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8 不穏


「おはようございます! クロエ=スカーレット、本日も研究結果のご報告に参りました!」


 起き抜けに甲高い声が室内にこだまする。

 フリードリヒは「声を落とせ」と呻くように呟いた。

 昨夜の深酒が残っている。

 二日酔いの頭に、溌剌で底抜けに元気なクロエの声は拷問に近かった。


「はい! すいません! それで早速なんですが、昨日、また在野の研究者から新しい文書が報告されまして! それを読み解いてみると、タナカについて、また新たに興味深い説が浮上して来たんです!」


 クロエはフリードリヒにはお構いなしに、興奮気味に早口で喋りまくった。

 彼女は生粋の研究オタクというやつで、とにかく調べものをすること、それについて考察することが大好きなようだった。

 少々行き過ぎている面はあるものの、その情熱には好感があったし、フリードリヒ自身もタナカには大きな関心があったので、彼はクロエの無礼を全て許していた。

 また、フリードリヒは単純にクロエを気に入っていた。

 故に、彼女の非礼を咎めることは、彼女自身の魅力を損なうものであることも解っていた。


「……ということなんです! タナカはもしかすると風属性の魔法には脆弱性を有している可能性もあるんじゃないかと思うんです! 彼はあらゆる魔法を習得しているはずなのに、唯一、"風"を使って闘った描写だけがないのがその証左となります!」


 フリードリヒは頬杖をつきながら、ふんふんと聞いていた。

 ほとんど頭に入っていなかった。

 クロエの話は論理的には整然としているものの、とにかく長く、それから早口のために、段々と理解するのが億劫になってくる。

 それでもフリードリヒが話を遮らないのは、身振り手振りをしながら懸命に喋るその姿が、まるで小動物のようで実に可愛らしく見ていて飽きないからだった。


「失礼します。フリードリヒ様。そろそろ私の方からも御報告を」


 と、その時、クロエの報告を遮ってトマスが現れた。

 時計を見ると既に定時をとうに過ぎていた。

 それを視認したクロエは慌てて頭を下げ、すいませんすいませんと部屋の隅に控えた。


「どうした。話を遮って入室するとは珍しい」


 フリードリヒは少し眉を潜めた。


「申し訳ありません。実は先ほどマルーディアからの使者が参りまして」


 トマスは少し神妙な顔つきだった。


「その様子だとあまり良い報せではなさそうだな」


 フリードリヒは小さく息を吐いた。


「なんだ。今度は何人の死者が出た。どれだけの軍人が殺されたのだ」

「……はい。実はそれが、0、なんです」

「0?」


 フリードリヒは眉を寄せた。


「それはどういうことだ。よもやタナカを仕留めたということか」

「いえ。詳細は解っておりません。しかし、督戦隊からの報告に依れば、現在は完全に膠着状態であり、戦闘が一切行われていない模様」

「デイモンと我が軍の様子は」

「解りません。デイモンの隊がこの国を出たのは二日前。今ようやく到着した辺りだと思われますので、彼からの報告まではもう少しラグがあるかと」

「……ふむ。つまり、理由は解らぬが、タナカとマルーディア軍、それから近隣の町や村における戦争状態が急速に収束したというわけか」

「一時的なものかとは思われますが、少なくとも現在、タナカの動きが停止しているようです」

「停戦というよりは膠着か。さすがの奴も疲労が出てきたか」

「あまり楽観視はしない方がよろしいかと思いますが、可能性としてはあり得ます。しかし気になるのは、辺境にある町の様子の方でして」

「なんだ」

「それがですね。これまでは、タナカの暴虐から逃れようと大勢の村人が町を抜け出して来ていたのですが、現在ではそのような難民がぱたりといなくなったというんです」

「ふむ。そいつは奇妙だな」

「はい。犠牲者が出ていないことは朗報ではあるものの、このような正体不明な突然の平安はいっそきな臭く感じます」

「同感だな。巨大な災禍というのはやってくる前に静寂が訪れるものだ」

「はい。何かしらの理由が無ければ、このような状況は起こり得ませんから」


 ふむ、とフリードリヒは唸った。

 すると、横から「あの」とクロエがおずおずと手を挙げた。


「なんだ。古文書の解読の話なら後にしろ」


 フリードリヒが言うと、クロエはすいませんと大きく頭を下げ、それからぶんぶんと頭を横に振った。


「そ、そうではなく、実は、私の方からも少し気になることがありまして」

「気になること?」

「は、はい。実は、少し前、著名な枢機卿様が私のところに何人か面会にいらっしゃいまして」

「枢機卿?」

「は、はい。彼らもタナカのことを調べている様子でした。私に旧約伝説の解釈を聞いてきたり、或いは反対に、伝説の戦士がもたらす福音を説いてきたり」

「なるほど。いかにも馬鹿どもがやりそうな行為だ」


 フリードリヒはくっくと笑った。


「しかし、それのどこが気になるのだ」

 トマスが口を挟んだ。

「閣下も仰っているように、伝説主義の枢機卿連中がそのような行動を取るのは珍しくもない」

「そ、そうなんですが、その、なんと言いますか」


 クロエはそこから短い間、思案した。

 それから言葉を選びながら、口を開いた。


「なんと言いますか、妙に楽しそうだったんです。いいえ、もしかするとそれ以上、あれは歓喜していたと言っても良さそうでした。奇妙なほどにテンションが高くて、嬉しそうで……そう、彼らは喜びに満ち溢れていたんです。まるでその――神様の存在に触れた敬虔な信者のように」


 フリードリヒはトマスを見た。

 すると、トマスは何やらハッとしたような顔つきになった。


「そう言えば……最近、高名な貴族が数人、怪しい動きをしていると聞いたことがあります。突然行方を眩まして数日間戻って来なかったり、或いは、商売に使用しない大金を移動させたり」

「それこそ日常茶飯事ではないか」

「そうなんですが、気になるのは、名が挙がっているその彼らもまた、熱心な勇者伝説の信徒なんです」

「ふむ。急速な戦闘状態の収束に、勇者伝説シンパの不穏な動き。"()()()()()"というやつか」


 フリードリヒは顎に手を当てて思案した。


「取りあえず、マルーディアへ斥候を派遣させた方がいいな。軍や教皇を通さない、この俺の直属の偵察兵だ。それから、元老院や枢機卿の動きの監視も強めた方がいい」

「同感です。マルーディアの怪人に信教が絡むというのは、いかにも厄介です」

「至急、専門のチームを組織しろ。人選はお前に任せる。怪しい人物の名をリストアップし、監視をつけろ」

「御意」


 トマスは腰を折って頭を下げ、退室した。

 フリードリヒは大きく息を吐いた。

 得もしれぬ不吉な種が、胸の奥に芽生えるのを感じていた。 



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