ラニスポート城 竜王編
(しくしく……あ~~……しくしく……あんまりですよ。これは、あまりに惨い仕打ちではないですか)
(ファルナ!!いちいち、こんな事で泣かないでくれ!!)
ヴェラリオン家の宝剣の化身であるファルナは、その白い布で覆われた目から大粒の半透明の涙を流しながら泣いていた。それを見てアシャが心の中で叫ぶ。
しかし、ファルナはその黒の長髪を振り乱しながら泣き続けている。
(だって……だって……せっかくの舞踏会なのですよ?それなのに………それなのに……アシャ、なぜあなたはドレスではなく、そんな無骨な鎧を身に纏っているのですか!!)
馬で疾駆するアシャの横を高速で飛翔しながら、ファルナは激昂する。しかし、アシャはいたって淡々とした口調で自分なりの理屈を披露する。
(私はあくまでガウエン元帥の護衛として、ラニスポート城へ行く事を承諾したんだ。ドレスなどを着て、舞踏会で踊る事まで承諾した覚えはないからな)
しかし、それを聞いたファルナはアシャに罵詈雑言を浴びせかける。
(酷すぎます!!悪魔的所業です!!鬼畜です!!人でなしです!!せ、せっかく……久しぶりにアシャのドレス姿が見れると思ったのに。あぁ~~あぁ~~そのオレンジの髪に似合うドレスを日々考え続けた私の苦労は?鎧の上からでは分かりにくい、アシャの魅力的なラインを最大限に活かしつつ、あまり肌を露出しないように最大限工夫を凝らした、アシャでも満足できるドレスを悩み続けた私の苦労は~~~)
「そ、そんな事で真剣に悩むなーーーー!!」
アシャは絶叫しながら、愛馬に跨り疾駆する。ドラグーン王国三大名家・ウェンデル家の舞踏会が主催されているラニスポートを目指しながら。
ちなみに………アシャ以外の護衛の兵士百人は、時折アシャが馬鹿でかい独り言を叫ぶのには気づいていたが…………皆申し合わせたようにその時の記憶を失くすように心がけていた。
============== ラニスポート城 ===============
ウェンデル公の甥であるジェイム・ウェンデルの23回目の誕生日を祝うべく行われた舞踏会は、滞りなく進行していた。広間に飾られた豪華絢爛な調度品の数々、そして招かれた客人たちの層々たる顔ぶれは、ドラグーン王国内でのウェンデル家の権力の強さをそのまま表していた。
ドラグーン王国の大小様々な領主たち……名の知れた商人や各地の名士たちがこの舞踏会の舞台となるホールに一堂に介していた。
しかし………このタイウィン公の甥である、ジェイム・ウェンデルを純粋に祝いに来ているものだと誰一人としていない。皆が皆、ウェンデル家の当主であるタイウィン・ウェンデルに媚びへつらい、ひたすらご機嫌とりをするために集まっているのである。
アシャの位置からでは顔すらはっきりとは見えないが、あの異様な人だかりができている所にタイウィン・ウェンデル……又はその弟であるカエサル・ウェンデルがいるのだろう。まるで死骸に寄ってたかる禿鷹のように感じた。
貴族の令嬢や子息が華麗な服装を身に纏い、談笑したり、ダンスに興じているような状況で、一人無骨な白い鎧を身に纏っているアシャは正直かなり浮いていた。
普通ならこんな見るからに浮いている者が声をかけられる事などありえないのだろうが、ガウエン元帥とホールに入る折り……執事らしき男が自分の素姓を大声で、かつはっきりと伝えてしまったために、自分がヴェラリオン家の所縁の者である事が皆に知れ渡ってしまった。
ガウエン元帥が奥の間に案内されて、一人きりになった途端………ヴェラリオン家との関係を密にしようという有象無象が纏わりついてきた。
「おお……貴方様がアシャ・ヴェラリオン様ですか?お噂はかねがね窺っておりますよ」
「ケープラス山地では10万を超えるヴァンディッシュの軍勢を、僅か5千の軍で打ち破ったとか」
「さすがは、あの伝説の騎士……ファル―ゼ・ヴェラリオンを輩出した騎士の家系ですな。御父上もさぞ誉れでありましょうな?」
「御父上には、ぜひにとお伝えくださいませ。あ、申し後れました……私こういう者で」
アシャは最低限の失礼がないようにしながらも、何を言われても素っ気ない態度をとり続けていた。
そもそもヴェラリオン家の継承権はすでに放棄しているのである……自分とヴェラリオン家とはもう関係ないはずのだ。しかし、皆そんな事は知らないか、又は一時でいいから忘れる事にしたらしい。
アシャが自分に群がる貴族や名士たち、を鬱陶しく感じ始めた時だった。この舞踏会の主役ともいうべき人物が話しかけてきたのは。
「皆様方!!ヴェラリオン家の御令嬢に御挨拶できるという栄誉を、この僕に与えては下さいませんか?」
声のした方へ視線を向けると、そこには青を基調とした布地に黄金のライオンの刺繍の入った、立派な服を着た若い男がいた。茶色の巻き毛に、碧眼の瞳をした長身の男だ。
「こ、これは…ジェイム様ではありませんか!!」
「おぉ……何と凛々しい御姿でしょうか。御父上の若い頃によく似ておいでです」
「三年前の武芸大会では、見事優勝を飾られておりましたな」
