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それは、今より少しだけ遠い未来。

東京の犯罪率(特に少年犯罪)が急激に増した頃。

警視庁は、この事象に対応すべく、

青少年特殊取締班、通称「青特班」を設置。

少年は、この街に身を溶かす。

これは、どこにでもある普通の家庭の風景だ。

 眩い朝陽の差す明るいリビング、それを反射する、マグカップの中に入ったコーヒーを飲みこみながら、父は唐突に僕に訊いた。

「将暉……」

「何?父さん」

「お前、将来何になりたい?」

 僕は顎に右の親指をあて、少し考えこんだ。

 迷うことなどない。僕が選ぶのは一つだけだ。

「父さんみたいなジャーナリストになるよ。それで、平和な社会になったら……」

 父の背中に憧れた。父の背中を追い続けた。僕は、そのために生きてきた。

「……っ…」

 しかし父は眉をしかめ、少しだけ申し訳なさそうな表情になった。

 迷い、悩み、色んな思いがあふれ出そうな、今にも泣きそうな顔で。

 父は重い口を開き、僕を突き放した。

「……やめておけ」

「え……なんで?」

「……もう、今までお前が見てきた世界じゃない」

「父さんは、『言葉でなく行動で示す』……その信念を大事にしてきた筈だ」

「ああ。だがそんなことは出来ない。俺はもう、お前の顔を見れないんだ」

 ……え?

「待ってよ。なんだよそれ。どういう意味で……」

「……しばらく、忙しくなる」

 そう言って父は飲み干したマグカップを洗い終わり、いつの間に荷造りを済ませた大きなバックパックを背負って、足早に玄関に向かう。  

 嫌な予感がした。背筋がサーッと凍るような、そんな感覚だ。

「父さん、」

「ん?」

 まさか、と最悪の事態が脳裏を過る。 

「絶対、帰ってきてよ。母さん、心配してる」

「……!」

 僕が何を言っても父の意思は揺るがない。しかし、それが愛しき母のこととなれば別だろう。

 それ故かどうかは知らないが、父は。

「ああ!なるべく早めに帰る……!」

 なんて臭いセリフを吐いて、その場を後にした。

 それが彼との最後の会話だ。

 父との会話をすることは、それ以来なかった。

 もちろん警察に届けを出したが、相変わらず糸口は掴めない。

 1年後、母が倒れて、入院生活になった。

 入院費もバカにならない。

 使える時間を全てつぎ込んで、金を稼いだ。

 でも足りない。家を売った。

 今住んでるのは河川敷の下。僕の城は段ボール。

 かれこれ6年ぐらいの月日が経った。一日の食料はガムだけ。満足に眠れる日も珍しい。

 腕も肩も脚もクタクタだ。そんな調子で駅前商店街を歩いていたときのことだ。

 ある男からこんな情報をもらった。真っ黒な恰好のどう見ても怪しい奴から。









「お前の目的を叶えられるかもしれない方法がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世の中には、悪意や正義というものが存在する。

 悪意は 人間にとって有害な諸事情、又その原因。

 正義は、それぞれの人間の中にある規律。

 さて、人は最終的に何を求める?

 それがわかるのは満足に死ねるとき。

 その思いに正義はなく、

 そこに悪意もなく、

 残るものは何だろうか。


 4月3日14時

 桜は舞い、空は晴れ渡っている。春。それは出会いと別れの季節と呼ばれる。ある者は大切

な仲間たちと別れ、ある者はまた新たなモノに出会う。僕は後者。

 僕は今、黒いジャケットに白シャツ、赤いネクタイを締め、白いコートをその上に羽織った格好で、警視庁の小さい部屋の扉の前にいる。このコートは警視庁支給のこの部署の特注品で、サイズは身長170センチの自分にぴったり。着心地はよく、少し暖かい位だ。

 本日より、僕は高校生でありながら、警視庁公安部の特殊部隊、青少年特殊取締班、通称「青特せいとく班」に配属されることになった。任務の内容は命の保障なしということしか僕には知らされていない。ただ、今年は僕一人だけが合格した。


 つまり、公安警察官になる、ということになる。

 本来、高校生が警察官になることはできないが、ここは例外中の例外だ。

 基本的には高卒程度以上の人間が試験に合格し警察学校を卒業してからまず交番に配属、というのが、一般人が警察官になるまでの流れだ。しかし、青特班の場合……日本随一の公立進学校である都立千代田高校の入試にて上位3位以内の成績で合格した後に、試験関係者に声をかけられ、そこで抜き打ちで新たなテストを受ける。テストの内容は法律に関するものが多いが、実技問題も存在する。そしてそのテストの成績で9割を超えた者のみ、採用される。テストの内容は東大生でも正解者が稀有と言われるほど難関である。そのため合格者は今年までの3年間で2人。毎年、1人合格者が出るか、出ないかといった塩梅なのだ。

 何事においても、人生の大きなイベントが始まるときというのは、異様な雰囲気が漂う。

 もちろん、今のこの状況も例外ではない。

 試験前の静けさが妙に不気味に感じるように、

 この青特班の執務室のドア前の空気はどんよりと重い。

 ここに来て、決まっていたはずの覚悟が、揺らぎ始めていた。

 近いうちに命を失うかも知れない恐怖と、ほんの少し、父の手がかりが見つかるかも知れないという期待。あのノートを完成させるためにここに入る使命感。

 様々な思いが絡み合う自分の弱音をぶち殺すように、

 ゴクリと唾を飲み込む。

 ここから先はもう、後戻りはできない……

 そう思い込んでドアノブに手をかけ、キィときしむ音を鳴らして扉を開ける。

 なんてことない、10畳半ほどの小さい部屋。そこに3台のデスクと椅子、本棚に整然と並べられた書類がある。それらに踏まれている床はグレータイル一色。特に飾りもない、薄暗い空間。

 そこにいたのは……誠実で優秀な……

 否……

 白い物体が床に倒れていた。

 いや、物体ではないだろう。僕らと同じ生物の一種のはずだ。人型に見える。僕と同じ白い特注コートを羽織って、大の字にうつぶせになっている。しかしなんでこんな状況にな

っているんだ。

 さすがに 僕は固まった。先ほどの緊張感が薄れるほどに。

 静寂。ほかに誰もいない。こわごわ、話しかけてみた。

「あの……本日より配ぞ……」

 床にこもった声が聞こえる

「クーポン……」

「え?」

直後、泣き声が響く。男性の声だった。

「クーポンなくしたああああああ」

「うわっ」

 急に大声を出し、嗚咽を漏らすので僕はよろめく。何を見せられているんだろうか。風邪をひいている時の悪夢か?

「すみません」

「うわぁあああああああ」

 一段と大きな声で泣く男性。あの、僕は公安の組織に配属されてるんですよね?

 あまりに唐突なので、僕はさらに後ろによろめく。

「あのぉう……」

「ああああああああ」

 ずっと

 泣くし、めちゃくちゃうるさい。

 もちろんこのままにしておけば僕の鼓膜が壊れるので、さすがに大きめに声をかけた。

「あのー!すみません!」

「何?」

 呼びかけると同時にそれまで何事もなかったかのようにスッと起き上がり僕の方に振り向く。不気味だ……急に人が変わったみたいに見える……

「本日より 配属となりました鈴木将暉です……」

 彼は笑顔で応対する。

「お~君が噂の新人君かい」

「……え?あ、はい」

「僕は高屋大志たかやたいし。青特班班長だ」

「どうもよろしくお願いします、班長」

自分の上司にあたる人物と、簡単な会釈をかわす。

「こちらこそ」

 先ほどとはまるで別人。温和で、落ち着く雰囲気だ。僕より一回り大きいくらいだろうか、

少し体格は大きく、とはいえデブってわけでもなく警察に相応しい引き締まった体つき。服

装は黒スーツに青ネクタイ。それを包む足首まで伸びた白のロングコートとグレーのハットを被っている。そのハットから覗く青い髪。見た感じ、僕より1つ年上くらいだろう。

少し気になっていた先ほどのクーポンの件について尋ねる。

「あのぅ、さっきのクーポンって」

「ああ、あれ?行きつけのラーメン店の500円引きのやつ」

「え?あぁ……」

 先ほどまでにあんなに赤子のように泣いていたのが嘘のように明快な声で話している。

「最近暑いよね。フツーに30度行くぐらいだし。昨日なんて僕新宿でアイス買ったんだけ

ど、すぐに出動かかっちゃってさ」

 アイス?ラーメンじゃないのか?

