後任者
私は『中央』の『長』に呼ばれた。
中央とは何か。
これは私は常々疑問に思っていたのだが、ある人曰く「宇宙の真ん中にあるから『中央』なんだろうよ」との事である。
これは甚だインチキくさい説であるが、これに反駁する論理を私は持たない。
いや、「そこが宇宙の中心なんてどうしてわかるのです。そもそも位置を表すだけなら、なぜ宇宙のどの機関より上位と見なされているんですか」などと反論はしてみたのだが、一+一が二であると理解できない子供をみるような目で見られてしまったので、不承不承納得したふりをしたのだ。
長いものには巻かれろ。空気は読め。
体制に反抗できるほどの強さを持たない私が、実体験で得た教訓である。
そして『長』とは、その『中央』のトップということである。
話では聞いたことがあったのだが、実際会ってみると何時くたばっても皆不思議に思わないだろうと思うほどの老齢の男性であった。
顔は伸び放題に伸びた白髪と真っ白な髭に覆われて、その表情はうかがい知れない。
この歳で組織のトップとしての仕事がこなせるのだろうかと思うが、身のこなしは意外にかくしゃくとしている。
話しぶりもしっかりとしたものであった。
「君は惑星管理について学んでおったらしいね。成績を見せてもらったがずいぶん優秀だ。綿密な計算に基づいた見事なシミュレーションモデルはすばらしいものだった」
どうも、と私は簡潔につぶやいた。
正直早くこの場所から去りたかった。
だだっ広いこの場所はおちつかない。
照明が弱いのか、あたりがぼんやりとしか見えず甚だ居心地が悪い。
しかもどんどん広さを増しているように感じられる。
何なんだこの部屋は。
はやく自分の居心地の良い狭い研究室に戻りたい。
「そんな君の能力を見込んで、ぜひ頼みたいことがある」
「――頼み事?」
「君なら簡単な仕事だよ。――惑星の管理だ」
老人の表情は逆光でうかがい知れない。
惑星の管理。
そのような仕事があると聞いたことはあるが、私にそのお鉢がまわってくるとは思わなかった。
「受けてくれるね」
最初から選択肢はそれしか与えられていなかったのではないか。
そう後で思ったほど、それは絶対的な響きをもっていた。
それに気圧されたように私は頷く。
老人は笑ったような気がした。
それは微笑だったのか、苦笑だったのか――それとも。
気がつけば私は自分の研究室に戻っていた。
手のひらには青い情報端末が収まっている。
その中には、私の赴任先の情報が記されていた。
ここは、ずいぶん昔に人類が絶えた星だという。
戦争だったか、隕石だったか、人が滅んだ詳しい理由ははっきりわかっていない。
滅んだ後は、辺境にあったこの星は中央の管理からはずれ、長く無人のまま放っておかれていたそうだ。
文明の残骸が、星の至る所で朽ちた姿をさらけ出している。
元は美しかったであろうこの星は砂と瓦礫にまみれて見るも無惨な事になっていた。
そして私は前任者に代わり、新たにこの惑星を管理するため、ここに赴任してきたのだ。
「こちらが、前任者の方の残された日誌です」
管理の補佐をしてくれる者が、いくつかの資料を抱えてきた。
数ページぺらぺらと捲ってみたが、あまり参考にはならなさそうであったので申し訳程度に机の隅に並べておいた。
どうやら前任者はずいぶんロマンチストだったようだ。
それは私が目を通したわずかな部分からでもよく伝わってきた。
もうここにいない彼は、この星を愛し、慈しんでいたのだろう。
「だが、それだけでは駄目だ」
私は私のやり方でこの星を、生まれ変わらせてやろう。
壊れた建物と植物が野放図に入り交じった眼下の光景は、この星の文明が死んだ事を見せつけているようで見るに堪えない。
まずは緑を蘇らせ、獣を地上に増やそう。
海には魚を、そして人だ。
そして大方の生き物が揃ったら、私はあまり手を出さないようにしよう。
ある程度の管理は必要だが、度を超したそれは文明の発達をさまたげ、住人の思考を奪ってしまうことになりかねない。
さじ加減が大切だ。
