御前会議 竜王編
「くだらぬわ!!」
苛立ちを隠そうともしていない声が会議の間に響き渡った。一部の者を除き、円卓に座っているものたちはみな震え上がっている。
「………何がくだらないというのかしら?ウェンデル公?」
セシルはその柔和な微笑を崩さずに尋ねた。そんなドラグーン王国の国王を、タイウィンはギロリと睨みつけながら続ける。
「私の領地に属する、『ルードンの森』のエルフ族が凶暴化している件についての報告がですよ……陛下。分かりやすく、もう一度読み上げて差し上げましょうか?《この度のエルフ族の凶暴化には、魔王という存在が関わっている可能性が高いと結論づける。おそらくエルフ族は、この世界にはない異世界の力により何らかの催眠・洗脳にかけられている疑いがある》……だと?………はん!!魔王?洗脳?異世界の力?この私を虚仮にするにも程がある!!」
タイウィンはその振り上げた拳を円卓に振り下ろした。大理石のテーブルに罅が入るかと思うほど威力だった。
しかし、セシルはそんなタイウィンに怯まず、そのブロンドの長髪を指に巻きつけながら語る。
「虚仮にしているとは随分な言い方ね、ウェンデル公。…………かつて、魔国とスタットック王国の同盟軍と神聖帝国との戦において、魔王と呼ばれる存在はドルーン山脈のベアウルフを操っていたという報告があるわ。これは確かな筋からの情報よ?そして、魔族の凶暴さは神聖帝国の対処をみれば明らか。私はかなり信憑性が高い報告だと思うのだけれど?」
しかし、それを聞いたタイウィンは馬鹿にしたように鼻をならした。
「我らが親愛なる国王陛下ともあろうお方が、愚かな民衆のように噂を信じて疑わぬとは………嘆かわしい限りですな」
「陛下に対して何て口の利き方だ!!」
ガウエン元帥の後ろでエドリックと共に座っていたアシャは、エドリックの静止もものともせずに椅子から立ち上がると叫んでいた。
御前会議にいる全員がアシャに注目する。エドリックは横で舌打ちをしていたが、アシャは気にも留めなかった。
タイウィンはギロリとセシルからアシャへ視線をうつす。そして、また怒声を響き渡らせた。
「これは『御前会議』である!!一介の将軍ごときが許可なく発言するとは何事か!!」
「く!!」
タイウィンとアシャは円卓ごしに睨みあった。
御前会議ではドラグーン王国の主だったものたちを集めて、国の方針や重大な案件について話し合われる。
通例としてドラグーン王国の国王、三代名家の当主、宰相、元帥、各相のトップがその円卓に座ることが許される。
そして、それぞれの代表者の後ろにはそれぞれの副官や事務官が控えており、質問に答える場合や意見を求められた時のみ、発言が許されるのが慣例になっていた。
「……………アシャよ、控えるのじゃ」
アシャの前に座っていたガウエン元帥は前方を向いたままアシャを嗜めた。
ガウエン元帥に言われれば、アシャは大人しく席に座らざるをえなかった。円卓ではガウエン元帥がタイウィンに対して頭を下げていた。
「ウェンデル公、私の副将が御無礼をはたらいた事をお許しいただきたい」
「ふん……ガウエン元帥、別に私は気にしていませんよ……ヴェラリオン家の王家に対する忠誠心は、あまりにも有名ですからな。ただ………軍人として自分を制する事ができないとは、将軍としての器を疑わざるをえませんな?」
そんなタイウィンの嫌味を聞きアシャは悔しそうに唇を噛んだ。しかし、そんなアシャの方を見向きもせずに、タイウィンはじっとガウエン元帥のみを睨め付けていた。
ガウエン元帥は顎鬚をなでながら俯き加減で大理石のテーブルを見つめ、タイウィンと目線を合わせないようにしていた。
タイウィンは、そんなガウエン元帥を見ながら忌々しげに歯ぎしりをした。しかし、タイウィンは一度深呼吸をして自分を落ち着け、冷笑を浮かべながらセシルに向かって言った。
「陛下……この馬鹿馬鹿しい報告書に基づき、軍備を増強しようとする前にしなければならない事があるのではないですかな?この場ではっきりと申し上げておきましょう。私はこれ以上待つ気はない……ドラグーン王家が代々、我がウェンデル家から借りている借財のすべてを返済していただきたい!!」
