ますな」

 そして、ガルシア・コルテスの言った言葉は、穏当な言葉を選んだように見えたが、それでいて、厳しい現実を嘆くようにも聞こえた。

「ああ、そうだね。あとひと月もすれば、『死者の日」ディア・デ・ムエルトス』だ。こんな国同士の睨み合いの最中だが、祝祭日は祝わなければな。ああ、川の向こうのスキュラでは祝祭日も違うのだろうね……何もかもが、川一つ挟んだだけでこんなにも、違う」

 それに応える、やや謎めいたフランコ公爵の言葉は、冷えて来た夜の空気の中に消えていくのだった。







 バンデラス公爵が領地へと戻って行った後。

 時は確実に過ぎていき、十月に入り、スキュラとの国境での睨み合いに進展がないまま、早くも十月が過ぎ去ろうとしていた。

 ハーマポスタール市内の、あの奇術団「コンチャイテラ」や、それと関係があるのだろう桔梗星団派の動きも目立ったものはなかった。もっとも、これはトリニに負傷させられた、危険人物の天磊テンライが動けなかった、ということもあったのかもしれない。

 ハーマポスタールでは、この季節最後の祝祭である、「死者の日ディア・デ・ムエルトス」へ向け、市内の空気は明るいものになりつつあった。

 死者の日、とは一家の先祖たちの魂が、家へ戻る日とされている。祝祭は二日に渡って行われる。一年の中でも人々が一番楽しみにしている祭と言ってもいい。

 名前は恐ろしげだが、人々はこの二日間を一年の中でもかなり重要な行事としており、死者を悼む湿った空気とは正反対の、秋の終わりの祭りとしての意味合いが強い。

 人々は、祭壇を用意し、そこに様々なものを飾る。一家総出で墓参りをし、墓を飾り立て、夜間にはロウソクをいくつも灯す。そのあとで、子供は菓子を食べ、大人は酒を酌み交わしながら、亡くなった人たちを偲ぶのである。

 地面には華やかな色砂を使った砂絵が描かれ、街をあげて人々は浮かれさわぐ。

 元々は、ハウヤ帝国建国前にこの地にあった、「ラ・カイザ王国」の行事だったらしいが、今ではハウヤ帝国じゅうでこの行事を祝う。

 それは、皇宮でも大公宮でも同じ事だった。シイナドラドの皇子だったサルヴァドールを祖先とする皇帝家ではあるが、こういう行事は民間と同じく祝うようになっていた。

 特に今年は大公宮では、去年はシイナドラドへの旅に出ていて祝えなかった、カイエンのために、皆が今年は例年にも増して楽しくやろうという空気になっていた。

 これは街中でも同じ事だったが、北のスキュラのことでの重っ苦しい空気を、なんとか明るくしたいという思いもあった。


「今年は、ぱーっとやりましょう。でも、市内の警備は緩められないからね。というか、桔梗星団の連中はどうだか知らないが、あのザイオンの連中は『死者の日ディア・デ・ムエルトス』なんかは祝わないだろうからねぇ。……今年は帝都防衛部隊も全員、非番なしで出てもらわないとね。市内のあちこちに黒い制服が見えるようにしとかないと、危ない、危ない……」

 大公軍団長のイリヤボルト・ディアマンテスが、そんな事を言いながら、遅い昼飯を食べようとしていたのは、大公宮裏の使用人たちの食堂だった。そこは大公のカイエンへの「御目見え以上」の使用人たちの食堂の方だ。

