威風堂々 竜王編
アシャに渾身の拳をまともに顔に叩きこまれ、ジェイムは吹っ飛んだ。そしてそのまま地面を情けなく転がった。そしてしばらく傷みに呻いていたが、近づいてくるアシャの気配を敏感に察知し……涙ながらに叫ぶ。
「ま、待ってくれ!!僕の父はウェンデル家の……」
「き、貴様!!親の権威を翳すか!!この……」
その言葉を聞いた瞬間、アシャの沸点が限界を超えた。ジェイムの胸倉をつかみ、力の限りその顔面をもう一度殴りつけようと拳を振り上げた………その時だった。
城全体に響き渡るのではないかと思う程の大声が聞こえてきたのは。
「やめよ!!」
アシャは咄嗟にその拳を止めたまま、声が聞こえた方を見やる。
すると……ダンスホールから漏れる光を背景に、黄金の外套を羽織り……こちらに向かってゆっくりと階段を下りてくる人物がいた。
月代をそらずに茶色い髪を長く伸ばした立て髪。その口元には見るからに頑固そうな線が浮かび、歳は40代後半のはずだが、それを思わせない筋骨隆々な体つきをしている。
‘威風堂々’……その風貌……放たれる気……果てはその歩みにいたるまで、ここまでこの言葉が相応しい者はいないだろう。
その名をタイウィン・ウェンデル………ドラグーン王国三大名家の一つ、ウェンデル家の現当主である。
「お、伯父上!!」
ジェイムは情けなく泣き叫んでいる。アシャはジェイムにはチラリと一瞥しただけで、後はじっとこちらに近づいてくる男から目を放せなかった。
ウェンデル家………主にドラグーン王国の西部に絶大の力を保持し続けている名家。その領地からは大量の金が採掘されており……ウェンデル家は諸侯のうちでも最も裕福な家となった。
ウェンデル家は、没落してしまった三大名家の一つ……ヴァンディッシュ家とは政敵として熾烈な争いを繰り広げ、また己の一族を守るためならばどんな汚い事も平気で行うと噂されていた。そして、そのウェンデル家の頂点に紛う事なく君臨する男こそ……このタイウィン・ウェンデルなのである。
タイウィンは二人の傍まで来ると立ち止まり、じっとアシャの事を見下ろしてきた。アシャは女性にしては比較的背が低い方ではないが、180を軽く超えるタイウィンには敵わない。しかし、アシャはその刺すような視線にまったく動じずに睨みつけた。
二人は長いこと睨みあいを続けていた。そして、先に口を開いたのはタイウィンの方だった。
「……………何があったか知りたい」
一言……たった一言しかタイウィンは言葉を発しなかった。凄まじい威圧感だった……並みの兵士では声を出す事すらできないだろう。しかし、常に戦場を駆け抜けているアシャにとってはどうという事もなかった。
「この馬鹿が………ガウエン元帥をあろう事か‘負け犬将軍’と侮蔑した。ガウエン元帥の副将として看過できない」
自らの甥を馬鹿と罵られたタイウィン・ウェンデルであったが、眉一つ動かさなかった。
「…………そうか」
タイウィンはそのように一言だけ呟くと、アシャに持ち上げられているジェイムを睨みつけた。
ジェイムは目に涙を浮かべ、情けないくらいに震え続けている。そして次の瞬間…………タイウィンはジェイムの胸倉を掴んでいるアシャの腕を力の限り握りしめた。
「ぐ!!」
ミシミシ……と骨の軋むような音がした。アシャはタイウィンの想像以上の握力の強さに、咄嗟に掴んでいたジェイムの胸ぐらを放してしまった。そのまま落下し、腰を抜かして地面に尻もちをつくジェイム。
「お、伯父上………僕は」
「………黙れ、ジェイム。その薄汚い口を閉じていろ……これ以上我が家名に泥を塗るな。……今すぐここから立ち去れ!!」
咄嗟に言い訳をしようとしたジェイムであったが、タイウィンの冷徹な眼差しと侮蔑の籠った声音に晒され口を噤んだ。