何もこの星を支配したいわけではない。
私はあくまでこの星の管理が仕事なのだ。
そしてこれらは綿密な計算とシミュレーションに基づいて行わなければならない。
幸いこれは私の得意分野であった。
その上で、過去何百何千という我が同胞による有人惑星の管理データは、大いに参考になろう。
先人の失敗、成功をつぶさに研究し、それらを糧に私は任務を全うしてみせる。
この荒れ果てた大地を美しく蘇らせ、この星に再び文明を取り戻そう。
荒涼とした大地を眺めて、私はこう決意する。
そしてこの星を、平和で美しい楽土にしよう。
それが私がこの星へ来た意義であり、前任者が長い年月をかけてついに為しえなかった事だった。
私の試みは、なかなか素晴らしい成果をあげていた。
私が直接やったことといえば、まず瓦礫をどけて以前の文明の残骸を分解してしまうことだった。
ここにあった文明は消えてしまう事になるが、人がいる限りまたそれは新しく造り上げられるものである。
惜しむことはない。そして焦ることはない。
まだ始まったばかりだ。時間はたくさんある。
私は植物を増やし、魚や鳥や動物を海と地にそれぞれ放った。
もちろん、人も必要だ。
これで、この星には新たな生態系ができていくだろう。
私は綿密な計算の元、これを行う。
気候、地形、生き物や植物のこれら特性など全てを考慮においてやらねば、思わぬ失敗につながる。
シミュレーションで何回かこなしたが、実際にやるとなると大変な神経をつかった。生き物が地に根付くまでは、心配で何度も見回りをした。
大気の成分濃度のバランスも重要だ。細かな事だと見落としがちだが、それが生態系に被害を与えることもある。
自然は絶妙なバランスで成り立っている。
この事を忘れると、小さな見落としが積もり積もって大きなしっぺ返しを引き起こす。
計算ではうまくいっていても、思わぬ気候の変化、自然災害などでとんでもない被害を被ることもあるのだ。
シミュレーションと現実は似て非なるものだと、論理至上主義であった私が考えを改め始めたのもこの頃であった。
私の作成した生物育成プログラムでは、同じ条件で同じ数値を入力すれば結果はいつも一定の値を示し続けた。
が、実際現実同じ条件、同じ数値で生物を育んだとしても、些細な変化が思わぬ結果を生み、なかなか思うようにならなかった。私はそのたび悪戦苦闘して問題に取り組んだ。
シミュレーションでは数値だけの存在であり、マニュアル通り正しいやり方で栽培すれば思うように増えていっていた植物や動物が些細な変化で次々と枯れ果て、あるいは屍をさらしているのをみるとやりきれない思いと無力感にさいなまれた。
逆に生い茂りすぎて生態系に悪影響を及ぼしている時は頭を抱えた。
「ああもう、またやり直しだ!」
私の癇癪に補佐官はくすくすと笑う。この補佐官は、いつも従順に私の提案をきき、たとえ失敗をしても忍耐強くつきあってくれる。
「この星を甦らせるためならば、私のことはいかようにも」
最初は気を使っていた私も、彼の柔らかく素直な態度に段々身内に対するような気安い態度で命令をするようになっていった。
だが、彼は全く気にした様子もなく、私が悩んでいると絶妙のタイミングでアドバイスをしてくれる。
「本当は君がこの星を管理をした方が適任なんじゃないのか?」
半ば本気でそう言った時にも、補佐官は笑って首を振るだけであった。最初は自信があった私も、そんな発言が出るくらいこの仕事に対して不安が募っていた。
自分に惑星管理など本当は無理だったのではないかとおののき、二度と失敗を繰り返さぬよう自らを戒めながら試行錯誤を繰り返す。
植物と動物を増やせば、勝手に大気はバランスが釣り合うと思っていた私にとって、大気のバランスがこんなに頭を悩ませるものだとは思わなかった。
前時代の汚染の影響もあるのだろう。
また、寒冷化していく気候も悩みの種であった。
植物が育たなくなり、それに伴って草食動物が数を減らし、肉食動物もそれに準じて死んでゆく。
