呟き 竜王編
「お勤め御苦労さまでございます」
バルアミーは扉の前で、純白の甲冑に純白のマントを纏って直立不動の態勢をとっている二人の近衛騎士に礼儀正しく挨拶をした。
二人は自らの主にすでに命ぜられているのか、特にバルアミーを遮るような事はしなかった。
バルアミーはそのままドラグーン王国・国王の執務室へと入って行った。
「陛下……王室直轄特務調査室副長官・バルアミー、只今参上いたしました」
陛下と呼ばれた見目麗しいブロンドの髪をした女性は、バルアミーの正面に位置する執務机に座っていた。
ドラグーン王国・現国王…………セシル・ドラグーンである。
「…………」
セシルは黙ったまま、改めて今執務室に入ってきたバルアミーを観察してみた。
歳は……よく分からない。二十代とはいかないまでも、三十代のように若々しくはある。だが、その頭を覆う髪には白髪が目立っている。
上品な口髭をはやし、一見高貴な老貴族といわれても納得してしまいそうなほどだった。
バルアミ―は愛想も良く……非常に気が利く男だった。常にその顔にはやさしげな頬笑みが張り付いており、それをみて警戒心を抱くものなど皆無だろう。
いったい誰がこのバルアミ―をみて、かの神聖帝国の冷酷無比の暗殺集団……レイスの筆頭などと思うだろうか。
しかし、セシルは知っている。バルアミーが本気を出せば、今部屋の前で自分を護衛している近衛騎士を瞬きをする間に殺すことも………二人に気づかれずに部屋へと侵入することすら可能かもしれないということを。
そんなバルアミーが時折、本当に人畜無害の優しそうな男に見えてしまうことに………セシルはある種の恐怖を感じてしまうのだった。
「うん?陛下……いかがなさいました?」
ずっと見つめられた事を不審に思ったのか、バルアミーはセシルに尋ねる。その柔和な笑みを保ったままで。
セシルは自らの恐怖を振り払うかのように少し身じろぎしながら答えた。
「いいえ……何でもないわ。少し考え事をね…………さて、バルアミー?先ほどの『御前会議』に出席したあなたの率直な意見を聞かせてくれないかしら」
セシルはそのブロンドの長髪を指に巻きつけながらバルアミーに問うた。この癖に気付いたのは、いつの頃からだっただろうか。
少なくとも………イライザ王妃に命を狙われ出した頃にはすでに癖になっていたのだ。
バルアミ―はしばらく何やら思案顔で考えていたようだが、セシルにとって厳しい現実をそのまま語った。
「そうですな~……真、陛下には申し上げにくいのですが、ドラグーン王家の威光はかなり鳴りを潜めているように思えますな」
セシルは歯噛みをしながらも、そのバルアミーの屈辱的な指摘を認めざるを得なかった。
「……………そうね。タイウィン・ウェンデルにつき従って部屋を出て行った者たちなどがいい例だわ。『御前会議』で王の許しもなしに勝手に退出するなど………前代未聞よ。彼らはドラグーン王家よりも、ウェンデル家を敬い……そして、恐れてもいる」
「私たちもかつて、法王様の命令でドラグーン王国についても色々と調べておりました。三大名家とはいえ、一昔前まではウェンデル家はそこまで力をつけてはおりませんでしたな。そう……現ウェンデル家の当主である、タイウィン・ウェンデル殿が当主になってから、急速に力を蓄え……また、王家を蔑ろにするようになったのもその頃からだったと記憶しております」
「ええ……特にヴァンディッシュ家が没落した今、タイウィン・ウェンデルが宮廷を牛耳るようになるもの時間の問題だと噂されている。いえ……宮廷だけではないわ。いまやドラグーン王国の要職でウェンデル家の息のかかっていない者を探す方が難しいでしょうね」
ふ~~…とセシルは椅子に座りなおし、深く息を吐いた。そして……意を決したように語り始める。
「私は誰も成し遂げた事のない大陸の制覇を目指している。けれど、それを実現するためにはあまりにも多くの障害を乗り越えていかなくてはならないわ。さらに、詳しい事は話せないのだけれど……私には本当にもう時間がないのよ。だから……私は覚悟を決めたわ。…………バルアミー、あなたにある事を頼みた……」