 毎日のことだが、食堂はテーブルや椅子などは古いものの、清潔に保たれ、今日の献立のいい匂いが漂っている。ここでは、いつ来ても暖かい食べ物が供されるのがウリだ。

 今日はバジルとシラントロのいい香りが広がっている。今日のメインは香草で味付けされているようだ。

 この日の食堂には、恐ろしい偶然というべきか、大公軍団の重要人物がほぼ全員、集まっていた。

 だから、イリヤは先ほどのような言葉を吐いたのである。

「それにしても、今日はよくもみんな同じ時間に集まったものだね」

 そう言って大きな木の長いテーブルの真ん中に座っているのは、大公軍団最高顧問のマテオ・ソーサである。

 その隣にはガラが、反対側にはエミリオ・ザラ大将軍のところから移動して来た、大公宮の「影使い」のナシオとシモンが並んでいる。ガラも含めて大公宮の裏方面の警備担当である彼らが、揃っているのも珍しい。

 ナシオとシモンは、大公宮へ来てから、この食堂で食事を摂るように言われた時には、かなり驚いたものだった。普通は裏に隠れて働く彼らのようなものは、明るい食堂でゆっくり食事などさせてはもらえないからだ。

 マテオ・ソーサの向かいに座っているのは、イリヤとヴァイロン、それに、恐ろしいことには治安維持部隊長のマリオとヘススの双子までもが揃っている。

「大丈夫なのかね、君たち四人とも揃ってしまっていて?」

 教授は眉をひそめるようにして、彼らを睨んだが、これにはイリヤが麦酒セルベサの陶器の器を傾けながら答えた。

「あー、最近は俺らの下の奴らも、それなりに使えるようになってるから大丈夫! もー、こんな時代、俺らもいつ死ぬかわかんないからね。去年からもう、使える奴をどんどん引っ張って来て俺らの仕事、手伝わせてるの」

「こちらは地獄の天使の方々が、やってくれています。あの方達は、人材発掘がお上手で、助かっています」

 こう答えたのは、なんとヴァイロンだった。 

 「地獄の天使」とは、退役後に予備役で戻って来た、ミゲル、ラファエル、ガブリエル、の三人の爺さんたちのことだ。

「それにしても、よく集まりましたよね」

 一番端っこから、にこにこした顔で言ったのは、カイエンの護衛のシーヴである。

 皆の前には、同じ料理がのっかった木の盆が置かれている。この賄い食堂のメニューは日替わりだから、嫌いなものでも断らない限りは、同じものが盆に載せられるのである。もっとも、のせられた料理の量には個々でかなりの違いがあった。

「あれ? あの人」

 シーヴが厨房で料理がのった盆を受け取って、この食堂へと入って来た、背の高い男を見て、意外そうな声をあげた。

「なに」

 皆がそっちを見ると、確かに、普段はここには現れない、シイナドラド風の衣服を着た男が、やや居心地悪そうに席を探していた。

「おや。ヘルマン君じゃないかね」

 親切に声をかけてやったのは、ここでは最年長者の教授だった。

 呼ばれて顔をこちらに向けたのは、確かにエルネストのただ一人の侍従である、ヘルマンだった。

 彼はたった一人の侍従であるがために、日常、常に主人であるエルネストのそばに付いている。エルネストの食事はここの厨房から運ぶのだが、それを運ぶのもヘルマンの仕事だ。

 その後はエルネストの食事の給仕をするから、彼はいつも自分の食事も一緒にワゴンにのせて後宮の部屋まで運び、エルネストの食事が終わった後で自分の部屋に下がって慌ただしく食事を摂り、それからすべての食器をまた厨房へ下げてくるのだ。

 執事のアキノはこちらから幾人か侍従を回しましょう、と申し出たのだが、ヘルマンは掃除や洗濯などは別として、エルネストの側仕えは自分一人でする、と言って譲らなかった。

 だから、ヘルマンがこの使用人食堂で食事を摂ることは滅多になかったのである。

「ああ」

 ヘルマンはちょっと困ったような顔をしたが、教授が重ねてこちらで一緒に食事しないか、と誘うと、断りきれないと思ったのか、シーヴの隣に腰を下ろした。

「あの、今日はエルネスト様がガルダメス伯爵のところへお出かけになって……」

「へー。でも、あんたは付いていかなくていいの?」

 自分から話し始めたヘルマンへ、イリヤがずけずけと聞く。シイナドラドの外交官のガルダメスはこちら側に転ばせたが、エルネスト一人でいかせて大丈夫なのか、と、鉄色の、顔の中でそこだけ笑っていない目が聞いていた。

