錚錚たる 竜王編
「これは………タイウィン公。お久しぶりでございます」
近づいてくるタイウィン・ウェンデルに気付いたクレイトン宰相は、その場からゆっくりと立ち上がると会釈をした。
腰が曲がり、比較的小柄なクレイトン宰相と、筋骨隆々のタイウィン・ウェンデルが相対すると、まるで子供と大人程の違いがあるように思える。
タイウィンは黄金の外套を翻しながら、クレイトン宰相の目の前まで近寄ると同じように会釈をした。そしてその冷たい声音で、クレイトン宰相に話しかけた。
「まぁ………確かにこうして直に会うのは久しいですな。私は滅多に王都へは参りませんので。……今回の『御前会議』にも、王家からウェンデル家への借財の返済があるまでは出席するつもりはなかったのですがね。ちと、我が領地に属する『ルードンの森』がきな臭くなったので、それについての対策を聞きに来たのですよ」
「そうでしたか。今回の『御前会議』は、セシル陛下の下で執り行われる最初の『御前会議』ですからな。今後のドラグーン王国の方針などについても、話し合う事になるでしょう」
「ドラグーン王国の今後…………ですか」
しかし、クレイトン宰相の言葉を聞いたタイウィンはその無表情な顔に冷笑を浮かべた。そして、改めてこう切り出した。
「クレイトン宰相……『例の件』については考えてくださいましたかな?」
それを聞いたクレイトン宰相は少しの間黙っていたが、ため息とともに言葉を吐きだした。
「………うむ、分かっておるつもりじゃ。儂もドラグーン王国の宰相として責任ある身。儂の進退も含めて、今回の『御前会議』では、新宰相の選出を議題にあげるつもりじゃ」
「ク、クレイトン宰相!!何を言っておられるのですか?」
ライサは今の今までタイウィン・ウェンデルを敢えて見ないように、拳を握りしめながらずっと下を向いていた。しかし、クレイトン宰相の言葉を聞いた瞬間叫ばずにはいられなかった。
クレイトン宰相はそんなライサに視線を戻し、少しばかり悲しそうな笑みを浮かべた。
「ライサよ……仕方がないことなのじゃ。人は必ず歳をとり……衰える。儂にはもう、かつてのような快活さもなければ、即座に何かが浮かぶ閃きさも消え失せておる。本来なら、もっと早くに引退すべきであったのじゃ。じゃが……宰相として長年この国を引っ張ってきたというつまらぬ自負が、邪魔をしておったのじゃよ。今回………タイウィン公の申し入れを受けて初めて、改めて自分を省みることができた。かつて儂は、自分より若輩というだけで正当に評価しないという者たちを多くみてきた。儂はそのような愚か者にはなりたくないのじゃ……セシル様が、ドラグーン王国の国王となられた今がいい機会じゃ。老いぼれは去り……才能ある若ものたちに道を敷いてやる事こそ、儂の為すべきことなのじゃよ」
「そ、そんな………」
ライサは戸惑ったまま、クレイトン宰相をしばらく見つめ……タイウィン・ウェンデルをキッと睨みつけた。そして、感情が爆発したように叫ぶ。
「あなたは……何て汚い人なのですか!!これほどまでに、ドラグーン王国に尽くしてきたクレイトン宰相を辞めるよう追いつめるなんて!!どうせ、ウェンデル家の者を宰相の後釜につけたいだけのくせに!!」
「………何だ貴様は?」
タイウィンはそこで初めてライサの存在に気付いたようで、その冷徹な視線を向ける。並みの兵士では怖気づき、動けなくなるようなその視線を……ライサは真っ正面から受けきった。そして、さらにライサは言葉を発する。
「私の名はライサ・マーティン!!王室直轄特務調査室長官……ライサ・マーティンです!!」
ピクっとその名称を聞いた瞬間、鉄仮面のように冷徹だったタイウィンの表情に初めて動きがあった。
「………そうか、貴様があの特務長官……………殿か」
タイウィンは一気にライサににじり寄ると尊大に見下ろした。しかし、ライサは怯まなかった。それどころか、ライサは殺意の籠った眼でにらみ返し続けている。
「溝鼠らしく、ちょこまかと動き回っているようだな?特務長官………殿?我がウェンデル家に連なる者たちも随分お世話になっているようだ。だが、十二分に気をつける事だ。踏みつけたのが野良犬の尻尾だと思ったら、それがドラゴンの尾という事もあるかもしれんからな」
「例え、それがドラゴンの逆鱗に触れる事になろうとも、私のやるべき事は何も変わらない。不正を見抜き、国に害を及ぼす者を逮捕していくまでです」
それを聞いた瞬間、タイウィンの口元がかすかに吊りあがった。すべてを凍りつかせるような冷徹な笑みだ。
「私をあまり怒らせない方がよいぞ?特務長官……殿?そういえば……以前にも、貴様と同じようにウェンデル家にちょっかいを出してきた馬鹿な男がいたな」
「タ、タイウィン公!!それは……」
クレイトン宰相は即座にタイウィンが何を言おうとしているかを察し、止めようとしたが……タイウィンはさらに続けてしまった。