「それはきついですね」

「食いながら行くわけにもいかないから、近くの人にあげちゃった」

「え?あげたって……まさかタダで」

「うん。で任務終わって、寮に帰っている途中でさ、よく行ってる喫茶店の店長がさ、500円

分クーポンくれたんだよ。そんで舞い上がって寮に帰ってみたらポケットもカバンもどこを

見てもなくてよ。そんで 今日朝出勤してみてもこの部屋にないし」

続きを言いかけたところで、着信音が鳴る。班長のスマホだ。

「はい。こちら青特班。はい。はい。東京駅で。了解しました……」

簡単な問答を繰り返した後、電話を切り、班長は僕に指示を出す。

「早速だが仕事だ。東京駅の地下街で誘拐事件が起きた」

それから班長は、部屋の重いドアを開ける。  

「事件。行くぞ」

「はい」

 班長の後に続いて、部屋を出て、エレベーターで下に降り、外に出る。そこには1台の覆面パトカーと、僕らと同じようなスーツと黒いコート着た刑事が立っていた。凛とした目つきをしており、僕らより一回り大きい。年齢は20代後半に見える。

班長が刑事と軽い挨拶を交わす。

「おはようございます。幡西はたにし警部。こいつ今日から配属の鈴木です。鈴木くん、この人 幡西警部っていう。これからめちゃくちゃ世話になるから挨拶しちゃって」

「初めまして。鈴木将暉と申します。千代田高校から来ました。今後 色々と世話になりま

す」

「……」

なぜか幡西警部は黙ったままだ。威圧感さえ感じる。20後半で警部というのは結構早い出世と聞いたことはあるので、彼が重ねてきたこれまでの功績がとても大きいものということだろうし、威圧感というのは彼の経験の賜物なのだろう。

「それじゃあ追跡お願いします」

班長がそう言うと幡西警部は少しだけ頷き、後部ドアを示して僕らに乗るよう促した。そして3秒後、車はすぐにパトランプをつけて走り出した。[ゲユ1]

 班長はポケットからスマホを取り出し、この事案の説明を行う。

「東京駅のクレープ屋から2人の女子高生が失踪した。特徴は白髪のポニーテールと茶髪のロング。2人とも2週間前からバイト入っていて、バイト終わりに更衣室に入った後、姿を消した、と」

「班長、犯人の車の在処はわかってるんですか?」

「だいじょぶだいじょぶGPSつけといたから」

 班長は悠長に話してるが、いつそんなことをやる暇があったのだろうか。

 幡西警部は慣れた手つきでカーナビを操作し、地図を表示する。但し、普通の地図とは違う

点が一つ。その地図には、大井町付近の湾岸道に赤い点、我々の車の現在位置を示す青い点が表示されている。今我々が最も欲している情報は犯人の現在地。恐らく、赤い点がそれであろう。しかしそうなると一つ矛盾点が生じる。どうやって犯人の位置を掴んだのだろうか。

 現時点で ナンバープレートがわからなければ、車の位置を特定するなんてことができない。もちろん、犯人がETCを使えば、犯人が使っているカード情報から位置情報が割り出せる。しかし、今のところその犯人の車の特徴すらわからない。このような状況では本来出動なんてできないはずだ。証拠不十分。そのような状況の中でなぜか僕が乗っているパトカーは逮捕に動き出している。それも相手の位置がどこにいるか分かった状態で。どうなっているんだ青特班ここの体制は……。なんて解きようもない疑問を抱き続けていたが、今は任務だ。そんな暇はない。

「鈴木くん」

 隣の席に座る班長に、声をかけられる。しかし、先ほどの執務室にいた時とは違い、

眉間にしわを寄せ、冷たく、氷のような表情になっていた。

「1つだけ言っておくけど」

 この次に出る言葉は、今後の僕の人生に大きな影響を与えることになる。

「犯罪者は人間ではなく化け物と考えておくれ。奴等に人権はない」

「はぁ!?」

 反射的に反論してしまった。先ほどまで温和な様子だったあの班長の口から出る言葉とは思

えなかったから。少なくとも、僕よりも長く青特班にいる班長が、犯罪者の人権を否定した。この国では、何人も人権はあるとされている。人権を侵害することはできない。そう、日本

国憲法には載っていた。しかし、今この隣にいる人間からこのような言葉が出た。僕は前部座

席上部の幡西警部の表情を見られるミラーを見た。救いを求めるように。しかし、幡西警部は

反論どころか、反応するような素振りさえ見せていなかった。これ、公安では共通認識なのだ

ろうか?だとしたら、僕がおかしいのか?

 班長の口調は静かだったが、刃向かったら絶対に殺されるかと思うぐらいの迫力だった。 しかし、そのすぐ後に班長は不思議そうな顔で、

「何か言った?」

と、元の温和な雰囲気に戻り、僕に訊いた。

「いや……何も……」

 スイッチが切り替わるように性格の温度差が激しい……人間じゃないみたいだ。

 そして僕らを乗せた覆面パトカーは首都高湾岸線に入り、風のように疾走していく。右には、

高層ビルが立ち並び、都会らしい閉鎖感がある。カーナビによると、犯人の車はもう少しで羽

田空港に着こうかというところである。一方、現在僕らの車はまだ東海ジャンクションにいる。

「やっぱ空港か。この方向だとプライベートジェットの方かな。じゃ、こっちもちょっと準備をしようかね」

「何するんですか?」

「管制塔にいる奴に電話」

 班長は素早くスマホに電話番号を入力し、電話をかけた。

「どうもどうも。ちょっといいかな」

 話を切り出した後、班長は急に電話をスピーカーモードにした。もちろ

ん、僕らは黙らなければいけない。そして相手の高い声が聞こえてくる。

『一体、何の話ですか?』

「いやー、あなた方、もしかしてやってたりします?」

『何を?』

「何って決まってるじゃないですかぁ……

人身売買ですよ。人身売買」

『な、何言って……』

 管制塔職員は国家公務員だ。まさか人身売買組織の一員なのか……。

「確かアンタら、結構でかいグループだったよな。年商400億円でその内訳8割は人身売買、麻薬で儲けた金」

『勝手に戯言抜かすんじゃねーぞ……何もんだ。てめえ』

「警察だ。まぁ、ちょっと取引しない」

『は、はぁ』

「今さ、君らの商品載せた車追ってるんだよ」

『運び屋を人質にするのか?ンなもん大したことない』

「それもあるけど、僕らのカードはまだ手に余るほどあるんだ」

『………はぁ!?』

「まず君の個人情報と、経歴、あとこうやって僕と話すまでの経緯と、他の奴のは大前提として、あとは君らの大事な商品、これバラされたくなかったら、全力で止めてみな」

『は、はは。何を言い出すかと思えば、ハッタリにも程があるんじゃねえのか』

 なんて言ってはいるが、相手も焦っているのか、声が少し上ずっている。

「そ、じゃあ第一波―」

『お、おい』

 班長は手元のスマホを勢いよくタップした。

 直後、車内の3つのスマホからピロンと通知音が鳴り響く。

 僕は自分のスマホを確認し、通知を開く。そこには、ネットニュースの記事が一つ。

 見出しは『衝撃 恐るべき人身売買』。

 それは、この事件に関することが事細かく書かれた記事だった。内容は、まだ事件が解決もしてないはずなのに、被害者のインタビュー、誘拐の手口、ルート、犯人の名前一覧など、やけに具体的なものだった。無論、犯人達を揺さぶる交渉材料としては十分すぎるものだ。しかし、余りにも卑劣、とも言えるかもしれない。

『あ、ああ、ぁぁああああああ』

「ははははははははははははははははは」

 電話相手の悲痛な声が、車の中に響いていく。その声を聴きながら、班長はピエロのように無機質な笑顔を浮かべていた。少し引いてしまう。この人、犯罪者より怖いかもしれない。

「じゃ、あとはがんばって」

 捨てセリフを吐いて通話を切った班長はハァーっとため息をつく。

 眉間にシワを刻み、目つきを鋭くして口を開ける。

「鈴木くん、どうやらあっちもグルみたいだね」

「みたいですけど」

「今電話かけたのは管制塔担当の奴だ。で、こんなもんだから、全力で止めに来るよ」

「じゃあ、対多人数なら増員は必要ですよね。応援を」

「それもやるけど、今は一刻を争う状況だ。そんな悠長にはしてられない」

 確かに武器を今から調達する時間もない。東京空港警察署から応援を呼ぼうにも時間はかかる。カーナビの赤い丸はもう既に羽田に着いているし、我々の車はようやくインターチェンジを出たところだ。我々との車間距離は数百メートル。前方左側にプライベートジェット専用ゲートが見えてくる。犯人の車はもう中に入ったとみられ、金属のフェンスが閉められていくところだ。

