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 飛鳥がフジワラ荘に引っ越してきてから、早1ヶ月が経とうとしていた。


 大学も始まり、オリエンテーション期間を経て、授業も本格的にスタートしていた。大学の講義は想像以上に手強く、抽象的で理解のできない教授の話を、ひたすらパソコンを使ってメモを取り続ける、そんな日々だった。



 驚いたのは、授業の難易度だけではない。


 東京の女性のルックスレベルの高さにもだ。

 


 東京の女性はみな細く、オシャレで、綺麗だ。


 キャンパスを行き交う華やかな女たちに、富山県の田舎出身の飛鳥は、幾度となく目を奪われていた。



 ただし、飛鳥が東京で見た女性の中で、一番美しかったのは、隣の部屋に住むみことさんである。

 みことさんはスッピンでもあのクオリティなのだから、ダントツだ。レベルが違う。



 みことさんとは、廊下ですれ違った時に挨拶をする程度の関係だった。


 みことさんは大抵虎之助を連れて散歩しているので、「虎之助君は元気ですか?」「はい。元気です」くらいのやりとりがせいぜいだった。



 みことさんとこれ以上の関係になる方法を、飛鳥はぼんやりと、しかし度々考えているのであるが、妙案は浮かばない。


 出会った時に、図々しく部屋に上がり込めば良かったと後悔することが幾度となくあった。


 振り返ってみれば、あれが最初にして最大のチャンスだったのである。



「せめて、LINEを交換できればなあ……」


 そんなぼやきとともに、ため息をつく。


 今日は午後の講義が教授の都合で臨時休講となったため、飛鳥は家で布団の上に横になり、適当にスマホをいじっている。



 そういえば、301号室の住人とは未だに会えずじまいである。


 引っ越して来た日から、数日おきに何回かインターホンを鳴らしたものの、反応はなかった。


 この前、すれ違った時にみことさんにも訊いてみたが、「私も会ったことありません」とのことだった。


 もしかしたら空室なのかもしれない、と思い、そのこともみことさんに訊いてみたが、「それも分かりません」とのことだった。


 みことさんも、ここに引っ越して来てからまだ半年も経っていないらしい。



 ワンワン! ワンワン!


 壁の向こうから虎之助の声が聞こえる。


 みことさんに最中を持って行った後、念のため賃貸借契約書を確認してみたところ、やはり「ペット禁止」との記載があった。


 みことさんがとびきり美人だからといって、みことさんにだけ「特例」が適用されているということはないだろう。


 みことさんは、オーナーに内緒で犬を飼っているに違いない。



 ワンワン! ワンワン!


 虎之助の声はなんだか嬉しそうだ。


 おそらく、今からみことさんが散歩に連れて行くのだろう。玄関口で虎之助の首輪にリードを繋ぐみことさんの姿を想像して、飛鳥は幸せな気持ちになる。


 みことさんと親密になれなくても、LINEを交換できなくても、みことさんがすぐ隣の部屋に住んでいるという事実だけで、飛鳥は十分恵まれているのだ。



 ガチャ、と303号室の部屋のドアが開く。


 やはり散歩に出掛けるのだ。


 今日は雲一つない晴天である。虎之助はさぞかし上機嫌だろう。



 果たして散歩先はどこだろうか。

 フジワラ荘の近くには、芝生のある大きな公園がある。みことさんは、そこで虎之助を目一杯遊ばせるのだろうか。



 僕も一緒に散歩に行けたらなあーー



 そんな妄想をしていたところ、「ピンポーン」と飛鳥の部屋のインターホンが鳴って、飛鳥は布団から飛び起きた。



 まさか、と思い、急いで玄関に行き、ドアを開けると、そこに白いワンピースを着たみことさんがいた。



「飛鳥さん、お忙しかったですか?」


「いいえ。今日は午後の授業が休講で、家でゴロゴロしてました」


「ですよね! 今日は平日なのに飛鳥さんは家にいらっしゃるな、と思ってました」


 みことさんにどうしてそれが分かったのだろうか。

 まさか僕みたいに、隣の部屋の物音に聞き耳を立てている……わけではないだろう。



「飛鳥さん、実は飛鳥さんに折り入ってのお願いがありまして」


 みことさんが、両脇で虎之助を抱っこしたまま、両方の手のひらを合わせる。

 虎之助君はリードに繋がれておらず、みことさんの豊満な胸の中にいたのだ。



「お願い……ですか?」


「ええ。難しいお願いかもしれませんが」


「何ですか? お願いって」


 飛鳥の心持ちは、難しいお願いだろうが無理難題だろうが、みことさんのお願いであれば何でも聞いてやる、というものだった。みことさんの中での株が上がるのであれば、毒をも飲めるだろう。



「これからGWじゃないですか」


「そうですね」


 今日は4月27日。明後日から連休が始まる。



「飛鳥さんのGWのご予定ってどうなってますか?」


「特に何もありませんが……」


 素直にそう答えた後で、もしかするとこれはみことさんから飛鳥への何らかの誘いなのではないか、との期待が湧いた。



「ご実家に帰られたりはしないのですか?」


「その予定はありません。盆と正月に帰れば十分かなと思って」


「良かったです。もしよろしければーー」


 これは間違いなく何らかの誘いだろう。心拍数が爆上がりする。


 しかしーー



「飛鳥さん、しばらく虎之助を預かってくれませんか?」


 飛鳥の期待は見事に裏切られた。



「GWの間、旅行に行こうと思ってるんですが、虎之助を連れて行くわけにはいかず」


 落胆はしていたものの、もうすでに予定がないと言ってしまっている手前、断るわけにはいかなかった。



「……良いですよ」


「ありがとうございます! 旅行から戻って来たらお礼はしますから!」



 お礼?……もしかしてあんなことやこんなことや……いや、ダメだ。冷静になれ。変な期待をしてしまっている自分に、飛鳥は喝を入れる。



「お礼は特に要らないです。どうせ暇なので」


「そういうわけにもいかないですよ。お土産も買って来ますね」


 お土産「も」ということは、お土産に加えて「お礼」までもらえるらしい。


 GWは本当に暇だったし、犬猫も嫌いではないので、悪くない話に思えてきた。



「虎之助、しばらく飛鳥さんにお世話になるからね。ちゃんと挨拶してね」


 みことさんに抱えられた虎之助は、「ワン」と返事をすることも、それどころか飛鳥の顔を見ることすらなかった。


 代わりにみことさんが高い声で「飛鳥さん、よろしくワン」と言う。反則的に可愛い。



「いつからいつまで預かれば良いんですか?」


「詳細はあとでLINEします」


「……LINE?」


「ですので、LINEを交換しましょう!」


 来た! マジか! 悪くないどころではない。最高だ。



「……ぜ、ぜひ……」


 声が震える。ポケットからスマホを出す手も震える。


 みことさんのスマホは、ピンク色の機体に、キラキラのラインストーンが散りばめられている。とてもフェミニンで、それを見ただけで飛鳥はさらに緊張する。



 飛鳥のスマホがみことさんのQRコードを読み取った瞬間、虎之助がウーっと唸る。


 一体何を警戒しているのだろうか。


ーーそんなことはどうでも良い。今日は最高の1日だ。


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