不審行動
「よし、虎之助、最後の散歩だ!」
スマホで流していたロックミュージックを切ると、飛鳥は座椅子から立ち上がる。
すると、伏せの状態から虎之助も立ち上がる。
その口には、飛鳥が買い与えた3代目のおもちゃである、黒いサンショウウオのぬいぐるみが咥えられている。
虎之助を預かって4日目である。
みことさんの3泊4日のパワースポット巡りも今日で終わり、そろそろこのアパートに帰ってくるところだ。
みことさんは旅行でヘトヘトで、虎之助に構っている場合ではないだろうから、今のうちに飛鳥が散歩に連れて行き、虎之助の体力を奪っておこうという算段である。
みことさんの旅行中、2人は絶えずLINEでやりとりをしていた。
飛鳥は虎之助の画像とともに近況を随時報告し、それに対して、みことさんは神社やら、湖やら、祠やらの「パワースポット」の画像を送ってきた。
それだけではない。
2人はプライベートなやりとりもしていた。その中で、みことさんのことを色々と知ることができた。
みことさんが現在29歳であること、広告代理店で働いているが、現在は在宅ワーク中心で、ほとんど家から出る機会がないこと。岡山県出身で、岡山には父母のほかに歳が8つも離れた妹がいることなどなど。
飛鳥も、みことさんに、大学のことや地元のことや家族や友人のことなど、様々な話をした。
みことさんとの距離はだいぶ縮まった、と少なくとも飛鳥は思っている。
そして、みことさんのことを知れば知るほど、飛鳥の中の恋心は肥大していった。
虎之助をリードで繋ぐと、嬉しそうに玄関まで駆けて行った。この4日間で、虎之助ともだいぶ親密になれた気がする。噛みつかれるのは相変わらずなのだが。
玄関ドアを開けると、虎之助がロケットのように外へと飛び出していく。
そのまま廊下に出て、階段の方に向かうと思いきや、虎之助は立ち止まる。
そして、ワンワンと吠え始めた。
体の向きは、階段とは逆、301号室の方を向いている。
301号室の住人とは、未だ出会ったことがない。
誰かいるのだろうかと飛鳥もそちらを向くと、そこにいたのは、なんと、みことさんだった。
スーツケースを持った旅行帰りのみことさんが、301号室のドアの前で「何か」をしていたのである。
虎之助と飛鳥に姿を見られたみことさんは、明らかに取り乱していた。
そして、慌ててスーツケースの中に何やら手紙のようなものを詰め込むと、ニコッと作り笑いをした。
「ただいま」
「おかえりなさい。みことさん、早かったですね」
「はい。思っていたよりも一本早いバスに乗れまして」
なぜ301号室のドアの前にいるのか、そこで何をしていたのかということは、おそらくみことさんにとって訊かれたくはないことだろう。
気になったのだが、飛鳥はあえてそれは訊かないことにした。
みことさんにだって、他人に知られたくないことの1つや2つ、当然にあるだろう。
「みことさん、旅行帰りでお疲れでしょうから、ゆっくり自分の部屋で休んでてください」
「……あ、はい」
「僕は今から虎之助と散歩に行ってくるので」
「でしたら、私も一緒に行きます」
「……え?」
「荷物を部屋に置いてくるんで、少し待っててください」
そう言って、みことさんは、スーツケースを引いて、飛鳥の前を横切り、303号室へと消えて行った。
みことさんが301号室の前でとっていた「不審行動」のことなど、飛鳥の頭から一瞬で飛んでいった。
だって、これってーー
これって「初デート」じゃないか!