「じゃあ、どうするんですか?」

「今我々が乗ってるものだよ」

「……は…?」

 班長は全く理解できないようなことを言っている。開いた口が塞がらない。しかし、「乗ってるもの」ということは……

「あなたまさか」

 次の瞬間、班長はとんでもないことを発言する。

「このまま突っ込むぞ!伏せろおお!」

 班長がそう言った瞬間、モーター音が高鳴るのと同時にものすごい勢いで後ろに引っ張られ

る感覚を覚える。そしてその直後に腰を前に倒して腕で頭を守る姿勢をとる。

「あんた何やってんすかあああああ?」

 困惑して叫んでしまった。運転席の幡西警部は上半身をかがめながら無表情でハンドルを握っている。一瞬僕の視界に映る速度計は120キロを指していた。

伏せたとき、どうしても気になったのでチラッとフロントガラスを見る。そこには、数人の警備員がいた。全員制服を着ており、一見普通の警備員に見える。が、明らかにおかしい点が一点。すでに銃を構えており、やはり普通の警備員ではないということを思い知らされる。警備員のうち1人しが手を挙げ、警備員たちが一斉に引き金を引く。しかしそんなのお構いなしと言わんばかりに、僕らを乗せた車は銃撃を浴びながらとんでもないスピードで前方左側のゲートに向かっていく。この速度で左折! 唸るモーターの音に恐怖を感じながら、僕の体は車の右側に押し付けられ、直後にドーンと前に引っ張られる衝撃を受ける。ガラスの割れる激しい音。ゲートを強行突破したのだ。幸いにも、フェンスで作られたゲートなので、車の走行機器に損傷が発生することはなかっただろうが、ガラスはほぼ全部割れて、車体は歪みに歪みまくっている。こんな危機状態、今まで経験したことがない。

 なんとか走り抜け、ある程度距離を離したところで幡西警部がブレーキをかけ、ドアを開けて外に出る。

 班長が額の汗を拭いながら言う。う

「し、死ぬかと思った―……」

「発案者はあなたですよね?」

「まぁそうだけどさ。それより、ほら、本命だ」

 目の前には犯人たちが所有しているであろう小型のプライベートジェット、そしてその前に僕たちが追っていたであろう黒いワゴン車、スーツケースを持った金髪で筋肉質の体にタンクトップを着た男とおそらくこの車を運転していた黒髪黒スーツの細身の男がいた。二人とも僕よりは年上に見える。

「事情は知っている。そのスーツケース渡してもらおうか。これでも我々、警察でね」

 班長は警察手帳を見せる。僕も釣られるように警察手帳をポケットから出す。

「……………」

 男たちは黙り込んでいる。というよりは、怯えている、と言ったほうが正しいだろう。しか

し目線は僕らの方を向いておらず、ずっと地面を見つめていた。

 班長が言う。

「悪いんだけどさ。僕らも結構急いでいてね。君たちが何の動機があってこんな行為に及んだのかは知らないけど…………身代金目的かなぁ……とっととそのスーツケース、渡してくれない?5秒以内に回答して。さもないと押収するよ。ついでに君らも拘束」

 班長が少し脅しをかけたことによって、ようやく、筋肉質は口を割った。

「渡してもいいがいくらか 質問させてくれ」

「ちょ、何言ってんすか先輩」 

 細身の男が口を開く。どうやら筋肉質と細身は先輩と後輩の関係のようだ。

「いいだろう。いくらでも答えよう」

 班長が答える。

「お前たち、年齢はいくつだ」

「23」

 班長は僕より一つ上ぐらいだと思う。もっと若いのでは。まあハッタリか。

「なんでこんなことをしている」

「仕事」

「一体何者だ」

「ただの人間です」

「最後に一つ」

 しかし筋肉質から放たれたのは言葉ではなく、銃弾だった。間一髪で班長が体を反らし、よける。一瞬も慌てずに。ただ、筋肉質は震える手で銃口をこちらに向けたまま。

「なに?早く言いなよ」

「俺の仲間をさらしやがって……なんでだ……なんでだ?俺たちはみな、弱いのに?」

「「スゥ――――ッ、なんでなのか?言う訳ないよ。それに本当に弱い人はソレ、持ってないんだよ」

 班長はスーツケースの方を右の人差指で指し、少しだけ顎を上げ、あざけるように笑った。

「そうか、それがお前の遺言だ」

「どの口が」

 班長の戦いが始まる。しかし班長は丸腰である。こちらが圧倒的に不利。相手より

我々の方が体格も小さい。

 筋肉質は正確に班長を狙って拳銃から弾を撃つ。班長はなんとかそれをよけきり、犯人

の元に向かっていく。接近戦に持ち込む気だろうか。この状況でそれは自殺行為だ。

 しかし、そんな僕の予想を簡単に裏切り、班長はなんと犯人の銃を掴んだのだ。無傷で。

とはいえ犯人の力は強い。班長に銃を渡すまいと必死に抵抗する犯人と何としてでもつかみ続けようとする班長。力の差は歴然だ。両者顔を強張らせている。 両者が銃を絶対に離さんと言わんばかりに引っ張り合っているような体制になってきた。

 しかし 一瞬班長の顔が不敵な笑みに変わった。直後、一気に力を抜き、犯人の銃を手放し

た。そして犯人の腹に蹴りを入れる。

「ぬぉ……」

 筋肉質はそれまで必死に銃を引っ張っていたので、とんでもないスピードで吹っ飛ばされる。その隙に倒れた筋肉質の上に乗り、取り押さえる。そしてスーツケースの方を指差し、

「なにやってる!今だ!行け!」

と僕に指示を出す。

「は、はい!」

 僕は言われるがままに、飛行機の荷物室へ恐怖で動かない脚を無理やり速く動かして、駆け

出す。しかし、それを阻む一つの人影。黒スーツの細身の男だ。彼は緊張のせいか、余裕のない焦燥感に満ちた表情で、こちらに凄んだ。

「ここを……通すわけには……いかないなぁ……!」

 細身は汗びっしょりの状態だった。顔は歪み、足は内股になっている。これが罪を犯す覚

悟ができた人間の姿とは思えない。それが僕の脳に不気味な違和感を与えていく。

 そして細身は懐から弾丸を三発弾く……が、そのときには、すでに僕は、細身の目と鼻の先にいた。細身は一歩も動いていない。僕の持ち味は、そのスピードにある。中学時代、陸上部の全国大会に出たことがあるほどには、脚力には自信があった。とは言え、動体視力が良いわけでは無いから、銃弾を全部避けきることができない。頬に一発、右肩に二発かすった。彼の銃を持っている腕を下に向け、引き金を引く。ダダダダ……と、銃を地面に向かって撃ち、中身を空にする。細身は此方に右足でキックを仕掛けようとする。が、それより先に僕が細身の左足の後ろに自分の左足を引っ掛け、彼の顎を持ち、そのまま後ろ側に倒す。そ

して仰向けの押し倒した細身の上に馬乗りになる。後は彼の顔面に一発やれば……

 僕は右手の拳を、まっすぐに繰り出す。いや、繰り出そうとした。

 しかし、なぜか動けない。下半身を確認してみたが、膝を撃たれてはいない。

 細身は僕に対して体を震わせ、今にも泣きそうな顔をしている。

 この顔を殴れない。どうしても。

 僕は、情けをかけているのか?

『犯罪者は化け物と考えておくれ』

 目の前の人間は、犯罪者。人間なんかじゃない。化け物。そう思うべきだ。

 いや、でも人間だ。感情がある。

 ガシャッと、何か音が聞こえる。そんなことはどうでもいい。僕の任務はこいつを抑えること。今意識するのはそのことだけ。拳を目一杯振り上げる。

「たす……け……て」

「えっ」

「まずい!鈴木君、よけろーーっ!」

 咄嗟に我に戻る。班長のかなり大きいかけ声が聞こえた。

 バンッ!

