己の信ずる忠義 竜王編
ドン!!……という凄まじい音が部屋に響き渡った。
それはエドリックが襟首を掴みながら、アシャを体ごと壁に叩きつけた音だ。その瞳には怒りの業火が燃え盛っている。
エドリックはあまりの怒りに声を震わせながら、アシャを睨め付けた。
「………おい、ヴェラリオン。お前……本当いい加減にしろよ?俺は何度もお前に忠告したはずだよな?お前がどんなに馬鹿でも構わない……だが、ガウエン元帥に迷惑がかかるような事だけは、絶対にするなって言ってるだろうが!!」
ドン!!っと、エドリックはもう一度アシャを壁に叩きつける。アシャは黙ってエドリックにされるがままになっていた。
「………エドリック、もう良い」
そんなエドリックをやさしく嗜める男がいた。先ほどから黙って二人をやりとりを見ていた、ガウエン元帥である。
しかし、エドリックの怒りはまったく治まらないようだった。アシャを乱暴に突き放すと、今度は椅子にゆったりと座るガウエン元帥に詰め寄った。
「ガウエン元帥!!あの振る舞いは下手をすれば、元帥の進退問題にも発展しかねない事態だったんですよ?今回ばかりは、俺も我慢がなりません!!ガウエン元帥の副将として、アシャ・ヴェラリオン将軍への何らかの処罰を要求します!!」
エドリックは気色ばみながら、ガウエン元帥へと直訴する。ガウエン元帥はそれを聞き、腕を組みながら何やら思案しているようだった。
そして、しばらくしてからガウエン元帥はアシャへと話しかけた。
「ふむ………アシャよ、自分が何をしたか分かっておるな?」
「…………はい。軽率な行動だったと反省しております」
アシャはガウエン元帥に言葉をかけられると、情けなさと申し訳なさのあまりうな垂れた。
「はん!!ヴェラリオン……お前は反省の意味を辞書で調べておけ」
エドリックはアシャの発言に、これ見よがしに嫌味を浴びせかけた。ガウエン元帥は神妙な表情のままアシャに確認をとる。
「そうか……自分でも軽率な行動だったと反省しておるのだな?だが……エドリックの言う通り、お主にはちと感情を抑える事に難があるようじゃ。それを克服するためにも……何らかの処罰は必要になるじゃろうな」
処罰と聞き、アシャは緊張のあまり顔を強張らせた。しかし、改めて直立して姿勢を正した。
「は!!如何様な罰でも、甘んじて受けさせていただきます」
アシャは誇り高く、そしてはっきりと宣言した。ガウエン元帥はその答えに満足そうに頷くと、もう一度しっかりと確認をとった。
「うむ……アシャよ。その言葉、儂はしっかりと耳にしたぞ。どのような罰でも甘んじて受けるのだな?」
「は!!」
「よろしい……では、アシャ・ヴェラリオン将軍に今回の罰を言い渡す。それは…………」
こうしてガウエン元帥は、アシャにある罰を言い渡した。
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コンコン……とアシャは少し遠慮がちにある部屋の扉を叩いた。できればいなければ良いと願いながら。
しかし、その願いは叶わず………部屋の中から入ってくれという声が聞こえてきた。アシャはとりあえず扉の前で一度深呼吸をすると、覚悟を決めて部屋へと入って行った。
そして…………そこでアシャを待っていた人物は車椅子に座り、アシャに背を向けた格好で窓の外をぼんやりと眺めていた。
白髪混じりのオレンジの髪、アシャと同じブラウンの瞳………その名をデニス・ヴェラリオン。アシャの実の父親である。
ガウエン元帥から命じられた罰とは、今『御前会議』に来ている父に会ってきなさいというものだった。
元々、ガウエン元帥は父から頼まれていたらしく……それをどう切り出したものかと悩んでいたらしいのだ。
さすがにあれだけの啖呵をきってしまった手前断る訳にもいかず、アシャは気が重かったが王城の父がいる部屋へと向かったのだった。
そして今、アシャの目の前には長年にわたって親子喧嘩をし続けているデニスがいるのであった。
「アシャよ………先の『御前会議』での態度はあまり誉められたものではないな」
アシャが部屋に入るなり、デニスはいきなり自らの娘を嗜めた。
「………」
アシャはそんなデニスの軽い叱責に対しても沈黙を貫いていた。しかし、デニスはさらに続ける。
「タイウィンが言った通り、『御前会議』で発言が許されている者は限られている。元帥の副将に過ぎぬ者がむやみやたらに発言すれば、厳罰もやむなしなのだ。そして、それはひいてはガウエン元帥に迷惑をかける事になりかねんのだぞ?」
「…………申し訳ありませんでした………ヴェラリオン公」
アシャはひどく他人行儀なかたちで答えた。それを聞いたデニスの顔には、一抹の寂しさが浮かんだ。そして、デニスは深いため息を吐いた。
「……アシャよ。私のことを…………父とは呼んではくれぬのか?」
そんな弱弱しい父の言葉を聞いた瞬間……アシャの胸にチクリと針でさしたような痛みがはしったが、アシャは意固地を通してしまった。
「……はい。私はヴェラリオン家の継承権を放棄し、出奔した身です。けじめは………つけるべきだと思います」
「アシャ……何度も言うが、私はその件を断じて認めておらぬ。ヴェラリオン家の次期当主は依然としてお前なのだ」
「………そんなにヴェラリオン家の血筋を絶やさぬ事が大事なのですか?」
自分でも棘のある言い方になってしまっている事は自覚していた。しかし、言わずにはいられなかった。
家を飛び出し、それ以来ずっとガウエン元帥の元で軍学を学んできた。ドラグーン王国の元帥という事もあったが、ガウエン元帥に師事したもっとも大きな理由は、かつて父がガウエン元帥に師事していたという事を聞いた事があったからだ。