 それへ、ヘルマンは律儀にちゃんと返答した。

「ええ。今日は向こうから馬車で迎えに参りましたのです。ですから、私は残るように言われまして」

「あら。まさか、女嫌いのサロンの方に用なんじゃないでしょうねぇ」

 イリヤはなおも容赦がない。

 ガルダメスのいるシイナドラドの外交官公邸は、彼の嗜好もあって「その筋」のサロンのようになっていた。経営とまではいかないが、そのサロンからガルダメスが利益を得ている、というのはもう、ここにいる皆が知っていることだった。

「はは、まさか。お帰りになったら大公殿下にお話になると思いますが、シイナドラドの、その国元がそろそろ……」

 賢明なヘルマンは、そこで言葉を切った。

 ここにいる連中にはそれでもう分かると知っているからだ。

「あら」

 イリヤは急に真面目な顔になった。

「……そろそろ、あちらもいけなくなって来たのかね?」

 これは教授。

 これには、ヘルマンは困ったような、曖昧な顔つきで黙っていた。そもそも、エルネストがこのハウヤ帝国に無理矢理に婿入りして来たのには、シイナドラドでの政情不安があった。

 元から皇王一族と、シイナドラドの下級貴族以下の人々は、髪の色や目の色がはっきりと違っていた。それは、奇しくもエルネストとヘルマンの主従の姿形に現れている。エルネストのような、黒っぽい髪色に、灰色の目をした、皇王一族の末裔と、ヘルマンのような、薄い色の髪と目の色をした下々の人々と。

 つまり、二つの民族が支配下階級と、被支配階級に別れて存在する長い歴史があったらしい。

 そこへ、近年、反政府組織に螺旋帝国が資金援助し始めたため、シイナドラド国内は内乱を恐れる状態になっていたのだ。

「まあ、それはまた後で聞きませんか」

「後で聞きましょう。今は、料理が温かいうちにお食事を」

 いきなり、ここで口を挟んだのは、意外にもマリオとヘススの双子だった。浅黒い、そっくりな顔が、代わりばんこに話すのは、二人が一緒にいるときの常なので、ヘルマン以外の人間は驚かない。

「「お食事をいたしましょう」」

 双子は最後のところは見事に言葉を重ねて話した。

「ああ、そうだね」

「そ、そうね」

 向かい合って座っている、ここでは最年長の教授と、階級最高のイリヤがそう言うと、すぐにガラが自分の前の皿に手を伸ばした。ここまで無言で聞いていた彼だが、その後に続いて、影使いのナシオとシモンもそれに倣った。

「今日のご飯も、おいしそーですものね!」

 これは未だ食べ盛り……なのかもしれない、最年少のシーヴだった。

  

 この日のメニューはこんなものだった。

 

 子豚の丸焼き、バジルとトマトソース。

 赤黒豆と白米のまぜご飯(カサミエント)香草シラントロあえ。

 白身魚のレモン和え(セビチェ)

 炒めたきのこのにんにくオリーブオイル漬け。

 隼人瓜(グィスキル)と鶏肉のスープ。

 

「今日、厨房のぞいてびっくりしちゃいました。子豚の丸焼きがどーんとオーブンの天板にのっかって置かれてるんだもの。もう、お祭りだったっけ、って思っちゃいました」

 ここには男ばかり、十人も同じテーブルについている、だが、そのほとんどが寡黙な方向の男なので、シーヴは気を遣っているらしい。

 この食堂では、料理は厨房の小僧が近くにいれば取ってもらえるが、自分で盛り付けてもいいのである。

「うん、この豚は香ばしくよく焼けていて、その上にのっかっているソースがいいね。緑と赤で色もきれいだ。隼人瓜グィスキルなんか定番の食材だが、このスープはよく鶏の出汁が浸みていて旨いね。さすがはハイメ氏だ」

