魔術師アルットゥ
「……次の出し物は、“刺青の男”だよ! こいつはただの刺青男じゃないよ! 刺青が体なのか、いやさ、体が刺青なのか!? さあ、お立ち会いだ!」
司会の派手な上着とズボンに、馬鹿みたいに長い帽子をかぶった男がそう叫ぶと、会場は一瞬、静けさに覆われた。
「え? あれは南方大陸人か?」
二つ目の出し物として現れた、マントですっぽりと体を覆い隠した男を見て、カイエンは思わず、そう口走ってしまっていた。
その男の顔の皮膚には多様多彩な文様が彫り込まれ、遠くから一見したところでは、真っ黒に見えたからだ。
「いや、あれはですねぇ」
幇間役の教授と、そして世慣れたイリヤの二人が同じ言葉をハモった時。
おもむろに、“刺青の男”はマントを舞台の床に落としていた。
直後に起きたのは、驚きの声というにはささやかすぎる、だが間違いないどよめきだった。暗闇に目が慣れた人々でも、その一瞬には、“刺青の男”の正体がわからなかったのだ。でも、それでも人々には今、自分は異様なものを見せられた、という認識だけは共通していたらしい。
そして、司会の男が次の台詞を言う頃には、見物人のほとんどが、男の正体に気がついていた。
「ああ、あれは刺青か」
カイエンはやや近目なので、お大尽一行に化けた十人の中ではやや認識の速度が遅くなった。カイエンがそう呟いた頃には、普通の人よりも元から目が良く、しかも夜目の効くヴァイロンやガラには、“刺青の男”の肌の上の細かい細工の部分までが見えていた。
「そうです、刺青男ですよ。ああ、なるほど。だから、“刺青をした男”って呼ばずに、“刺青の男”って紹介したんだね。ちょっとした工夫だが、まあまあ効果的ではある。……ああした見世物を見たことがないお客にはね」
そんなことを喋りながら、ひねこびた小悪魔の仮面の幇間に化けた教授は、ガラに手を振って席を譲らせ、自分はエルネストのすぐ隣に腰掛けた。狂信者の仮面のヘルマンはそっと動いて、エルネストと教授の後ろあたりに控えた。
彼らを含めた観客の目の前で、“刺青の男”はゆっくりと動き始めたところだった。
マントを舞台の床に落とした彼は、大きな男だった。それも、肥満した表面積の大きな男だ。だが、肥満とは言っても、隆々とした筋肉の上を脂肪が丁寧に覆っている型の肥満なのだろう。男の皮膚にたるんだところはなかった。
「さあ、ゆっくりとご覧あれ! この男の身体を覆う絢爛たる世界……。もうなくなった世界、そしてこれから始まる世界の姿を、とっくりとご覧あれ」
そう言うと、司会の男はすうっと舞台のそでに下がってしまった。それと同時に、舞台の裏にいるらしい楽団が異国情緒溢れる、物悲しいような、それでいて流れる川のように滑らかな音楽を奏で始める。
今や、舞台の上を動くものはただ一人、“刺青の男”一人である。
その体は、ところどころ、文様の一部が光ってるように見えた。
「へえ。刺青の見世物は前にも見たことあるけど、あれはちょっと工夫しているねぇ。それに、自信があるんだろうね。普通は誰か客席のさくらに『そんなの絵じゃないか? 俺に見せろ』なんて言わせて、肌に水をかけたりなんかして、『ああ、やっぱり本物だ』なんて小芝居を入れたりするんだけど、そういうのは入れないんだなぁ」
ワインを瓶からラッパ飲みしていたイリヤが、カイエンの後ろを守るように立っているルーサとトリニのうち、ルーサの方へ回りながら言うのが、お大尽席の皆にだけは聞き取れた。確かに、観客にもあれが刺青かどうかを疑っているような空気はない。
「あの、光っているのは何でしょう」
