魔王城
============= アゴラスの魔王城 ===================
「………という訳で、陛下が『ルードンの森』へと赴いてしまいました。そこでコーリン……至急、闇の軍の部隊を派遣して下さい。陛下に何かがあってからでは取り返しがつきませんから」
現在、魔王の執務室には三人の人物がいた。
一人目は魔国第一将軍であり、初代魔王ギルバート・ジェーミソンの妹でもあるリサ・ジェーミソン。神秘的な銀の長髪をし、その瞳は髪と同じ銀に染まっている。
二人目は魔国第二将軍のミノタウロス族の老将バリスタンである。
そんな二人の前には、闇の軍の三隊長の一人である人間族のコーリンが姿勢を正していた。
「は!……しかし、リサ将軍……その……陛下を力づくで魔国に連れ戻すのは少しばかり不可能に近いかと………なにせ、あの陛下ですので」
コーリンは少しばかり困った表情を浮かべながら言った。リサはそんなコーリンを安心させるようにさらに続ける。
「分かっています。陛下も兄様に負けず劣らずの頑固者ですからね………そこで、この際これをいい機会だと捉えて、闇の軍にエルフ族の凶暴化についての調査も同時に命じます。何やらドラグーン王国では不穏な噂も流れ始めているようですからね。いち早く陛下と合流し、付き従いながらの護衛の任につくように」
「かしこまりました……すぐに部隊を派遣いたしましょう。しかし、それでは魔王城並びにアゴラスの警備が少々手薄になってしまう事になりますが……」
心配そうに懸念を伝えるコーリンに対して、リサは少し考えるような素振りを見せたが……しかし、考えは変えなかった。
「致し方ありませんね。けれど、陛下の御身に何かあれば……それこそ魔国存亡に関わる一大事となります。背に腹は代えられません。しかし、そこまで心配する事もないでしょう……闇の軍以外にも警備の者は沢山いますし、神聖帝国が滅びてからは魔国は平穏そのものです」
「………リサ将軍、お言葉を返すようですが……神聖帝国は滅びましたが、恐らく『レイス』は未だに健在です。スタットック王国に派遣している部隊が炙り出しを続け、一定の成果をあげましたが………それでも壊滅には至っておりません。くれぐれもお忘れなきよう……」
コーリンは敢えて、自分よりも位の上であるリサに対して苦言を呈するような事をいった。
コーリンは闇の魔力を持っていたがために、アートス教の教えに反するとして粛清の対象になっていた事があった。常にレイスに狙われ続けながらも、同じような境遇の者たちを纏め上げ、『闇魔法連合』を創り上げた人物でもある。
『闇魔法連合』に所属していた多くの者たちが、現在の『闇の軍』の一員となっている。闇の軍が魔国の軍の中でも一番人間族の割合が多いのもそのためだった。
そのような過去があるからこそ、コーリンは『レイス』の事を誰よりも憎んでいるし、それと同じくらい『レイス』という存在に恐怖してもいるのである。
そんなコーリンの言葉を聞いたリサは、自分が少しばかり平和ボケしてしまっている事を自覚し、気を引き締め直した。
「………これは私ごときが差し出がましい事を申してしまいました。無礼をお許し下さいませ」
そんなリサの心の変化をいち早く理解したコーリンは、恭しく一礼をし先の非礼を詫びた。
「いいえ……私も少し弛んでいたようです。………感謝しますよ、コーリン」
「私などには勿体ないお言葉ですよ、リサ将軍。では……私は早速部隊の編成に取り掛かりますので」
感謝の言葉をかけるリサに対して、コーリンはまた深く一礼をした。そして、バリスタンにも退出の礼をとり、執務室を足早に出て行った。
そして、執務室にいるのはリサとバリスタンの二人だけになった。リサは真剣な表情のまま、バリスタンに問いかける。
「バリスタン将軍……『ルードンの森』のエルフ族の件、どう思いますか?」
「………そうですね。エルフ族はギガン族同様、他の種族に排他的な種族ですので詳しい事は分かりませんが、ドラグーン王国内でそれが陛下及び我ら魔国の仕業だという根も葉もない噂が広がっているところをみると、何者かが意図的に流している可能性が高いと思われます」
「…………それはエルフ族の凶暴化に何者かが乗じているという意味でしょうか?それとも、エルフ族と共謀して我ら魔国に仇なす者がいるという意味ですか?」