生き物というのは連鎖しているのだと思い知らされ、私は自然の摂理を前にして無力感に苛まれた。
「何とかしなければ」
対策に乗り出そうとした私を押しとどめたのは、補佐官であった。
「星も、生きています。その営みの中で気候の変化は避けられないのです」
この補佐官は前任者の頃からこの星の管理に携わっている。
この星に関する知識も多く、経験も豊富だ。
その補佐官にどうかこの星の生物の流れに任せて下さい、と言われると私は黙り込むしかなかった。
地表から減っていく生命をただ眺めている事は、私にとって何よりも辛いことであった。
私はただ地上の様子をながめ、それらを記していくしかできなかった。前任者と比べれば無味乾燥な日誌であるが、私は自分なりにそれを黙々と書き記していった。
しかし生態系はうまく天秤をとって行くものらしく、ある程度まで減少した生き物は環境に適応しつつ生き延びていく。そして徐々に生き物は増え始めていった。
巡る季節に順調に適応していく生き物の姿を見た時は、不覚にも涙が出そうだった。
この星に根付いたカエデが、色を変えはらはらと落葉していく。
寒さに備えて地ネズミが巣に食べ物を蓄えている。
暖かくなれば、地上に植物も動物も顔を出し、繁殖を始める。
そうやってこの星の季節は順調にまわり始めた。
今度は九十九%の確率でうまくいくだろうとシミュレーション上の計算はでていたが、実際にこの目で見ると感激もひとしおだ。
この星は私が誠心誠意管理せねば。
そのような決意を改めてこの胸に刻み込んだほどだ。
補佐官が有能で仕事熱心だったことも幸運な事だった。
彼に参考がてらに前任者の頃の星の様子を聞いたこともあるが、それはあまり思い出したくないようであった。
確かに、一度壊れた星の事を思い出すことはつらいであろう。
以前の文明の崩壊からかなり年月がたっているせいか、前任者の情報は中央からも全く聞かされていない。
残された記録は前任者の日誌のみ。
それ以外の記録というものは綺麗さっぱり無くなってしまったらしい。
この星が辺境のためか中央に全く情報がないことも、謎を深めている。
長及び、中央の人間からは仕事を依頼された日より、接触は皆無である。
つまり、この惑星は中央にとって重要視されていないのだろうか。
だが、私にとってそんな事は些細な事であった。
星を管理するという仕事は私にとって初めての経験であるが、私はここに赴任して、この星に徐々に愛着を持ち始めていた。
「それは危険だよ。気をつけな」
そうおせっかいな忠告をしてくる昔の研究者仲間もいたが、何が危険だというのか。
職場に対して愛着を持ってなにが悪い。
言い返すと、青臭い若造をみたかのように、意味ありげに笑ってかわされるのだった。
そんな茶々を入れてくる奴もいたが、私の仕事はおおむねうまくまわっていた。
補佐官は日々星の様子を知らせてくれ、私はそれに沿って仕事を処理していけばよかった。
彼は私の有能な手足としてこの星を飛び回ってくれている。
あまりに働かせすぎて申し訳ないので、もう少し補佐官の人数を増やすということになった。
人口が少ない時はあまりなかったような出来事も、人が増えるごとに多くなり、管理しなければならない内容も複雑化していく。
星の管理はある程度発達したら後はその星の住人に任せた方がよいというのが私の赴任前までの持論であったが、実際そうもいっていられない。
この星は私の子供のようなものだ。
手塩にかけたこの星の成長を見続けていると、そんな言葉がなんのてらいもなく口から出てくる。
私は各種要項を受理し、吟味し、検討し、実行に移した。
補佐官は植物や生物が増えていく様子をつぶさに報告し、人々の喜ぶ声を私に届けてくれる。
それは何よりも私にとって喜ばしい事であった。
ここまで軌道に乗ったのならもうあまり手を出さないようにしよう、あとは自然にまかせよう。
そう思ってはいても実際問題が起こると、見ぬふりはできない。
この星は私の力を頼りにここまで美しく甦ったのだ。
私が応えてやらねば、この星は誰を頼みにするというのだ?