「名は何と言ったか……そうだ、思い出したぞ。スミス・マーティンとかいう馬鹿な男がな?」
その名を聞いた瞬間、カッと一気にライサの頭に血がのぼった。スミス・マーティン……それこそ、ウェンデル家に眼をつけられ、没落したマーティン家の前当主である。
つまり………亡くなったライサの実の父親の名前だったのだ。
ライサは怒りで我を忘れ……咄嗟にタイウィンに向けて拳を突き出していた。しかし……バシッと…という音と共に、その拳は見事に止められてしまった。
タイウィン・ウェンデルにではない。ライサの拳を止めたのは、薄紫の髪をし、黒い革の眼帯を左眼にした自分よりも小さい少年だった。
いつの間にタイウィンとライサの間に入ってきたというのか。少なくともライサにはまったく分からなかった。
そして、ライサの頭で理解できたのはそこまでだった。急に体が宙に浮いたかと思うと、次の瞬間………顔から地面にたたき伏せられていた。そして、ライサの右腕をねじあげながら、少年はその後頭部を足下にした。
「ほう?……三大名家の当主に手をあげるか。それ相応の覚悟はできているのだろうな?……ライサ・マーティン?」
「く……」
タイウィンは、今度はマーティンのところを強調するようにその名を呼んだ。あまりの悔しさにライサの口からは血が滲み始めている。
「タ、タイウィン公!!お願いです……もうおやめ下さい」
「やめろ……とは人聞きが悪いですな、クレイトン宰相。先に手を出してきたのは、この小娘の方ですよ。そして、いつまた殴りかかるか分からぬ者を野放しにはできますまい?」
タイウィンは馬鹿にしたように鼻をならした。クレイトンの要望を聞き遂げる気はまったくないようだった。
すると、今まで黙ってライサの腕をねじあげていた少年が突然あらぬ方向に視線を向けた。それをタイウィンは怪訝そうに見る。
「どうした?……パトリック」
「…………来ます」
パトリックと呼ばれた少年は、静かに一言だけ発した。タイウィンとクレイトンは、自然とパトリックが見つめている方向に視線を向ける。
すると、確かに広場に続く道をこちらに向かって歩いてくる者たちが見えた。
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ドラグーン王国の王城へと続く道を三人の鎧を纏った軍人が進んでいた。
先頭を行くのは、見事な白髭をたくわえた70代後半の高齢の男だった。その顔の中央には、額から頬にかけて大きな斬り傷が見てとれた。
名をガウエン・ブラックス………ドラグーン王国の軍のトップに君臨する元帥である。
そのガウエン元帥につき従うかのように、二人の将軍が後ろから並んで歩いていた。エドリック・スターフォールとアシャ・ヴェラリオンである。
そして………真っ先に広場の異変に気がついたのはアシャだった。
「な……何をしている!!」
パトリックに足下にされ、腕をねじ上げられているのがライサだと判り……アシャは即座に走り出そうとした。しかし、横にいたエドリックがアシャの手首を瞬時に掴み、放そうとしなかった。
「離せ、エドリック!!ふざけてる場合か!!」
「黙れ、ヴェラリオン。それはこっちの台詞だ。貴様がどんなに馬鹿だろうが構わない……だが、ガウエン元帥に少しでも迷惑をかけるような真似は、俺が絶対に許さない」
エドリックはアシャの手首を掴んだ手に一層力を込めた。それは、まさに骨が軋むほどの強さだった。ガウエン元帥は、少しばかり目を細めながら顎鬚に手をやった。
「………落ち着くのじゃ、アシャ、エドリック。ふむ………状況がよく読めぬな。もちろん、見過ごす訳にはいかぬが………まだ、判断すべき時ではなかろう。アシャ……エドリック……これより先は一層気を引き締めよ。些細なことが、後の大事になりかねん」
「はい」「………はい」
ガウエン元帥に対してエドリックは即座に、アシャはしぶしぶといった風ではあったが答えた。そして、広場に近づくにつれてアシャの表情は険しいものになっていった。
タイウィンはちらりと一度だけアシャに視線を向けたが……それだけだった。そして、ガウエン元帥に話しかけた。
「これはこれは………ガウエン元帥ではありませんか。舞踏会以来ですな?」
「先日はお招きいただき真にありがとうございました、タイウィン公。ところで………これはいったい何事ですかな?その……穏やかではありませんな?」
「ふん……この者が突然私に殴りかかってきたのですよ。それを、私の護衛が撃退しただけのこと」
タイウィンはガウエン元帥の問いにも、まったく動じなかった。ガウエン元帥はクレイトン宰相に目配せをする。クレイトン宰相も何かを訴えるかのような視線を向けたが、反論の余地がないようで口を噤んでしまう。
ガウエン元帥は少しばかり困ったような表情をしながらも、なおもタイウィンに食い下がる。
「その……これより『御前会議』が始まろうとしている折に、あまり事を荒立てるのは……」
