黙っててくれる?
「レ、レン………大丈夫?」
「………だ、大丈夫だ」
カエデによる衝撃的な一撃(ただの夕食)から一夜が明け、三人はまた『ルードンの森』に向かって、スタットック王国内を進み始めていた。
しかし、そんな中……明らかにレンの足元がふらついていた。
カイは小さい頃からカエデの手料理を食べさせ続けられているため、ある程度の耐性ができていた。例えるなら、幼い時から少量ずつ毒を食べて耐性をつける忍者のようなものだった。
しかも、カエデの腕前は歳をとる毎に酷くなっていくのだ。カイが料理をするようになったのも、カエデに作らせないという自己防衛本能のようなものだったのかもしれない。
何の訓練もなくいきなりカエデの料理を食べたレンは、一日だけではそのダメージを克服する事ができなかったのだろう。
カイとカエデに心配をかけまいとしているのか、朝から一言も弱音を吐いていなかったが………カイはずっとそんなレンを心配していた。
レンは不敵な笑みを浮かべながら、何とか言葉を紡いだ。
「………これぐらい何という事はない。武人たる者………どんな苦痛にも耐えねばならない時があるんだ」
レンは何やら悟りきったような訳の分からない事を言っていた。昨晩、今際の際にこの世のものではない何かを見てしまったのかもしれなかった。
「………」
カイは今の一言から、レンの体がかなりの猛毒(カエデの手料理)に蝕まれていると感じた。というより、あの料理はもはや人智を越えた何かだ…………人であるレンがダメージを受けたからといって気にする事はないのだ。
「で、でもさ……そんなに無理する事もないんじゃない?今日ぐらいはゆっくり休むのもいいかもしれないよ?」
カイが何とかレンを休ませるように説得しようとしていると…………
「そうだぞ、レン。無理をするのは体に良くないからな………今日は何やら具合も悪そうだし」
(カエデ、これだけは言わせてもらおう…………お前が言うな!!)
同じように心配するカエデに対して、カイは心の底からツッコミを入れた。しかし、レンの事を心配しているのは事実なようで、その声音からは真摯さが感じられた。
そして、それを聞いたレンは少しばかり考えを改めたようだった。
「…………そう……か。俺は、二人に心配をかけさせてしまっているようだな………分かった、二人には迷惑をかける事になるが、少し休ませてもらうことにする」
レンは本当に申し訳なさそうにしていた。しかし、さすがに限界だったようで………少し安堵したような表情も浮かべていた。
それは本当に微かな変化であったが、カイはしっかりと読みとる事ができた。
「迷惑だなんて……どっちかっていうと、レンは被害者なんだから、遠慮せずに英気を養ってよ」
「そうだぞ、レン。…………ところでだ、カイ?レンが被害者というのはどういう意味だ?」
カエデは本気で分かっていないようで、首を傾げながら尋ねてきた。カイはそんなカエデに対して、徹底的に聞こえぬふりを貫く事をすでに心に決めていた。
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三人は森の中で野宿に適した場所を見つけると、そこでいつものように朝を迎えることにした。
レンは真っ先に丁度いい感じの木の幹を見つけると、深紅の槍を杖代わりにして腰を下ろしていた。
カイは袋から鍋を取り出すと、いつものように夕食の準備に取り掛かった。いつもならレンと共に軽い鍛錬をこなすカエデは、少し離れたところで水月流の型を繰り返していた。
カイはいつものように鼻歌を歌いながら、野菜や肉を包丁で切っていく。しかし、そんなカイに木の幹に座って休んでいたレンが、深紅の槍をつきながらではあるが近づいていった。
「…………カイ」
「うん?何?」
話しかけられたカイは手を止めて、レンの方を振り向いた。すると、レンは何やら恥ずかしそうに頬を掻きながらこういった。
「…………今日は…………俺が作ろう」
「………え?」
それを聞いたカイは、まったく予想していなかった事にしばし固まってしまう。レンは少し俯き加減にしながらも、ボソボソと呟くように話し続けた。
「……………今日は俺のせいであまり進めなかったしな。それに………いつもカイにばかり作らせるのは申し訳ないとも思っていた。だから…………お礼もかねて俺が作る」
「い、いやいやいやいや………そんなお礼だなんて、俺は料理が好きだし………」
しかし、そんなカイの申し出に対しても……レンは頑として譲らなかった。
「…………まぁ、そういうな。今日くらいは俺に振舞わせてくれ……な?」
そこまで言われればカイも断る訳にはいかず、レンに任せることになった。レンはカイから調理道具と材料を受け取ると、黙々と調理を開始してしまった。
(………やばい、これは……やばいかも。また、あの『赤い何か』が出てくるのだろうか?)
