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6 思案


「トマス。お前はどう思う」


 フリードリヒは事情をすっかり話し終えると、デイモンが土産に持参したマルーディア産の梨をがぶりと齧った。

 デイモンの話はとても現実とは思えなかった。

 彼は言葉の限りを尽くして、"マルーディアの怪人"を畏れた。

 彼奴(きゃつ)は人間の姿をしているが人間ではない。

 悪魔に似ているが恐らくそれ以上の"なにか"である。

 人類を滅ぼし、世界を焼き尽くし兼ねない。

 デイモンはそのように繰り返し警告した。

 しかし、フリードリヒにはそれが真実とはどうしても思えなかった。

 どのように算盤を弾いても、そんな個体が存在しているとは思えなかった。

 あまりに非現実的だった。

 事実、現在のところ、マルーディアすらも陥落していない。

 死者は増えているものの、マルーディア軍もまだそれほどのダメージを受けていない。

 その辺りの齟齬が、どうしても腑に落ちていかなかった。


「俺にはどうも得心がいかんのだ。デイモンの言葉に頭がついていかん」


 フリードリヒは肘木に頬杖をついた。

 トマスはそうで御座いますねと短い間思案し、それから少し重そうに口を開いた。


「私もフリードリヒ様と同じ印象を持ちました。即ち、デイモンは少々神経症の氣に犯されているのではないかと、そのように感じました。いかに件の"マルーディアの怪人"が強大な男だとして、我がメストリア軍と対等以上に渡り合うなどという話はさすがに荒唐無稽、愚昧な世迷い言のように思います」

「しかし、デイモンは愚か者ではないぞ」

「その通りです。だから"神経症"だと申したのです」

「どういうことだ」

「デイモンは心を病んでいるのです。彼はまだ若く、挫折や敗北の経験が無かった。恐らく同輩に自分よりも強い者はいなかったはず。つまり、デイモンにとって、マルーディアでの邂逅が初めての敗北だった。しかもその敗北により、身体の至る所に一生癒えぬ大きな代償を支払った。その事により脳に恐怖が凝着してしまった。それ故、正体不明の賊を実際以上に巨大なものだと誤解した。端的に換言すれば、デイモンは正気ではないのではないかと」

「なるほど。心をやられた、か」


 フリードリヒはふむと唸った。

 ありそうな話ではあった。

 現に、デイモンは賊との対峙を回顧したとき、躰を震わせていた。


「しかし」

 と、フリードリヒは言った。

「しかし、その話だと1つ、辻褄が合わぬことがある」

「辻褄が合わない?」

「そうだ」

「と、言いますと」

「実はな、デイモンは引き続きこの任から外さないで欲しいと申し出たのだ」

「なんと」


 トマスは目を大きく見開いた。


「あれほどの目に遭いながら、もう一度死地に向かいたいと申したのですか」

「そうだ」

「……なんという男だ」

「畏れているのは事実だろう。しかし、恐怖よりも矜恃の方が勝っているのだ。大した男だ。どうやら奴は本物の戦士。ナイトだ。正気であるかは分からんが、少なくとも奴の心はまだ生きている」


 フリードリヒは頬杖をつき、くくと笑った。

 分かりました、とトマスは顎を引いた。


「では、デイモンはこれからもマルーディアの怪人討伐の指揮を執るのですか」

「無論だ。何しろ俺はあいつが気に入った」

「それでは、助成の方も引き続き行うわけですね」

「ああ」

「今度はどれくらいの資金を出されますか」

「いいや、次は金だけではなく、軍もいくらか向かわせようと思う」

「軍も?」

「そうだ。俺は今でも、デイモンの言うことを信じているわけではない。トマスの言うとおり、あの男は正気ではないのかもしれない。恐怖で誇大妄想が広がっているのかもしれぬ。しかし、それでも、今マルーディアへ動ける者の中では、あの男より優秀な駒が思い付かない」

「確かに、それはそうかもしれません」

「さすがにデイモンの報告のみで我が軍を総出撃させる訳にはいかん。が、既に被害は看過出来ないところまで広がりつつある。これ以上は、デイモン一人では明らかに手に負えない相手だ。だから軍隊を一部、派兵する」

「はい。それでよろしいかと」

「よし。では後ほど具体的な話を詰めるとしよう。夕食後にデイモンと共にもう一度ここに来い」

「分かりました。念のため、ボルカノ将軍にも声をかけておきます」

「そうだな。それがよかろう」


 トマスは畏まりました、と恭しく頭を下げ、踵を返した。

 すると数歩進んだところで、フリードリヒから「ああそうだ」と声がかかった。


「それからもう一つ」

「なんでしょうか」

「奴の名前が分かった。どうやらデイモンは彼奴とほんの少しだけコミュニケーションを取ったらしくてな」

「デイモンは、彼奴と会話をしたのですか」

「そうだ。短い対話だったから奴がどれほどの知能を有しておるのかはまだ分からんがな。ともかく、デイモンが自ら名乗りを挙げると、彼奴はこう応じたようだ」


 フリードリヒはトマスを見た。

 それから言った。


「私の名は【タナカ】だ、と」

「タナカ?」


 トマスは首を傾げた。

 そして今度はしばらく考え込み、やがてハッと顔を上げた。

 フリードリヒは眉を寄せた。


「なんだ。何か思い至ることがあるか」

「はい」


 トマスは何やら思い出すように、ほつりほつりと話した。


「私も記憶が定かではないのですが――その名前は確か、古代勇者伝説の一節に出てきたような覚えがあります」

「勇者伝説?」

「はい。それも、新説ではなく旧説の方です。つまり、勇者ディアの産まれる前、神々の時代を記した超古代の伝説です」

「旧説、か。苦手な分野だ。俺はあの手の話についてはてんで昏くてな。何しろあれは史実というより御伽噺の類だろう。存在主義者の俺とはまさに水と油。俺は物語に興味はない」

「歴史か物語か。さて、その辺りは考古学者や神学者の中でも見解が分かれるところではありますね。が、それはともかく【タナカ】という名前についてですが」


 トマスは人差し指を立てた。


「確か、旧説の勇者伝に出てくる聖戦士の一人の名前が、タナカだったと記憶してます」

「聖戦士か」

「はい。悪魔王に挑む勇者を助けた謎多き十二戦士です」

「なるほど。マルーディアで暴れている賊は、その聖戦士の末裔かもしれぬと」

「伝説を持ち出してくるのはさすがに飛躍のし過ぎかもしれませんが……ただ、そうであるならば、"マルーディアの怪人"が図抜けた戦闘能力を持っていることの説明にはなるやもしれません」

「超古代の旧伝説が根拠か。くくく。どちらが誇大妄想か分からんな」

「確かに想像が勝ち過ぎているかもしれません。しかし、偶然と言うには少し奇妙な一致とも思われます。或いは奴が旧伝説のことを知っていて、何らかの理由で十二戦士の名を騙っているのかもしれない。ただ、【タナカ】の能力が本物である以上、単なる詐欺師ではない。いずれにせよ、敵の素性を知るために調べてみる価値はあるかと」

「分かった。では古代文書の専門家を集めて具申機関を組織しろ」

「御意」

「ああ、枢機卿連中には内密にしておくようにな。どうせ奴らはろくなことを言わん」

「承知しております」


 トマスはもう一度頭を下げると踵を返し、今度こそ部屋を後にした。



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