たとえ殺人鬼であっても
大学の食堂で源次と別れたあと、飛鳥は、新宿警察署へと向かった。
最寄駅は丸の内線の西新宿であり、繁華街とは一線を画した、高層ビルが建ち並ぶエリアにある警察署だ。
みことさんは、警察署の入り口の前に立っていた。
「みことさん、待たせてごめんなさい」
「いえいえ。迎えに来てくださりありがとうございます」
警察から取り調べを受けたことにより、気分が落ち込んでいないかと心配していたのだが、みことさんはいつもどおりの笑顔だ。
「みことさん、警察からは何を訊かれたんですか?」
「ここで立ち話というのも難ですから、一緒に家に帰りましょう」
「そうですね」
ーーみことさんの家は、フジワラ荘の301号室である。
みことさんと初めてキスをした日、みことさんの口から「秘密」を聞くまでは、飛鳥は、てっきりみことさんの部屋は303号室であると勘違いをしていた。
みことさんの「秘密」ーー
ーーそれは、みことさんが、消費者金融に多額の借金をしている、というものであった。
みことさんは、スピリチュアルに傾倒するあまりに、占いやら、神秘的な道具に散財をしてしまっていたのだ。
みことさんの部屋の本棚にあった牛の頭蓋骨やら奇妙な壺やらは、飛鳥の想像よりも1桁も2桁も違う金額だった。
みことさん本人にはあまり強くは言えないものの、少なくとも飛鳥から見れば、ヒドイ浪費である。
複数の消費者金融から多額の借金をしていたみことさんが、恐れていたのは借金の取り立てであった。
みことさんは、基本的に家にずっといることもあり、インターホンが鳴るたびにガクガク震えていたとのことだ。
今のご時世、ヤクザ者が訪れてドアをバンバン叩くというようなことはないだろう。さらにいえば、みことさんが借りているような大手消費者金融は、手紙を寄越するだけで、債務者宅に訪れることさえない。
その意味でみことさんの心配は杞憂である。しかし、ありもしないことについてアレコレ考えてしまうのが、みことさんの性格だ。
「番犬」として虎之助を飼ってこそいたが、それでもみことさんの不安は解消されなかった。
そこで、みことさんは一計を練った。
301号室と303号室の表札をこっそり入れ替えたのである。
そうすることで、消費者金融の取り立てを、自分の部屋に来ないようにしようと考えたのだ。
すなわち、借金の取り立ては、小野瀬みことの住所登録がある「301号室」に来るだろうから、本来の301号室に「303号室」の表札を掲げておけば、そこに借金取りが来ることはない。
他方で、「301号室」の表札が掲げられている、本来の303号室に借金取りは来てしまう可能性はあるものの、みことさんが認識する限り、303号室に人が居住している様子はなかった。
さらに、フジワラ荘は、全くと言っていいほど管理されておらず、オーナーや管理人が現地に訪れることもなかった。共有部分の掃除もされず、「ペット禁止」であるにもかかわらず、虎之助のことを注意されることもなかったのはそのためである。
ゆえに、みことさんが表札を入れ替えても、それに気付く者は誰もいなかった。
ちなみに、入れ替えに気付けたはずの唯一の人間は飛鳥である。
みことさんのほかに、フジワラ荘の3階に出入りしていたのが飛鳥のみだったからだ。
冷静に考えてみると、階段を上ってすぐに303号室があり、廊下を進むにつれて302号室、301号室と番号が若返っていくというのは、不自然である。
普通、並びは逆だ。
しかし、アパートに越して来たことが生まれて初めてということもあり、飛鳥はそれに気付かなかった。
「301号室」と「303号室」の部屋番号の下に名前がなかったことと同様に、「そういうものなのか」と勝手に解釈していたのである。
なお、パワースポット巡りの旅行から帰って来た直後に、みことさんが「301号室」(実際には303号室)のドアの前にいたのは、旅行期間中に、「勘違い」によって新聞受けに入れられた、自分宛の郵便物を回収するためだった。
多額の借金があること、そして、借金取りから逃れるために301号室と303号室の表札を入れ替えていること、これがみことさんの抱えていた「秘密」だったのである。
「まさか303号室の住人が殺人鬼だったなんて驚きましたね」
夕方のラッシュ前で、地下鉄の車内にはほとんど人がいなかった。ゆえに、飛鳥は、みことさんにその話を振った。
「そうですよね。警察には、何度も『気付かなかったのか?』と聞かれたのですが、想像すらしていませんでした」
みことさんによって、「301号室」の表札を掲げられていた303号室の住人が、連続児童殺人事件の容疑で逮捕されたのは一昨日のことである。
報道によると、犯人は25歳の男性だということだ。男子児童に対して性的嗜好を有していたらしい。
最初の殺人は、みことさんが引っ越してくるよりも1ヶ月ほど前のことだった。今からは半年以上前ということになる。
犯人は、誘拐した男子児童に、303号室で性的なイタズラをした後で、口止めのために殺害した。