「暗殺すればいいのですね?」
バルアミーはセシルの言葉を遮るかたちで答える。さすがのセシルも軽く言葉を失ってしまった。
バルアミ―の言い方は、まるで虫でも殺しましょうかと言うのと同じくらい………何でもない事のようなものだったからだ。
依然固まったままのセシルに対して、バルアミーはやさしく語りかけるように言う。
「陛下……あなたが苦痛を感じる必要は何もありません。そう………陛下はただ呟いただけなのですから。あなたは私に呟き……それを私が聞いただけの………たったそれだけの話ですよ」
バルアミーはにんまりと笑った。セシルはそんなバルアミーをじっと見つめ、黙ったまま頷いた。そして……ゆっくりとその口を開いていく。
「…………ドラグーン王国三大名家、ウェンデル家が当主………タイウィン・ウェンデル」
「やはりあの方ですか……『御前会議』で初めて拝見させて頂きましたが、まさに『威風堂々』といった言葉がぴったりの方でしたな。そう……まるで自らが王族であるかのように」
バルアミーは先ほどの『御前会議』を思い出し、率直な感想を述べた。セシルはそんなバルアミーには答えずに二人目を呟いた。
「ドラグーン王国三大名家、ヴェラリオン家が当主……デニス・ヴェラリオン」
「………これはこれは」
「どうかしたの?……バルアミー」
「いえ……少しばかり予想外だったものですから。ですが……よろしいのですが?デニス殿は、あのアシャ将軍の御父君であらせられるのですよ?」
「…………」
セシルは黙ったままバルアミ―を見つめた。その瞳からは何の感情も読み取ることができなかった。そんな視線をうけ、バルアミ―はまた優雅に一礼してみせた。
「これは大変失礼な事を申しました。さて………デニス殿はドラグーン王国の鳩派の急先鋒でしたな。また、ヴェラリオン家に忠誠を誓っている領主たちも多いと聞いております。ふむ……方針の対立があるのはある程度は仕方がないとは思いますが、深刻な対立にならないと良いのですが。そういえば……デニス殿には後継者がアシャ将軍しかおられないとか………」
「その通りよ…………アシャは継承権を放棄したといっているけれど、ヴェラリオン公はそれを認めていないわ。依然、ヴェラリオン家の次期当主はアシャのままよ」
「そうですか。アシャ様と陛下は何やら主と臣下を超えた強い絆で結ばれているご様子、アシャ様がヴェラリオン家の当主となった暁にはきっと力になってくれる事でしょうな~。まぁ、デニス殿もまだまだお若い。後継の問題もずっと先の話になるでしょうね」
「…………そうね」
セシルはバルアミーの話に対して気のない返事をした。そして………三人目を呟いた。
「スタットック王国……第87代・『北の王』・ソロス・スタットック」
「成程……神聖帝国の元北部総督であり、古の王国であるスタットック王家の血を受け継ぐ若き王ですな」
「ええ……スタットック王国は強大な国だけれども、多くの火種を抱えているわ。狂信的なアートス教信者の暗躍……中央領主と北部領主との軋轢……そして、エルフ族の凶暴化などをね。けれど、もう一つ大きな問題がある。それは……」
「それは、現『北の王』であるソロス・スタットックには後継ぎがいない事ですね?」
またも、バルアミーはセシルの言葉を引き継ぐ形で先に答えた。それを聞き、セシルは満足そうに柔和な微笑みを浮かべた。
「その通り。ソロス・スタットックには後継ぎがいない上に、調べたところによるとスタットック王家の生き残りは彼唯一人。あの国が多くの火種を抱えながら、うまく機能しているのはソロス・スタットックの手腕によるところが大きい。もし、ソロス・スタットックがいなくなれば………」
「………その後釜を巡り、スタットック王国は確実に混乱をきたしますね。しかし、『北の王』はまだ二十にも満たぬ歳のはずですから、結婚し…幸せな家庭を築くのに十分な時間がありますな」
「けれど、人生は何が起こるか分からないわ。私の父も突然病に倒れた事だし………」