そしてそのタイウィンの大声に、ジェイムはまさしく飛び跳ねて、体裁を整えようともせずアシャの視界から消えていった。そしてその場には、腕を摩るアシャとジェイムの消えた方をじっと見つめ続けるタイウィンだけが残った。
「……我が愚かな甥が無礼をはたらいた事を詫びよう」
「………」
タイウィンはアシャの方を見ようともせず、静かに……そして尊大に言った。アシャはそんなタイウィンの詫びに対して沈黙を貫いた。
セシルとイライザ王妃の継承権争いにおいて、大小の領主たちがどちらかの陣営に馳せ参じ、どちらかの王家へと忠節を尽くした。しかし、西部に絶大の力を誇るウェンデル家はセシル派、イライザ王妃派…双方からの参戦の呼びかけを無視して日和見を決め込んでいた。
それが終盤になり、突然イライザ王妃支持を表明したかと思うと、父であるデニス・ヴェラリオン率いるヴェラリオン家の軍勢と対峙しはじめた。
しかし、ヴァンディッシュの軍勢がケープラス山地で大敗北をした事を知るや否や……ドラグーン王国・王都アセリ―ナの城門の前に、ビリオン・ドラグーンに忠節を尽くし、最後まで共に闘い抜くといって大軍を率いて現れたのだ。イライザ王妃は神に祈りが届いたと思ったに違いない。王妃は何の疑いも抱かず、城門をあけ………自らを滅ぼす狡猾なライオンを王都アセリ―ナに解き放ってしまったのである。
まったくもって信義にかける。もし、イライザ王妃が優勢であったなら………きっとセシルに襲いかかっていたに違いないのだ。
そんなタイウィン・ウェンデルが、元帥軍に多額の寄付金を施すのはなぜなのか。そして、甥の誕生日を祝う舞踏会に態々ガウエン元帥と自分を招待しているのはなぜなのか。まったくもって相手の思惑が読めない。
「…………………正直に答えてみよ、私の甥をどう見る?」
相変わらずジェイムが逃げて行った方をじっと見つめ続けながら、自分にそんな事を聞いてきた。未だにガウエン元帥の事で頭に血がのぼっていたアシャは、刺々しい口調で本当に正直に答えてしまっていた。
「小者にみえる。他人の力を自分の力だと錯覚し、己が何でも出来る英雄的存在だと勘違いをしている………ああいった馬鹿は、いざという時に一人では何もできない屑だ」
タイウィンは目を細めながら、視線をジェイムが逃げて行った暗闇からアシャへと戻した。
三大名家の当主に対して、ガウエン元帥の副将に過ぎない自分が敬語もつかわず、あまつさえその一族を虚仮にしていた。
アシャは自分がタイウィンの逆鱗に触れただろうと思った。しかし、タイウィンから発せられた言葉はまったく別のものであった。
「………そうだ。あれは屑よ」
アシャは少なからず驚きながら、タイウィンは見上げる。タイウィンはアシャの無礼を嗜める訳でもなく、怒り出す訳でもなく………驚いた事に口の端を吊り上げて嘲笑していた。
「何年前だったか、あれは武芸大会で優勝している。もちろん……西部諸侯のみを集めた小さなものだったがな。ふん………あれは武芸大会で、己が業と勝たせてもらっているという事すら気づけぬ愚か者よ。みな……愚かな甥を利用し、ウェンデル家……というより私に取り入ろうと必死なのだ。奴はそのための道具にすぎない。哀れなものよ………己が周りからチヤホヤされるのは、己に魅力があるからだと思い込んでいる。すべては、我がウェンデルという家名の恩恵の成せる業だというに。ふん……まさに道化師役がお似合いという訳だ」
「………」
アシャは何と言っていいか分からなかった。まさかこんな反応が返ってくるとは思わなかったのだ。タイウィンはさらに馬鹿にしたように鼻を鳴らしながら喋っている。
「我が弟もあんな息子をもって、不憫な。まぁ……あれの息子ならば、当然といえば当然か。それにしても………私の甥に会ったのは今日が初めてであろうに。よくそこまで見抜けるものだ」
感心したようにタイウィンはアシャに語りかけた。アシャは自分が少し冷静になっていくのを感じていた。