会議の間をある種のざわめきが支配した。そして、そのざわめきは二種類に分けることができた。
一つ目は、王家がウェンデル家に多額の借財があることを知らない、又は噂の類でしか聞いたことがなかった者たちの驚きというざわめき。
そして二つ目は、それが事実として知っていた者たちの………『御前会議』というドラグーン王国の要職が一堂に介する公式の場で、敢えてドラグーン王国の国王を辱めるような発言をしたタイウィンへの驚きというざわめきだった。
タイウィンはそんなざわめきを物ともせずに、自らの『王』に食って掛る。
「さぁ……どうなのですか、陛下?ドラグーン王家が長年にわたって我がウェンデル家から借り続けているものを今すぐに返済していただけるのですかな?もちろん……金貨でも、銀貨でも、銅貨でも構いません。あぁ……それで不足するというのなら、土地でも構いませんよ。それに見合う何か……ならね?」
にやりと意地悪くタイウィンは笑みを浮かべた。会議の間にいる者たちが固唾を飲んでセシルとタイウィンのやり取りを見守っていた。
ちなみに、アシャがまた叫ぼうとしたようだが、今度はしっかりとエドリックがおさえつけていた。
しばらく、じっと何かを堪えるかのように黙っていたセシルであったが、屈辱に打ち震えながら途切れ途切れに言葉を発し始めた。
「ウェンデル公……その……恥ずかしい話、今の王家には…………ウェンデル家にその借財のすべてを返せる程の余裕はないわ。だから………だから、もうしばらくだけ……待ってもらえないかしら」
そしてセシルは、自らの臣下であるタイウィン・ウェンデルに懇願した。周りに座る者たちの反応は様々だった。憤るもの……憐れむもの……嘲笑している者の姿もあった。
タイウィンはそんな国王をみて馬鹿にしたように冷笑する。
「くくくくく……まぁ、親愛なる国王陛下がそこまで仰るのであれば、私ももうしばらくぐらいは待てない事もない。幸い、我がウェンデル家は金に困窮しているという訳ではありませんのでな。何はともあれ………私はこんな馬鹿げたことに協力する気は一切ない!!そんな事を仰るのは、まずは筋を通してからにして戴きましょうか………『借りは返す』これが我がウェンデル家の家訓ですので」
そういうとタイウィンは乱暴に席から立ち上がると、まだ会議が途中であるにも関わらず会議の間を出てていこうとする………目の前に自らが忠誠を誓っているはずの『王』がいるにも関わらずである。
途中、一人の勇気ある衛兵が止めようとしたようだが………タイウィンに耳元で何かを囁かれると、みるみる蒼白になっていき、立ったまま固まり動かなくなってしまった。
そのままタイウィンはまさに『威風堂々』とした態度で………会議の間を後にしてしまった。
すると、そのタイウィンの後を追うように円卓に座る者たちも次々と退出してしまう。『会議の間』に残る人数はあっという間に半数近くにまで減ってしまっていた。
アシャはガウエン元帥の後から、チラリと視線をセシルに向けた。セシルはじっとタイウィン・ウェンデルたちが出て行った扉を見つめていた。
アシャは、セシルのその表情からは何も察する事ができなかった。
「………クレイトン宰相、あなたの考えは?」
しばらく沈黙していたセシルであったが、自らの向かい側に座る80歳近い男に尋ねた。
ドラグーン王国宰相……クレイトンである。セシル・ドラグーン、先代のエダード・ドラグーン、そして先々代のエーモン・ドラグーンと三代にわたり宰相を続けている才人だった。
クレイトン宰相は嗄れた聞き取りづらい声ではあったが、申し訳なさそうにしながらもセシルの問いに答えていった。
「陛下………大変恐れ多い事ではございますが、国庫には軍備を増強するような余裕はございません。この度の騒乱でドラグーン王国は疲弊しております。それどころか……ウェンデル家よりの融資がなければ今年の予算すら………」
セシルは依然、そのブロンドの長髪を指に巻きつけながらクレイトン宰相の話を聞いていた。クレイトン宰相はさらに続ける。
