何が立ちふさがろうとも 竜王編
「………ほう?つまり、たったこれだけの数字が限界であると?」
「い、いえ!!もちろん…これは最低限の数字でありまして、予測ではこの二倍には……」
タイウィンはギロリとその冷徹な視線を向けた。すると、冷や汗を流しながら必死に説明していた男は、あまりの恐怖で言葉を噤んでしまう。
タイウィンは、男から受け取った報告書の束を乱暴に投げ捨てた。そして、冷笑を浮かべながら男に命じる。
「ふん……半年だ。貴様に後半年の猶予をやろう……それで、元手の五倍に増やして見せろ」
「五、五倍ですか!?」
あまりの事に男は素っ頓狂な声をあげてしまった。タイウィンは多少の苛立ちとともに目の前の憐れな男に告げる。
「貴様に言われんでも、自分の言った事ぐらい分かっている。さっさと行け……こんな所で油を売っている暇はないはずだ。もし、期限までに私の満足のできる結果をおさめられなければ…………分かっているな?」
「は、はい!!」
男は床に散らばっている書類をかき集めると、一目散に部屋を飛び出していった。タイウィンは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、二本指でゆっくりと両目を揉み解した。
そんな王都での主だった者たちとの話が一段落した時だった。パトリックがあの者の来訪を告げたのは。
タイウィンはすぐに部屋に通すように命じ、パトリックには部屋の外での護衛を命じた。そして………その者はものの数分で姿を現した。
「相変わらずのようだな?タイウィン」
カラカラ……カラカラ……独特の車輪の音を響かせながら、デニスが部屋へと入ってきた。
「…………デニス、貴様この私にいったい何用だ?」
タイウィンはデニスに開口一番そう尋ねたが、大凡の事は見当がついていた。どうせ、『御前会議』での事を言いにきたに決まっているのだ。
そして、タイウィンが想像した通り、デニスは責めるような口調でタイウィンを嗜め始めた。
「タイウィン……私に聞かなくても、自分で分かっているはずだろう?『御前会議』という公式の場で、あのように陛下を辱めるような事をすべきではない」
「ふん!!この私にそのような口を利く者など、もはや貴様ぐらいのものだ。それで?そんな小言を態々いうために私に会いに来たという訳か?」
「それもある。だが、それだけという訳でもない。お前には先に伝えておこうと思ってな………申し訳ないが、カエサル・ウェンデル殿から持ちかけられた話の件だが……」
「待て。……カエサル……だと?カエサルが貴様に何の用があったというのだ?」
タイウィンはデニスから自分の弟の名が突然出てきた事を不審に思った。デニスとカエサルにどんな接点があるというのか。
そんなタイウィンの様子をみたデニスは、不思議そうな顔をしていた。
「知らないのか?カエサル殿の口ぶりからして、お前も承諾しているものと思っていたのだがな………」
「さっさと言え。一族の事について、私が知らぬ事を貴様が知っているというのは無性に腹が立つ」
タイウィンは若干の苛立ちを覚えながら、デニスに先を促した。デニスは少し躊躇っていたようだが、そのすべてをタイウィンに話した。
「ふむ……私が娘の縁談相手を探している事はすでに聞き及んでいるだろう?カエサル殿は、その縁談の相手として自分の息子であるジェイム・ウェンデルを……」
しかし、デニスはそこまでしか喋る事ができなかった。タイウィンの怒声がデニスの言葉を完全に遮ったからだった。
「あの………たわけ者めが!!」
その木の幹のように太い腕を木製のテーブルに叩きつけた。テーブルが音を立てて軋む。しかし、それぐらいではタイウィンの怒りはおさまらないようだった。
「カエサルめが!!この私に無断でそのような馬鹿げた話を勝手に進めておったのか!!………それで?まさか、貴様はこの馬鹿げた話を受けるなどとほざくのではなかろうな?」
ギロリとデニスを怒りの眼差しで射抜いた。しかし、そんなタイウィンとは対照的に申し訳なさそうにその問いに答えた。
「いや………実は断りの返事を伝えにきたのだ。一度会ってみたのだが………タイウィン、お前の甥は虚栄心に塗れている。まずは世間の荒波にでも揉まれて、自らを見つめなおすことが先決だろうな」
