あの日 竜王編
「はぁ……はぁ……うぷ…おぇぇぇぇぇ!!」
灼熱の炎天下の中、今一人の兵士が地面に四つん這いになりながら嘔吐していた。周りには同じように嘔吐している兵士や、前のめりに倒れて動かない兵士が何百人もいた。
ここはマーテル家の主城から数十キロ離れた名もない荒野だった。そこでは何千人もの兵士たちが一心不乱に走っていた。みな重い鎧を纏っており、尋常ではない量の汗をかきながら走っている。
「立て!!この程度、走ったくらいで何だ!!作戦で3日3晩走り続けなければならない事なんてざらにあるんだぞ!!」
そして、今嘔吐している兵士を叱咤している女性がいた。濃褐色の双眸に、乱雑に切りそろえられたオレンジの髪をし、白い鎧をその身に纏っている。ガウエン元帥が副将であり、‘無敗の神将’と謳われるヴェラリオン家の正統後継者。アシャ・ヴェラリオンである。
叱咤された兵士は虚ろな目でアシャを見上げ………そのまま白目を剥いて地面に沈み込んだ。アシャはそんな兵士を見て、額に手をあて頭を振ってしまった。
(はぁ~~……まだ、昼前だぞ。この調子ではいつになったら陣形の訓練を始められるというんだ)
アシャは相変わらず南部領主の兵士を鍛える事に力を入れていたが、成果が上がっているとはお世辞にも言えなかった。どうしたものか………っとアシャが途方に暮れていると。
ドドドドドドドドドっと四方を見張っているはずのアシャ直属の兵士が、数騎こちらに急ぎ駆けてきていた。
「どうした!!何があった!!」
アシャは駆けつけ、華麗に馬から下馬する兵士に向かって叫ぶ。
「アシャ将軍、申し上げます!!東方よりこちらに向かう数万を超える軍勢あり、しかもドラグーン王国元帥旗を掲げております。恐らくガウエン元帥がおられると思われます!!」
「何??」
アシャはそれを聞き、眉をひそめた。いったいどういう事だろうか。ガウエン元帥は基本、ドラグーン王国の防衛線の要であるダガルム城を動かれない。
そのガウエン元帥がダガルム城を後にするなど、ただ事ではなかった。
「………ヴァンディッシュに何か動きがあったのか?よし、私が元帥に直接確認しに行く。爺!!」
「は!!お呼びですか……アシャ将軍!!」
アシャの呼びかけに、即座に一人の老将が答えた。名をスイプト・バックウェル。アシャが小さい頃からヴェラリオン家に仕えてきた騎士であり、常にアシャを影から支えてくれている。アシャからは爺の愛称で親しまれていた。
「王都で何かあったのかもしれない。南部領主の兵たちはもうしばらく走らせたら、ゆっくり休ませてから帰還させてくれ」
「は!!かしこまりました!!」
アシャはそのスイプトの力強い応えを聞き満足そうに頷き、馬に華麗に騎乗すると報告が来た方角へと疾駆していった。
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アシャが部下数名と東方へと向かうと、確かに砂埃と共に数万の軍勢がマーテル家の城へと真っすぐ進んでいた。遠目でアシャを見た兵士が少し身構えたが、近づくにつれて警戒を解き、元帥の元へと案内してくれた。
アシャは騎乗したまま軍勢の中心部へと進んでいった。そこには元帥旗を掲げた、二頭の馬に曳かれた屋根のない馬車が走っていた。
その馬車には白い鎧に身をつつんだ、ドラグーン王国元帥・ガウエン・ブラックスが仁王立ちしていた。見事な白ひげをたくわえ、その顔の中央に額から頬にかけて大きな切り傷がある。だが、軍人というよりは好々爺という印象が強かった。
ガウエン元帥は70代後半だった。すでに馬に乗る事ができなくなっていたのだ。だが、ガウエン元帥は長年に渡って戦場を闘い続けてきた真の猛者だ。副将であるアシャとエドリックは、そんなガウエン元帥を心の底から尊敬していた。
「ガウエン元帥!!」
アシャは後ろから馬車に近づき、横につけた。その声を聞き、前を見据えていたガウエンはアシャの方を見た。
「おぉ……アシャではないか、およそ3カ月ぶりじゃな」
「は!…ガウエン元帥、どうなされたのですか?この軍勢はいったい?」
不審そうに尋ねるアシャに対して、ガウエンは元帥は少し意外そうな表情を見せる。
「ふむ……まだ、聞いておらぬようじゃな。アシャ……エダード様が崩御なされた」
「真ですか!!」
国王であるエダード様が病に伏せっておられるという事は聞いていた。だが、お亡くなりになられたという報告はまだ届いていなかった。
