誘う 竜王編
「アーサー様、ようこそいらっしゃいました」
部屋へとノックもなしに入ってきたアーサーに対して、セシルは微笑でそれに応えた。セシルは部屋の壁に飾られている地図の前に立ち、それをじっと見つめている。
「………小娘。何を見ている?」
アーサーはセシルの隣に立ち、同じように大陸の地図を見た。セシルは未だ地図から目をはなさずにしっかりと答える。
「私の夢を……ドラグーン王国の歴代の王たちの悲願を……そして、これから始まるであろう戦乱のすべてを見据えているのですよ」
「カカカカカ……小癪な奴よ。だが、さすがというべきか……一滴とはいえドラゴンの血をその身に受けたにもかかわらず、まだ正気を保っていられるとはな?」
「アーサー様………あなたが思っているほど、人間は弱い存在ではないのですよ。それに私にはこの国の王族として、‘理想の国’を実現しなければならない責任があるのです。狂っている暇などありませんよ」
セシルは、ほほほほほ……と愉快そうに笑っている。しかし、セシルは明らかに半年前よりやつれてきていた。どんなに強がっても、ドラゴンの血は人間には毒性が強すぎるのだ………恐らく今なお、その体には凄まじい苦痛が襲いかかっていることだろう。それでいて、そんな様子を微塵も感じさせないとはさすがドラグーン王国の王族といわねばならなかった。
「カカカカカ……なかなかやるではないか。まぁ、最低でもあと一年半は狂ってもらっては困るがな」
アーサーは地図の中央に目をやると、ほんの少しだけ目を細めた。
「…………小娘、この地図は最新のものか?我の記憶ではこの辺りには、スタンニスの国があったはずだが」
アーサーはスタットック王国とかかれた辺りを指差した。それを聞き、セシルは一瞬怪訝そうな表情を見せたが、すぐに思い至った。
「スタンニスの国?………あぁ、はい。神聖帝国の事ですね?初代国王スタンニス・グランワールと初代法王サーセイ・グランワールが建国した神聖帝国は800年間もの間栄華を誇りましたが、最近復国したスタットック王国と魔族による新興国家……魔国に滅ぼされてしまいました」
それを聞いたアーサーはしばらく黙って大陸の中央を見つめていたが、少し悲しそうにため息を吐いた。
「…………そうか。あの者たちの理想も、僅か800年しかもたなかったという訳か。いや、人間族の国にしてみればよく続いたというべきなのか………」
アーサーは小声で呟いたが、隣にいるセシルはしっかりと聞きとる事ができた。
(……どういう事かしら?神聖帝国を建国したかの‘英雄王’とアーサー様は知り合いだったという事?それとも神聖帝国の繁栄の裏には、ドラゴンの力が関わっていたとでもいうのかしら……)
神聖帝国は強大な国だった。太陽を抱く女神……アートス神を信仰する宗教国家。大陸の北部に位置していたスタットック王国を併合した後は、まさしく大陸を制覇する勢いを見せていた。
しかし、その強大な国も‘神王’を名乗る教祖が引き起こした前代未聞の宗教反乱と、魔国の侵攻によって疲弊し………かつて北部総督であり、スタットック王国の血を受け継ぐ‘第87代・北の王・ソロス・スタットック’と魔国に滅ぼされた。
かつての神聖帝国は東部を除き、そのすべてがスタットック王国の支配下となった。本来なら、神聖帝国のその隙をついてドラグーン王国も領土を拡大できる最大のチャンスだったのだが、時を同じくして継承権争いが勃発してしまい……しかもそれがなかり長引いてしまったために、結局ドラグーン王国の領土は今までと変わらなかった。
ドラグーン王国としては、神聖帝国という圧力がスタットック王国という脅威にかわっただけだ。ただ…神聖帝国とは違い、スタットック王国とは現在戦闘中という訳ではなかった。
そして、未だ謎が多いのが魔国である。大陸の西部であるドラグーン王国には魔族に関しての情報があまり入ってこないのだ。神聖帝国による徹底的な弾圧と粛清により、大陸の東へと追いやられたのが主な原因だった。
「まぁ………良いわ。小娘……それで、我にいったい何の用だ?遂に我を殺せる者でも見つけ出したのか?」
アーサーの声は幾分か弾んでいるようだった。しかし、セシルは微笑を浮かべたまま頭を横に振った。
「いえ……目下捜索中なのですが、ドラゴンと渡り合える者といいますと中々難しいものがありまして………」
その答えを聞いた瞬間、アーサーは一気にセシルに興味を失ったようだった。
「ふん!!では、いったい何の用だというのだ?」
「アーサー様……私はこの大陸を制覇しようとしています」
セシルはその気のない返事に対して、いきなりそんな事を言い出した。何を今さら…と思ったが、アーサーは黙って最後まで聞く事にした。
「そして、私とアーサー様との‘血の契約’の内容をもう一度確認したいのですが、私は2年……もうすでに後1年半しかありませんが、その間にドラゴンであるアーサー様を一対一の決闘で殺せる者を探し出す事。それに対してアーサー様は、私の大陸制覇のためにそのドラゴンの力を遺憾無く発揮していただくという事でよろしかったでしょうか?」
そう確認するセシルに対して、アーサーは腕を組みながらつまらなそうに頷いた。
「その通りだ……だが、分かっているだろうな?もし‘血の契約’を破るような事があれば、小娘……お前は元より、このドラグーン王国そのものがなくなるという事を」
「はい……存じておりますよ。ですが………私はこう考えてしまうのですよ。もし、今すぐにアーサー様を殺せるような者を見つけ出してしまったら………私の大陸制覇にお力添えを頂けないと」
「ほう?………つまり、我の方が‘血の契約’を破ると?カカカカカ………なるほど、面白い!!」