「………よくもまぁ、一族の当主の前で堂々とそのような事がいえるものだ。まぁ……だが、賢明な判断だ」
「…………いいのか?いや、縁談を断る側の私がこんな事をいうのも何だが……私はお前が激怒するかもしれんと思っていた」
そんな依然申し訳なさそうにしているデニスを見て、タイウィンは表情を苦悶に歪める。
「馬鹿な……貴様と親戚関係になるなど死んでも御免被る。それに、これでも人を見る目くらいはしっかりしているつもりだ。貴様の娘に、ジェイムのような馬鹿が相応しくない事など、誰がみても明らかだ。精々立派な男でも見つけてやる事だ……そして、さっさと軍人などやめさせてしまえ」
「タイウィン………」
デニスがそれを聞き何かを言いかけたが、タイウィンはまたそれを途中で遮った。
「黙れ。それ以上口を開くな………不愉快だ。私は、ランスこそ元帥の副将に相応しいと思っている……だから、貴様の娘が邪魔なのだ。それだけだ。デニス……娘の手綱くらいしっかりと握っておけ」
「…………忠告はありがたく頂戴しよう。私の話はそれだけだ……時間をとらせてすまなかったな、タイウィン」
デニスはタイウィンに礼をいうと、そのまま部屋を出て行こうとした。しかし、出て行こうとするデニスを、タイウィンは静かに呼びとめた。
「デニス………この件からは手を引け」
まさにデニスが扉のノブに手をかけようとした瞬間だった。
「……何?それは……どういう意味だ?」
デニスは器用に車椅子を反転させる。タイウィンは長椅子にドカッと座り込むと、乱暴にグラスにワインを自ら注ぎながらいう。
「長きにわたり………ヴァンディッシュ家と宮廷という戦場で戦ってきた私だからこそ分かることがある。これは深入りはしないほうがいい………何やらきな臭い感じがし始めている」
「タイウィン……お前はやはり何か知っているのだな?」
やや強い口調で迫るデニスに対して、タイウィンはおどけたように首を横に振った。
「知らぬな……私は何も知らない。…………デニス、今から私が喋ることは何の根拠もない戯言であり、愚か者の空虚な妄想話だ………分かるな?」
「…………」
デニスは沈黙を貫いたが、タイウィンはそれを肯定と受け取った。そして、少しばかりワインを口に含むと、時間をかけて味わうように飲みほしていった。
「ふん……ワインこそ人間が造った最高の嗜好品だ。ふ~~………先代国王のエダード・ドラグーンは無能だったが……おっと失礼……すこぶる健康な男だった。私が調べた限りでは、過去に大きな病をしたこともなかったし……宮廷医に確認したところ、病に伏せる直前に行われた診断でも特に異常はなかったそうだ。そんな男が突然病に寝込むなど……おかしいとは思わぬか?」
「自分がいつ病にかかるかなど………それこそ神でなければ分からない。人がいつ死ぬを自分では分からないのと同じようにな。エダードが突然病に倒れたからといって、それだけでは不自然とは言えない」
「まぁ……そうだ。しかし、私のように邪推しかしないような者ならこう考える。エダード・ドラグーンは病に倒れたのではなく………何者かに毒でも盛られたのではないだろうか……とな?」
タイウィンはにんまりと笑った。それとは対照的にデニスは顔を怒りで歪めた。
「…………そのような事、思い浮かべることすら許されない事だ」
「だが、もしこの邪推が真実だとするならば一つ問題がある。どうやって毒を盛ったのかだ………王族の食事は、前菜から飲み物にいたるまですべて毒見役の検分がなされる事になっている。しかし、毒見役の者どもに特に異常はない。はてさて………これは一体どういう事なのだろうな?デニスよ」
「………それはつまり、毒ではなかったという事ではないのか?」
「ククククク………滑稽だな~デニスよ、すでに気づいているだろうに。ふん!!確かに毒見役は外部からもたらされる毒などには一定の効果があるだろう。食材などにも十二分に気をつけているはずだからな。だが…………毒見役が毒見をした後に、何食わぬ顔をして毒を盛れる者たちがいる。それは………」
しかし、タイウィンがその先を言おうとした瞬間………デニスがその後を引き継いだ。