それを聞いたバルアミーがまた、にんまりと笑った。セシルはその笑みに、すべてを知っているぞと言われたような気がして酷く落ち着かなかった。
セシルは自らそんな気持ちを払いのけるかのように、また話題を変えた。
「そういえば………バルアミーは、魔国についてはどのくらい知っているのかしら」
「魔国……ですか?そうですな~……神聖帝国では魔族の撲滅は何よりの優先事項といっても良かったですから、かなり詳しいと思います。自ら魔国に入った事もございますから……」
「そう…………正直な話、ドラグーン王国では魔国についての情報はかなり限られてしまっているわ。神聖帝国の粛清は凄まじいものだった。そんな状況でよくあの魔族をまとめ上げ、国を立ち上げたものね。初代魔王・ギルバート・ジェーミソン……まさに驚嘆に値する人物だわ。そして、最近さらに急速に力を伸ばしつつあるとの報告もある」
「そうですな……あの国には随分と法王様も手を焼いておりました。だからこそ、異世界の勇者まで召喚したのですがね。まぁ……それは完全に裏目に出てしまったのですが」
バルアミーは苦笑しているようだった。
セシルにもその気持ちは十分理解できた。魔国を倒すために異世界から勇者を召喚したにもかかわらず、その勇者が魔王になってしまったのだ。もはや苦笑するしかないだろう。
セシルはさらに喋り続け、話を核心へと近づけていく。
「元々、魔族は気性が荒く……ある意味で単純な種族だわ。だからこそ、手強いといえるのだけれど。そんな魔族たちが国として成り立っていられるのは、秩序の中心といえる魔王がいるからなのでしょうね」
そう意味深な視線を向けるセシルに対して、バルアミーは初めて厳しい表情を見せた。
「陛下………以前にも申し上げましたが、生きて生還してこそ暗殺の意義があります。死地に自ら飛びこむのは暗殺ではなく特攻です。そして……現魔王の暗殺はかなり難しいものがあります。魔王自らが鍛え上げた『闇の軍』と呼ばれるものたちも厄介ですが、何より…元『闇の勇者』であるカイ・リョウザン様自身の実力が桁外れなのです。それに……何やらおかしな力を持っている可能性もあります」
バルアミーは『ドルーン山脈』でいきなりベアウルフに大挙して襲われた時の事を思い出していた。共に『ドルーン山脈』に入ったレイスの部下は皆あそこで喰われた。
小指という犠牲だけですんだのは運がよかった。特にあの一際巨大なベアウルフは、まるで自分を親の敵のように追いかけてきたのだ。今でも時々、夢に見ることがあった。
それを聞いたセシルは少し残念そうな表情をみせたけれど、すぐに気持ちを切り替え続けた。
「けれど……もう一つ魔国が国として成り立っている大きな要因がある」
「………それは?」
バルアミーは今度はセシルが何を言おうとしているのか察することができなかった。そんなバルアミーを見て、セシルはほんの少し嬉しそうにほほ笑んだ。
「魔国には武人としての人材が数多くいるわ、それに支えられる強力無比な軍隊もね?けれど、いかんせん国の規模から考えると文官の数があまりにも少なすぎる。元々、血の気の多い魔族は戦うことには向いていても、そういった事には向いていないのよ。それこそが、長年にわたって魔族に国というものが存在しなかった大きな要因の一つだった。けれど、そんな中……初代魔王であるギルバート・ジェーミソンの頃から今に至るまで、魔国の政治経済のすべてを一手に担っているという逸材がいる」
「………成程」
バルアミーはそこでやっとセシルの言わんとしている事に気付いた。そして、セシルはそんなバルアミーに対して確認するかのように四人目の名前を呟いた。
「魔国が急速に成長しているのには、彼女の力が非常に大きく影響している。そう……魔国の政治経済のすべてを取り仕切り、魔国第一将軍という軍のトップにも君臨する…………初代魔王・ギルバート・ジェーミソンの妹でもある…………リサ・ジェーミソンがね?」
そして、セシルはバルアミーに対して残酷な笑みを浮かべたのだった。