カイエンの真後ろを守るように……実際に彼女はそのためにそこに立っていたのだが……真後ろにいたトリニが聞いたのは、“刺青の男”の刺青のところどころが、舞台の照明の中、おぼろに光って見えるからだろう。彼女も今夜は胸の谷間も露わな派手なドレスに身を包んでいる。トリニの場合、ルーサとは違って鍛え上げられた体だから、胸はともかく肩のあたりは気になったのか、肩からだらしない風情を装って、紗のストールをかけていた。
「驚いたね。あれはおそらく、細かくて薄い金属の箔や、ガラスビーズかなんかを皮膚に貼っているか、埋め込んでいるんだよ。普通の刺青男じゃないってわけだね」
教授が答えると、隣の、それまでは大人しくしていたエルネストが、教授とそして自分の侍従のエルマンに向かって小声で言う。さっきヴァイロンにどやされたので、カイエンの方へしなだれかかるのはやめている。
「へぇ。おっさん、年の割にはよく見えるみたいだな。俺はこの通りの目だから、こういう暗い明るいの激しいところだと、何だかチカチカして細かいところが見えねえんだ。ざっと模様の説明をしてくれないか」
なるほど、右目のないエルネストには、やや近目のカイエン同様、遠くの細かいところが見えないらしい。
カイエンは一瞬だけエルネストの方を見たが、すぐに顔を舞台へ戻した。そして、左のヴァイロンの方へ、黙ってぬっと右手を突き出した。ドレスと同じ真紅の長い手袋に覆われた手には、手袋の上からいくつもの指輪が光っている。ヴァイロンの「鬼納めの石」である紫翡翠の指輪だけは、手袋の中にあった。
彼女はこんなことも予想していたのだ。今日着てきた真っ赤なドレスの、幾重にも絹地の重なり合ったスカートの中には、隠されたポケットもあるのだが、座った時に壊すといけないので、長袖の上着を着てこられるヴァイロンに預けてあったのである。
「はい。これでございますね」
左手でカイエンの腰を抱いたまま、ヴァイロンは右手を懐に入れると、ハンカチで包んだ二つの包みを取り出した。
カイエンは無言でそれを受け取ると、一つは自分で取り、もう一つはいつもは指輪がないが、今日は赤い手袋の上からいくつもの指輪のはまった左手で、彼女の左側に座ったエルネストの方へと突き出した。
「用意して来た。これで見てみろ」
エルネストが受け取ったものは、劇場などで貴婦人たちが使う、優雅な金細工の柄のついた遠眼鏡だった。ガラスのレンズは極めて高価なものだから、こんな小道具を持ち込めるのは相当の豪商か、高位の領地の上がりの豊かな貴族に限られる。
エルネストは怪訝そうな顔で受け取ったが、すぐに目を輝かせた。
「はっはあ。奥様は準備がよろしいですねえ。まあ、何でも見落とさないように、こんな大人数で来たんだもんなあ」
それで、カイエンたち一行も皆一様に、眼下の観客と同じように“刺青の男”の体に彫り込まれた文様に集中することができた。
“刺青の男”は、舞台の上を、不思議な古代の舞のようなゆっくりとした動きで回っていた。マントを脱いだ彼は、腰を隠す最低限の布地を身につけただけの裸である。その体が、後ろ頭や背中、尻、そしてただ立っていただけでは見えない脇の下や、太ももの内側、足の裏までが観客の目に入るように動いているのだ。
「額に三つ目の眼がありますね。あれは螺旋帝国あたりの土着の神々におりましたな」
「顔面は星座の文様ですね。……だが、今の夜空とはちょっと違う……ような?」
「後ろ頭は……どっかの風景だねぇ。高い山脈が見える。ちょっと特徴的な形の山だ。それに、地面らしいところに……何だか大きな穴? 切り立った円形の崖が見えるね。でも木々は生えていない。砂漠のようだ」
「腕はぐるっと、翼といろんな種類の鳥の姿ですね。ああ、蝶も飛んでいるようです。ああ、あれは楽園なんですね!」