 瞬間、羽田空港のプライベートジェットエリアに、銃声が響く。

 そして、僕の脇腹から、赤い液体が溢れる。じわ……じわと。

 完全には避けきれなかったが、致命傷は防いだか‥しかし二丁持っていたとは。

 細身は一瞬僕が避けた隙をついて、体を起こし、この場から一目散に逃げようとする。幸い、弾丸は僕の右脇腹をかすっただけだった。出血量は多くなく、すぐに死に至る事はないだろう。一瞬、早くこの痛みから解放されたいという欲望が脳を支配したが、そんなものはすぐに捨て去った。父さんを見つけるためなら、こんな痛みは静電気程度だ。

「おい、どこに行く!」

 僕はそう叫び、出血した部分を右手で抑えながら、細身の方向を目指して走る。

 細身は小さく舌打ちをして、三発、僕の頭をめがけて発砲した。僕は腰をかがめ、避け切る。僕は細身の背中をめがけて、蹴りを入れようとするが、それよりも早く、細身は一発、僕の膝を狙う。しかし、落ち着いていないんだろう。こちらが避けずとも外れていた。細身の体も震えたままで体勢も安定しているとは言えない。そのためか、銃の狙いは完全に外れている。

 細身はまた発砲しようとする。だが、もう弾切れのようだ。カチッ、と頼りない音しか鳴

らないその拳銃を、彼は焦りながらずっと見つめている。今が仕掛け時。そう感じるより、足が先に動いていた。足を進めるスピードは徐々に早くなっていく。僕が近づけば近づくほど、細身の顔は、ますます冷や汗でぐちゃぐちゃになっていく。さっきは情けをかけたからああなった。でももうそんなものは要らない。目の前にいるのは化物。今止めなきゃ殺される。そのことを脳に叩き込ませていく。余計な感情は全て海に捨てた。

 あと一歩というところで、細身はこちらに気付きポケットからナイフを取り出して右手に取り、こちらに向け、突進する。

 「う、ぅおおおおおぉおおおおお……!」

 だが、そんなものは訓練で対策済みだ。一旦腰をかがめ、サッカーのスライディングキッ

クのようにすぐに後ろに回り込み、髪の毛をつかんで、細身の右足を払い、細身が向か

ってくる方向と逆に仰向けに倒す。

右手首を2、3回チョップし、ナイフを持つ力が弱まってところで、ナイフを奪った。左腕に

つけている腕時計を確認し、彼の両腕に手錠をかける。

「4月3日14時19分、確保」

 僕はついに、初めて被疑者を確保した。これでこれ以上、この人間による被害は出ない。

 その事実だけでも、僕自身を安心させることができた。少しだけ、ほっと息を吐く。

 しかし、安堵したのも束の間だった。

 遠くから、つい先ほど時速120キロの窓から見たものと同じものが、わらわらと近づいてくる。

 こちらに銃を向けた警備員たちが、すごい勢いで迫っていく。

 既に臨戦態勢。ゴミでも見るかのような目で、こちらを睨みつけている。ここで犯人たちを離すわけにはいかない。が、逃げなければ僕らの方がやられる。

 僕は班長の方を見る。班長は、既に筋肉質の両腕に手錠をかけており、こちらに気づいたの

か右目を閉じてウィンクしていた。大丈夫。と諭すように。最も、こちらとしては不安でしか

ないのだが。

 人数は、、、10、20……50……人数が多すぎる……

 あ、そういや幡西警部は……応援……呼んでる……間に合え……僕のから

 がしっ

 首元が……痛い。

「よくも俺たちの情報を晒してくれたな……ここで死んで詫びろ!」

 警備員の一人が、僕の首を右手で強く絞めていた。

「………あ…………が……」

 何も……話せない……

 だんだん、視界が暗くなってくる。

 少し、

 少しだけ、僕は

 泣きそうだった。

 父さんから託されたノートを、漸く本格的に書けそうだったのに。

 もう一度、父さんに会いたかったのに。

「あの世で土下座しろ」

 額に冷たく、硬い感触を感じる。銃口を当てられているのだろう。

 こんなんで、終わりたくはない……

 まだ死ぬときじゃない……

「う、うわぁぁあああああああ」

 火事場の馬鹿力ってやつなのだろう。右脚が勢いよく空を蹴る。

 脚にはしっかりと鈍い衝撃が走った。

「ッ……痛ってぇな……」

 警備員がうろたえたそのとき

 バァァァァン……

「なんだ?」

 大きな銃声が僕の諦観と、僕の額に当てられた拳銃を撃ち飛ばした。

 直後、僕を中心として半径10m以内がどよめくのが感じられた。

「う、ううわぁぁぁぁぁ」

 首を圧迫していた力が、突然弱まった。

 暗かった視界が開け、だんだん辺りの景色が見えてくる。

 僕の首を絞めていた警備員は、その場にぐったりと倒れこんでいた。

 絶えず鳴りやまぬ銃声と呼応するように、悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 その銃声の方向には、

 白い影が。

 周りの警備員達を次々と、抵抗する猶予すら与えずに倒していた。

帽子をかぶっていないから班長ではない。誰だ?

女……?

 ただ一つ、その影は悠然と、警備員たちに迫っていく。その白銀の髪を激しく揺らしながら。

 とどまることなく、一切無駄のない動きで。

 彼女によって息をする間もなく

 圧倒的な速さで、その影は縦横無尽に動き回り、僕の周りの人間を一瞬で倒していった。

 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……

 警察の象徴である、あのけたたましくも勇ましいサイレンが聞こえてくる。見た感じ、3台、いや10台ぐらいいるだろうか。中には輸送車もいる。

 幡西警部が応援を呼んでたやつだ。良かった。間に合った。

 その音は、どんどんどんどん大きくなっていく。

 警備員たちが慌てて避ける。

 不規則に停車したワンボックスカーから、我々の同士が出てくる。

 重武装をした屈強な機動隊だ。すぐにシールドを構え、警備員を包囲する。

 10分が5秒に感じられる位に、あっという間だった。

 

 幡西警部が犯人たちを覆面パトカーの中に入れ、2人は本部へ連行された。

 もちろん、グルだった警備員も一緒に。

 その様子を見て、僕は何とか自分の初仕事を遂行できたことに、安心していた。

 安心し、そして


 気付けば、僕は行きに乗った覆面パトカーとは別の車の中にいた。

「お、起きたか」

「あれ、僕は……そうだ、応援が来て、全員引っ張って……それで……」

「あー、被害者の方は無事救出出来たよ。暴行もされてない。しっかし、このスーツは本っ当に頑丈だなぁ。さっすが特注品だ。並の服装じゃ君は今頃あの世行きだ」

 班長は出動前のように、明るく朗らかな口調に戻っていた。

「しっかし、良かったよ軽傷で済んで」

「班長」

「なんだ?」

「彼らは確かにとんでもない犯罪者です」

「ああ」 

「でも、何か恐ろしいものにおびえているような表情をしていました。もしかしたら何か脅

されていたのかもしれません。彼らをなんとか、救ってやれなかったんでしょうか」

 それを聞いて、班長の朗らかな雰囲気が消える。少しだけ黙り込んだ後、班長は重い口を開いた。

「確かに彼らは脅されてやっただけかもしれない。しかし、脅されていようが、彼らが犯した罪は変わらない。被害者側からすれば、加害者が脅されていたから仕方ないなんて事情、許すわけがないんだ。恋人や家族が目の前で強姦されて醜い姿になってそのナリでわざとじゃないんですって言い訳しても許されるわけない。だから、彼らには裁かれてもらう。この国に生きる限り、国の法に従わないものは、手を煩わせるだけで邪魔だからな。面倒事は、楽に早く終わらせる、というのが、この国のあり方だ。原因から探ると、場合によっちゃ調査に10年以上かかることもある。なにより……ああいうやつは、近所にいてほしくない」

 最初に会ったときのような陽気な雰囲気は全くない。情などない、抑揚のない、ロボットの

ような口調で話す班長。この時、僕はこの言葉の意味がよくわからなかった。ただ、彼の中か

ら何かどす黒いオーラのようなものを感じていた。

「そうですよね……」

「ところで、結果的に逮捕できたのは良いものの……あの状況じゃ取り押さえてなきゃだから僕も動けないし、君も後手後手に回ってたろ……?最悪、死ぬよ?君の命は一つしかない。起こってからじゃ遅いんだ。基本は先手必勝。そうすりゃ作戦行動中は有利に動けるよ。」