 シーヴの気遣いにもちろん、気がついたおしゃべり男のイリヤと教授ものって来た。

「この炒めたきのこのやつ、夜に居酒屋バルおつまみ(タパス)に出て来そーなのだけど、普通のパンでもうまいねぇ。ああ、バターとにんにくのっけて焼いたパンの代わりなんだね」

「ああ。あれは焼きたてじゃないと美味しくないからね。あれ? ヴァイロン君、わざわざ頼みに行かなくてもいいよ!」

 ちゃんと話は聞いていたらしいヴァイロンが、席を立って厨房へ向かうのを教授は引きとめようとしたが、でかい男はもう厨房のカウンターに到着してしまっている。

「……シイナドラドでも、赤黒豆と白米のまぜご飯(カサミエント)を食べるのか」

 驚いたことに、ガラがヘルマンに尋ねている。

 ヘルマンは最初にこの大公宮へ、エルネストの代理で挨拶に来たとき、ヴァイロンとガラの、でかい男二人の仁王立ちに脅しつけられているので、びくりと身を震わせた。

「い、いえ。いや、はい。その、庶民の家庭で黒豆スープ(フリホーレス)を食べることはありますが、米の飯と混ぜることはありません。でもこれ、香草シラントロが効いていて、美味しいですね」

 ヘルマンがやっと答えたとき、厨房からヴァイロンと共に、大公宮の厨房の大将、ハイメが濡れた手を拭きながら現れた。

「おうおう、まあ、むさ苦しいのばかり、大勢集まってるな。ちょっと時間がずれててよかったな。今、バターにんにくパンを焼いてやってるから、ちょっと待ってなよ」

 言葉つきからして偉そうだが、ハイメは大公宮の食事一切を仕切っている、偉大なる料理長である。

「ところでよぅ」

 そして、ハイメがわざわざ、出て来たのには訳があったようだった。 

 さっと、教授の隣のナシオとシモンが自分の盆を持って席を立ち、シーヴやヘルマンのいる向かい側の、端っこの方の席に移動した。

 空いた席に座ると、ハイメはイリヤと教授の方を見ながら話し始める。

「ああ、いいから食っててくれよ。あのな、これはアキノさんとも話したんだが、今年の『死者の日ディア・デ・ムエルトス』は、ぱーっとやるんだろ?」

 これはもう、イリヤたちも話していたことだったので、彼らは一様にうなずく。

「まあ、去年は殿下が留守で、アレだったからな……。で、例年通り、殿下の食堂には祭壇をお祀りする。そこに、今年はでかい砂糖の『装飾菓子ピエス・モンテ』を出そうと思っているんだが……」

「あー、あの街中で見るやつね。白い砂糖でドクロとか作るやつでしょ?」

 イリヤが知ったかぶってそう言うと、ハイメは厳格なお父さんのような顔の中の、でかい目玉をぎょろりと光らせた。

「おお、それだ。まー、俺の手にかかれば、同じ装飾菓子ピエス・モンテでも、お前たちの想像を絶するようなすごいものが出来るがな」

「それで、俺たちになんなの?」

 さすがのイリヤにも、いきなり始まったハイメの話はまだ腑に落ちないらしい。

「それさ。アキノさんから聞かされたんだが、今年は皇宮じゃ、先のサウル皇帝陛下の御隠れ以来初めての死者の日ディア・デ・ムエルトスになるんで、盛大になさるんだそうだ。まあ、あっちは皇宮の中でやるので、市民へは特別な下され物を出すくらいだそうだが、この大公宮では、表の広場を使って祭壇を設け、祝いの菓子や酒を振る舞うそうだ」