「あまり入れ込んでしまうのは、よくありませんよ」
忠告めいたものを補佐官が口にするようになったのもこの頃であった。
初めは聞き流していたが、それが二度三度と続けばそういうわけにもいかない。
私はこの星の管理を任されているのであり、特にこの星に入れ込んでいるわけではない。仕事を真面目にこなしているだけである。そのような忠告は大きなお世話だ。
このような趣旨の反論をすると、彼は二度とそのような事を言わなくなった。
しかしその代わり、偶に憂わしげな表情を浮かべるようになった。
何だというのか。
不快に思うが、それについて問うことはしなかった。
「勝手にしろ」
それが私の本音だ。
言いたいことがあれば言うが良い。
そのような些末な出来事はあったが、おおむね『仕事』は予定通り順調に進んでいった。
人は増え、星には緑が満ちていった。
建物が増え、美しい建造物が天に向かって伸びていく。
まるで一つの生き物のように惑星が成長していくのは、私にとってこの上ない喜びであった。
この星に来て私の一番の楽しみは大気圏外から、地上を見下ろす事である。
様々な表情を持つこの惑星はとても美しい。
電磁光が惑星上に光の帯を作っていく。これは人間はオーロラと呼んでいたようだ。
この上もなく美しく優雅な光の揺らめきを、私はただ圧倒されて見つめていた。
またある時は、地表をうねる雲の様子を眺め、成長していく台風に目を見張る。
海は青く、大地は濃い緑に包まれて輝きながら寒々とした宇宙にぽっかりと浮かんでいる。まるで黒い布の上に飾られた宝石のようだ。
そう思うたび私の心は満足感に満たされていく。
美しく生命力に満ちたこの星を守っているのは私だ。
この星は誰にも汚させない。この星をよりよく導いてゆくのが私の使命なのだ。
そしてそんな事を思っている時、きまって補佐官は私の顔を物問いたげな目で見つめていた。
水を差されたようで不快であり、言いたいことがあるのかと問い詰めたくもあるが私はその視線を流していた。
どのように思っているのであれ、この補佐官もこの星を大切に思っている事が仕事ぶりや態度でわかるからだ。
しかし、と私は偶に考える。
――この補佐官は何者なのだ?
整った顔立ちの彼は、しかし驚くほどに印象が薄い。空気のように気配を感じさせず、無駄口というものを叩かない。
執務室にいるときは、用がなければ岩のようにひっそりと立っている事が多かった。
複数いるはずの補佐官らは、基本的に私に付き従う者をリーダーだと思って認識しているが、実際そうではないのかもしれない。
あるいは、複数いると思ってはいても本当はいないのかもしれない。
実際私が顔を合わせるのはいつも一人である。各所から報告が飛んでくるので、複数だと私が勝手に認識しているだけなのかもしれない。
そんな事を思わされるほど、私は補佐官の事を全くわかっていないのだ。
名前はあるようだが、それを呼ばれることにも拘っていないようだ。
従順に私の言いつけを聞き、彼らはこの星を飛び回って日夜仕事に励んでいる。
何かの折に中央に彼らは何者なのかと訪ねたことがある。
「あの星の人間なのですか? それにしては多少能力や知性が高すぎるようですが」
この星にいた絶えたはずの人類なのだろうか、とも思うがそれにしては文献とは多少外見等違う部分もあるようだ。
今の星にいる人類は、過去の人類と同じような能力、知性の者を住まわせている。
それに比べれば補佐官とは違いが随所に見受けられる。
「彼らは、君を助けるためにいるんだ」
長の言葉は端的で詳しいことがさっぱりわからない。それ以上聞いても口を閉ざすばかりで、余計消化不良の思いが増してしまった。
そもそも中央の要請でこの仕事を行っているのに、最初に指示をしたきり途中経過を聞くこともなく、中央は不気味なほど私と赴任した星の事を放ったらかしにしている。
余計な口を出されなくてやりやすいと思う反面、これだけこの星を美しく発展させていっているのだから評価をしてくれてもいいじゃないかという気持ちもあった。
「この星のためにこんなに頑張ってくださってありがとうございます」
ねぎらいの言葉はいつも補佐官からかけられていた。
そうなると私も現金なもので数々の複雑な思いはあれど、まんざらでもない笑みがこぼれるのであった。
月日が経ち、地上には人が増えていった。
それと共に、争いや罪も増加していく。静観していた私も、もはや黙ってはいられないほどに地上は乱れていった。
どうしたらいいのだろうか。
私の事は、大半のこの星にすむ人間には知られていない。補佐官の事は、人間の前に姿を現すことも希にあるので認知はしているようであるが。