「………それは、陛下やイライザ王妃などの身内の者、又は……私のように特別に許され、エダードと二人っきりで食事をとる事ができる者たちだ」
そのデニスの答えを聞き、タイウィンは口元を吊り上げ冷笑を浮かべる。
「御名答。だが、これはあくまでも推測の域を出ない………証拠は何もないのだからな。イライザ王妃も確固たる証拠があって、セシル・ドラグーンを告発した訳ではなかった。ふん……使えん女だ」
「タイウィン……お前は、陛下が実の父親を殺したとでもいうのか?」
「くくくく………酔っ払いの戯言だ、デニス。しかも、王家を蔑ろにする一人の卑屈な男のな」
「…………」
タイウィンは愉快で堪らないというように顔を綻ばせ、デニスは一層険しい表情になった。
しかし、タイウィンがグラスのワインを飲み干した次の瞬間、その顔はいつものような鉄仮面に戻っており、至極真面目にデニスに尋ねた。
「もしも……もしもの話だぞ?デニス……もし、本当にセシル・ドラグーンがエダード・ドラグーンを毒殺でもしていたとしたら、お前をどうする?」
タイウィンの一言はあたりの空気を一気に不穏なものへと変えさせた。しかし、デニスは怯まない。
「………決まっている。王位の簒奪と肉親殺しなど、断じて許されるべきではない………法に照らし、その者を断罪する」
「ほほう?では、貴様は今はなき主君のために、現国王であるセシル・ドラグーンを討伐すると?ククククク……これはドラグーン王国建国以来の大事件だ。ヴェラリオン家が王家に弓をひくとはな」
「ただ盲目的に従うことを忠義とは言わぬ。親殺しや、子殺しは古今東西のどんな神々さえ恐れ戦く大罪。しかも、それが王位簒奪のためになされたとするならば………断固許せぬ」
「これは面白くなってきたな~デニスよ。はてさて、私はどちらにつくべきだろうな~?この機会に王家を潰すのも……貴様と決着をつけるのも一興だが。まぁ、私は高みの見物でも決め込むとしよう。勝ち馬に乗るのもいいかもしれんな~~。それで?……あの者はどうするのだろうな~?……貴様の娘は?」
「それは………」
デニスはタイウィンの咄嗟の問いに初めて言葉を詰まらせる。タイウィンはそんなデニスに気付きながら、面白そうに続ける。
「貴様の娘は、随分と陛下にご執心のようだからな。それに恐らく………ガウエン元帥はあちら側につくぞ?あの方にとっては、もはや『軍神』と闘える事がすべてだ。その意味では、セシル・ドラグーンのように大陸統一を目指す王は理想的に映ることであろうからな。さぁ、貴様の娘はどうするのだろうな?忠義か?親族の情か?………主君と大恩ある元帥に弓を引くのか………それとも、親子が互いに弓を引き、殺しあうのか?はぁ~~……どちらにしても、悲しい運命ではないか。これは、確実に吟遊詩人の歌になるぞ?」
しばらく、堅く口を閉じていたデニスであったが、深く息を吐き出したかと思うと迷いのない瞳でこう言い放った。
「私は………ヴェラリオン家の当主としての義務を果たす」
それだけ言い残して、デニスは車椅子を反転させ部屋を出て行こうとする。そんなデニスの後ろ姿にタイウィンは言葉を投げかけた。
「果たすべき者は……すでにこの世にいないのに?」
そんなタイウィンの問いに対して、デニスは今度は即座に答える。
「それでも………だ。エダードが亡くなったとしても、私の忠誠の念が揺らぐことはない。私は……『己の信ずる忠義』を貫くだけだ。その過程で何が立ちふさがろうとも、私が立ち止まる事はない。例え、私を阻むその障害が……………かけがえのない唯一の愛娘であろうともだ」
デニスはそう覚悟を決めたように宣言すると、タイウィンのために用意された部屋を出て行った。
カラカラ……カラカラ……カラカラ……車輪の音がしばらくは虚しく廊下に響いていたが、それもしばらくすると聞こえなくなった。
「……………」
タイウィンは一人になった部屋の中でもう一度空のグラスにワインを注ぎ、今度は味わいもせずに一気に飲み干した。
そして次の瞬間………空になったグラスを壁に叩きつけ木端微塵に粉砕した。さらに、チッとタイウィンは忌々しげに舌打ちをしこう呟いた。
「………私は、貴様のそういうところが気に食わぬというのだ」