 班長は、僕をまっすぐ見つめて、そう告げた。その眼は冷たく、鋭い。

「……はい、すみません」

 今まで生きてきた中で一番重くのしかかった言葉だ。

 僕は情けをかけ過ぎたあまり、行動が後手後手に回ってしまった。おかげで、一時的にとはいえ、目が見えなくなり、身動きが全くできない状態になったのだ。そんな奴が父親捜しなんて、出来る訳がない。至極当然の事実だ。

 「まぁでも今日は頑張ったな。今度ラーメンでも奢らせてくれ」

 「あなたクーポンないんじゃ」

 「あ」

 

 

 桜田門近くの病院で治療を受け、署に戻ってきた。

 包帯を巻いてガーゼを貼って、医師からは、3日ぐらいは休んでおけと言われた。おとなしく寮に帰っておきたいところだが、班長に、「申し訳ないが、治療後すぐに本部に来てくれ」

と指示されたので、嫌々ながらも誰1人いない青特班の部屋で椅子に背中を預け、少し仮眠しようと考え、胸ポケットからタオルを取り出し、目元に当てる。

 ふぅ。と一息つく。

 人生で初めて、犯罪者に会った。あの時反発していたことも今ならよくわかる。正直言って、どんなに相手が弱くても、怖いものは怖い。こんな人が誘拐したのだと信じたくはなかった。

 彼らは混乱して銃の狙いも定まっていなかった。ただ、本当に人を攫っていたし、僕を傷つけることも厭わなかった。一体、何が彼らを狂わせてしまったのだろうか……彼らの恐怖の対象というものは、どのようなものなのだろう。

 そうやって、今回の事件のことを回想していると、ドアが開いた。しかし、そこから出てき

たのは、僕の想定外の人物だ。絶句した。

「君が新人君?」

 透き通った、とても綺麗な声色。

 声の主は、僕らと同じ黒スーツに白コートを羽織った、美少女だった。白髪のポニーテールで、宝石のような青い瞳。思わず息を呑んでしまう、まるで西洋の国の姫のような容姿。しか

し、「白髪のポニーテール」というのは被害者の情報と一致する。僕らと同じ格好をした被害者……このコートは僕ら青特班にしか着ることが認められていない。これまで持っていた情報との明らかな矛盾に、僕は頭を悩ませる。

「あ、いやその……あなたは」

 そこに、班長がドアを開けてやってきた。

「白川、潜入お疲れだな」

「高屋、この人新人?」

白川と呼ばれた少女は、新種の虫を発見した子供のように班長に訊いた。

「彼は、鈴木将暉くん。今日から我々の新しい仲間だ。しかしすごいよ彼。初任務なのに1人で犯人を抑えちゃってさ」

「あの班長、今 潜入 って言いました?」

この言葉が引っかかったので、僕はすかさず班長に訊く。

「うん。実はあのスーツケースの中に入ってもらったのは彼女、白川咲耶さやなんだよ。犯人の位置がわかったのも、彼女のおかげ。2週間前にちょっとバイトに入ってもらった。あと応援が到着するまでギリギリつないでくれたのも彼女だ。あの男、かなり暴れていたから取り押さえるので精一杯だったしね」

「じゃああの時、僕のことを助けてくれたのは、白川さんですか。本っ当にありがとうございます」

 僕は深く頭を下げ、白川さんに感謝を伝えた。だが、白川さんは無表情のまま。

「いや、そんな大したことじゃないよ」

 彼女が潜入していたため、GPSで犯人の車の位置が容易にできたというわけだ。だとしても、まだ疑問がいくつか残る。

「なんでスーツケースの中に入ったんですか?」

「彼らの手口を把握するには被害者側になるのが手っ取り早い」

「酸素とかはどうしたんですか?」

「潜入前の一週間でプール行って耐える練習してた」

「いやそれでも無理あるんじゃ」

「結構息持つしスタンガンや睡眠薬程度は慣れ過ぎて10分で覚める」

「そもそもどうやってあの中から出」

「手」

「えぇ……」

 もはや尋常じゃない白川さんの能力に驚くばかりだ。

「それより鈴木くん。よくその程度の怪我で済んだね……」

 班長が少し怯えた様子で聞く。

「結構鍛えているんで少しかする程度に済みました」

「えぇ……何それ」

 班長はドン引き……と言わんばかりの形相をする。しかし、班長当人も弾丸を全て避けきるなど、超人的な能力を持っているのは僕もこの目で見たので、何を今更、と少々呆れるが。

 そんな中で、しばらく黙っていた白川さんがあっ、と何か思い出したように僕らに話す。

「そうだ。犯人の誘拐方法についてだけど」

「え?」

「クレープ屋の仕事終わってあがっていいって言われて更衣室で着替えていたけど、急にドアが開いて反撃する暇もなく、スタンガンでやられた。目覚めたのは君たちがドンパチやりあってる最中」 

「なるほど、誘拐方法は典型的ですね。でも意識がしばらくなかったってことは……」

 班長が補足して話す。

「白川に付けたGPS発信機には録音機能もついている。彼らの会話の内容もそれでわかるは

ずだ」

 班長がそう言い終わる前に白川さんは、左耳につけていたピアスを取り外し、班長に手渡す。

 ピアスを受け取った班長は、そこから豆粒のような大きさのカードを取り出し、それを自分のスマホのSIMカードと差し替え、そして録音した音声を流した。


「これで俺らは助かるん……だよな」

聞きなじみのある低い声。あの筋肉質の男の声だ。

「えぇ。ボスにはそう言われていますが」

しかし、次に流れてきたのを全く聞きなじみのない男の声だった。かなり低い声だが、加工

音声ではなさそうだ。

「任務が成功すれば、君たちが殺される事は無いです。君たちの安全は保障しましょう」

「でもよ」

「シャバの奴らが生きるために魚を捕えて食って、それをいただきますと

言うだけで免罪符にできるなら、獲物を捕えて生きる糧にしている俺たちが罪に問われるの

はおかしいですよね?何なら私らは、結構良い仕事したんですよ」

「……」

「言うなれば、ここは仕入先なんだ。俺たちがやってんのは漁業だぜ?なーんにも悪くな

い。キミたちはなーんにも悪くない。それじゃ、セーゼーがんばりな」

 その言葉を最後に、録音は途切れた。

 

 部屋の中は静寂に包まれる。

 初めて聞いた、とても低い声。あの2人が恐れていたこの事件の黒幕だろうか。しかしこの黒幕を特定する手がかりはこの特徴的な声のみに思われた。思われたと過去形で話しているのには訳がある。

 白川さんが重要な情報を話したからだ。

「これ、店長の声だ」

「え、店長って……あのクレープ店の?」

「うん」

 白川さんは平然と、衝撃的なことを言った。

「……ということは、」

 班長は眉間に皺を寄せ、下唇を噛んだ。

「店自体が誘拐中継所だった……というわけか」

「誘拐された子が働いていた店の店長。昔からバイトがすぐやめたり失踪したり、ていう噂はあったんだけど、証拠がなかったんだ。ただ、あのクレープ屋が構えるのは東京駅の地下。24時間厳戒態勢で警備されているし、外部から目立たずに誘拐なんて簡単にはできない。じゃあ、裏で細工をするしかない。そしたらビンゴ。やっぱり内部が黒かった」

 白川さんは淡々とその透き通った声で恐ろしいことを言う。班長はコクコクと頷き、その表

情は口角が下がっており、目線を白川さんにまっすぐ向けた。僕は恐る恐る、白川さんに訊く。

「となると、次は、そのクレープ屋を叩く、ってことですか?」

「いや、今優先すべきは、行方不明のバイトの子の捜査」

「え?いいんですか?関係した人物がそこにいるって分かってるのに‥」

 僕は疑問でしかなかった。なぜ犯人のいる場所まで特定できたのに、すぐに動こうとしない

のか……班長がため息交じりに答える。

「クレープ屋の店長が関わっているということが判明した今、あちらが何もしないと思う

か?さっきとは違って全力かつ計画的にやってくるぞ」

「でも……」

「じゃあこう言おう。もう逃げられている、ってことだ」

「……え?」

「これ見てみろ。さっき幡西警部から送られてきた」

 班長は、スマホの画面を見せる。

 その画面には東京駅のきらびやかな地下街が映されている。これから旅行に出かけるであろう家族連れ、お土産を選ぶサラリーマン……などなど、たくさんの人で混み合っている。一見、普通の駅の地下に見えるが、よく見ると一つの店のシャッターが閉められている。しかし、その店のシャッターのクレープ屋の名前が書かれた華やかなアルファベットの装飾のなかで雑にスプレーで白く塗られている部分があった。よく見ると、シャッターには張り紙が貼られている。