エルネストもカイエンも、遠眼鏡があるのでよく見えるようになっているのだが、それでも周りから途切れ途切れに、見えたものを話す声が聞こえる。それは、カイエンたちお大尽席の者だけではなく、近くの席の人々の方からも聞こえてくるようだ。
凄まじくも精緻な、“刺青の男”の体に描き出された世界は、そうして言葉に出しながら確認していくように、人々を促しているようだ。
「胸元から腹は、なんだろう? あれは世界樹かな。北のザイオンの奇術団だからそうでもおかしくはないが……」
「木の枝の先に何か小さい本のようなものがあって、文字が書かれているようだぜ。俺には家系樹のようにも見えるが……」
「あれっ。あの臍のところ。あれは顔ですね。苦悶している人間。額に王冠のようなものが見えます」
「脚は……? おお、恐ろしいな。あれは」
「なんだよ。ああ、あれは嫌だな。なんであんなものを彫ったんだろう。右腿は広場で首切り役人に首を切られようとしている……それも女みたいだな」
「左腿も同じような構図ですね。でも、あれは火あぶりなんじゃ……」
「左右とも、脛のあたりは人間の集まりだな。よくもあんなにたくさんの人間を彫り込んだものだ。近くで見たら一人一人、顔が違うんじゃないかねぇ」
「背中は変な風景ですね」
「あの、肩甲骨のあたりにいる生き物はなんでしょう? トカゲみたいだけど、周りの風景と比べると……なんだか大きずぎるようですけど」
「背中の下半分は全然違う情景だな。大海原を帆船が行く。船の周りを魚やイルカが囲んで……」
「脚の後ろ側は、なんだありゃあ! 星空……なのかな? その下にあるものがわからないな。煙のようなものを尻から出した、あの変なものはなんだろう」
がやがや、がやがや。
いつの間にか、客席は人々のつぶやきが溢れ、舞台の方から聞こえてくる音楽がやや聞こえ難いほどになってきた。
奇術団ではもう、そういう観客の反応に対する勘定も出来ているのだろう。音楽が急にその音量を上げた。
同時に、“刺青の男”もそろそろと動きを鈍くしていく。そして、音楽が極め上げられるように高まり、しずしずと落ち着いていくと同時に、 “刺青の男”は、舞うような動きのまま、舞台の下手へはけていった。
「いかがでしたか!? 全身を刺青で覆い尽くされた男! あれだけの文様、それも精緻な刺青を入れるには、とんでもない時間がかかるのです。我らが故郷、ザイオンの珠玉の技術でもって作られた、人の皮膚をカンバスとした芸術品でした!」
入れ替わりに舞台に戻ってきた、長い帽子の司会の男が、再びけたたましく話し始める。
「では、お次はこのコンチャイテラ一番人気! 魔女スネーフリンガと、魔術師アルットゥの『心霊術』でございます! 魔女と魔術師が、あなたの運命を占います。失せ物探し、お悩み解決、こちらはご観客席の皆様にもご協力いただきまして、皆様のお役に立とうという出し物でございます」
とうとうきたか。
“刺青の男”の出し物でも観客はかなり興奮していた。カイエンたちも競って “刺青の男”の体の文様を語り合ってしまったほどだったのだ。
それを上回る出し物。そうなれば、観客の期待は嫌が応にも高まっていくしかない。
「それでは、皆様、この奇術団コンチャイテラいちの出し物、魔女スネーフリンガと、魔術師アルットゥの登場です!」
初めて来た観客には、噂には聞いて来たのだろうが出し物の詳細はわからないから、顔つきは微妙だ。おおお、待ってましたぁ、と声をかけたのは、さくらか二度目三度めの客なのだろう。
「さあ、『奥様』、頼りはあなた様お一人ですよぉ」
カイエンの左に座ったヴァイロンの向こうから、イリヤの冷やかすような小声。ルーサの側から戻っていたらしい。