「……真じゃ。イライザ王妃からの通達が3日前に届いた。それを受け、ビリオン様を正式にドラグーン王国の国王として迎えるというものじゃった」
「そんな馬鹿な………セシル様がおられるのに、そんな事をしても無意味ではありませんか」
「……………ふむ」
それを聞いたガウエン元帥は少し困ったような、何とも言えない表情を見せた。
「ガウエン元帥?」
「いや……何でもない。問題はその先なのじゃ……今まで沈黙を保ってきたウェンデル家が、イライザ王妃支持を表明した」
「そんな馬鹿な!!」
静観していたはずのウェンデル家が、ここで動くとは予想外だ。しかも謀反を起こしたヴァンディッシュにつくとは、いったいどういう事なのか。
「じゃが、事実なのじゃ。ウェンデル家がすでに西に兵を集めつつあるという報告もある。ドラグーン王国三大名家の二つ………ウェンデル家とヴァンディッシュ家の兵力を結集すれば、それこそ大兵力となる。さすがにヴェラリオン家だけでは太刀打ちできぬじゃろう。そこで、援軍として駆けつけたという訳じゃ」
「ですが……神聖帝国の宗教反乱が集結した今、国境付近を疎かにするのは危険ではないでしょうか?」
そう心配そうに言うアシャに対して、ガウエン元帥は落ちつきはらったまま対応する。
「その心配はないじゃろう。神聖帝国の宗教反乱はかなりの大規模なものであった。西部の地方軍はほぼ壊滅、しかも中央軍にも犠牲を与えている。しかも…………今度は魔国が神聖帝国に侵攻したという報告が入った」
「………魔国が?」
大陸の東には多くの魔族が暮らしている。そして近年、あの好戦的な魔族をまとめ上げ国を建国した魔王がいるという話は聞いていた。確か…………名をギルバート・ジェーミソンといったと思う
正直な話、アシャは魔族をよく知らなかった。このドラグーン王国は大陸の西の果てであり、魔族と出会うことがほぼありえないのだ。だからアシャがあったことのある魔族といったら、大砂漠で討伐した盗賊団のゴブリンぐらいだった。
「ふむ……じゃから神聖帝国がこちらに攻めてくる事は、ほぼないといってよいじゃろう」
「そうですか。それにしても………あの規模の宗教反乱にしては、驚くほど迅速に終結しましたね」
アシャは少し怪訝そうに首を掲げた。報告では20万を超える反乱だったはずだ。しかも農民だけでなく、かなり精度の高い兵士たちもいるとう報告だったのだ。アシャが少し疑問に思うのも道理だった。
「……………」
それを聞いたガウエン元帥は、しばらく黙ったまま前を見つめていたが……ゆっくりと中央の額から頬にかけてある大きな切り傷を指でなぞった。
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今、ガウエン元帥とアシャはマーテル家の主城の長い廊下を幾分か早足で歩いていた。ドラグーン王国第1王女であるセシル・ドラグーンへと謁見するためである。
だがその廊下の先から、とある人物がこちらへと向かってきた。それはアシャとしては会いたくない人物だった。
カラカラ……カラカラ……カラカラ……という車輪独特の音を響かせ、白髪の混じったオレンジの髪を短く刈り込んだ、50近くの男が車椅子に乗ったままこちらに進んできた。ヴェラリオン家の現当主であり、アシャの実の父親でもあるデニス・ヴェラリオンである。
「……………ヴェラリオン公」
ガウエン元帥はその歩みを止め、父に話しかけていた。だが、その声音は少し強張っているようにアシャには感じられた。
「お久しぶりですね……ガウエン元帥」
デニス・ヴェラリオンは、ガウエン元帥とアシャの前で車椅子を静止させる。アシャにはチラっと視線を向けただけだった。
父は少しやつれているようにも感じられた。国王であるエダード様と自分の父であるデニス・ヴェラリオンは幼い頃からの親友であった。エダード様の死は、父にとってもかなりの衝撃だったであろう事が簡単に想像できた。
「ヴェラリオン公……あの話は」
ガウエン元帥はしばらく黙ったままだったが、なぜか恐る恐るというように父に話しかけていた。だが父は、そんなガウエン元帥の言葉を遮った。
「ガウエン元帥、滅多な事をいうべきではありません。証拠はないのですから。ビリオン様を旗印としてあげる以上、セシル様を認める訳にはいかぬというのも当然であると考えますよ」
「……………その通りですな」
「???」
(……………二人はいったい何の話をしているのだろうか?)
