LINE
「痛っ!」
飛鳥は、慌てて右腕を上げ、虎之助の追撃を躱す。
虎之助に噛まれるのは、これで3度目だ。
小型犬であるため、傷跡がハッキリと残るほどではないとはいえ、痛いものは痛い。
みことさんから、「虎之助のお気に入りのおもちゃ」として渡されたフック船長のぬいぐるみを使って、飛鳥は、虎之助と引っ張りっこ遊びをしている最中だった。
先ほど公園に散歩に行ったばかりだというのに、部屋に戻ってからも虎之助の体力はあり余っていた。
GW中にいくつか課されたレポートをやろうとパソコンを開いた飛鳥に、虎之助は「構って」と何度も飛びついてきたのである。
それで仕方なく、飛鳥は引っ張りっこ遊びをすることにしたのだ。
くたびれているのは飛鳥だけではなく、フック船長もであった。左手のフックが取れかけているのだ。
ワニの次には犬に襲われるとは不憫極まりない。
「虎之助は凶暴だから気をつけてくださいね」
というのがみことさん談だったが、わずか半日間預かってみて、その「凶暴さ」は想像以上だった。
そういえば、みことさんは、虎之助の好物は「お肉」だとも言っていた。
牛、豚、鶏問わず、肉に目がないらしい。
みことさんが普段からそういうものを食べさせるから、虎之助の気性が荒くなるのではないかと、飛鳥は勘繰ってしまう。
虎之助が、飛鳥からふんだくったフック船長のぬいぐるみに、夢中になってガシガシ噛みついている隙を狙って、飛鳥は床に落ちていたスマホを拾い上げる。
LINEの画面を開いてはみるものの、当たり前だが、みことさんから連絡は来ていない。
「今から飛行機に乗ります! 虎之助をよろしくお願いします!」「任せてください。旅行、楽しんでください」という朝のやりとりから、互いに連絡を取っていないのである。
せっかく念願のみことさんのLINEを手に入れたので、こちらから積極的に連絡をするべきなのだろう。据え膳食わぬは男の恥、だとすれば。
しかし、どうしても遠慮してしまう。
みことさんは、旅行中は日常のことを忘れたいだろう。そうだとすれば、アパートの隣人とのLINEなんかきっとやりたくない。
それに、そもそも、みことさんはカレシと旅行中なのかもしれないのである。だとしたら、飛鳥からのLINEは迷惑この上ない。
結局、LINEだけは知れたものの、飛鳥はみことさんのことを何も知らないのだ。
みことさんが何歳なのかも、どんな仕事をしているのかも、どこの出身なのかも、交際相手がいるのかいないのかすら、何も知らないのである。
LINEを交換しただけの関係ーーそんな関係の人は、今の世の中いくらでもいる。
飛鳥だって、大学のクラスメイトと片っ端からLINEを交換したものの、最初の「よろしくお願いします」以外にはメッセージを送っていないのがほとんどだ。
「みことさんにとって、僕もその程度の存在なのかなあ……」
そう考えると気持ちがズンと沈み、GWの残りの期間を布団の上で寝て過ごしたくなる。
ワンワン!
鳴き声がしたので、虎之助の方を見ると、フックが完全に噛み切られていた。
そのことを自慢げにアピールするために、虎之助は飛鳥のことを呼んだのである。
「コラコラ虎之助、壊しちゃダメだよ」
みことさんは「虎之助のお気に入りのおもちゃ」と言っていた。そのおもちゃが壊れたことを知ったら、みことさんはどう思うだろうか。
まさか怒りはしないだろう。みことさんは虎之助のことを溺愛しているからーー
それだ!
みことさんにLINEをするとっておきの口実を思いついたのだ。
飛鳥は、誇らしげな表情の虎之助を撮影すると、その画像をLINEで送信する。
「虎之助君の今の状況はこんな感じです。みことさんは今どんな状況ですか?」という文章を添えて。
みことさんは飛鳥に興味はないとしても、虎之助には興味があるはずだ。
今の飛鳥には虎之助という「武器」があるのである。
その「武器」を使いつつ、さりげなくみことさんの旅行の様子を尋ねる。完璧な作戦だ。我ながら冴えている。
作戦は奏功した。
飛鳥が送ったメッセージにはすぐに既読がつき、みことさんから返信が来る。
「もうフック船長を噛みちぎってしまったんですね……。1週間前にUFOキャッチャーでゲットしたばかりなんですが」
「お気に入りのおもちゃ」と言っていたので、てっきり使い古されているのかと思いきや、ほぼほぼ新品だったらしい。
「虎之助はすぐにおもちゃをダメにしちゃうんです。飛鳥さん、後でお金を払うので、適当に新しいおもちゃを買ってあげてくれませんか?」
「もちろんです」と飛鳥は返信する。
次にみことさんから送られてきた画像は、苔むした巨岩を写したものだった。
ーー何だこれは?
飛鳥がどう反応をして良いのか悩んでいると、みことさんから説明が送られてきた。
「パワースポットです。今回の旅行は各地のパワースポット巡りなんです」
どうやら「みことさんは今どういう状況ですか?」部分に対する返信らしい。
「パワースポット……ですか?」
「そうです。私、占いとかそういうスピリチュアルなものが好きで、休みになるとそういうものを求めて、一人で出掛けてるんです」
みことさんにそんな趣味があるだなんて、飛鳥は知らなかった。
「飛鳥さん、やっぱり引いてますか?」
「いいえ」と慌てて打つ。
好感が持てるというほどでもないが、面白い趣味だなと思う。
それよりもーー
「みことさん、もしかして今回の旅行は一人旅なんですか?」
ドキドキしながら、返事を待つ。1秒が1分、いや、それ以上に感じられる。
ピコンと着信音が鳴る。
「そうですよ。カレシも友達もいませんので」
よっしゃあ!
飛鳥は心の中で、いや実際に左手でガッツポーズをとる。飛鳥の心配は杞憂であり、みことさんは現在フリーだったのである。
飛鳥はさらに度胸を出して、こう送ってみる。
「他に行く人がいないなら、ぜひ僕を誘ってください」
すると、みことさんから、
「飛鳥さんもそういうの好きなんですか?」
と質問が送られてきた。
少し悩んでから、
「勉強します!」
返すと、みことさんは、
「それじゃあ、次行くときは飛鳥さんをお誘いしますね!」
と言ってくれた。
それが冗談なのかどうかは分からなかったが、飛鳥は舞い上がっていた。
「虎之助、今日はステーキにするよ!」
飛鳥の言葉の意味が理解できたのかどうか不明だが、虎之助は「ワン!」と尻尾を振りながら返事をした。