確かに、こうして大人数で来はしたが、魔女スネーフリンガが赤ん坊と一緒にいなくなった、元スライゴ侯爵夫人ニエベスかどうか、確かめられるのはカイエン一人なのだ。
このために、ニエベスの顔を知っている人間を連れてくる努力はしたのだが、元のスライゴ侯爵家の召使いたちは見事に散逸しており、軟禁先まで付いて行った召使いも皆無だったのだという。ニエベスの実家のこれも取り潰された、元ウェント伯爵家にはもちろん、彼女の顔を見知っているものがいるのだろうが、彼らが果たして公平に判断してくれるか、と言えば怪しいものだ。
皇帝の手で取り潰された侯爵家の事になど、誰しも関わりたくはない。それに、そういう人間が名乗りを上げたとしても、今夜の潜入に連れてくることは難しかった。皇帝のオドザヤや、彼女付きの侍女ならよく知っているだろうが、彼女らをここに連れて来て面通しさせるわけにもいかない。
だから、今宵、カイエンに判断がつかなかった場合には、ニエベスの実家方面の誰かを使うか、とりあえず怪しいとして大公軍団の方で魔女スネーフリンガの身柄を押さえた上でのこと、という事になっていた。
「おやおや、また変な音楽が聞こえて来たぜ」
エルネストはそう言うと、ヘルマンのささげ持った瓶から、自分のグラスに酒を注がせた。ぐいっと飲むと、それをグラスごと戻し、先ほどカイエンからもらった遠眼鏡を左目に当てた。
カイエンも遠眼鏡片手に、やや身を乗り出した。もっとも、ひたすら興味津々な奥様に見られないよう、工夫もしている。彼女は赤いドレスの中の両足を、どさりと、自堕落かつ無造作に隣のヴァイロンの膝の上に乗っけてしまった。後ろからトリニが驚いたように身動ぐのが感じられた。女中頭のルーサの方は、こんなものは大公宮で見慣れているので平気である。
「……わかったよ。ああ、ほら出て来たぞ」
カイエンは、今日一番緊張して、舞台の上手から登場した黒衣の女の様子に目を凝らした。あれが魔女スネーフリンガか。その姿は黒いフード付きの長い衣に包まれて、見えるのは懐に抱いた、これまた子どもらしくもない黒衣の幼児だけである。
「あの子供……確かに、二歳くらいか……」
カイエンは遠眼鏡越しにじっと観察する。ゆっくりと音楽にのって歩いて来るスネーフリンガの前には、これまた真っ黒な布を被せたテーブルと、腕木のある木の椅子が置かれていた。やがて、スネーフリンガが椅子にかけると、彼女はアルットゥを膝に座らせ、胸元で抱くようにした。
「色の白い子ですね」
カイエンの隣から、ヴァイロンの声が聞こえて来た。確かに、魔術師アルットゥと呼ばれる男児は抜けるように色が白い。この辺りは、ザイオン人の一座、というフリにも合っていた。
「髪の色は銀色だ。目の色は……あれは、灰色か? 銀か?」
低い声なのに、なぜかよく聞こえる声は、教授の向こうにいるはずのガラの声だ。
「奥様や小悪魔のおじさんの目とは、ちょっと違うねぇ」
こっちは、遠慮なく乗り出して見ているイリヤの声だ。
「その通りだな、あれは、銀色だ。虹彩の色は灰色よりも黒に近いが、虹彩の一部にかなり白っぽい大きな斑紋があるので、光が当たると銀色に見えている」
今度はヴァイロン。
カイエンには遠眼鏡越しでも、判別がつきにくいものが、獣人の血を引く二人や、なぜかは知らないがイリヤの目にははっきりと見えているらしい。
カイエンは、そこまで聞いて、はっきりと思い出していた。
忘れるはずがない。あの、真っ赤に燃え上がる劇場の裏通り。アルウィンに化けたカイエンを見上げて来た、瞳の色を。
(あの獣人に抱かれても涼しい顔をなさっておられると、妻から聞いて意外に思っておりましたが、これはまた生意気な!)