「さぁ……そこまでは。しかし、どちらにしろ……デニス殿の話ではドラグーン王国内の世論が傾き始めているとの事。はるか西方とはいえ、ドラグーン王国は神聖帝国にも劣らぬ大国……魔国との全面戦争だけは避けねばならぬと陛下はお考えなのでしょう。だからこそ、自らエルフ族の調査へと赴いた」
「その通りだとは思いますが………」
しかし、リサはそこで一際大きなため息を吐いてしまった。
「まったく……兄様もしばしば魔獣の巣窟である『ドルーン山脈』へと遊びに出掛けていましたが、今度は陛下が大陸の遥か西方の『ルードンの森』へ行ってしまうなんて。なぜ我らが『王』は、自ら危険な所に飛び込むような真似ばかりするのでしょうか。心配するこっちの身にもなって頂きたいものです」
「フォッフォッフォ………良いではありませんか。常に玉座に座り安穏としている者など、『魔王』には相応しくありますまい?我ら魔族を統べる王はこれくらい豪胆でなくては勤まりますまいて」
心配そうに愚痴るリサを安心させるようにバリスタンは笑いながら言った。
「………そうですね。陛下の実力は桁外れですし、それは共に『ドルーン山脈』を旅した私がよく分かっています。そ、それに………陛下はレン様とも一緒ですし……」
しかし、リサの声は何やら後半にいくにしたがって尻すぼみになっていった。
バリスタンはそんなリサの変化にしっかりと気付いていたが、業と知らぬ振りをしながら努めて明るく話し続けた。
「フォッフォッフォ……そうですな~……伝説の傭兵・『赤き狼』の異名を持つレン様も、陛下に負けず劣らずの豪傑ですからな。あの二人ならば魔獣の群れに襲われたとしても、怪我をする可能性など万に一つもありますまい」
「そ、それはそうなんですが……しかし、億が一という事も…」
やはり、リサは相変わらずそわそわと落ち着かない様子であった。幼少の頃からずっとリサを知っているバリスタンには、リサの現在の気持ちが手に取るように分かっていた。
(恐らく……陛下がレン殿とまた二人きりで旅に出た事が不安で堪らないのだろう)
バリスタンがリサにカイとの縁談話を勧めた翌日、リサは朝早くにカイの部屋を訪れている。アシャ・ヴェラリオンとカイの縁談話は、リサを焦らせるのに十分な効果を発揮したようだった。
しかしその時にはすでに、カイはデニス・ヴェラリオンから齎された情報の真偽を確かめるために、レンと共に『ルードンの森』へと出立してしまった後だったのだ。
後少し……カイが後一日出立するのが遅ければ、リサとの縁談が成功していたかもしれないのだ。バリスタンにとっては、まさに千載一遇のチャンスを逃してしまったようなものだった。
こんな事なら、しばらくはずっとカイを見張ってよけばよかったとバリスタンは本気で後悔してもいた。さらに困ったことに………
「コホン……まぁ、『ルードンの森』の件は陛下やコーリンに任せましょうか。それでですな~……リサ将軍?陛下とリサ将軍の縁談の件なのですが………」
そうバリスタンが確認するように言った瞬間、リサはビクッと体を震わせ不自然に声を張り上げてしまう。
「さ、さて!私は魔国第一軍の調練に行かねばならないのでした!そうでした!今思い出しました!で、では…バリスタン将軍、私は先に失礼いたします!」
と、リサは酷く狼狽えるとその話から逃げるように執務室を飛び出してしまった。そして、一人寂しく執務室に取り残されたバリスタンは落胆のため息を吐かざるを得なかった。
(まったく……リサ様も本当に素直でない)
一度は陛下との縁談を決心してくれたはずなのに………陛下が居なくなり、少し時間が立ってしまうとその決心が揺らいでしまっているようにも思える。
それでいて常に『ルードンの森』へと赴いた陛下の事が心配で堪らない様子なのだ。それが一臣下としての思いだけでない事は一目瞭然だ。
本当に事務仕事や軍の調練などはあれ程器用にこなせるのに、なぜ自分の思いにはこれ程不器用なのか。傍から見ているバリスタンは、無性にやきもきしてしまうのだった。
「しかし、リサ様も陛下とアシャ・ヴェラリオン様との縁談には気が気でないはず。この話がある以上、いつまでも逃げる訳にもいかぬでしょうし、いずれ勇気を振り絞って決断してくれるはず。これは陛下が『ルードンの森』から戻られたら、何としてでも話を進めなくては。フォッフォッフォ……何、そう焦る事もあるまい。若い二人には、まだまだ時間がたっぷりとあるのだから」
バリスタンはそんな独り言を呟くと、ゆったりとした足取りで自らの直轄軍である魔国第二軍の元へと向かっていった。