第五十三話 洗脳兵器
私が落下したのは、果物の屋台の上だった。体中が痛いが怪我はしていなさそうだ。
「おい、あんた大丈夫か」
冒険者の男性が、散乱する果物に埋もれた私のことを助け起こしてくれる。
「ユウカ! ユウカは?」
「落ちてきたのは、あんただけだが」
町の人々が私の取り囲んでいた。
あたりを見回すと、通りの中心に、凝望壁が立っていた。
「ユウカ、大丈夫……?」
凝望壁に歩み寄り手を触れる。
なんとなく、ユウカはもう大丈夫なのだという気がした。元のユウカに戻れないわけではない。気まずくて戻らないだけなのだろう。
ユウカは話を逸らすように、壁に上向き矢印を表示して点滅させる。
「上?」
見上げると、教会はまだ上空を漂っていた。
中心の聖堂を取り囲むように、大小の瓦礫が浮いているが、小さなものからどんどん崩落している。
石や岩が町に降ってきて、通りに散らばっている。
このままでは、ケンイチたちが立っている場所も、いつ落ちてくるか分からない。
「おい、あんた。あれはなんなんだ。あんたたちの仕業か?」
冒険者らしき男に問い詰められる。
「違います。あれはハルモニア・サンクトゥス。洗脳兵器です」
「洗脳兵器? なんてこった」
私たちの仕業か、といわれると否定できない。
あの聖堂に蓄えられたエネルギーは、おそらくユウカのものだ。だけど、今そんなことをいうと話がややこしくなるので、とりあえず否定しておく。
「大変、ヒロトたちが……」
私は凝望壁を見る。
地上から上空に壁を伸ばして、ケンイチとヒロトとリョウを助け出すことができるだろうか。
おそらく無理だ。凝望壁は、壁を広げたり伸ばしたりすることができるけれど、その体積には限りがあるようだった。壁を伸ばせば、細くなったり薄くなったりする。私を地上まで降ろすのに、角柱ほどの細さになったのだ。ケンイチたち三人を支えるのは無理だろう。
「ヨシエ、ユウカ!」
息を切らせて走ってきたのは、白い服を来た金髪のエルフだった。
「ミカラスちゃん!」
「……森から、あれが、見えたんで、……走ってきた。なんだあれは」
「あの上に、ケンイチたちがいるの」
「上に?」
ミカラスは呼吸を整え、弓を引き上空に向けて矢を射る。それは予想よりも随分高く飛んだけれど、聖堂にまでは空中の聖堂にまでは届かなかった。
凝望壁は、微妙に伸びたり縮んだり横に広がったりを繰り返している。どうしていいか分からないのだろう。
ぽん、とパイプオルガンの高音が町に鳴り響く。
「みんな、あの音を聞いてはだめ! あれは洗脳兵器なの。耳を塞いで!」
町の人々がざわつく。
私のいうとおりに耳を塞ぐ人、訝しげにこちらを睨んでいる人、上空に向けて剣を構えている人、様々なふるまいをしているが、みな一様に困惑している。
ぽん、ぽん、と音が続く。
だれがあのオルガンを弾いているのだろうか。ユウカが弾いていたときよりも拙くゆっくりに感じられるが、脳に響いてくるような音だった。
ミカラスも、弓をしまい尖った耳を塞ぐ。
「まただれか落ちてくるぞ!」
床が崩落し、瓦礫とともに人影が落ちる。
「ヒロト!」
逆光になっていてよく見えないが、落ちてくるのはおそらくヒロトだった。
凝望壁が急いで斜めに伸びる。
私もヒロトを受け止めるものがなにかないか、慌てて探す。なにも見当たらないので、果物の入っていた金だらいをとりあえず抱える。
急に、なにかが太陽を遮る。
いつの間に飛んできたのか、滑降してヒロトに近づいていく。
違う、あれは鳥ではない。シルエットはみるみるうちに大きくなり、空中のヒロトを受け止める。
「ボタニク!」
「あれは、ドラゴンじゃないか」
落下するヒロトを受け止めたのは、樹冠龍ボタニクだった。
草原でボタニクと戦ったとき、ヒロトはとどめを刺さず、その背中に刺さった魔鉱石を抜いてあげた。
「ドラゴンにとどめを刺さないのが王道のパターンなんだよ」と、あのときヒロトはいった。
まさに今、ボタニクはヒロトを助けにきてくれたのだ。
今度は大きな瓦礫がそのまま落ちてくる。
あれはおそらく、ケンイチとリョウが立っている床だ。
「降ってくるぞ、よけろ!」
町の人々が散り散りに道を開ける。
ヒロトを乗せたボタニクが急降下してくるが、間に合わない。大きな音を立てて通りの中心に落ちた瓦礫には、だれも乗っていなかった。
「ケンイチ! リョウ!」
瓦礫に近づこうとして、なにかにつまづく。私の足元にはなぜだかケンイチが転がっていた。
「痛ててて……」
「ケンイチ、どうしてこんなところに。リョウは!?」
「ボク、ここにいるよ」
振り返ると、リョウは壊れた果物屋の屋台の上に座り、りんごを食べていた。
「リョウ、良かった! 時間を止めたのね」
私はリョウに駆け寄り抱きしめる。
「うん。ボクとパパが落っこちて、地面にぶつかるちょっと前に時間操作で時間を止めたよ。パパは、ここまで転がしてきた」
「怖かったでしょう」
「時間がなかなか動き出さなくて、おなかがすいたからりんごを食べてた。でもボク、果物屋さんにお金払ってないよ」
「あとで払っとく。ヒロトは……」
上空を旋回していたボタニクは、ヒロトを乗せたまま、ケンイチとリョウの無事を確認したかのようにどこかに飛んでいってしまった。