二年前。あの開港記念劇場の裏で邂逅した時の、スライゴ侯爵アルトゥールの声が聞こえて来るようだ。
劇場に、カイエンの異母弟だったカルロスを使って放火した、銀色の貴婦人。その、美しく化粧された顔。あの時、それがあざ笑うように歪んでいたっけ。
スライゴ侯爵アルトゥールの髪の色、目の色は共に銀色だった。だが、あの男はあの事件の後、皇帝やカイエンたちが見守る中で「賜死」、毒を飲まされるという方法で処刑された。
「子供の方は、父親の容姿に符合するな」
カイエンが言うと、カイエンと同じくあの燃え上がる劇場の裏通りでも、賜死の現場でもアルトゥールを見ているヴァイロンとイリヤ、それにシーヴが同意する気配が伝わって来た。
(アルットゥという名前も、アルトゥールを北方風に呼んだものなのだろうからな)
ここまでは、カイエンたちの予想通りだった。
次は、魔女スネーフリンガの方だ。
その時、観客の見守る中、魔女スネーフリンガが顔を上げた。そのまま彼女は黒いフードに手をかける。
途端に、カイエンはすぐ下の席の観客が、びっくりしたような声を上げるのを聞いた。
「あれっ。今日は魔女がフードを取るのかな? 前に来た時には最後まで取らなかったんだけど」
「えっ。そうだったの、あんた。それじゃあ取ったり取らなかったりなんだな。俺が前に見た時には取ってたぜ」
カイエンとヴァイロンはなんとなく、顔を見合わせた。
魔女スネーフリンガはフードを取るときと、取らない時がある。そして、前の二人の男はもう、今日が二度目以上の見物なのだ。同じ見世物に何度も客を通わせるとは、ここの出し物はそれなり以上の興味を持って、ハーマポスタール市民に迎えられているのだろう。
カイエンとヴァイロンが舞台に目を戻した時が、ちょうどスネーフリンガがフードを後ろにはねのけたところだった。
「ほお」とも、「おお」ともつかぬため息のような空気が観客の中で上がる。
カイエンは遠眼鏡の向こうへ目を凝らした。
まず、驚くのは魔女の真っ白な髪だ。それは、結うことなくスネーフリンガの肩を覆い、背中へと流れている。前髪も額を隠すように伸びているから、生え際のあたりは判然としない。これでは、かつらであってもわからない。
「あれじゃあ、わからないな」
「髪の色は茶色っぽかったって、おっしゃってましたよね」
イリヤも目を凝らして見ているが、彼我の距離からして彼にも判断はつかないようだ。
「目の色や顔立ちはいかがです」
ヴァイロンは自分も見つめながら、聞いてくる。髪と違って目の色の方は目標物の面積が小さいこともあるし、舞台の照明のランプの加減で、はっきりとは見えない。
「……目の色はわからないな。ウゴの言っていたようにちょっと緑色に見える時もある。顔の方は……」
カイエンは二年前の、オドザヤの皇女宮でのお茶会の時のことを思い出しながら、魔女スネーフリンガのうつむきがちの顔を凝視した。
ニエベスはいかにも、という賢そうな顔をしていた。兄のあのウェント伯爵とは似ても似つかない、という印象を持ったように思う。美しいというよりも、賢しげな印象の方が強かった。
スネーフリンガの顔は、蒼白というよりも、真っ白、とでも言いたくなるような色だ。カイエンもよく人から「不健康で病人みたいな土気色の顔色」などと言われるが、魔女の方はおそらく元から色白な上に、白い白粉を使っているのだろう。
その顔は、貴族によくある瓜実顔で、眉が極めて細く整えられ、目は物憂げでに見えたが、瞳の上下には陰影を作るためのラインが引かれ、瞼には高価な色石を砕いた顔料。通った鼻筋の下の唇は魔女らしい、やや日健康な紫がかった色の口紅で塗られていた。はっきり言って厚化粧で、そこから素顔を導き出すのはかなり困難だった。
言ってみれば、今日のカイエンも同じような化粧をして、元の顔立ちなどわからなくしてしまっている。それと同じ種類の化粧なのだ。
「……すまない。あの厚化粧では、なんとも言えない。目元などは似ているような気もするが」
「いいですよ。じきに客席を巻き込んだ『口寄せ』をするんでしょう。その時にまた見てください」