瞬時にカイの脳裏に浮かんだのは、レンと共に神聖帝国の依頼で魔獣退治に向かう途中に食べさせてもらった………激辛という言葉が生ぬるいと感じる程のあの『赤い何か』だった。
今でも時々レンは、激辛のチャチンの実をこれでもかという程ふりかけて食べる事があるのだ。
因みに…………初めてカイがそれを食べさせてもらった時は、一瞬だけ桃源郷を見てしまった事まであった。カエデとは違う意味で、少しばかり不安があるのだった。
カイは戦々恐々としながら、調理するレンの後ろ姿を見つめていた。
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「…………よし、出来た」
レンはじっと鍋を見つめ続けていたが、満足がいく出来になったようだった。そして、レンは素振りをするカエデと、何やら周りを世話しなくウロウロしているカイを呼んだ。
「ほう~……今日はレンが作ったのか。楽しみだな……なぁ?カイ」
「そ、そうだね」
カエデは汗をタオルで拭きながらカイに話しかけた。カイは少しドキドキしながら、カエデと共にレンが料理を持ってくるのを待っていた。
そんな二人のところに………まだ熱いであろう鍋の取っ手を、厚手の鍋つかみでしっかりと握りしめたレンが、中身を溢さないように慎重な歩みでやってきた。
そして、岩を集めて作って置いた竈のようなところにその鍋をゆっくりと置くと、レンはカイとカエデからお椀を受け取り、二人に装うためにその鍋の蓋を持ちあげた。
その瞬間………辺り一帯に芳しい香り一気に満ちた。それは嗅ぐだけで、なお一層食欲をそそるような匂いだった。
カイはレンからお椀を受け取ると、中に装られた雑炊のような料理を瞬時に確認した。それは半ば予想していたような激辛の赤色ではなく、卵が見事に絡みついた黄金色のお米だった。
「あれ?ねぇ…レン?チャチンの実は入れてないの?」
カイに尋ねられたレンは、カエデの分をお椀に装りながらその問いに答えて言った。
「………味の好みは人それぞれだ。俺は…………自分の好みを人に押し付けるような真似はしない」
レンは最後に自分の分を装り終えると、顔の下半分を覆い隠している黒いマスクを外し、二人に先んじて一口食べた。そして、満足そうに何度か小さく頷いた。
「………まぁ、こんなもんだろ。さぁ……二人も食べてみてくれ」
それを聞いたカイとカエデは、早速レンの手料理を口に運んだ。そして…………
「う~ん……美味い!」「お、美味しい……」
カエデとカイは食べた瞬間、あまりの美味しさに咄嗟に言葉が出てしまっていた。カエデはさらにもう一口食べ、唸るように喋りはじめた。
「これは……しっかりと出汁がとってあるし、野菜にも味が染み込んでいる!栄養バランスもしっかりと考えられている上に、干し肉特有の臭みも見事に消してある!しかも、噛んでいる途中に後からくる程良いピリリとした辛さがさらに美味しさを引き立てている!」
「…………そこまで肥えた舌を持っているのに、どうして『あんな物』を作ってしまうんだろうな」
カエデの分析を聞いたレンは、自然と困ったような呆れたようなため息を吐いてしまった。そしてさらに絶賛をし続けるカエデに対して、レンは何でもない事のように言った。
「……………俺は一人旅が長いからな。………これくらいは嗜み程度だ」
そんな中………カイは改めてレンが装ってくれたお椀をじっと見つめ、もう一度ゆっくりと味わうように口をつけた。そして、次の瞬間………カイは突然涙ぐみ始めた。
「カ、カイ!どうしたんだ!?」「!!……ま、不味かった………のか?」
カイのあまりにも突然の行動にカエデは慌てふためき、レンは咄嗟に不安そうな表情を浮かべてしまった。しかし、そんな二人に対してカイは涙を腕で拭いながら首を横に振る。
「ご、ごめん……ぐす……まさか俺にこんな……ひぐ……夢みたいな出来事が……ぐす……起きるなんて、向こうにいた頃じゃ……ひぐ……考えられなかったからさ……ひぐ……嬉しすぎて……ぐす……こんなに美味しい……ぐす……女の子の…ひぐ……手料理が食べられる日が来るなんて」
「ば、馬鹿者!お、俺をそんな風に言うな!」
そんなカイがあまりに自然に洩らした女の子という言葉を聞いたレンは、カ――っと顔が急速に真っ赤になっていった。まるでのぼせた茹で蛸のように、これでもかという程赤くなっている。本当に湯気でも立上りそうなほどだった。