アシャが一人混乱していると……父がガウエン元帥に話しかけていた。
「ガウエン元帥……今はそんな事より話しあわねばならない事があります。ヴァンディッシュ家が出兵の準備を着々と整えています。さらにウェンデル家も兵を集めている。これらの対処を考えなければなりません」
「分かっております。国境付近も今は比較的安全ですので、できる限りの軍勢をこちらにまわしたいと思っています。では、詳しい話は後ほど………まずはセシル様に謁見せねばなりませんので」
ガウエン元帥は父に深く一礼すると、また歩みを再開した。アシャは少し俯きながら、父と目を合わせないようにしていた。
「………ガウエン元帥、もう良いのではないですかな」
父はガウエン元帥と私が通り過ぎた直後、ガウエン元帥を呼びとめた。私は振り返ったが、隣のガウエン元帥は真っすぐ前を見たままだった。
父もこちらを振り向かなかった。だから後ろ姿しか確認できなかったが、悲しそうに首を左右に振っているのだけは分かった。父のこんな悲しそうな声音は初めて聞いた。
「今日久しぶりに会い、改めて感じましたよ。あなたは…………まるで罪人のようだ。恐らくこの25年間、自分を責め続けてきたのでしょうな。私はあなたを怨んでおりませんよ。この足の怪我は、私の未熟さと不運が招いたに過ぎないのですから。……………25年前のあの日、あたなが敷いた陣形…そしてとった戦術はすべてにおいて最善といえるものでした。しかも、戦力差は3倍。あそこにいたドラグーン王国の者は誰もが思ったはずですよ……これで負けるはずがないとね」
はぁ~~っと父はそこで大きなため息を吐いた。アシャはチラっとガウエン元帥を様子を窺った。だが、ガウエン元帥は無表情を貫いていた。
「………確かに、あの日私達は想像を絶っする犠牲を出しました。ですが、私は未だに分からないのですよ。何が間違っていたというのか。ガウエン元帥………悪夢だったと思い、忘れてしまいなさい。結果的に、ダガルム城は落とされなかったのですから。例えそれが………‘軍神’の屈辱的な慈悲によるものだったとしても。恥じる事はない……あの日の‘軍神’は、まさに神がかっていたのですから」
「……………‘軍神’?」
アシャは小さく呟いていた。聞いた事がない名前だった。話の流れからガウエン元帥と父と闘っているのだから、恐らく神聖帝国の将軍か何かだろうか。だが国境で長く闘ってきたアシャも、そんな異名を持つ神聖帝国の将軍とは会った事がなかった。
「あの時代を知る者も少なくなった。しかし、それが当たり前なのです。いつまでも、過去にとらわれるべきではありませんよ……ガウエン元帥。もういい加減…………自分を許してもよいのではないはないですかな?」
カラカラ……カラカラ……カラカラ……父は廊下に車椅子の車輪の音が響かせ去っていった。ガウエン元帥は父が去った後も、しばらくそこに佇んでいた。アシャとしても勝手に歩き出す訳にもいかず、ガウエン元帥の一歩後ろで少し居心地の悪さを感じていた。
「………アシャ」
それからどれほどの時がたっただろうか。アシャが話しかけようかと考えていた時、ガウエン元帥から話しかけてくれた。
「は!!」
「聞いての通りじゃ……これから厳しい闘いになることも予想できる。国境付近に駐屯しているエドリックも、こちらに呼び寄せておいて欲しい。国境は最低限の人員で良いとも伝えてくれ」
「…………かしこまりました」
ガウエン元帥はうむ……と頷くと何事もなかったかのように歩みを再開した。アシャはその一歩後ろを歩きながら………‘軍神’について後で自分なりに調べてみようと思った。