 聞くなり、イリヤの顔が変わった。

「えー。そうなの? まー、でも、しょうがない、か、なぁ。どうせ、皇宮の前やここの表の前の広場には、屋台が出たり、楽団が来たり、大道芸人だの仮装した市民だので、めちゃくちゃになるからねえ……。だから、毎年、警備が大変なんだけど」

 イリヤの言いたいことは、そこにいた皆にわかったので、皆、食べる手は止めないながらも、話に身を乗り出して来た。

「おう、あんたたちの仕事が倍増するなあ。……だから、最終日の夜は、ここの奥でぱーっとやれるように、ちゃんと俺が料理だのなんだのは仕込んでおく。大公軍団の隊員たちにも、酒……は無理だが、弁当と家族への土産物を出すそうだ」

「ええ! それみんな、ハイメさんがやるんですか!?」

 シーヴが驚くまでもなく、皆が同じ思いだった。

「おうよ。あんたたちが寝ないで二日間、頑張るんだ。俺たちも寝ずに作り続けるさ。ま、菓子だのなんだのは前もって作り置きできるから、明日っからはもう、仕込みだよ」

 ハイメが出て来てからそこまで、黙って聞いていた、教授がここで初めて口を開いた。

「……この大公宮で、表の広場に祭壇を設けたり、祝いの菓子や酒を振る舞う、ってのは、大公殿下ご本人がお決めになったんだね?」

 教授はもう、ナイフとフォークを皿の上に置いていた。痩せた、青白く色の悪い顔に厳しい表情が浮かんでいた。それは、普段は明るくおしゃべりな教授が滅多に浮かべない種類の表情だったので、皆もはっとして手が止まった。

「そう聞いていますぜ。こりゃあ、恐らく……でしょうねぇ」 

 さすがの大料理長ハイメも、教授に対しては言葉遣いも変わった。

「政治的なものの絡んだご判断、と言うわけだね。それで納得がいったよ。今年は、市内の警備に近衛も駆り出すことになったとうかがったから。それに、皇宮の方の警備には親衛隊だけでなく、フィエロアルマも出すそうだよ。もちろん、軍装ではなく制服で、だがね」

 これを聞くと、イリヤ以下の皆も納得がいったようだ。

「あー。北でアレがあって派兵中だし、街中じゃあの黎明新聞アウロラの記者さんの事件があったりしたからね。この上に祝祭日を地味にしなさい、ってやったら、市民たちは余計に不安感を感じるものねぇ」

 イリヤがそう言うと、ヴァイロンが珍しく口を開いた。

「帝都防衛部隊の隊員には、訓練の成果を見せろ、と言ってある。市街戦を想定した訓練には、群衆の中で起きる危険な騒動への対処も織り込んでいる。……いい機会だ」

「治安維持部隊も、すでに各署に人員配備を有事の体制で組むように言ってあります。……何事も起こらなければ、それはそれでいい予行演習になりますから」

 ヴァイロンの後に、言葉を繋げたのは、双子の兄のマリオの方だった。どうやら、隊長たちにもすでに覚悟があったものらしい。

「そうかね。それは頼もしいね」

 教授は表情を緩めてそう言うと、再び、食事に戻る。

 それを見て、他の皆も倣った。

「ハイメさんのえーと、なんでしたっけ、芸術的なお菓子細工、楽しみですね」

 おべっかではなく、本心から楽しみにしているらしい、シーヴの声を聞きながら。

 それでも、その時、そこにいた皆の心の中にあったのは、来るべき祝祭日への期待よりも、怒るかもしれない騒乱への恐れと言うか、身震いのようなものであった。

 それでも、それから逃れようと考える者は、そこにはいなかった。

  

 

 題名からお察しの方もおられたかもしれないですが、「死者の日」のイベントが次回に行われます。

 一回、こうした市内の祭りの様子を書いておきたかったので、楽しみです。

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