教授が言った時には、もう舞台では魔女スネーフリンガの「実力」とやらを証明して見せるための、前振りが行われ始めていた。黒いテーブルの向こう、幼児のアルットゥを抱いて座ったスネーフリンガの前に、いくつものカードが並べられ、事前に観客の一人が選んでいたカードを当てたり、観客の中から、最近、親族を亡くした者を言い当てたりするのだ。
スネーフリンガは、何か答える時、いちいち不思議な呪文のようなものをつぶやき、それから幼児のアルットゥの口元へ耳を寄せる。
魔術師アルットゥは大人の男の声で喋る、と「黎明新聞」のウゴから聞いていたが、まだそれを聞くことはできなかった。
「あーあ、こんなんじゃ、直ちに身柄確保とはいかないねえ。……検挙数が減ると、数なんかわかるはずねーのに、なんでか知らないけど、読売りが書き立てるんだよなあ」
イリヤが小声でぼやくと、教授が小悪魔の仮面を、イリヤの「超美男子」仮面の方へふいっと向けた。
「おや、君は知らないのかね」
聞くと、超絶美青年仮面の向こうのイリヤの鉄色の目が、まん丸く見開かれた。
「何をぉ?」
小悪魔仮面の教授は大きな声が出せないので、超絶美青年仮面を自分の方へ手招きしたから、イリヤはヴァイロンの隣の席を立って、トリニの後ろへ移動した。
「何年か前に、士官学校の教授の一人で、はっきりとした記録の残っている百年ほど前から、こちらの大公殿下の時代になるまでの、大公軍団の犯罪検挙率を年単位で調べて、研究した先生が居たんだよ。まあ、彼は世襲ではなく、皇帝の弟か妹が担ってきた大公軍団の存在の有用性を数値化しようとしたんだろうね」
聞くなり、超絶美青年仮面が身をよじった。これは側からはど見えるのだろう。
「ひゃー。やめて、なんでそんなこと考えるの!?」
「ええ。記録がそんな昔からあるんですか」
真面目な返答は雷神仮面のシーヴだ。
教授は、もっともらしくうなずいた。
「だって、大公軍団の維持費だの、団員の給料だのは国費から出ているんだからね。建前上はこの帝都ハーマポスタールとその周辺は大公殿下の『御領地』ということになっているから、商業ギルド始め、各職業の納める税金も、近郊の農家からの租税も、直接に入るのは国庫なんだが、名目上は大公家へ収められたことになるんだよ。税金の記録だって、役所にちゃんと残ってるんだ。大公軍団だって事件を検挙すれば、調書が残る。その数をいちいち年ごとに数え上げただけだよ」
「税金が無駄になってないかどうか、ということですね」
カイエンが派手な扇で口元を隠しながら、口を挟むと、教授はいかにも幇間らしく手振り身振りだけしながら、話は真面目に続けるのである。
「そうです。まあ、役人じゃ出来ない調査です。だからって民間じゃ調査のしようがないですからな。それで、士官学校の教授の肩書きが大いにものを言ったようです」
「それで、どうだったの?」
イリヤはここ百年の中の、一番最近の大公軍団長だ。彼の前が、アルウィンの時代のアルベルト・グスマンで、その前はカイエンの大叔父に当たるグラシアノ大公の時代の、カルロス・マルティネスである。ここまででおよそ四、五十年くらいは遡れるだろう。
「それがね! 喜びたまえ、イリヤ君。私が最初っから君を買っていたのは、この先生の研究を知っていたからなんだからね!」
「えええ〜」
嬉しそうな教授の声と、疑い深そうなイリヤの声がかぶった。
「君が大公軍団長になった五年前……もうそろそろ六年か、からの方が、前の団長や先先代の団長の時代よりも、検挙数が多いんだそうだよ」
カイエンは聞きながら、胡散臭い思いで超絶美青年仮面イリヤの方を見ずにはいられなかった。
「それって、イリ、じゃなかった、そこの男が不当で適当な逮捕を繰り返してきただけなんじゃないでしょうね」
だが、カイエンの疑念は、教授によって晴らされ……そうだった。
「そう思うでしょう! それがそうでもないんですよ、あのね……」
だが、教授はその先をこの場で説明することは出来なかった。
その時。
司会の長い帽子の男が、再び口上を始めたので、カイエンたちも目を舞台へ戻した。