「この店って……」

「ああ。あのクレープ屋があった場所だ。綺麗さっぱりいなくなってやがる。あのニュース、一応通話相手と君たちにしか受信されないようにしたが、さては勘付いたな」

 班長は渋い顔を浮かべ、画面をスライドさせ、次の写真を見せる。さっきの張り紙の内容

だ。『誠に勝手ながら、諸般の事情により本日限りで閉店いたしました。長らくのご利用、

ありがとうございました』と手書きで書かれている。あまりにも丁寧な手際の良さに、僕は

目を丸くする。奴らは我々が来ることを察知していたのだろうか。その対策のために、ここまで徹底していたとは……

「さて、できることなら今すぐ捜査を始めたいところ……だが、鈴木くん、君は今日は帰って休んだほうが良いよ……今の君はしばらく活動できないだろうし、被害者のことは私たちで調べておくから」

「はい……そうさせて頂きます……今日は色々とお世話になりました」

「礼を言うのはまだ早いよ。死に際まで取っておいた方がいい」

 物騒なことを白川さんは平然と呟く。彼女はやっぱり、僕と見る世界が違う。

 これにて僕の捜査員人生はひとまず幕を開けた。

 ……持つものは、莫大な不安とほんの少しの期待。

 

 

 

 

  今日は新人が来た。赤髪に緑がかった青い瞳。こんな現場にいるものなので、ずっと緊張してばかりだった、が。素質がないわけでもない。重傷でも被疑者を追う姿勢には一軒の余地あり。今後の成長に期待する。

 

 そう書ききって締めて、デスクの背もたれに自分の全体重を預ける。

「終わったーーーーーーー。マッジで疲れた」

 時刻は深夜2時。最近は働き方改革とか推進する傾向だが、相変わらずなのが警視庁だ。

 ホットタオルで汗を拭い、眠ろうとすると、

 ピロン、

 とスマホの通知音が鳴った

「んだよ、折角なのによぉ」 

  届いたのは一通のメール。

  差出人は、不明。

  内容は、丁度僕らが調べていたものだ。

  


  例のやつ、用意しました!

  ハイ、こんなもんで


  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

 僕は明日に備えて家に帰り、寝室のベッドに横たわった。しかし、重苦しい1日であった

……朝から誘拐事件の犯人の車を追い、犯人に殺されかけ、そして上司はかなりの変人……人生16年目にして、かなりの刺激と危機、恐怖に苛まれた一日だった。とはいえ色々、気付かされた事も多かった。『君の命は、一つしかない』これは、僕にもっと自分を守れ、という意味で語られたことだろう。なぜ、後手に回った?それは、敵に少しでも情けを見せたから。あの人のあの表情を見て、なにも出来なくなったから。

 では、情けをかけず、殴り続けてみるとどうなるか。相手の体はめちゃくちゃになるが、それでも早く被害者を救うことができる。優先すべきは被害者の命なのだから、この行動をとるべきなのは言うまでもない。しかしそれでも相手は犯罪者でる前に、人間でもある。あの泣き顔は、犯罪者のものには見えなかった。それを原形も残らないほどにグチャグチャにしていく。その様は本当にみていられないものになるだろう。自分に危険が迫ると分かるまでは動きが遅れてしまった。それじゃあダメだ。~それじゃあまるで、殺されにいくようなものだ。僕は、まだ死んじゃいけない。まだまだ、死ねない……そのために……

 

 

 窓から入る明るい日差しと、小鳥のさえずりが僕の瞼をゆっくり開かせる。

 今日の空は青々として、どこまでも澄み渡っていた。辺りを見まわし、「自分が起きたと・いうことを確認する。そして、真新しいキッチンに出向く。冷蔵庫から卵を取り出し、油を敷いたフライパンに入れ、水をかけた後、ベーコンを追加で入れて、中火で2,3分焼く。ベーコンの香ばしい匂いや、ジュウジュウと油を焼く音が食欲を掻き立てる。僕はこの音が、1日の中で一番生活感を感じられるので、日常的に料理をしている。この音が、僕を生き長らえさせる。ある程度焼き色がついたので、プレートに移し、先に用意しておいたキャベツの千切り と炊飯器で炊いておいた米を載せて、今日の朝食は完成する。これがいつもの朝ごはんのプレートだ。栄養バランスもしっかり考えたものに仕上げている。プレートをテーブルに持っていき、たったひとりの孤独な食卓に着く。

「……いただきます」

部屋に響くのは食器が当たる音と、咀嚼音のみ。言い忘れていたが、僕は一人暮らしだ。両親……特に母さんとは離れて生活している。というか、家族と一緒に生活することはできない。まぁ、それは……今度話そう。

 食べ終わったら、日記をつける。

 4月6日。

 入学式。

 天候は晴れ。雲一つない。

 健康状態も良好。



 一応今日は入学式。普通の高校生なら、新しい生活に期待し、胸を躍らせる者、逆に不安を抱えうずくまる者、と、色々いるだろう。この千代田高校は公立全国1位の高校。東京都内からはもちろん、東京都外からも多くのエリートが集まる由緒正しき進学校だ。昨晩、白川さんと話をした後に、班長からこんな注意を受けていた。


「学校で目立つような行動はくれぐれもしないように頼むよ。今の時代、どこに反社がいるかわからないからね」

「はい。友達を作らないほうがいいってことですか?」

「本来なら作らないほうがいい……とは思うんだけど、時に強力な情報源になることもある」

「慎重に選んだほうがいいってことですかね」

班長は顎に手をあて、下を向いて熟考する。

「うーん……おとなしそうなやつほど、やばかったりするからね。こちら側から誘うのはやめたほうがいい。だが、あちらから誘われたら、絶対に断らないほうがいいね」

「仮に、僕らのことを探ろうとする奴がいたとしたら……?」

「その時は逆探知するまでだ。常に背後に気をつけたまえ。やろうと思えば誰だって君をナイフ1本で殺すことだってできるんだ」

「はい」


 あまり目立つような真似はするなということだったので、僕は、常に寡黙な人間としてこの学校で過ごすことになった。

 校長先生の有難いような話をあくびを噛み殺しながら聞いた後、高齢男性の担任教師によって、15,6歳の少年少女で埋め尽くされた狭く、古めかしい廊下を歩かされ、そして30卓ほどの机と椅子が並んだその教室にぶちこまれる。

「じゃ、各自自己紹介を」

 出席番号順に割り振られた席についた僕を含めた生徒達は自己紹介を求められ、各々自身の名前、経歴、趣味といったことを話していく。別に特に変わっているわけでもなく、平穏かつ安全に進められる。全員ハキハキと滑舌良く、模範的に自己紹介をしていた。

 さて、僕の番が来た。前の席の人が話し終わり、僕の番がくる。第一印象というのはそれだけで今後の人生が決まると言われるほど重要なものだと父からしつこく言われていた。

「康正中出身、鈴木将暉です。中学時代は陸上やってました。趣味は読書です。よろしくお願いします……」

よし、何とか言い切った、周りから特に冷たい視線も感じない。ほんの少し、安心はできた。人前は苦手だ。こういう大勢の集まる場所では特に。下手したら殺されると思うし。

 そして何事もなく生徒たちの自己紹介は終わり、休み時間に入った。中学でも経験したことではあるが、彼女を作るのが目的か友達をつくるのが目的かは知らないがとにかく顔のいい女子に絡む者、趣味が合う奴と話す者、そしてとりあえず読書か勉強でもして時間を有効活用する奴、それが僕だ。漸く訪れた僅かな休息の時間。僕は眼鏡をかけ、周りの喧騒など気にもせずに平野啓一郎の小説を読んでその独特な文体に惹かれている。そんな折のことだ。

「へぇ~結構いいの読んでんじゃん」

 呼んでいるそばから声がした。女の声だ。声のするほうを見てみると、

「う、うわぁぁぁあ」

 とんでもなく近い距離だった。1㎜でも近付けば唇が触れ合う。というぐらいに。

「ねぇ」

 少し高い声で僕に話しかける人物が一人。できることならこのまま読書の世界に浸りたいところだが無愛想な人間だと思われて警戒される訳にもいくまい。顔を上げてみると程よくメイクをした、明るい茶髪のツインテールの女子がいた。シャツの第二ボタンまで開けており、鎖骨がはっきり見える。一瞬目を見張ったが、すぐに視線を彼女の目に合わせた。とび色の大きな瞳に。