「それに………私としましてもこの報告はあまり信じられません。現魔王は、ドラグーン王国との交易に大変熱心なようでして、幾度となく使者が訪れております。私も少しばかり交易品を拝見させていただいたところ、真見事な工芸品でありました。もし、スタットック王国との交渉により関税の撤廃……もしくは、南の大砂漠を安全に通れるような交易ルートの確立などがなされれば、莫大な利益を双方に生み落とすになるでしょう。ひいては、ドラグーン王国の発展にも……」
「つまり…………あなたも反対という訳ね?」
饒舌に、そして熱を込めて喋っていたクレイトン宰相であったが、セシルの幾分か刺のある声音に口を噤んでしまった。そして円卓に視線を落としながら、申し訳なさそうに深く頷いた。
「…………陛下、私も反対です」
そういったのは、御前会議が始まった時からずっと目を瞑り話を聞いていた男だった。白髪混じりのオレンジの髪に、ブラウンの瞳、そして他の者が円卓の椅子に座るなか、その人物だけは自前の車椅子に腰かけていた。
ドラグーン王国、三大名家が一つ……ヴェラリオン家の現当主であり、アシャの実の父親でもある、デニス・ヴェラリオンである。
「ヴェラリオン公………あなたもですか」
セシル・ドラグーンは疲れたような声を溜息とともに吐き出した。デニスは報告書を手に取りながら、自らの考えを語っていった。
「この報告書が嘘とまでは申しませんが………私の独自の情報網によると、この異世界から召喚された魔国の王は、無益な争いを望んでいないとの事。また、クレイトン宰相がいうように魔王は交易による発展と、友愛により魔国を導いていこうとしているのは明らかです。もう一度、厳正な調査のやり直しをするべきだと思います。悪戯に魔国を刺激するような事をすべきではない。まずは、スタットック王国と協力して、エルフ族の謎を解き明かす事が先決であると考えますよ。ガウエン元帥………今、スタットック王国とドラグーン王国との国境付近はどうのような状況になっていますか?」
「はい……国境付近は小競り合いもなく安定しています。神聖帝国を滅ぼしたスタットック王国とは現在戦闘中という訳ではありませんからな」
そのガウエン元帥の報告を聞き、デニスは満足そうに深く頷いた。
「素晴らしいです事ですな………神聖帝国を滅ぼした第87代・『北の王』・ソロス・スタットック殿は、神聖帝国のアートス教ですら信仰を認めるという寛容さを持ち合わせていると聞きます。確かに、はるか昔からスタットック王国とドラグーン王国はこの大陸の覇権を争ってきた敵国同士です。しかし、それもスタットック王国が神聖帝国に併合される以前の我らが存在すらしていない頃の話です。これは最大のチャンスと捉えるべきです………新生スタットック王国と新興国家である魔国、そしてこのドラグーン王国が互いに手を取り合うことができれば、この大陸に未だかつてもたらされた事のない平和な世界がおとずれる。やってみる価値はあると思います……先代の国王陛下の理想が実現するかもしれぬのです。ですから…………私は陛下の方針に賛成することはできません」
デニスはしっかりとセシルを見据えた……その瞳には確固たる決意が感じられた。また、そのデニスの意見に賛同するかのように残り少なくなった出席者の多くが頷いている。
セシルはその言葉を出すのに苦痛を伴うかのように、ゆっくりと一言一言吐き出していった。
「…………そう。あなたの考えはよく分かりましたよ、ヴェラリオン公。…………では、必要がないかもしれないけれど、慣例に従い…………決をとる。私が提案した議案について賛同する者は、賛同の証として己が右手を天高く翳しなさい!!」
そのセシルの大声は、まるで自らを鼓舞しているかのようでもあった。そしてそれを受け、賛同の証として己が右手を天に翳したのは、ガウエン元帥以下……………数名の者しかいなかった。
もちろん………『御前会議』で過半数を超える賛同を得なければ、国王であろうとも勝手な事はできない。
それはつまり…………ドラグーン王国・国王・セシル・ドラグーンの方針が『御前会議』で否決された事を意味していた。