アーサーはまるでそんな事は考えてもいなかったというように高らかに笑った。セシルは相変わらずその微笑を絶やさない。
「はい。ですから、仮に今すぐそのような者達を見つけ出しても……アーサー様と闘わせる訳にはいかないのですよ」
「カカカカカ……成程な、面白い理屈を考えつくものだ。確かに、我が敗れればそういう事になるであろうな。故に……お前が大陸を制覇するまで待てという訳か?しかしな小娘……‘血の契約’よりすでに半年………我にはどうも大陸の制覇に関して、まったく成果が上がっていないように思えるのだがな?」
アーサーは意地悪く笑いながらセシルに問う。それを聞いたセシルは悔しそうに唇を噛んだ。
「………えぇ、確かに。それに関しては面目次第もございません。本来ならば、すぐにドラグーン王国を上げて事に当たるはずだったのですが………予想以上に騒乱が長引いてしまいました。しかし、そろそろ本格的に始めようと思います。そこで、アーサー様にぜひともやって頂きたき事があるのです」
「ほう?また、軍勢でも焼き払えばいいのか?」
アーサーはケープラス山地でヴァンディッシュの軍勢10万をその炎のブレスで焼き殺した事を思い出した。しかし、セシルはその首を横に振る。
「いいえ。アーサー様はドラグーン王国の切り札です。いざという時まで、他国に情報を漏らす訳にはいかぬのです。ですが、‘ケープラス山地の奇跡’での活躍が形を変えてではありますが、噂になってきてしまっているのですよ………ですから、当分の間は目立った行動は控えていただきたいと思います」
「ふむ………では、我に何をせよというのだ?」
アーサーは眉を顰めた。セシルは目の前にある大陸の地図を一つ一つ指さし、自分の戦略を説明していった。
「現在この大陸には3つの国が存在します。大陸西部に位置する我がドラグーン王国。そして神聖帝国を滅ぼし、大陸中央部のほとんどをその支配下におく……スタットック王国。最後に………大陸東部を治める魔国。大陸を制覇するためには、この二国が障害となるでしょう……ですが、ドラグーン王国にはこの二国と同時に戦うだけの戦力はありません。そこで、大まかな戦略となりますが……まず我がドラグーン王国は同じ人間族の国であるスタットック王国と同盟を目指します。スタットック王国は、元神聖帝国の民も多く、魔族に関しての偏見がそう簡単になくなるとは思えません………後は、ドラグーン王国内での世論をそちらに誘導すれば十分実現可能だと思います。そして、魔国をスタットック王国と共に滅ぼした後に、スタットック王国と雌雄を決します。もちろん……これを実現するには様々な障害を乗り越えねばならないでしょうが………」
「…………ふむ。それを僅か1年半で成し遂げるというのか?まぁ……実現できるかどうかは別として、お前のいう戦略は理解できた。それで………我に何をしろというのだ?」
アーサーは未だにセシルが自分に何をさせるのか、まったく見当がつかなかった。セシルは魔国を指さしていた指をゆっくりと左へと動かしながら話続ける。
「ドラグーン王国とスタットック王国が手を組めば、恐らく魔国を滅ぼす事は容易だと思います。地図上の国の規模から見ても、それは明らかです。問題なのは魔国を滅ぼした後……スタットック王国に勝てるかどうかです。そこで、今のうちに秘かにスタットック王国の戦力を少しでも削っておく必要があるのです。しかし……ドラグーン王国がそれに関わっていると知れれば、スタットック王国と戦争になりかねない。もちろん……ドラゴンであるアーサー様の存在を少しでも知らせる訳にもいかないのです」
「…………小娘、何が言いたい?」
セシルは酷薄な笑みを浮かべながら、その指をドラグーン王国の北……大陸北西部で止める。
「いるではありませんか………ドラグーン王国の者でもなく、それでいて魔獣の巣窟である‘ルードンの森’で生き抜く程の力をもった者たちが……彼らは少数とはいえ、その力は侮りがたいものがありますからね?」
そこでアーサーは完全にセシルが言おうとしている事を理解した。そして、アーサーにしては珍しく声を荒げてしまう。
「貴様…………人間族の戦乱に…………エルフ族を巻き込む気か!!」
しかし、セシルはまったく動じず淡々と話続ける。
「私は可能性の話をしているのですよ。もし、私が知っているドラゴンとエルフ族の伝承が本物であるなら……エルフ族の協力を無理やりにでも取り付ける事ができるはずです。アーサー様?………かの伝承は本当なのですか?そして……もし仮に本当だとしたら、私との‘血の契約’に基づきエルフ族を脅迫し、何の罪もない一つの種族を…………………滅びるかもしれない戦乱へと誘う事ができますか?」
「…………」
アーサーはしばらく黙ったまま地図の‘ルードンの森’を見つめていた。そのままどれくらいの時がたったのか……舌打ちまじりにアーサーはセシルの問いに答えた。
「………可能だ。我は直接エルフ族と関わった事はないが………我が同胞がエルフ族に何をしたかぐらいは想像がつく。それを逆手にとれば、エルフ族を巻き込む事ぐらい容易かろう。そして、‘血の契約’で我は大陸制覇のために力をかさねばならぬ立場だ。小娘……お前が望むなら我はその願いを聞き遂げねばならぬ」
セシルはそのアーサーの返答を聞き、満足そうな笑みを浮かべた。
「そうですか……それを聞いて安心しました。断られるかもしれないと思っていましたので………では、エルフ族にやっていただきたい事なのですが……………」
「……………」
アーサーはセシルの詳しい説明を聞きながらも、ずっと‘ルードンの森’から視線を動かさなかった。
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