「それって確か……平野啓一郎の『本心』だっけ?」

「…え?」

「だから、今君が読んでるやつ」

「そ、そうだけど……」

「これ面白いよね。死んだ人間の複製物であるAIに心はあるのか……実に興味深かった」

 彼女はこの本がよほどお気に入りなのか、舌がよく回るようになっていた。

「繊細な文体だけど、芯が通ってるし、情景描写もどこか哀しさを感じさせるものになってるよね」

「死人がAIによって生き返る……それもそっくりそのままに……か。少しだけ、気持ち悪さも感じたけど」

「なんで?」

「……その人が生きた意味がなくなる気がするから……」

「……そっか。そういえば名前、聞いてなかったね?」

 僕の背景を察したのか、彼女は話題を切り替えた。

「自己紹介を聞いてなかったのかい?」

「寝てた」

 あっちから聞いてきたくせに適当が過ぎる。が、ここで答えないのも逆に不自然だろう。

「鈴木将暉。ただの高校生だよ。君は確か」

「芦屋琴音。君と同じくただの高校生。以後お見知りおきを」

 見た目こそ派手だが、その立ち振る舞いは、大人の女性のように落ち着いていた。そのギャップが僕に妙な居心地を感じさせる。

「何で僕に話しかけたの?」

「簡単だよ。面白そうだから。なんか私に似てるし」

「似てる?どこが?」

 少し不思議に思い、訊いてみる。彼女は顎に人差し指を置いて、うーん、と少し考える仕草を見せる。

「趣味、他人を見る目、目元……とか……色々」

「そんな、ジロジロ見られてたのか……てことは君の趣味は、人間観察ってとこかな」

「まぁそんなところ……それで」

 キーンコーンカーンコーン……

 芦屋さんが言いかけたところで、休息の終わりを告げるチャイムが鳴る。

「おっと、もう時間か。もっと話したかったけどなぁ。じゃ、鈴木君またね」

 少し不服そうに言って、彼女は自分の席に戻って行った。

「なんか、読めない人だな……」

 言葉の奥が読めない、と言う意味だ。班長から「自分に接触を図ろうとする者についてはある程度観察しろ、しかし悟られるな」と忠告されていたのもあって、その後のオリエンテーションでも彼女を隠れて観察してみることにした。が

 彼女は休み時間のチャイムが鳴る度、僕以外の男子にもこのように積極的に話していた。

 好きな食べ物、最近の流行り、芸能人の話。ジャンルは多岐にわたるが、彼女の話し相手はみんな上機嫌だった。顔の良さもあるだろうが、とにかく一人たりとも彼女の話に飽きるような者はいない。

 結局のところ、彼女はただの社交性の高いだけの女子高校生だった。その後も、彼女のことが脳裏に焼き付いて離れなかった僕だが、自分の素性を悟られないよう、できるだけ明朗に彼女と会話していた。こうして僕の少し歪な学園生活は幕を開けた……のだが。放課後、家路についている時だった。閑静な住宅街、通行人は僕一人。平穏な一日……がこれで終わるわけもなく、僕の携帯電話がそれを遮った。班長からの呼び出しだ。先日の怪我が痛むが電話に出る。

「はい。鈴木です」

《あー鈴木くん。お元気そうで》

「ついこの間撃たれたばかりですがね」

《あはは……まぁその件はどうもご愁傷さまで。じゃ任務ね。今から新宿東口のカラオケに来てほしい。僕と白川がそこで待つ。いいね?》

「会議……?カラオケでですか」

班長は少し唸り、申し訳なさそうに言う。

《ちょいと大仕事になる。まだ治りきってないだろうに悪いな》

「いえいえ。承知しました」

 班長の通話はそこで切れた。特殊アプリを使っているので、履歴は残らない。

 班長の指示通りに、新宿方面に向かうことになった。

 大仕事なんてものではない。

 今、死闘という言葉でも生温いほどのものに招集されたという事実を、僕は知らなかった。

 



 

 世界有数の繁華街とはよく言ったもので、見渡せば人、人、全部人。それを取り囲むように点まで伸びる高い雑居ビルやオフィスタワーがずらりと立ち並ぶ。地方じゃめったに見れない100m級のビルもこっちじゃ両手で数えきれないほどにある。

 それが東京・新宿。僕が召集される場所だ。

 班長からは一応、カラオケの場所と日時が伝えられている。16時37分、ジョンカラ新宿歌舞伎町店。

 丸の内線の狭く暗いホームを出て、芸能人の映像広告が目立つコンコースを足早に通り、流行りのテナントが店を構える明るい地下街から階段を上がって先にあるのがその場所である。 ここらはかなり多くのカラオケ店が集まっていた。所謂激戦区なのだろう。学割、午前割、家族割…とにかくここは安さで売る方針の場所みたいだ。

 煌びやかなエントランスに入り、受付の店員に話しかける。

「高屋大志の待ち合わせです。部屋番号を教えていただけませんか」

「高屋様の待ち合わせ……かしこまりました。少々お待ちください」 

 すると店員は何やら端末を取り出し、確認を取る。

「お待たせしました。部屋番号は7番になります。エレベーターで二階へ上がって右です。

「ありがとうございます」

 軽く会釈を交わし、エレベーターに乗り、部屋に向かう。

 するとえらく音痴な歌声が聞こえてきた。声量だけはすごいが、言うてそれぐらいである。決してうまくはない。音程はずれまくり、聞くに堪えない声だ。

「もののぉーーーーけぇぇたちぃぃだけぇぇ」

 ドアの窓から中を覗いてみると、金髪の男性と黒髪のゴスロリ姿の女性。こんな人知りませんよ。私。多分部屋を間違えたんじゃ

「おー来た来た」

 背後から聞き覚えのある声がした。先日クーポンをなくした男の声。

 ……にしても見た目とのギャップがありすぎる。少し探りを入れるか

「あなた誰ですか」

「え、高屋たい…」

「あなたみたいなチャラい人、会ったことありませんけど」

「悲しいこと言うね……」

 少しだけ肩をすくめた後、男は懐から警察手帳を取り出した。

「警視庁公安部青特班、高屋大志巡査部長…」

「この前会った時と見た目が違い過ぎるからな、まぁ疑われても仕方ないが。我々の仕事は大抵こんなもんだよ」

  偽物の手帳は黒色。これはチョコレート色なので本物だ。

  ということはあのゴスロリ姿の女性は……白川さんということになる。先日のような

 西洋の美女という感じの雰囲気が全くなくなっており、所謂地雷系女子といった風貌だ。メイク一つでこんなに変わるものだろうか

「あー良かった死ぬかと思った。しかし鈴木君、入念だな」

「これぐらいやっておかないと、逆に潜入されてるかもしれませんし」

 飄飄とした態度を崩さずに、班長は部屋のドアを開け、僕を招き入れる。

「学校お疲れ。どうだったの?点検と消毒、忘れてないよね」

「あー……まあ普通の学校って感じで。特に異常はないです」

 ちょっとした変人はいたが、調べる余地はもうない。

「そっか。こっちも特に。白川は?」

「同じく」

「そうか」

「うし、んじゃあ」

 班長は鞄から何やら書類の入ったファイルを取り出した。そこには地図のようなものと報告書がぎっしりと入っている。

 その中からこの周辺の地域の地図と、赤ペンを取り出した。

「さて、この前の誘拐事件のことについてだが、、鈴木君が休んでいる間、被疑者との取り調べ、それと例の録音で分かったことがある。彼らが活動しているのは歌舞伎町周辺。しかも今回のクレープ屋だけでなく、他にもいくらのか店がある」

 赤ペンを歌舞伎町タワー周辺に滑らせる。

「あー、あそこら辺はわれわれの目が届きにくいですもんね」

「被疑者曰く、基本的にメールでやりとりをしていたので顔は知らない、とは言っているが、例の録音出したら簡単に吐いたよ。但し、分かったのは一部の情報だけだ。両腕の蝶の入れ墨が入っている、と。」

 蝶の入れ墨……なんかわかりやすいな

「本日午後7時より新宿歌舞伎町潜入調査を行う。白川、鈴木君は今回、『親に虐待されて追われてきた兄妹』という設定で調査を行ってもらう。僕は引き続き被疑者の周りを調べる」

「なるほど。兄妹で……ん?」

 妹……いもうとって誰だ?