「真……私の息子には少しで良いから、ジェイム殿を見習って欲しい所ですよ」
自分を取り囲んでいた者の一部は、そのままジェイム・ウェンデルに纏わりついた。しかし、うんざりした表情のアシャとは違い、ジェイムはそんな周りの反応には慣れているようだった。
ジェイムは満更でもない笑みを浮かべながら、慣れた手つきで自分を囲んだ人々をかき分けてアシャの傍までやってきた。
「………」「………」
ジェイムはその碧眼でじっとアシャを見つめてくる。アシャは話しかけてくる訳でもなく、ただただこちらを見つめてくるジェイムを気味悪く思っていた。
ジェイム・ウェンデルは、この舞踏会の主役ともいえる人物である。ガウエン元帥とホールに到着してから、嫌でもその姿は視界の端に捉えていた。
周りに何人もの貴族らしき女性を侍らせており、その口元に浮かぶ厭らしい笑みとホールを満足気に見渡すその尊大な目が気にいらないとアシャは感じていた。
いきなりだった。ジェイムは絨毯の敷かれたホールに片膝立ちになり、突然…アシャの左手を両手で包み込むように握ってきた。そして、はっきりとした口調でこう言った。
「あなたは…………………僕の女神だ」
アシャは生まれて初めて……………怖気というものを肌で感じる事ができた。
================ 中庭 =====================
ラニスポート城は、ドラグーン王国・三大名家の一つであるウェンデル家の主城ともいえる城だった。さすがは、ウェンデル家の当主であるタイウィン公の城だけの事はある。
細部に至るまで見事な装飾がなされている。この城を建てるのに、どれ程の金がつぎ込まれたのか想像もできない。
しかし、アシャの興味をそそったのはそんな煌びやかな装飾品などでなかった。
(…………ここは、ヴェラリオン家の城と比べても遜色がないほど優れた城塞だ)
ラニスポート城は軍学的に見てかなり優れた城塞だった。守りやすく……攻めがたい……城壁の高さから、城門の広さまで、すべて戦における兵法の理にかなっていた。
しかし、元からそういう城だったというよりは、後から建て替えたり、付け加えたりする事によってより堅固な城塞としたようだった。しかも、それが外からでは分かりにくいのだ。
すべてを見た訳ではないが、城中に攻め込んできた大規模部隊を少数で殲滅するための仕掛けの気配を感じる。何はともあれ、少なくともこの城塞建設を指揮した者は、軍学に関する膨大な知識と相当の実戦による経験の双方を兼ね備えているはずだ。
アシャはラニスポート城を軍人的視点で考察していたが、その思考もまたすぐに中断される事になった。
「アシャの趣味は何ですか?」
ピクっと自分の眉が動いてしまったのが分かった。しかし、アシャは理性を総動員して無意識のうちに柄にかけようとしていた手を元の位置に戻した。
「………特にありませんが」
「僕は絵を描いたり、バイオリンを趣味としています」
ジェイムはアシャが何も聞いていないのに勝手に喋っている。アシャは適当に相槌しかうっていないのにも関わらず。
「………そうですか」
「いえいえ、だからと言って僕を軟弱な男だとは思わないで下さいよ?武芸に関しても……まぁ、こう言ってはなんですか、かなりの才能があると自負しています。三年前に西部で行われた武芸大会では、僕が優勝しました。何人くらいの騎士や傭兵がいたでしょうか………まぁ、三百人はくだらなかったと思いますがね……彼らは僕の敵ではありませんでした。そうだ……僕が今度剣術を教えてあげましょう。何、遠慮する事はない。僕とアシャの仲ではないですか」
「…………」
アシャはすでに返事をする事すら鬱陶しく思い始めていた。ジェイムとは初対面であるはずなのに、自分より年下と知るや否やいきなり呼び捨てにしている。
(………斬ってしまいたい)
しかも、この男が喋っている事の八割が自分又は実家であるウェンデル家の自慢話だった。さらに、時々同じ三大名家として下賤な者の気持ちが分からないでしょう?っとこちらに同意を求めてくる始末だ。
(この男は私の事を自分と同類だとでも思ってるのか……………気にいらない!!)
本来ならこのにやけた面に拳の一つでも叩きこんでいる所だが、相手はタイウィン公の甥である。未だガウエン元帥がなぜ招待されたのかも分からない状況では、あまり軽率な行動をとるべきではなかった。
(私に剣術を教える………だと?知らないと思って、武芸大会で優勝したなどという嘘までついて……その根性が気にいらん!!)
先ほど舞踏会のホールで握ってきたジェイムの手の感触。そこには剣士特有のマメが潰れた固さがなかった……どんなに才能がある者でも、それを活かすためにはある程度の鍛錬は必須になるはずだ。あの手は日頃、剣を握っていない事如実に物語っていた。
アシャは未だペラペラと自慢話を続けるジェイムにイライラを募らせていった。
(……………七点ですね)
そんな時、ジェイムとアシャの後ろからフワフワ浮きながらついて来ていたファルナが呟いた。
(ん?七点?何の事だ?)