しかし、感激にむせび泣いているカイにはレンの叫びはまったく聞こえていないようだった。
カイの心の底からの独白を横で聞いていたカエデは、少しムッとしたような表情になった。そして、少し刺のある口調でカイを責める。
「……カイ、お前は何度も私の手料理を食べているじゃないか」
しかし、それを聞いたカイは涙ぐみながらではあるがはっきりとこう述べた。
「ぐす……あ、ゴメン…カエデ……ひぐ……少し黙っててくれる?」
「な、なぜだ!納得がいかん!」
ものの見事にカイにスルーされたカエデは、今にも地団駄を踏みだしそうな程に憤慨していた。そんなカエデには目もくれず、カイは一心不乱にレンの手料理を味わっていた。
「モグモグ……く~~美味しいな~。そうなんだよ、料理ってのは相手に致命傷を負わせるためのものじゃないんだよ!みんなを幸せな気持ちにするものはずなんだよ!…………あ、レン……もう一杯御代りもらっていい?」
「う、うむ」
レンは完全に俯きながら、気配だけでカイから空になったお椀を受け取ると、また鍋から自分の作った料理を装っていった。
しばらくは得心のいっていないようなブスッとした表情をしていたカエデであったが、ある名案を思い付き手をポンと叩きながら二人に提案した。
「よし!今度からご飯は、三人が代わる代わる作ることにしようじゃないか」
しかし、それを聞いた瞬間………カイとレンがまったく同時に絶叫する。
「「駄目だ!!」」
そんな二人を見て、キョトンとしてしまうカエデ。しかし、そんなカエデにはお構いなしに、一瞬のうちに同盟関係を結んだ二人はどんどん話を進めてしまう。
「いやいやいやいや……二人にそんな事をさせる訳にはいかないよ!というより、俺にとっては料理を作るのが最大の喜びなんだよ!だから、俺に作らせてください!お願いします!」
カイは直立不動の姿勢から、光速ともいえるスピードで頭を下げた。
「………俺もカイが作るべきだと思う。カエデには大変申し訳ないのだが、俺は少しでも時間があれば自分の鍛錬にまわしたい。しかし、ここでカエデが作るとなると、俺以外の二人がそのような事をしているにも関わらず……俺のみが怠惰にもその作業を避けているという状況に陥るだろう。このように考えた場合、理論的には俺が二人をまるで召使いのように扱っているという事と類似の関係性が生まれる。そのような罪悪感を感じてしまうと、鍛錬に身が入らず、結果的に無作為な時間を過ごしてしまうと同義だ。ここでカイのみに任せる事の妥当性としては、カイは料理を作るという行為から一種の精神的緊張を発散するという効能を得ており、むしろ率先してやりたいと自ら申し出ている。また、カイのみに任せることにより、俺は自分以外にも同じような立ち位置のカエデという同志を得ることで心痛をより減退させることができるだろう。以上の事により、三人が代わる代わる作るよりもカイ一人に任せる方が、個々人…または集団での効用を最大化することになると結論づける。カエデの手料理を味わうことができないのは非常に残念ではあるが、ここはカイと俺の顔を立てて断念して欲しい」
一方のレンは普段からは考えられないほど饒舌になり、なんとかカエデを説き伏せようとしていた。そんな二人の圧力におされたのか、カエデは少したじろいでいた。
「そ、そうか?しかし、そこまで深刻に考える必要はないんじゃないか?気が向いたときに、ちょっと作るだけじゃないか……」
(その気まぐれが命に関わるから、こんなに必死になってるんだよ!!)
カイは心の中で即座にカエデにツッコミを入れた。いつも無表情のレンの顔が、珍しい事に少し引きつっていた。
カエデの表情から未だ納得していないであろう事をしっかりと感じ取っていたカイは、ここで最終手段に訴える事にした。
「よし!ここは最も民主的な方法で決着をつけようじゃないか!つまり……多数決だ!俺一人が調理担当であるべきだと思う人は手を挙げて!」
そう叫ぶと同時に、カイとレンが天高く手を突き上げる。カエデは挙げていないが、もちろん……多数決の原理により、結果はカイ・レン同盟軍の勝利である。
「むむむ……な、何か釈然としないものを感じるが、二人がそこまで言うのなら今まで通りという事にしようか」
カエデは渋々といった感じではあったが、何とか納得したようだった。
そんなカエデの言葉を聞いた二人は、安堵のため息を吐くとともに、アイコンタクトでではあるが………互いの健闘を讃えあっていた。