「荒立てる?くくくく……ガウエン元帥、おかしな事をいいますね。まるで、私が原因のような口振りだ。ですが、まぁ………私としても騒ぎになるのはあまり望んでいませんよ」
「それなら………」
ガウエン元帥に安堵したかのような表情が浮かんだ。しかし、そんなガウエン元帥に対してタイウィンは冷笑を浮かべた。
「しかし…………三大名家の領主に殴りかかって、何の咎めもない訳にもいきますまい?それ相応の罰は受けてもらわなくては。パトリック………折れ」
「かしこまりました」
タイウィンの無慈悲な命を聞いたパトリックは、ねじ上げている腕に力を込めた。ライサは苦悶の表情を浮かべたが、絶対に悲鳴など上げるものかと歯を食いしばった。
そんなライサを見た瞬間、アシャはエドリックの制止も振り払い柄に手をかけた。まさにそんな一触即発の状況のなか、その場にいる誰でもない大音声が響き渡った。
「やめよ!!タイウィン!!」
タイウィンはその声を聞いた瞬間パトリックにさっと合図を出し、その手を止めさせた。そして、忌々しげにこう呟いた。
「………………デニス」
カラカラ……カラカラ……その車椅子独特の車輪の音を響かせながら、タイウィンの後方から鎧を身に纏う年配の男を引き連れて、ある人物がこちらに向かってきた。
その名を、デニス・ヴェラリオン。ドラグーン王国三大名家……ヴェラリオン家の現当主である。つまり………アシャの実の父親だ。
タイウィンはゆっくりと振り返り、車椅子のデニスを見下ろす形で相対した。そして、先に口を開いたのはデニスのほうだった。
「タイウィン……………度が過ぎるぞ」
「ほう?それは、どういう意味かな?……デニス?私はいきなり殴りかかられた被害者だ。至極全うな罰だと思うがな?」
タイウィンはデニスがどんな反応を示すのか冷笑をもって待った。しかし、デニスはそれぐらいでは怯みもしなかった。
「タイウィン……それは事実なのだろうが、真実ではないな。大方……お前がその者の神経を逆なでするような事をわざわざ言ったのだろう?」
それを聞いた瞬間、タイウィンの顔から冷笑がスッと消えた。そして、元の鉄仮面のような表情に一気に戻っていた。
「…………まるで見ていたかのように言うではないか」
「見ていなくても、大体の察しはつく………これでも、長い付き合いだからな」
「ふん!!」
タイウィンは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、ぞんざいにパトリックに手を振った。すると、パトリックはねじ上げていた腕の力を抜き、ライサの頭を踏みつけていた足もどける。
「ライサ!!」「ライサ!!」
アシャとクレイトン宰相がすぐに駆けつけた。ライサは腕をおさえながらも、タイウィンをにらみ続けている。
しかし、タイウィンはすでにライサの方を見てもいなかった。タイウィンはしばらくデニスを黙って見下ろしていたが、また冷笑を浮かべた。
「ふん………かつてドラグーン王国最強の剣士とまで謳われたお前が、今は人の手を借りねば階段すらまともに登れないとはな。憐れだな~………デニスよ」
「貴様!!」 「!!」
それを聞いた瞬間、デニスの後ろに控える年配の男が剣の柄に手をかけようとした。しかし、デニスがそれを止める。
「やめてくれ……アーノルド。私は別に気にしていない。はぁ~~………すまなかったな、タイウィン」
「何………だと?」
タイウィンは歯ぎしりと共にその冷徹な鉄仮面の表情を歪ませた。デニスは申し訳なさそうに続ける。
「こうなってしまったのはすべて私の責任だ。そのせいで………お前との……」
「黙れ………黙れ!!そんな話聞きたくもないわ!!」
タイウィンはその冷徹な瞳に烈火のような怒りの炎を宿しながらデニスの言葉を遮った。デニスもそれを聞き、口を噤んでしまう。
そんな混沌とした状況の中、また新たな人物が近衛騎士に囲まれながら王城に続く大理石の階段にその姿を現した。
「…………これは、錚々たる顔触れね」
その場にいた全員がそちらに視線を向ける。その人物は純白のドレスに身をつつみ、ブロンドの長髪を腰にとどくかぐらいに伸ばしている。
ドラグーン王国現国王、セシル・ドラグーンである。その姿をみた多くの者が臣下の礼をとる中、タイウィンは馬鹿にしたように鼻を鳴らし、パトリックは何の反応も示さなかった。
セシルは優雅な仕草でそれに応えながら、一段一段ゆっくりと広場にむかって下りながら言う。
「何やら騒ぎがあったようだけれど……それについてはこの後、詳しく聞かせてもらおうかしら。しかし、そろそろ時間が差し迫ってきているわ。クレイトン宰相、ガウエン元帥、ヴェラリオン公、ウェンデル公……すでにあなたたち以外の出席者は会議の間に到着している。さぁ………始めましょうか………『御前会議』を!!」
セシルの美声が王城の広場に響き渡った。