「では、魔女スネーフリンガが、魔術師アルットゥの口を借りて、お困りのお客様のお悩みをお助けいたします」
それから始まったことは、先にこのコンチャイテラに調査に入った時に聞いた通りのものだった。
司会の男が、困っている観客を募ると、すぐに手を挙げるのはさくらとして混ざっている奇術団員なのだ。
「おお、先日亡くなられたお父様の、ご遺言の一部でご指示のあったことがどうしてもわからないと、そういうことですね」
司会の奇妙な長い帽子の男が、手を挙げた観客の方へ席を上がって近付き、その要望を聞いている。司会の男の喉は、さすがに司会だけあって、朗々と小屋中に届いた。
手を挙げた観客……恐らくは奇術団員の席は、カイエンたちのお大尽席の真下だった。これもまた、お大尽様を意識してのことなのだろう。
「では、その田舎に残された、元の家を壊すか残すか、それがわからないということですね」
司会の男の真後ろに付いてきていた、魔女スネーフリンガは一言も喋らない。彼女の腕の中の魔術師アルットゥも、たった二歳ほどの幼児でありながら、この場の雰囲気など聞こえない風に、つぶらに目を見張ったまま、おとなしい。
「魔女スネーフリンガ、どうか魔術師アルットゥにお前の心の言葉で聞いてくれ。そして、この幼児の体に閉じ込められた、偉大なる魔術師アルットゥよ、この方のお困りごとの解決を!」
司会の男は、ケレン味たっぷりに叫びあげた。
見守る観客。そして、司会の男の手にしたランプの中で、魔女スネーフリンガはうなずき、真っ白な髪を振り乱した頭を上げた。
「我が子よ、魔術師アルットゥをその体の中に潜ませた者よ。……私はお前に問う。このお方のお父上の真実の言葉を聞かせたまえ。この方のお悩みを解決したまえ」
ああ。その声はややしわがれていた。演技かどうかはわからない。だが、若い女の声の印象を、演技で変えていることは簡単に聞き取れた。
やがて。
魔女スネーフリンガの腕の中の魔術師アルットゥが、明らかに意思ある仕草で首をたて、顔を悩みを打ち明けた観客の方へ向けた。
「ほうほう。お前にしてはよう考えたな。お前は、あの田舎家を壊してしまいたいのだろうな! それにしても残された者共はよくも欲張るものよ。物好きなここのお人がたに、聞こえてもいいのかねえ」
カイエンは確かに聞いた。
その声を。
魔術師アルットゥの声、と言われる声。先日の、コンチャイテラの奇術団への聞き取りでは、側のさくらが腹話術でしゃべっているとか言っていた声だ。
その声は。
(なにもご存知ないお姫様にしては、よく手配なされましたな! それにしても大公軍の方々は物好きですねえ)
二年前の、燃える開港記念劇場の裏通りから聞こえてきた声。カイエンの頭の中で、それと魔術師アルットゥの声が交差する。もう、間違いはなかった。
この声は、アルトゥール・スライゴの声だ。
そして、話し方も。
(先生、確かに、あの奇術団の連中は色の白い、髪や目の色も淡い奴が多くて、ザイオンから来たんだってのもうなずけたんです。言葉も、俺はザイオンなんか行ったことはないから知らないが、ちょっとこのハーマポスタールとは違う訛りがあってね。……でもねえ、誓って言いますが、あの魔女のスネーフリンガと魔術師のアルットゥの二人だけは、この土地の人間ですよ。それも上の方のご階級のね)
間違いない。司会の長い帽子の男の言葉には、確かにこのハウヤ帝国のものとは違う訛りがあったのだ。
だが。
スネーフリンガの話した言葉も、アルットゥの答えた言葉も。それはこのハーマポスタールの、それも上層階級の貴族たちの言葉遣いに違いなかった。
「どうしたんです?」
カイエンはイリヤやヴァイロンの言葉を無視した。
今、カイエンの眼下で行われている、魔術師アルットゥの「口寄せ」。そのすぐ側の観客の中に紛れた、奇術団の誰かが、あの、先帝サウルから賜死を賜り、服毒して果てたはずのアルトゥール・スライゴなのだろうか。だとしたら、今、自分はここで立ち上がり、彼ら全部を抑えてしまうべきなのか。
その時、無言のまま迷っていたカイエンの腕を、ぎゅっと掴んだ者があった。