武芸大会にも名を偽り、仮面を被って秘かに出場し、優勝したこともあった。もちろん……ファルナの力など借りずに自らの力のみでだ。
国境では仲間や部下とともに祖国を守るために戦い、多くの戦果も上げてきた。
すべてはファルーゼ・ヴェラリオンのような偉大な騎士となるために。そして………父に認めてもらおうと頑張ってきた。
かつてドラグーン王国随一の剣士とまで謳われた父が、心の底から誇れるような武人になろうと。
しかし、どんなに武芸を磨いても………将軍として戦果をあげても………父はいつまでも自分に縁談の話を勧め、戦場を離れろと繰り返すのだ。
どうしようもない思いが込み上げてしまう。
(なぜ……認めてくれないのですか?私は、ヴェラリオン家の英雄や偉大な父上に少しでも近づこうと頑張っているのに………)
しかし、そんなアシャの思いとは裏腹にデニスの口から出てくるのはいつもと同じ言葉だった。
「血筋などどうでも良い。私の唯一の願いは………お前が戦場を離れ、幸せになる事だけだ」
「…………残念ですが、そんな事は不可能です。私は生涯軍人としての道を歩みますので」
二人はしばらくそのまま睨み合いを続けていたが、それはあまり長くは続かなかった。デニスが先にその視線を逸らしたからだった。
「まぁ……今は良い。もちろん……いつかは説得してみせるがな。今日はこの話をするために、ガウエン元帥に頼み込んだ訳ではないのだ」
「???」
アシャは訳が分からず頭にクエスチョンマークを浮かべてしまった。どうせ、また縁談の話だろうと思っていたからだ。
そんなアシャの不審をよそに、デニスは本題に入った。
「アシャよ………私はしばしドラグーン王国を空けることとなる」
「ドラグーン王国を?」
「そうだ。およそ、一か月あまりになるだろうが…………魔国とスタットック王国の両国の『王』に謁見しようと思うのだ。その間……ヴェラリオン家の城代としてアーノルドを指名した。何かあればアーノルドを頼ってくれ」
アーノルドというのは、ヴェラリオン家に忠誠を誓ってくれているグラスター家の領主である。先ほど、父につき従っていた父と同じくらいか少し歳を重ねていた男だ。
アーノルドについてはアシャは小さい頃から知っていた。よくヴェラリオン家の主城に来ていて、血の気の多い事で知られていた。聞いたところによると、戦場では身の丈と同じくらいの大剣を軽々と振りまわすという話だった。
アーノルドは父に絶対の忠誠を誓っている。だから、アーノルドを城代として指名することについてはアシャは何の心配もなかった。しかし…………
「…………僭越ながら、スタットック王国はともかく魔国は大変危険だと思います。魔族は気性の荒い種族と聞いていますし、魔王には『ルードンの森』の疑いもあるではありませんか」
そう。スタットック王国は人間族の国だ……しかも、今は交戦中という訳ではないのだ。特に心配はないだろう。
問題は魔国のほうだ。魔族について詳しい事は知らないが、噂や『御前会議』での報告を聞くかぎりまったく信用できないというのがアシャの感想だった。
しかし、デニスはそんなアシャの心配に落ち着いて答えていった。
「確かに、魔族には気性の荒い者たちが多い。だが、そんな者たちばかりでもないのだ。私は、若い時に今の魔国領まで旅をしたことがある。その時出会った方は、私の魔族に対する偏見をきれいさっぱりなくしてくれたのだ。そして、『ルードンの森』の件だが…………私には魔王が関わっているとはどうしても信じられん」
「魔王が関わっていないというのなら、なぜ突然エルフ族が凶暴化するのですか?」
「それはまだ分からない。元々、エルフ族は排他的な種族であり、情報も少ないからな。その原因を究明するために、私はスタットック王国とともに調査隊を派遣しようと考えている。また、魔国には絶対に行くつもりだ…………これだけは譲れない」
「そう……ですか」
アシャはまだ少し心配であったが、父もかなりの頑固者である事を知っていたので行くと言えば絶対に行く事だろう。
「そこでだ……私は一カ月あまりドラグーン王国に帰ってこない。また、各地を転々とするために便りの類も受け取ることができぬのだ。だから………アシャ。今すぐに、私に何か言っておかねばならない事はあるか?」
それを聞き、しばらく黙っていたアシャであったが………直立して姿勢を正しきっぱりとした口調でこういった。
「いいえ……ありません」
確かに少し心配ではあるが、デニス・ヴェラリオンは用意周到な人物だ。父なら特に問題もないだろうとアシャは判断した。
それを聞いたデニスは軽く頷いた。
「そう……か。ふむ……では、私の用はこれだけだ。苦労をかけたな……ガウエン元帥によろしく伝えておいてくれ」
そのデニスの言葉を聞くと、アシャはその場で一礼し、踵を返して部屋を出て行こうとした。
「………アシャ」
まさに、アシャの手がドアノブにかけられようというその瞬間だった。
アシャは父が何か言い忘れた事があったのかと思い振り返ったが、デニスはすでにアシャに背を向け、入ってきた時と同じように窓の外をぼんやり見つめていた。
そして、デニスは背を向けたまま……小さくはあるがよく通る声でこう告げた。
「アシャよ………ヴェラリオン家の者としての誇りを忘れていないのなら、これだけは言っておかねばならん。『己の信ずる忠義を貫け』………例え、その先にどんなに辛い現実が立ちはだかろうともだ」
「…………」
アシャはそのデニスの言葉には答えず静かにドアを閉めた。
その間際……ドアの隙間から垣間見た父の後ろ姿は、なぜかひどく悲しげに見えた。