その後、食肉関係の職場工場に死体を運び、死体を捌き、ミンチ状にした。
そして、303号室に運び直し、冷凍庫で保管していたという。
犯人は、最初の犯行後、303号室はあくまでの死体の保管場所とすることにし、別に借り増ししたアパートの一室で居住していた。
ゆえに、飛鳥も、みことさんも、303号室の住人に出会うことが一度もなかったのである。
第2の殺人の後も、犯人は、同様に死体を処理し、303号室の冷凍庫にしまった。
これは、飛鳥も引っ越した後の話らしいのだが、深夜にこっそり運び込んだとのことで、少しも気付かなかった。みことさんも同様に気付かなかったとのことである。
報道によると、303号室には、巨大な冷凍庫がポツンと2台だけ置かれていたとのことだ。
今日、みことさんが新宿警察署に呼ばれていたのは、言うまでもなく「被疑者」ではなく、「関係者」としての任意の事情聴取である。
みことさん自身は、犯人を知らず、犯行についても気付かなかったのだが、とはいえ、表札を入れ替えたり、303号室の新聞受けを漁ったりしていた。
ゆえに警察は、みことさんが今回の事件について何かを知っているのではないかと考え、みことさんに出頭を要請したのだ。やむをえないと思う。
「死体をミンチにしていただなんて、おぞましいですよね」
「そうですよね。私、カニバリズムの本なども読んでいましたが、まさか身近でそのような事件が起こってるだなんて、思いもしませんでした」
みことさんの部屋で「カニバリズムの系譜」という本を見つけた後、気になって調べたところ、カニバリズムとは、人間食とのことだった。
みことさんは、オカルト関心への延長線上でそのような本も読んでいたようである。
なお、今回の犯人も、あくまで死体を隠蔽するためにミンチ状にしていたのであって、決してそれを食べていたわけではないことについては一応付言しておく。冷凍していたのも、腐臭が出て、死体の存在が露見するのを防ぐためだった。
むしろ、犯人は、死体と同居したくなかったのだ。ゆえに、わざわざ家賃を二重に払ってまで別のアパートを借りていたのである。
フジワラ荘に戻って来た2人は、規制線を張っている警察にお願いして、アパートの中に入れてもらった。
そして、階段を上り、2人して301号室に入室する。
303号室で死体が見つかったことを契機に、2人は301号室での同棲を開始していた。
それは、隣室で死体が発見されたことが気味悪く、飛鳥がこれ以上302号室にいたくなかったから、というのもあるが、もちろん、それだけではない。
みことさんの「秘密」を飛鳥が受け入れたことで、2人は正式に交際を始めていたのである。
みことさんの借金に関しては、自己破産をすればなんとかなる。
みことさんは「自己破産をしたら虎之助を取り上げられてしまいますよね?」などと勘違いをしていたが、法学部生の飛鳥が、「そんなことはない」とお墨付きを与えている。
みことさんは、部屋のオカルトグッズについても心配していたが、買値にもかかわらず売値は二束三文だろうから、裁判所に処分を命じられることはないと思う。飛鳥は、内心では、処分した方が良いと思っているが。
なお、みことさんがロールキャベツに入れていた「秘密のスパイス」の正体も、「魔女の媚薬」と称されるオカルトグッズだった。クライナーサイズの小瓶で3万円もしたらしい。こちらはなんとも憎めない「浪費」である。
「もうこの部屋とはお別れですね」
301号室に戻ったみことさんが、パステルピンクの部屋を見渡す。
飛鳥とみことさんは、来週にも引っ越すことになっている。
事件のこともあるし、それ以前に2人だとあまりにも手狭だからである。
仮に事件がなかったとしても、近々2人は引っ越しをし、新居で同棲を開始する予定だった。
みことさんと出会った思い出の「303号室」。
それが無くなってしまうのは、飛鳥としても寂しいものである。
しかし、これから新たな部屋で、新たな人生が始まるのだ。
飛鳥はみことさんを愛し続け、一生一緒にいようと心に決めていた。
たとえ、みことさんが殺人鬼であったとしても。
(了)
「隣人は殺人鬼」を最後までお読みいただきありがとうございます。菱川あいずと申します。
おそらく、なろう公式企画に「春の推理」が追加されたことを誰よりも喜んでいる人間です。
なろうでミステリーにスポットが当たることはほぼありませんので(某薬屋さんは別として)。
本作は、倒叙トリックをメインに用いています。
しかし、どちらかというと、ミステリーを読み慣れない方を読者層として想定しており、ミステリー部分は理解されなくとも、最悪「現実恋愛」として読んでいただければという気持ちで書きました。その意味で、ミステリーとしてはかなり異質な作品だと思います。
ただ、基本的に菱川はミステリーしか書きたくない人間であり、おそらくなろうで一番短編ミステリーを書いている人間です(50作以上)。
この作品を機に、なろうのミステリーにも興味関心を持っていただけると幸いです。
改めまして、お読みいただきありがとうございました。