あくまで私の仕事はこの星の環境の育成である。この星の人のことには干渉しないというのが私の信条であったが、激化していく争いをみて私は覚悟を決めた。
争いあう村の真ん中にちょっとした火砲を投下してやったのだ。
少し驚かせるつもりだったのが、予想以上に大きな効果があったらしい。たちまち争いは終結した。
私が予想外であったのが、人々が投げ込まれた砲弾をまるで神像であるかのごとく崇め始めたことだ。
この星の文明はまだ黎明期であるといっていい。私もことさら知識を与えようと思わず、ただあるがままの発展に任せていた。
そのような段階で、私の行ったことがこのように宗教じみた事を興してしまったことは、全くの計算違いであった。
困惑した私は補佐官に相談する。
「あのような崇拝はやめさせるべきだろう。あの集団の前に私は姿を現して説明すべきだろうか」
正直争いや小競り合いを繰り返している野蛮な人々に会いに行くのは、気が進まなかった。住民と接触するのは可能な限り避けたい。私はこの星を陰で見守る事で満足しているのだ。
身の安全という面からも、自分の事を説明するのに骨が折れるだろうと予想がつくことなどもその気持ちに拍車をかけていた。
「貴方のお好きになされば良いと思います。ただ私の意見としては、人の文明の中で何らかの宗教めいた行動は必ず起こりうるものであり、今回の事はただそのきっかけに過ぎなかったと思うのです。これがただの隕石の落下であったとしても彼らはきっとそれを崇拝するでしょう」
そうか、と私は納得をする。
いや、あまり人と接触したくなかった気持ちに、それを肯定するちょうどいい口実ができたというのが本当の所である。
「なら放っておけばいいな」
補佐官はいつもの真意の読めない笑みを浮かべた。
そして月日はさらに流れる。
人の文明は発達し、それに伴い宗教も発展していった。それはもちろん私が打ち込んだ火砲をきっかけにして出来上がった例のそれである。
司祭やら神に仕える女達やら、大勢の聖職者と信徒が寄り集まってその信仰は大層な発展をみせていた。
あのような些細な出来事がこんな大事になるなど、感嘆すると共に滑稽な気分にもなる。
やたら立派な祝詞を唱える司祭を見て、私は腹を抱えて笑い出すところであった。
只の溶けた金属の固まりがそのような権威を持ち得るとは!!
その事実を前にしても補佐官は静かに見つめるだけであった。
「あれは何もその砲弾の残骸を崇拝しているのではないのですよ」
そういわれると、私は気まずいような気分になって黙り込んだ。補佐官の言葉はまるでこの星の人間の事は全て知っていると言わんばかりだ。
確かに私よりも知っていることは確かだろうが、そう思うと面白くない気持ちにもなる。
「では彼らは何を崇拝しているんだ」
私の問いには答えず、補佐官は目を伏せて静かに首を振る。
それっきりこの話は途切れてしまった。
また月日は流れる。
私たちにはあまり変化のない日々が、この星の人間にとっては激動の日々が訪れた。
どうやらこの星の人間は私たちと比べて寿命が非常に短いようである。
その代わり、その限りある命を燃やし尽くすように彼らの成長は著しく早かった。
棒や鋤を握りしめていた彼らの手には、代わって剣や銃が握られるようになった。
近隣の小競り合いですんでいた彼らの争いは、海を挟み星の広範囲にわたって行われるようになってしまった。
人々は戦のための船を作り、次々と海を渡る。飛行機を生み出して人と地上を壊し、燃やし尽くしていく。それに対抗して次々新たな武器が生産される。
その原料の鉱石はこの星から削り取るのだ。木が伐採され、動物は森から追い立てられる。緑に覆われた地表はたちまち石榑に覆われた荒れ野と化していった。
地上には怨嗟と爆音が満ち、私は耳を塞ぎたくなった。
元は美しかったこの星が、砂と瓦礫にまみれて見るも無惨な事になっていた。
お前らを許さないと耳に届く声は、兵士に蹂躙を受ける人間のうめき声であり、呪詛に塗れた咆哮である。
だが、私にはそれはこの星の発する苦しみの声としか聞こえなかった。
遙か上空からこの星を眺めれば、海は汚され濁った色に成り果てている。緑ははがされて、地表は無残な赤肌をさらしていた。その上には様々な建築物が屹立していたが、争いによって半分は倒壊し、子供が玩具を散らかしたような無様な様子である。
私の目から涙がこぼれ落ちた。
私が愛し、慈しんだこの星はこの星の住人に踏みにじられ、犯され続けている。
奴らにそんな権利があるのか?