「言いなさい! 言ってください。どうしたんです?」
通常だったら、カイエンは吹き出してしまったかもしれない。ヴァイロンの巨体を押しのけ、彼女の腕を掴んだのは、とんでもない美青年の仮面のイリヤだった。だが、カイエンの腕を掴んだ彼の掌の力は凄まじいもので、青あざが残りそうなほどだったのだ。
「いるんだ」
カイエンは、イリヤとの間に座っているヴァイロンの上に乗り上げるようにして引っ張られながら、言葉を探した。側から見れば、美青年仮面が金色獅子仮面に嫉妬して、奥様の関心を引こうとしているように見えるのだろう。
「あの、スライゴ侯爵が、同じ声の男が下に……いるとしか……」
カイエンの言葉は決してわかりやすくはなかった。だが、イリヤは一瞬も迷わなかった。カイエンの腕を離すと、彼は傍の雷神仮面のシーヴの肩をとっ捕まえ、小声で喋りながら観客席の後ろの方へ出て行く。
「あああ。奥様はもう飽きたってさぁ。馬車を呼びに行ってこいとの仰せだよ!」
観客は誰も振り向きもしない。皆、魔女スネーフリンガと魔術師アルットゥの一挙一動に気を取られているようだ。
「観客席に、隊員を配備しています。観客の中に、腹話術の出来る奇術団員がいることは予想していたので、イリヤが外に出たら、隊員が周りの客の後をつける手筈です」
ご機嫌の悪い奥様をなだめるように、ヴァイロンがカイエンの耳元へ唇を近付けてささやく。
「おやおやあ、奥様はもう飽きておしまいですか? 困りましたねえ。この出し物の後に、短い休憩が入るはずですから、それまではお待ちくださいよ」
そう言ってきたのは、幇間の小悪魔の教授で、カイエンは内心で舌を巻いていた。完全にアドリブなのに、皆がこれ以上ないほどに無駄なく動いていたからだ。
カイエンたち、「お大尽様御一行」がコンチャイテラの小屋を出たのは、休憩時間になった時だった。
一応、この後の出し物も気にはなったので、エルネストとヘルマン、それにガラとトリニ、それに教授の三人は後に残した。高慢な奥様は飽きて片方の愛人と一緒に帰ってしまい、残された愛人はついて行くのも馬鹿らしく、従者とともに後に残った、という脚本だ。
あの後、イリヤに命じられた、治安維持部隊の隊員は、魔女スネーフリンガと魔術師アルットゥの周りにいた男たちを追跡した。確かに奇術団員のさくらは混ざっていたので、彼らは身元が判明すると同時に、隊員に引っ張られて近くの署に連行された。
だが、その中にあのスライゴ侯爵アルトゥールに似た年齢、姿形の男はいなかった。
翌日、軍団長のイリヤは覚悟を決めた。
「もうしょうがない、魔女もしょっぴきましょう。理由はどうにでもでっち上げます」
だが。
引っ張ってこられたスネーフリンガの真っ白な髪は、本物の白髪だった。そして、目の色の方は、緑がかった茶色、とでも言える色。それはカイエンの記憶の中で、一瞬だけ見た色との違いをはっきりさせるほどのものではなかった。
化粧をすべて洗い流させ、取り潰されたウェント伯爵家の元関係者をあちこちから集めて来て、面通しをさせた結果も散々だった。
誰も、はっきりとしたことは言えなかったのである。
「……似ているような、そうでないような……。あの、あの方ご自身はどう言っておられるんですか」
そして、呼びつけられた関係者の、ほぼ全員が同じことを言ったのだ。
「あーあー。これは遅れをとりましたねぇ。これだけはもう確かですけど、あいつら、みーんな誰かに言いくるめられてます。たんまりと金でももらっているんでしょう。カマラの描いたスケッチの手配書でもあればともかく、元スライゴ侯爵夫人ニエベスの肖像画なんかは、みーんな破棄されたみたいですから、もう、証明のしようがありませんよ。子供のアルットゥっていうのも、魔女の子じゃなくって、あの銀色の髪と目が珍しかったから、ザイオンの孤児院から連れてきたって言うんですから!」
大公宮表のカイエンの執務室。
匙を投げたイリヤの前で、大きな机の向こうに座ったカイエンは、頭を抱えるしかなかった。
さてさて。
第一話の伏線を引き取りつつ、新たな謎の始まりです。