アシャはそんなファルナの呟きを聞き、何の事か分からずに尋ねた。
(いえね?この者がアシャに相応しい者かどうか判断しようと思いまして………点数をつけていた所なのですよ)
ずっと黙ったまま、ジェイムの周りをフワフワ浮かびながら何やら観察しているとは思っていたが、そんな事をしていたのかとアシャは苦笑してしまった。
ジェイムはずっと喋りかけているが、アシャは適当な相槌をうちながらすでに全部聞き流していた。そしてファルナとの会話に集中する。
(まったく……しょうがないな、ファルナは。しかし………こう言っては何だが、七点は甘過ぎじゃないか?正直な話……私はこの男からは自分を良く見せようとする虚栄心と、名家を鼻にかけるいけすかない奴という負の印象しか感じないのだが……)
アシャが十点中七点というファルナの意外な高評価に喰ってかかると、ファルナは意地の悪いを微笑を浮かべながらいった。
(誰が、十点満点中といいましたか?百点満点中………七点ですよ)
「ふっ」
アシャはそれを聞き、微かにではあるが噴き出してしまった。あまりにも的確すぎる点数だったからだ。
(くくくくく………ファルナは人を見る目があるな)
(いえいえ……アシャ程ではありませんよ)
アシャとファルナはそんな事を言いながら、カラカラと笑いあっていた。
哀れなジェイムはそんなアシャの様子を見て、自分が好印象をもたれているという事に何の疑いも抱いていなかった。
============ =====================
アシャとジェイムがホールからこの中庭に下りてきてから、すでに1時間あまりが経過していた。相変わらずジェイムは、自分の素晴らしさについて力説していた。
(う~~ん……今回は私の負けか?)
(いえ、どうでしょうね。確かに犠牲だけをみればアシャの方が圧倒的に多いと思いますが、何とか拠点は守りきるだろうとは思いますよ?)
あまりにも退屈だったので、アシャはファルナとダガルム城近くの山地を舞台にして、模擬戦をしていた。今回はアシャが守りという立場であり、ファルナが攻める側にたったようだ。
すでに国境付近の地形は、地図などを見なくても詳細な起伏まで思い浮かべる事ができていた。
「………という訳です。僕もあの美しさは忘れられませんよ。あ……もちろん、アシャの方が綺麗ですよ?」
「そうですか」
「はい。いや~~しかし、聞いたところによるとアシャも優れた将軍のようですね?何でもケープラス山地では、十万の軍勢を僅か五千で打ち破ったとか。すでにドラグーン王国随一の将軍であると誰もが噂しておりますよ」
今までジェイムの話のほとんどを適当に肯定して流してきたアシャだったが、こればかりは肯定する訳にはいかなかった。
(自分など、ガウエン元帥に比べればまだまだ未熟者だ)
自分はガウエン元帥の副将に過ぎず、実力においてもガウエン元帥に勝っているなどと考えた事すらないのだから。
今も軍学について、数多くの事を学んでいるアシャである。アシャは心の底からガウエン元帥を尊敬してもいた。
「お戯れを………私などガウエン元帥の一副将に過ぎません。ガウエン元帥に比べれば、まだまだ未熟者です」
アシャは、早くどこへでも消えて欲しいと切に願いながらジェイムの御世辞に対して真面目に答えた。しかし、それを聞いたジェイムは噴き出し……腹を抱えて大笑いし始めた。
「ハハハハハハハハハ……アシャは優しいですね。あんな人にまで気をつかうとは」
「……………何だと?」
腹を抱えて笑い始めたジェイムに眉をひそめるアシャ。敬語をつかうことすら忘れ、アシャは素に戻ってしまっていたが、ジェイムはそれに気付いた様子はなかった。
「そんなに気を遣わなくとも、あの人の本当の実力は誰もが知っていますよ。何と言いましたか……そうだ!!神聖帝国の‘軍神’と云われた将軍がいたそうですが、その‘軍神’相手に3倍の兵力があったにも関わらず大敗を喫して、ドラグーン王国の防衛線の要であるダガルム城まで奪われそうになったとか………」
そこでジェイムはにやりと意地悪く笑って見せた。アシャを纏う空気が変わり始めている事すら感じ取れずに。
「しかし、あまりの情けなさに‘軍神’は敢えてダガルム城をとらずに……神聖帝国に引き返していったそうではありませんか。敵に憐れみを施されるようでは、武人としてはお終いですよ。僕なら恥ずかしくて元帥の座についていられませんがね?まったく………………あの‘負け犬将軍’には矜持というものがぐふ!!」
しかし、それまで流暢に話していたジェイムは、奇妙なうめき声をあげながら強制的に中断される事になった。
なぜなら、ファルナの静止の言葉に耳を傾けずに、怒りの沸点を超えたアシャがジェイムの横っ面を思いっきり殴り飛ばしてしまったからだった。
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