「………私はガウエン元帥の副将として、兵士一人一人に目を配らねばならない立場にあります。そういった経験がある程度、人の本質を見る目を養ったと思っております」
「そんなものはそう簡単に身につくものではない。それは間違いなく………受け継がれたものよ。世の中には、親であるだけで誇りとなるような子がおるものだ」
「…………光栄です」
アシャは軽く頭を下げた。何やらタイウィン・ウェンデルにいだいていたイメージとはかなり隔たりがあった。ジェイム・ウェンデルをもっと尊大にした、金という財力だけの奴だと思っていたのに。何やら器の大きさを感じさせるような男だった。
だが油断は禁物だ。タイウィン・ウェンデルは公の場で敢えて、王家を蔑ろにするような人物であり、血も涙も通っていない冷血漢という噂なのだ。
「さて………すでにダンスが始まっているのというのに、この庭園で私の甥と時間を潰しているという事は、弟が主催した舞踏会はお気に召さなかったようだな?」
「申し訳ありません。私は騎士であり、武人なれば………このような場には馴染めません」
「ほう?では、どのような所が己に合っていると?」
タイウィンは面白そうに尋ねた。それに対してアシャは即答していた。
「戦場こそが……私のいるべき場所だと思っております。王家のために闘う事が私の誇りであり、ヴェラリオン家の騎士として、伝説の女騎士・ファル―ゼ・ヴェラリオンのように祖国を守るために命を懸ける所存です」
「…………」
それを聞いたタイウィンは先ほどまでの冷徹な鉄仮面のような顔を崩し、急に悲しげな表情をしながら押し黙ってしまった。
そして、じっと食い入るようにアシャを見つめた。アシャはその視線に何だか居心地の悪さのようなものを感じ始めていた。
どれくらいの時が経ってからだろうか。タイウィンは聞こえるか聞こえないかぐらいのか細い声で確かにこう呟いた。
「…………美しい」
「な、何を……」
今までヴェラリオン家の娘として、お世辞で幾度となく同じようなセリフを言われてきた事はあった。しかし、タイウィンのそれは今までとは確実に何かが違っていた。
自分に向けての言葉であるはずなのだが、それでいてそうでないような不思議な感覚だった。そしてその言葉には悲しみとも、怒りともつかない何かが込められているように感じた。
タイウィンは恐る恐るというように、右手をアシャに近づけていった。まるで触れれば消えてしまう幻でも掴もうとしているかのようだった。
「なぜ………そのような事をいうのだ。あなたがそんな事をする必要がどこにある………こんなにも美しく……可憐なあなたが。なぜだ……頼む……やめてくれ……頼む」
タイウィンはゆっくりとアシャの頬に触れようとした。しかし、アシャは恐怖を感じその手から逃げるように一歩下がってしまった。
それを見た瞬間、タイウィンはハッとしたように動きを止め……………その手をゆっくりと下げていった。その時タイウィンの顔に暗い影がさすのをアシャは見逃さなかった。
そして、タイウィンが未だ独身である事をアシャは唐突に思い出した。ウェンデル家の当主である……縁談や見合いの話はそれこそ腐る程あっただろう。
アシャは自分の父と同じくらいの年齢であるタイウィンに対して、思い上がりかもしれないが身の危険を感じ始めていた。自然と手が宝剣の柄へといく。
それにしっかりと気づきながら、タイウィンは先程までの事がまるでなかったかのように冷静に振る舞っていた。その瞳には冷徹な光が戻っている。
「さて……私はそろそろホールに戻らねばならん。まだ、我が自慢の庭園に居るつもりか?」
「…………申し訳ありません。少し酒に酔ったようです……散歩をしながら夜風にあたり、酔いを醒ましていこうと思います」