 この部屋にいるのは男子二人女子一人。妹というのは女性、となると。

 その妹と呼ばれた少女にゆっくりとロボットのように顔を向けると、彼女は顔色一つ変えずに平然としている……

「じゃ、1週間ほど共同生活頑張れよ♪」

「了解」

「はあああああああああああああああああああああああああああああああ?」


 女子(それも結構な美人)と共同生活する……普通の人なら喜ぶべきところだろう。ただし、これは潜入任務。班長にどのような思惑があるのだろうか。

「ちょ、ちょっと待ってください!なんでそんなことをするんですか」

「三人同時に入ると勘のいい奴に気付かれるし、なにより歌舞伎町の少年たちは警戒心が強い。が、彼らの住処は知人や家族の家が多い」

「いや、それはそうでしょうけど……」

「そこでだ」

 班長は指を鳴らし、意気揚々と提案する。とびっきりの笑顔を添えて。

「君たちが兄妹を装い、この男を探してもらう」

「……ァ……エ……」

 声が完全にひっくり返った。

 この人にデリカシーぐらいはあると思っていた自分をぶん殴りたくなってくる。

「ということで白川、あと頼む」

「うん」

 彼女にも羞恥心というのはないのだろうか……いや、ここは公安、僕も腹を決めるべきだろう。

「班長」

「どした?」

「班長の役回りはどうなるんですか?」

「僕は君たちの護衛と、スカウトと思しき人物を探ってみる。こっちは敵側に潜ることで核心に迫る情報を取ってみるとするよ。あと鈴木君」

 そう言った後、班長はまたもやバッグから何かを取り出していく。

「それ、なんですか?」

「変装用のやつ」

「え」

 班長は一つのビニール袋を手渡した。金髪のウィッグに、骸骨のイラストがプリントされたパーカー……

「着て」

「え?」

「迷彩用」

 一瞬自分の顔が真っ青になるのを感じつつも、これが捜査だ。割り切れ。僕。と自信を鼓舞して見せる。これからこんなこと、いくらでも起きるからな……

「……はい」

 渋々受け入れ、班長から服を受け取り、トイレへ向かう。

 僕は足早に薄暗い個室に入り、清純な紺色の制服を脱いで畳み、新たに例のダサいパーカーに着替え、金髪のウィッグをつける。そして個室から出て、洗面台の鏡を覗いてみると……

「……はは」

 自然に笑みがこぼれる。眉は八の字、口角は若干だけ上がる。ただ自分の姿が面白かったからとか、そういう感情から出る笑みとはわけが違う。先ほどまで見事原型をほぼ残さずに変装していた班長達を疑っていた自分は、皮肉にもその仲間に入ってしまったのだ。もう呆れて言葉も出ない。出たとしても「あああああああ」なんていう悲鳴だけだ。

 そしてそのままトボトボと歩きながらトイレから出ていき、班長達が待つ部屋へ戻る。

 足取りは重く、今にも膝から崩れ落ちそうだった。

 3回ノックし、おそるおそるドアを開ける。

「き、着替えました……」

「…………」

 一応こちらを見てはいる。が、その顔はまさに「無」といった具合だ。何も感じていない。  

「鈴木君」

「はい」

「完璧」

「え」

「チャラすぎる金髪……ロックなパーカー……これで誰も君だとわからない。完璧な変装だ」

「あ……ああ」

 褒められてはいるが少し複雑である。自分ではないような見た目を褒められているのだから。

 班長はものものしい口調でOKサインを出した。

「よし、それじゃあ後これ」

 もう一つ、身分証明書のようなものを、二つ、テーブルの上に静かに置かれる。その名前は偽名だ。

「今から君たちは鈴木将暉でも白川咲耶でもなく、二人の兄妹を装ってもらう」


 トー横― 2019年から若者たちのたまり場として知られている場所だ。それもただの若者ってわけじゃない。体を売る若者だ。以降それによる梅毒の蔓延、絶えず起こる暴行事件、支援団体を謳った者の売春事件……挙げたらキリがない。ひとまず簡潔に言えば、「治安悪化地域」と言う括りになる。

 さて、この危ない街に今日新たに二人の兄妹が入った。川口泰斗と川口雪那、それが僕らの偽名だ。

「……なんだ、ここ」

「あれ、初めて来た感じか」

「ええ。父から止められていたもので。一応本で見たことはあるんですが、結構やばいところって」

「それで済むならまだいいけどね。ここでまともに暮らせる人間なんてほとんどいない」

「え、それどういう」

そう言いかけたとき、白川さんは僕の手を痛いほどに強く引き、路地裏に駆け込んだ。

「どうしたんですか!」

「シィーッ」

 唇の前に人差し指を出して、黙れ、と、合図を出し、その指をある方向に向ける。

 耳をつんざくような怒声が聞こえる。何と言っているかは分からないが。

 その先には、僕より少し年上位の人たちがもみ合いになっていた。

 よく目を凝らしてみると、首を絞めあったり、腹を殴りあったり、駄目だ、見てられない。

「ちょっと僕、行ってきます」

「駄目だ」

 体が縛られる感覚を覚える。振り返ると、白川さんが服の裾をつかんで止めていた。

「事件ですよ。見過せっていうんですか?僕らは」

「今は潜入中。私たちは歌舞伎町の家出兄妹だよ。お兄ちゃん」

「おに……」

そうだった。今は潜入中、目的を達成するまでは警察官じゃない。

「……あの、し、しら」

「雪那」

「せ、雪那……」

 身長は僕より小さいが、相手は年上だ。慣れないものだな……

「それより、ちょっと状況変わってるみたいだよ」

 白川さんは、さっきもみ合いになった現場に視線を移す。

 バァン……と、重機のような轟音が響いた。

 もみ合いは何とか丸く収まっているどころか、もっと大柄な男によって二人ともやられていた。

 その大きい両手で二人の頭を勢いよくぶつけて。ぞっとする光景だ。こんなに危ないんじゃまともに外を歩くことすら難しい。

「下手に出たらああなるよ」

「ひぃ……」

 頭から大量の出血、気絶状態で、焦点はあってない。

 大柄の男は満足したのか、二人の男をそこにバタッとゴミのように捨て去って、どこかに消えていった。

 僕は唖然とした。誰もその光景を見て二人の男を助けようとしないことに。

 助けに行きたい、と、足が動きそうになるが。

「駄目」

 白川さんが脚を絡ませて止める。

 やるせない……が、これが僕らの仕事、ということを納得するしかない

 にしても、不思議なことが一点。

 誰も、この状況を見て、通報しようとしない。

 目の前で、大量の血を流している人がいるのにだ。

 みんな、それが初めからなかったように、通り過ぎていく。

「なんで、みんな助けないんだ」

「助ける価値がないからだよ」

「え?」

「彼らの恰好、入れ墨入ってるでしょ」

 よく目を凝らして見てみると、片方の男は両腕に竜を模したもの、もう片方にも首筋に蜘蛛の巣を模したものを入れていた。これが表すもの、即ち彼らが裏社会関係の人間ということだった。

「関わるだけでも面倒なことになるからね。イチャモンつけられたらたまったもんじゃない」

 そう、面倒な人間だ。下手な真似をしたら何をされるかわからない。けど……

「そう……ですね。あんまりそんな余裕ないですし」

 やっぱり、こういう状況になると胸が締め付けられるような、度し難い気分になる。

 

 しかし、この街は本当に僕が住んでいる日本という治安が比較的良い国と同じ場所なのか、疑わしくなっていく。

 そこかしこにゴミは散らばり、吐しゃ物、そして人。普通に道路の上でもお構いなしと言うわけだ。

 それだけじゃない。その寝そべっている人間は目を閉じてるわけじゃない。目が開いたまま。それも白目をむいていた。


 一方、高屋大志は……


 しっかし参ったなあ。彼ら、こんなものまでやってるとはねえ……

 手元の写真。それは、チョコレートやクッキーなど、様々な菓子食品が写っていた。

 いやただの菓子ってわけじゃない。これは薬入り。鑑識によれば前頭葉を委縮させる作用がある……とか。

 あの店のクレープにも、おそらく同じものが……

 今回白川と鈴木君にやって貰うのは、この菓子のことを探ってもらうためだ。

 あの時のことも……何かこれに鍵が……

 









 それは幻のようで

 それは

 

 

 






 

 















ご拝聴ありがとうございました。

この作品は連続作品として出すことも視野に入れていますので、

よろしければ感想をいただければ幸いです

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