――少なくとも、私は認めない。
この星は私が育み、見守ってきたもの。
人間どもに、それを汚す権利などあるものか。
私は執務室に行き、それに手を伸ばした。
この星の管理を任された時に、長に与えられたもの。
その用途を教えられた時は驚愕し、よもや使うこともあるまいと部屋の片隅に放置してあったもの。
それを起動する際に偶然前任者の日誌が腕に触れ、古びたそれから幾枚かの頁がこぼれ出た。
『太陽が地上に現れたころ、ロトはゾアルについた。そのとき私はソドムとゴモラの上に、天から硫黄の火を降らせた。そして、これらの町々と低地一帯、ならびに町の住人、地の草木をことごとく滅ぼした――』
目に入った日誌の言葉に、私の顔はゆがんだ。笑ったつもりだったが、きっと笑顔には見えないに違いない。
「今なら、君と話が合うだろうよ前任者――」
ソドムとゴモラと名付けられた土地がどのような場所であったのか知るよしもないが、この時の前任者はきっと今の私と同じような気持ちだっただろう。
私はそれを、起動させた。
降り注ぐ火の雨――いや、炎の矢というべきものを、補佐官はまばたきもせずに見つめていた。
地上では人々が叫び、のたうち回っている。
言語の違いはあれど、一様に発する言葉はみな同じだ。
「神よ、お許しを!! 我らをお助けください!!」
「火をおつかわしになるたった一人の神よ! お怒りをお鎮めください!!」
「神よ! 貴方を信じる私たちになぜこのような真似をなさるのですか!?」
業火に赤々と照り輝く人々の表情は、仮面を貼り付けたように奇妙に似通っていた。
悲憤と驚愕。
同じものを信じていた者が受けた驚きと悲しみは、またそれも同じであったのだろうか。
この世界のあらゆる場所で叫ばれていた悲痛な嘆願と祈りはやがて聞こえなくなっていった。
地上を燃やし尽くした火は静まり、建物の頽れる音も、もうすることはない。
補佐官はその様子をすべて目をそらすことなく見続けていた。
その後執務室へ上る途中で、彼は荒廃した地上に目を落とした。
文明の残骸が、星の至る所で朽ちた姿をさらけ出している。
彼にとっては何度も見た光景。
その回数は彼の上司の死体を見た回数と同じであった。
補佐官は手についた後任者の体液をぬぐう。
そうして、赤という色はやはり好きになれませんね、とつぶやいた。
それに応じるように補佐官の背後から老人の声が発せられた。
「美しいこの星と貪欲な人間というありようでは、やはり幾度やっても同じことかのう」
補佐官は、淡々と言葉を返す。
「今度の方も熱心に管理をして頂いていたのですが、やはり同じ道をたどってしまわれました」
そうか、と長はため息をつく。
「いっそ、この仕組みをなくしてしまったほうが良いのではないか?」
「そう試みたこともあるのですが、やはり管理をしてくれる方という刺激があった方が『私』は飛躍的に発展するのです。『彼』は人間にとっての抑止力にも成長の源にもなりますから」
「……争いの火種になることもあるがな」
静かに長を見返す彼の目は、海のような青、森のような緑。
まるでそれはこの星のような。
「では、今度はもっと機械的、事務的に仕事をできる奴で試してみよう。『お前』に何の思い入れもしないような奴を……」
長の言葉は言い終わられぬまま宙に溶けていった。同時にその姿も霞のようにかき消える。
「最後まで、その姿勢を全うできる方であればよろしいのですが」
補佐官は口の中でこうつぶやき、背に生える白い翼を震わせた。
今までの何人もの管理者の日誌が机の上、そして壁に作り付けられた棚を一面に埋め尽くしている。
前任者達の書き記した膨大な数の日誌に取り巻かれた部屋の中で、補佐官は静かに目を閉じていった。
「――実に、わたしたちの神は焼き尽くす火です」
創元SF短編賞落選作品です。一次通過の総評に、全体的にまとまってはいたけれどどこかで見たような小説が多かったとあったので、多分この話もそういう評価だったと思います。