実は一滴も酒は飲んでいなかった。しかし、あの広間に戻る気はなかったし、今は一刻も早くタイウィン・ウェンデルから離れて一人になりたかったのだ。
それを聞き、ゆっくりと頷くタイウィン。
「そうか。しかし、我が主城の中の庭園とはいえ……一人きりでは危険かもしれぬ。警備には万全を期しているとはいえ、神聖帝国のレイスのような存在が忍び込んでいるやもしれんからな。…………護衛をつけよう……パトリック」
「はい」
アシャは自分の心臓が跳ね上がるのではないかと思う程驚いた。いきなり自分とタイウィン以外の第三者の声が聞こえたのだ。
タイウィンがその黄金の外套を翻し、後ろを振り向いた。するといつの間にやらか、そこに年端もいかない少年が片膝をつき控えていた。薄い紫の髪をし、そして左目を覆い隠している黒い眼帯が非常に印象的な少年だった。
「パトリック……話は聞いていたな?酔いが醒めるまで、この庭園を案内してさしあげろ」
アシャがまったく気配を感じなかった事に驚愕する中、タイウィンはパトリックに護衛を命じていた。
「恐れながら………お館様の側を離れる訳にはまいりません」
しかし、その眼帯をした少年は、タイウィンにしっかりと拒絶の意を伝えた。しかし、次の瞬間タイウィンは片膝をつく少年の頬を渾身の力を込めて殴りつけた。
「その薄汚い口を閉じろ……人形風情が。誰が余計な口をきけといった」
「………」
パトリックと呼ばれた眼帯をした少年の口から、血が一筋流れ落ちた。しかし、少年は悲鳴どころか微動だにしなかった。
「もう一度だけ言おう………この庭園を案内してさしあげろ」
「…………かしこまりました」
その答えを聞くや否やタイウィンはその黄金の外套を翻し、舞踏の間へと続く階段をゆっくりと一段一段のぼっていった。
そして、その場には…………未だ状況がつかめず唖然とするアシャと、片膝をつきタイウィンに頭を垂れる眼帯の少年のみが残された。
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「兄上!!いったいどこに行っていたのですか?」
タイウィンがホールへと戻ると、弟であるカエサル・タイウィンが血相をかかえて近寄ってくる。
「スタットック王国からの使者の方がずっとお待ちです。‘北の王’ソロス・スタットック様からの直々の手紙を持参したとか……」
「…………似ている」
しかし、タイウィンは弟の話などまったく耳に入っていないようだった。虚ろな目をしながら小さくぶつぶつと呟いている。
「は?あ、兄上……その…あまり使者の方を待たせるのは得策では」
カイロスはそのタイウィンの呟きに疑問符を浮かべてしまった。しかし、それを聞きタイウィンは自らの弟に冷徹な眼差しを向ける。
「………スタットックの使者は待たせておけ。今宵は先にガウエン元帥と話をしなければならない」
「し、しかし…使者は‘北の王’直々の」
尚も食い下がろうとするカエサルを、タイウィンはきつく睨みつけた。それだけでカエサルは恐怖を感じ口をつぐんでしまう。
「ほう?カエサル…………貴様はこの私に意見するというのか?」
「め、滅相もありません。兄上に意見など……い、いつまでも待たせておきましょう。はい」
睨まれただけで酷く狼狽し、足早に去っていく弟を見ながらタイウィンは小さく鼻を鳴らした。そして、ガウエン元帥が待ってるであろう部屋へと向かった。小さな独り言を呟きながら……
「…………似ている。いや、似ているどころの話ではない………あの輝く太陽のような髪も……あの強き光を放つブラウンの瞳も……そして、あの気高く……誇り高い魂も…………瓜二つだ。まさか、ここまでとは。あれでは…………まさにアーシェの生き写しではないか」
その言葉は誰に聞かれる事もなく、ホールに響く楽師の奏でる曲にかき消されていった。
感想お待ちしております。